本日のベストスリー7月27日

三位 新作のラストあの世に持って行く謎を解かせぬミステリ作家

 

二位 読み易い文は書くのが難しい謎解きこなすミステリ作家

 

一位 もう一度ドラマ映画を見直して故人を偲ぶ謎の無い日々

 

お題は、故東野圭吾氏。お悔やみ申し上げます。まだ若いのにというのが、一つ目の感想。突然の訃報を聞けば日本人の間で大人気のアレを先ず疑うが、そのうちそんな風潮も広がっていくのか、いかないのか。さすがに変わってはいくだろう。そうでなければ、また過ちを繰り返すだけ。ファウチ氏の内実が天下に暴露されキチンと処断されることから始めるのも良い。時間がかかるのはやり切れないが、、、。

 

本日のベターツイートは、ヒト氏のもの。以下引用開始。

荒川区議会議員の夏目亜季が、イングランドのデータを引用してHPVワクチンの効果を喧伝してるが、日本のデータだとその論法は通用しない。

同じ条件(2020-24年, 20-24歳)での日本の子宮頸がん死亡は1人。
この年代にはワクチン停止世代も含まれる。

ワクチンなど無くても、死者は減少してるわけだ。

以上引用終わり。

正木伸城氏のもの。以下引用開始。

現代の権力は、禁止や命令で人々を縛らない方向に働く。「自由」をそのまま燃料にして、権力が作動する。工場の規律。監獄の監視。命令と服従。フーコーが「規律権力」と呼んだそれは、かつての産業社会で、人間の身体を鋳型にはめる力として機能した。ところが、情報資本主義時代の権力、著者が言う「情報体制」はむしろ抑圧せず、強制もせず、表現しろ、共有しろ、参加しろと促してくるという。しかもぼくらは、その中で「自分は自由だ」と感じている。

日常を観察してみてほしい。何を買うか。何を観るか。誰をフォローするか。その決定の多くは、自分で選んでいるようでいて、実際はアルゴリズムにかなり促されている。選んでいるつもりで、選ばされている。しかもその状況を便利さとして歓迎している。ハンが恐れるのは、まさにこの状態、データが人間の意識的な決定を迂回して行動そのものに直接働きかける事態だった。ハンはそれを、規律の時代よりもある意味で深い支配だと見る。鞭は抵抗を生むが、快適さは抵抗を生まないからだ。多くの人は、現に抵抗すべき権力を見ていない。

本書の後半、議論は民主主義の危機へと進む。ハンの整理をぼくなりに言い換えるとこうなる。真理は求心的で、社会をひとつにまとめる力を持つ。一方、情報は遠心的で、社会をばらばらにしていく。情報は真理よりも速く伝わり、真理は情報に追いつけない。速さで殴り合う言論空間では、検証に時間がかかる真理はいつも負けてしまう。陰謀論が強いのは、それが「すべてを一気に(手早く)説明してくれる」からだ。それなら不確実さに耐える必要がなくなり、不確実性をきちんと吟味する人に不利な場面が増えていく。

この分析は、生成AIが本物と見分けのつかない偽情報を量産できるようになったいま、書かれた当時より切実になっている。EUでは今年、AIで作られたコンテンツにその旨の表示を義務づけるルールの適用が始まり、アメリカでも偽の性的画像の削除をプラットフォームに義務づける法律が動き出した。制度は追いかけている。ただ、制度が守れるのは流通の秩序までで、それらを読む力・聴く力までは守ってくれない。

ぼくは、この本の核心は、監視でもアルゴリズムでもなく、まさに「聴く力」にあると思っている。ハンはこう書く。「民主主義とは、他者の話に耳を傾けて聴く人びとがかたちづくるコミュニティである」。デジタルのコミュニケーションは、発信には異様に長けているが、聴くことをほとんど要求しない。タイムラインでぼくらは他者の声を聴いているようで、実は自分の関心を映した鏡を眺めている。相手の言葉から自分に都合のいい意味を勝手に読み取っている。そのため、コミュニケーションの総量は爆発しているのにコミュニティは痩せていく。ハーバーマスが討議による公共圏に希望を置いたのに対し、ハンは、そもそも討議の前提となる「聴く人びと」がデジタル環境で解体されつつあると見る。

では、ぼくらにできることは何か。

ハンが本書の終わりに描く処方箋のひとつは意外なほど古い言葉、「パレーシア」だった。それは、古代ギリシャに由来する、身の危険や不利益を引き受けてでも真理を語る勇気のことだ。晩年のフーコーが講義で掘り起こした概念でもある。情報体制のもとで言葉は注目を集めるための信号になり、承認と交換される商品になった。何を言うかより、どれだけ速く、どれだけ広く届くかが価値を決めるようになった。そのゲームの中でパレーシアは、あえて速さから降りようとする人を支える。検証に時間を払い、自分の名前で語り、間違っていたら訂正を引き受ける。バズの文法から見れば、割に合わない言葉の使い方だろう。だからこそ、それだけが情報の奔流に呑まれない足場になるとハンは考える。

加えて、パレーシアには裏面があると思う。語る勇気の裏にあるのは聴く勇気だ。自分の確信を壊しにくるかもしれない他者の言葉を、遮らず、最後まで聴くこと。都合のいい部分だけを切り取らず、わからなさに耐えながら聴き続けること。ハンの言うとおり、民主主義が「聴く人びと」のコミュニティなのだとしたら、その再建は選挙や制度の前に、ぼくらの耳元から始まる営みだと言える。真理を語る勇気と、真理に聴き入る忍耐。この地味な二つを手放した社会から、民主主義は壊れていく。

そこに抵抗するには、まず、情報がぼくらをどう支配してしまっているかを知る必要がある。それを教えてくれるのが本書である。

『情報支配社会 デジタル化の罠と民主主義の危機』ビョンチョル・ハン著、守博紀訳、花伝社

以上引用終わり。

掛谷英紀氏のもの。以下引用開始。

この人は本当に何も分かっていない。緊急承認時点の追跡期間は約2ヶ月で、長期的な毒性は十分評価されていません。また、モデルナとファイザーの治験で接種したのは1.5万~2万人なので、数万人に1人の副反応は評価困難。その程度も知らずにコロナワクチンの安全性を語るべきでない。

以上引用終わり。

並行図書氏のもの。以下引用開始。

ホルムズ海峡封鎖の裏で、サウジはなぜ墓穴を掘ったのか

米国がイランへの攻撃を一時停止するなか、イエメンからのミサイルがサウジアラビアの石油中枢を襲った。表向きの戦場とは別の場所で、事態は静かに、しかし決定的に動いている。

サウジアラビアは大きな誤算を犯した。イランがホルムズ海峡を封鎖し、ペルシャ湾からの原油輸出が途絶えたまさにそのタイミングで、サウジ空軍はイエメンの空港を爆撃したのである。
イランがアヤトラーの葬儀に向かう代表団を乗せた旅客機を派遣し、包囲を破ろうとしたことへの対抗措置だった。この判断が、自国経済の生命線を危険に晒す引き金になるとは、彼らは想像しなかったのだろう。

イエメンの武装勢力アンサールッラー(欧米でいう「フーシ派」)の反撃は、驚くべき精度と破壊力を見せつけた。サウジの石油施設は深刻な打撃を受け、その技術水準の高さに多くの専門家が驚きを隠せない。彼らは数十発のミサイルと無人機を放ったと発表しているが、それを迎撃できたという報告はほとんどない。

被害は甚大だが、興味深いことに原油の積出港そのものは無傷だった。輸出能力は物理的には残っている。ただし、イエメンが紅海を封鎖しているため、タンカーはそこを通れないのだ。
この選択には明確な意図が透けて見える。完全に輸出を破壊するのではなく、輸出の可否を自らの掌中に置くことで、「包囲を解き、子どもたちを殺すのをやめれば、原油輸出を再開できる」という交渉の余地を残したのである。破壊し尽くすよりも巧妙で、相手に引き返す動機を与える戦略だ。

サウジアラビアの苦境は、イランとの構造的な非対称性によってさらに深まる。サウジ経済は原油とガスの輸出に完全に依存している。輸出が数か月止まれば、国家財政は立ち行かない。
対するイランも原油収入は重要だが、農業や国内産業の基盤があり、数十年にわたって地下施設に蓄えられた膨大なミサイルと無人機の備蓄がある。何より、侵攻された側としての「痛みへの耐性」が決定的に異なる。
米国にとってこれは選択した戦争であり、国内世論の支持も脆い。イランにとっては存亡をかけた防衛戦であり、長期戦を戦い抜く覚悟がある。

ここに至って、トランプ政権の選択肢は恐ろしいほど狭まっている。

大規模空爆に踏み切れば、イランは報復としてペルシャ湾岸のアラブ諸国の重要インフラ——石油施設、ガス施設、発電所、そして海水淡水化プラント——を破壊するだろう。8月の酷暑のさなか、水と電気を失った湾岸諸国は即座に機能不全に陥る。
地上侵攻を選べば、山岳地帯に要塞化されたイランの防衛線と、数十年にわたって近接戦闘に備えてきた地上部隊の餌食になる。どちらの選択肢も、出口のない破局への道だ。

トランプはかつて「イランを絶滅させる」と叫んだ。しかし現実には、数日前からイランへの空爆を止め、イエメンへの攻撃も行っていない。ホルムズ海峡と紅海の封鎖が続く限り、世界のエネルギー危機は刻一刻と悪化する。時間が経つほど、追い詰められるのは米国のほうなのである。

歩み寄るにせよ、戦線を拡大するにせよ、米国は紛争開始以前よりもはるかに悪い条件で交渉のテーブルにつかざるを得ない。これはもはや、勝敗を競う戦争の様相ではない。かつての一極支配が、自らの重みで瓦解していく過程そのものだ。


Prof. Seyed Mohammad Marandi(テヘラン大学教授、元イラン核交渉団顧問)、Prof. Glenn Diesen
『Saudi Oil Is Burning & Trump Has No Way Out』(サウジの原油が燃えている、そしてトランプに出口はない)

 

90%の栄養不足は「食べ方」で治る──ニュートリヴォア入門

あなたは自分に必要な栄養を、すべて食事から摂れていると自信を持って言えるだろうか。実はアメリカ人の90%以上がビタミンD、ビタミンE、カリウム、葉酸といった必須栄養素の推奨量に達しておらず、人口の半数以上が少なくとも 10種類の栄養素で不足している。

この「なんとなく足りない」状態が、年間約1100万人もの死因に関わる慢性疾患の主要な引き金になっているのだ。

こうした現実を前に、私たちはこれまで「何を食べてはいけないか」という減法で考えすぎていた。糖質を抜き、脂質を制限し、炭水化物を悪者にする。そのたびに食卓から楽しみが消え、結局は続かずに振り出しへ戻る。この連鎖を断ち切るために生まれた考え方が「ニュートリヴォア」だ。

ニュートリヴォアとは「栄養を食べる人」を意味する造語で、食事制限ではなく栄養の追加に焦点を当てる。

最大の特徴は「ニュートリヴォア・スコア」と呼ばれる指標にある。これは33種類の栄養素(タンパク質、食物繊維、ビタミン13種、ミネラル9種、必須脂肪酸、ポリフェノールなど)を、カロリー当たりの密度で数値化したものだ。

たとえばケールのスコアは4,233、牛レバーは4,021と極めて高い。白米のスコアはこれらに遠く及ばないが、だからといって「悪い食品」になるわけではない。ニュートリヴォアの哲学は、「良い食品・悪い食品」の二項対立を完全に手放すからだ。白米にも栄養学的な役割はあり、食卓から排除する必要はまったくない。

では、日々の食事で何を目指せばいいのか。

指標となるのは、12のファウンデーショナル・フーズ群だ。アブラナ科野菜(ブロッコリー、ケールなど)、根菜、葉物野菜、キノコ、アリウム類(玉ねぎ、にんにく)、柑橘類、ベリー類、豆類、ナッツ・種子類、魚介類といった食品群を、それぞれ週に数サービングずつ積み重ねていく。たとえばアブラナ科野菜は週7サービング、キノコは週3サービング、魚介類は週3サービングが目標となる。
これらをまとめてチェックできる「週間サーヴィング・マトリックス」を使えば、今日は何が足りなかったかが一目でわかる仕組みだ。

しかしここで、読者の多くが抱く「面倒だ」という本音を無視するわけにはいかない。

忙しい毎日の中で、そんなに多種類の食品を用意できるのか。その答えが、本書が冷凍野菜や缶詰について下した意外な評価である。冷凍ブロッコリーの栄養スコアは2,925で、生のブロッコリーの2,833を上回る。缶詰の魚介類も立派な栄養源であり、必ずしも毎日新鮮な食材を揃える必要はないのだ。

有機か慣行農法かという区別も、栄養面での差は10%未満であり、それよりも「まず食べること」の優先順位がはるかに高い。

本当に効くのは「制限」ではなく「多様性」だった。

週に35種類以上の異なるホールフードを食べると、栄養充足率は飛躍的に高まる。これは、単一のスーパーフードに頼るより、色とりどりの野菜や果物を少しずつ食卓に並べるほうが、結果的にすべての栄養素をカバーできるという逆説的な真実を示している。

赤、橙黄、緑、青紫、白茶と、虹色の食材を毎日のように口にすれば、自然とフィトニュートリエント(植物栄養素)の総量も増えていく。

つまり、「何を足すか」に思考を切り替えるだけで、私たちの栄養状態は劇的に変わるのだ。罪悪感とともにサラダだけをかじる日々は終わりにしていい。白米を食べながら、その隣に蒸したブロッコリーと焼き鮭を「追加する」。その積み重ねこそが、慢性疾患のリスクというボリュームノブを静かに左へ回す、最も確実な方法なのだ。


書籍『Nutrivore: The Radical New Science for Getting the Nutrients You Need from the Food You Eat』(ニュートリヴォア:食べるものから必要な栄養素を摂取するための画期的な新科学)
Sarah Ballantyne, PhD(医学バイオフィジクス博士、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー作家)

 

世界最大の4行はすべて中国の国有銀行

世界の銀行を資産規模で並べると、上位4行はすべて中国にある。中国工商銀行、中国建設銀行、中国農業銀行、中国銀行。この一点だけで、金融は中立であり資本は効率の高い場所へ流れるという説明は成り立たなくなる。

これは順位表の小さな入れ替えではない。世界資本主義そのものの構造的な再編である。信用の創造、産業戦略、地政学的な力が、競合する複数の蓄積の中心へ組み替えられている。

信用を握る者が、蓄積の速度と方向を握る。

信用は単なる金融技術ではない。将来の労働をあらかじめ拘束し、生産を拡張し、剰余を前もって配分する仕組みである。マルクス的な理解ではこれが資本主義的発展の中心にあり、だからこそ誰が信用を配分するかが決定的になる。

1970年代以降の新自由主義的秩序では、この機能は西側の金融機関に強く集中した。資本市場の規制緩和、デリバティブ(金融派生商品)の拡大、ドル建て流動性の膨張が、大西洋側の支配を固めた。ウォール街とシティは、資本の流れを媒介し、リスクの価格基準を定め、IMFや世界銀行を通じて規律を課してきた。

だがこの体制は内部に矛盾を抱えていた。金融的蓄積が生産的投資から次第に切り離され、投機的な膨張、債務の累積、通貨政策による危機管理という循環を生んだ。

2008年の金融危機はその矛盾を明らかにした。西側の金融機関が公的資金による救済を必要とした一方で、中国は大規模な信用拡張によって工業能力とインフラの建設を強化した。

危機への応答が二つに分かれた時点で、蓄積の戦略も二つになっていた。

中国の4行は、市場で競い合う商業銀行という説明には収まらない。短期の株主還元ではなく長期の開発目標を優先する国家政策の枠組みに深く組み込まれ、国内インフラ、都市化、産業高度化、そして一帯一路構想を通じた対外融資へ信用を流している。

大西洋側の銀行は金融資産の仲介者として市場の変動にさらされ、収益を資本市場に依存する。中国側の銀行は国家の計画装置の延長として、産業政策が指定した戦略部門へ信用を配分する。同じ「銀行」という語が、二つの異質な作動を指している。

この違いは国外へ波及する。グローバル・サウス(南半球を中心とする途上国群)では、開発金融がIMFの条件付き融資の枠組みを経由せず、中国の国家系融資機関と直接結びつく場面が増えている。

多極化とは、大国が複数あることではない。それぞれ固有の制度論理と地政学的な結びつきを持つ信用の体系が、複数併存することである。通貨スワップ協定、代替的な決済システム、地域開発銀行の積み重ねが、単一だった金融の中核を分割していく。

ただし分割は安定も平等も意味しない。競争、依存、構造的な非対称の層が新たに加わるだけであり、多極的な資本主義は調和した均衡ではなく、剰余の分配をめぐって複数の中心が争う不安定な配置である。

中国の金融拡張も内部で矛盾している。巨大なインフラを可能にした同じ信用体系が、債務の累積、不動産の膨張、地域的な金融不均衡を生む。西側は産業能力の相対的な低下を抱えながら、法制度、技術、金融の制度的統制において依然として巨大な優位を保つ。

だから今起きているのは矛盾の解決ではなく、矛盾の空間的な再配置である。重心は移るが、収奪と剰余の抽出、競争的な拡張という動態はそのまま残る。

多極化は機械の終わりではなく、操作者が増えた機械である。抽出は止まらず、宛先の郵便番号が変わるだけだ、と。

冷戦後に語られた市場の中立性は、普遍的な規範ではなく歴史的な例外だった。歴史は転換点を予告しないが、貸借対照表には痕跡が残る。その痕跡が示しているのは、一方的な金融覇権がもはや構造的に保証されていないという事実である。


William Murphy(元米政府プログラム管理者、マルクス・レーニン・毛沢東主義の分析家) 
記事 『The Credit Revolution and the Rise of Multipolarity: Banking Power and the Shifting Architecture of Global Capitalism』(信用革命と多極化の台頭:銀行の力と世界資本主義の構造転換)
futuredude.substack.com/p/the-credit-r…

 

「大気質詐欺」:統計的な手品が、呼吸することが命を縮めていると世界中を信じ込ませた経緯
Stan Young, PhD(統計学者)、Warren Kindzierski, PhD(公衆衛生学教授)

空気中の微粒子PM2.5があなたの寿命を縮める——この警告の科学的根拠は、実質的にたった6つのデータポイントに依存している。 私たちは何十年も、大学の疫学研究者や政府の公衆衛生当局が「呼吸そのものが死を招く」と喧伝し、莫大な規制コストを正当化してきたのを目の当たりにしてきた。

1952年のロンドン霧など、実際に大気汚染が多数の死者を出した歴史的な災害は存在する。しかし、あれらは気温逆転層に石炭煙や酸性ガスが閉じ込められた特殊な状況であり、現代の排出規制下では物理的に再現不可能だ。これらの事例を盾に今日の微小粒子状物質規制を正当化するのは、1918年のスペイン風邪を理由に普通の風邪でロックダウンするようなものである。

その根拠とされてきたのが、1993年に発表されたハーバード六都市研究だ。米国内の6都市で8,111人の成人を16年間追跡し、1,430人の死亡を分析したこの研究は、PM2.5濃度の高さが死亡リスクを26%押し上げると結論づけた。一見すると大規模な調査だが、統計解析上の「サンプルサイズ」は参加者の人数ではなく、比較対象の都市の数「6」でしかない。6つのデータポイントからこれほど強い因果を導くには、相当に創造的な数学が必要だったはずだ。この論文は1万1千回以上も引用され、大気汚染政策の支柱となった。

一方、同時期に存在したはるかに大規模な研究は無視されてきた。1995年、米国立統計科学研究所のチームが高齢者の78万5千件超の死亡を分析した結果、PM10と死亡との間に関連は見られなかった。息を吸えばPM2.5もPM10も一緒に吸い込むのだから、これは重要な矛盾である。

私たちがつい最近、公衆衛生分野の学術誌に発表した論文は、この「大気汚染死」という主張が統計的なまやかしにすぎない可能性を暴き出した。

決定的なのは、その後の巨大研究だ。2011年の研究は、全米814地域の1,820万人(死亡320万人)の個人データを用いて分析した。その結論は衝撃的だった。地域間比較では関連が「未測定の交絡因子によるもの」とされ、同一地域内でPM2.5が減っても「平均余命の変化は実証できない」と明言している。

2017年にはカリフォルニア州の約2,000万人(死亡200万人超)を調べた研究が、PM2.5と日々の死亡数に「関連なし」と断定した。サンプル数8,111人のハーバード研究だけが陽性で、数百万人規模の再現研究はことごとく陰性——これは科学の世界では「再現性の危機」以外の何物でもない。

ここに、公衆衛生の世界が隠したがるもう一つの不都合な真実がある。大規模観察データの分析は、研究者のちょっとした選択で結果が真逆に転ぶのだ。

2021年のスミスによる研究では、低所得者向け医療保険のデータでPM2.5と死亡の関連を調べた。すると、「前日の気温」というたった一つの共変量をモデルから外すだけで、PM2.5の影響は「なし」から「統計的有意」に反転したのである。

研究者が分析過程で下す何千もの選択肢のうち、たった一つを変えるだけで「空気は安全」が「空気は凶器」に化ける。そして学術誌は陽性の結果を好んで掲載し、陰性の研究はファイルの奥にしまい込まれる。有名になった小さな陽性研究は聖典化され、その後に出た大規模な陰性研究は無視される——これが学界の現実だ。

ハーバード六都市研究の生データは、30年以上経った今も非公開のままだ。2000年に米環境保護庁(EPA)と業界が資金を出して再分析が行われた際も、ハーバードチームが管理する条件下で、分析のやり方を変えると効果は崩壊した。にもかかわらず、誰も独立した再現を許されていない。

EPAは年間650億ドルの規制コストを「2020年に23万人の早期死亡を防ぐ」という試算で正当化する。大学研究者は陽性の研究で助成金と終身在職権を得て、学術誌は引用数とインパクトファクターを稼ぐ。陰性の結果から誰が利益を得るのか。誰もいない。大気汚染死の物語は、巨大な学術・規制・コンサルティング産業複合体を支える装置なのだ。

本物の環境健康リスクは存在する。喫煙、アスベスト吸入、大腸菌による食中毒——これらはメカニズムも明らかで対策も有効だ。しかしPM2.5による早期死亡パニックは、分析の自由度、出版バイアス、未測定の交絡が生んだ統計上の砂上の楼閣にすぎない。

次に誰かが「大気汚染が寿命を縮めている」と説いてきたら、こう尋ねてほしい。あなたの分析から、どの共変量が抜け落ちているのか、と。


記事『The Air Quality Scam: How Statistical Sleight-of-Hand Convinced the World That Breathing Is Killing You』(『空気質詐欺——統計の手品がいかにして「呼吸が命を奪う」と世界に信じ込ませたか』)
malone.news/p/the-air-qual…
研究論文『Are air quality–health effect claims a statistical analysis fluke?』(『大気質の健康影響に関する主張は統計分析上の偶然か』)2026年、Journal of the Academy of Public Health

以上引用終わり。突然の訃報増えなければよいが。どうも有り難うございました。

 

 

 

 

 

本日のベストスリー7月26日

三位 ウナギならご無沙汰だけど牛さんもしばらくいない日曜のワケ

 

二位 安いとか安くないとか聞いたけどテーブルの菜何も変わらず

 

一位 土用ならウナギを食べる日曜はウサギ跳びする後者の家ケイ

 

お題は、土用の丑の日。ウナギ無し。さて、米国時間今週29日水曜日は、お待ちかねファウチ大先生の上院国土安全保障政府問題委員会の公聴会がやって来る。及川幸久氏のYouTube番組によると過去逃げ切りに成功した大先生も今後は売電大先生の恩赦対象からも外れ立場は苦しい。武漢研究所への機能獲得実験の資金提供疑惑。パンデミック武漢研究所流出説隠蔽疑惑。ファウチ博士の日記の問題、過去の議会証言での虚偽答弁疑惑等、追及するランドポール議員の活躍を期待して見守りたい。超ビッグイベントである。

 

本日のベターツイートは、掛谷英紀氏のもの。以下引用開始。

2020年5月21日のファウチの日記。世界各国で万単位の感染と数千単位の死者が発生と書いた後、自分が新聞の一面を飾り、自分は世界で最も有名な人間になったことを喜ぶ記載。私が前から言っている通り、ファウチはサイコパスです。その彼を日本の多くの医師や学者が崇拝していた。恐ろしいことです。

以上引用終わり。

次は、並行図書氏のもの。以下引用開始。

米軍、イラン攻撃を初停止——“粘土の巨像”は枯渇した

7月25日、米軍はイランへの連日空爆を開戦以来初めて実施しなかった。米報道機関CBSが匿名の国防当局者の話として伝えたところによれば、「この消耗ペースを維持することは不可能」だという。開戦から5カ月、 アメリカの精密誘導兵器は底をつきかけている。

英紙テレグラフはさらに、国防総省が迎撃ミサイルの不足を意図的に隠蔽し、ホワイトハウスさえも実態を知りたがらないと報じた。内部告発者は「悪いニュースを共有しても誰も得をしない」と語り、ピート・ヘグセス国防長官の周囲には沈黙の文化が蔓延する。政権高官たちはイランによる暗殺対象に指定されていると情報機関から警告を受け、車両サービスの利用を禁じられたという。

兵器の枯渇は戦術を直撃する。トマホークやJASSMといった長射程ミサイルの在庫を使い果たし、米軍は射程の短いJDAM滑空爆弾に依存せざるを得ない。攻撃機はイランの防空圏に接近することを強いられ、撃墜リスクが急増する。それでも攻撃の「成果」は演出され続け、米中央軍が発表する標的の多くは、イランがとうに撤収した空の拠点か、ケシュム島の小型艇のような戦略的に無価値なものだ。実際、開戦前からイランが重要資産を地下や内陸に分散させていたため、米軍の精密打撃は当初から空転していたと指摘される。

一方、イランは米国の弱点を精密に突く。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、「ケイバル・シカン」弾道ミサイルは終末段階で軌道を変える機動再突入体(MaRV)を備え、時速約1万キロで標的へ殺到する。このミサイルを用いてイランは在サウジアラビアのCIA拠点を正確に破壊し、専門家はロシア製の衛星航法モジュール「コメタM」が使われたと分析する。迎撃困難なこの兵器の前に、米軍の防空網は常時稼働を強いられ、ただでさえ不足する迎撃ミサイルの消耗が加速している。

イランの攻撃は海上でも続く。英紙フィナンシャル・タイムズによれば、米軍の航空支援を受けながらホルムズ海峡近くのオマーン沖を航行していたタンカー2隻が、イランのミサイルにより損傷した。海運関係者は「これを機に危険を冒す船主はいなくなる」と証言し、世界の石油輸送の大動脈は事実上封鎖されたに等しい。圧倒的な制空力を誇る米軍でさえ、船舶を守りきれない現実が浮き彫りになった。

にもかかわらず、イランは驚異的な復元力を示す。同じウォール・ストリート・ジャーナル紙は衛星画像を分析し、山岳内部のミサイル基地や橋、港湾施設が、2万回を超える空爆の損害から急速に修復されていると伝えた。人口9000万の工業国にとって、米国の爆撃は破壊と再生のいたちごっこに過ぎない。

ここに決定的な逆説がある。米紙ニューヨーク・タイムズが伝えるところでは、米国の空爆はイラン体制を弱体化させるどころか、国民を外部の脅威に結束させ、かえって体制の求心力を高めている。打倒を狙う軍事作戦が、皮肉にも標的の延命を支える構造が生まれているのだ。

戦争の代償は米国内にも及ぶ。戦略石油備蓄は1983年以来の最低水準に落ち込み、残りはわずか15日分の消費量だ。軍需物資だけでなく、経済の緩衝材までもが削り取られている。このまま燃料価格の高騰が続けば、中間選挙を控える共和党にとって致命的な打撃になるとの声も政権内でくすぶる。

この戦争は、もともとエプスタイン疑惑から国民の目を逸らすための政治的隠れ蓑だった。しかし今や、その隠れ蓑が大統領職そのものを覆い隠し、窒息させようとしている。そして何より白日の下に晒されたのは、超大国の軍事力が「粘土の巨像」に過ぎなかったという事実だ。物量でねじ伏せるという前提そのものが、音を立てて崩れている。


記事『War-Weary Trump Balks Again, as Advisors Fear Conflict is "Consuming His Presidency"』(戦争に疲れたトランプ、再び後退——顧問らは紛争が「大統領職を蝕んでいる」と懸念)  
Simplicius(地政学・軍事アナリスト)

 

書籍『1日に3つの重罪:連邦検察はいかにして無実の人々を標的とするか』

あなたが今日、何の罪も犯していないと、言い切れるだろうか。連邦刑法の曖昧化が進むアメリカでは、誰もが知らぬ間に重罪者になりうる。弁護士のハーヴェイ・A・シルヴァーグレイトは、著書『Three Felonies a Day』で、 その恐るべき現実を告発した。彼によれば、米国法典には4,500以上の連邦犯罪が存在し、あまりに漠然としているため、平均的な市民が日常的に違反している可能性があるというのだ。

問題の本質は、法律の文言そのものだけではない。元司法長官ロバート・H・ジャクソンが1940年に警告した「検察がまず人物を選び、それから法律を探す」という危険性が、現実のものとなっている点にある。連邦検察は、膨大で曖昧な法体系を武器に、特定の個人や企業を標的に定める。

標的となった人々は、自分たちの行為が合法だと信じていた。例えば疼痛治療医は、慢性的な痛みに苦しむ患者に麻薬を処方しただけで「麻薬密売人」として起訴され、25年の刑を宣告された。医療機器企業の幹部は、心臓カテーテルの報告義務を巡る解釈の違いから、392の重罪で訴追されたのだ。

これらの事例に共通するのは、専門家が自らの職業的規範に従って行動した結果が、事後的に犯罪として認定されるという構造だ。ここには、国家と専門職集団のあいだの、より深い葛藤が潜んでいる。

これは、単に起訴される側の不運や無知の問題ではない。検察の権力行使の手法そのものに、より深い構造的問題が潜んでいる。司法取引と協力証人という制度の組み合わせが、無実の人間にさえ有罪を認めさせる強力な圧力として機能しているのだ。

連邦刑事事件の約97%は司法取引で決着する。検察官は、減刑と引き換えに証言する「協力証人」を用い、しばしば望ましい証言を「作曲」するよう教える。さらに「梯子登り」と呼ばれる手法では、より小さな罪に問われた者を脅し、上位の標的を告発させていく。連邦検察が大陪審を自由に操り、「ハムサンドイッチさえも起訴できる」と諷刺される現状が、この不当な連鎖を支えていた。

だが、この構造の歪みが最も深刻に現れるのは、人々の「正しい行い」が犯罪へと反転する瞬間である。弁護士が依頼者から児童ポルノの保存された機器を預かり、それを破棄した事案を見てほしい。禁制品である以上、保存しても破棄しても違法となる「キャッチ22」に陥り、刑事訴追された。アーサー・アンダーセン社は、通常の業務慣行であった書類廃棄を「司法妨害」と見なされて起訴され、最高裁で無罪が確定する前に会社自体が消滅した。

ここで描かれているのは、単なるホワイトカラー犯罪の事例集ではない。医師と患者、弁護士と依頼者、会計士と企業。こうした社会の基本的な信頼関係が、曖昧な法律と濫用的な訴追によって系統的に破壊されていく過程である。

専門職の自律性は、その集団内部の規範——医師であれば医療倫理、弁護士であれば守秘義務——によって担保される部分が大きい。しかし連邦検察の運用は、そうした自律的な規範体系を迂回し、事後的な刑事罰によって専門的判断を直接統制しようとする。これは単なる「行き過ぎた訴追」ではなく、国家が市民社会の自律的な中間集団を解体し、個人を直接統治の対象としていく過程とも読める。

国家が犯罪を取り締まろうとするほど、市民社会の自律的な規範形成能力が弱まり、その結果さらに国家による統制が必要になる。自律性の破壊が統制の需要を生み、統制の拡大がさらに自律性を破壊する——ひとつの悪循環がここにある。


書籍『Three Felonies a Day:How the Feds Target the Innocent』(『1日に3つの重罪:連邦検察はいかにして無実の人々を標的とするか』)2009年
Harvey A. Silverglate(刑事弁護・市民的自由弁護士)

 

1964年イギリスの復活祭、海辺の保養地クラクトンで若者たちの小競り合いが起きた。新聞は「恐怖の一日」「野生の者たちが町を襲撃」と書き立てた。壊されたデッキチェアの被害額は、通常の休日と大差ない水準だったにもかかわらず、である。

この出来事を足場に、社会学者スタンリー・コーエンは一つの概念を世に送り出した。「モラル・パニック」だ。社会が特定の集団を「脅威」と定義し、メディアがそれを誇張して伝え、警察や司法が過剰に反応する。その反応自体が、新たな逸脱を生み出す。1972年に刊行された『フォーク・デヴィルとモラル・パニック』は、この循環を冷徹に解剖した書物である。

コーエンがまず注目したのは、報道における三つの操作だ。

第一に誇張と歪曲。実際の被害は限られていたのに、記事は「暴徒」「破壊の宴」といった言葉で深刻さを水増しした。
第二に再発予測。「次も必ず起こる」という警告が、自らを実現させる予言として機能した。
第三に象徴化。「モッズ」「ロッカーズ」という中立的な消費スタイルの記号が、完全に否定的な烙印へと転じ、地名「クラクトン」すら恐怖の代名詞になった。

こうして創り出されたイメージは、すぐに世論へと結晶化する。「災害」「終末予言」という語り口で語られ、「退屈な若者」「豊かさに甘える若者」といった原因論が好き放題に接ぎ木された。若者たち自身も大人の非難のまなざしを内面化していった点を、コーエンは見逃さない。

問題の核心は、これらの社会的反応がビーチでの実際の行動を変えたことにある。

警察は些細な行動までも「モッズ/ロッカーズ現象の一部」と再解釈する感化状態に陥り、無差別な取り締まりを強化した。すると取り締まられる側の群衆は結束を強め、「自分たち対大人」という構図を固定化していく。

メディアは傍観者としてではなく、役割演技の台本を提供する主体として、逸脱の内容そのものを規定していた。

噂と相互期待が曖昧な状況を構造化し、大人たちの観客としての存在が、パフォーマンスとしての逸脱を誘発する。裁判所では「のこぎりの屑シーザー」といった儀礼的断罪が繰り返され、地域の商工会議所は労働キャンプや鞭打ちの導入まで要求した。

逸脱は行為の性質ではなく、社会がラベルを貼ることで増幅される——このトランザクショナルな視点が、本書の一貫した姿勢だ。

当時から半世紀以上が経ち、メディアの多様化やリスク社会の台頭によってパニックの様相は変わった。だが、ある集団をフォーク・デヴィルに仕立て上げ、過剰反応が実体を追い越すという構造そのものは、むしろ加速しているように見える。

モラル・パニックとは結局、私たちが境界線を引き直すための儀礼なのかもしれない。そしてその儀礼の担い手は、いまも昔も、怪物を必要としている。


書籍『Folk Devils and Moral Panics: The creation of the Mods and Rockers』(フォーク・デヴィルとモラル・パニック:モッズとロッカーズの創出)1987年
Stanley Cohen(社会学者、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス元教授)

 

妊娠中期のグリホサート曝露が早産リスクを高める
sciencedirect.com/science/articl…
2016年から2019年にかけてニューヨーク市で1450人の妊婦を追跡したNYU小児健康環境調査は、妊娠18〜25週の尿中グリホサート濃度が高いほど早産の確率が上がることを明らかにした。この除草剤は世界中で使われ、日本を含む 都市生活者の体内からも日常的に検出されている。

研究チームは妊娠初期(18週未満)と中期(18〜25週)の二度にわたり尿を採取し、グリホサートとその分解物AMPAの濃度を測定した。対象者の7%にあたる103人が37週未満での出産に至っている。

分析の結果、妊娠中期のグリホサート濃度が1単位(自然対数スケール)増えるごとに、早産全体のオッズ比は1.35倍に上昇した。さらに早産を自然早産と医学的必要による早産に分けて調べると、自然早産ではオッズ比が2.01倍と際立って高かった。

この2.01という数字は何を意味するのか。自然早産は陣痛や前期破水によって自然に始まるもので、胎児や母体の異常で医師が人工的に早めに出産させる医学的必要による早産とは原因の経路が異なる。

グリホサートが後者にはっきりした影響を示さず、自然早産にだけ強い関連を示した事実は、この化学物質が内分泌かく乱や胎盤の酸化ストレスといった特定のルートを通じて子宮収縮や破水を引き起こす可能性を示唆する。

過去の動物実験でも、グリホサート系除草剤が胎盤のアポトーシス(細胞死)や酸化ストレスを誘発することが報告されており、今回のヒトでのデータはその延長線上にある。

興味深いことに、妊娠初期のグリホサート濃度には明確な関連が見られなかった。妊娠後半の曝露こそが鍵を握るらしい。

同様の傾向はプエルトリコのPROTECT調査でも妊娠26週以降の濃度で指摘されており、胎児の最終的な成熟段階に入った子宮環境が化学物質に対してより脆弱になる可能性が浮かぶ。

一方でAMPAはどの時期でも早産との有意な関連を示さなかった。グリホサートとAMPAはセットで語られることが多いが、生体への作用は同じではないのだ。

この論文が投げかける問いは個人の選択を超える。グリホサートは米国で1970年代から使用量が100倍に膨れ上がり、大豆やトウモロコシなど加工食品の原料となる作物に広く散布されている。

有機食品を選ぶといった個人レベルの防御には限界があり、規制の再評価こそが本質的な解決に近い。実際、米国では早産率が2014年から2022年にかけて12%も上昇しており、食環境に潜む化学物質を無視できなくなっている。


研究論文 『Associations of Glyphosate Exposure in Pregnancy with Preterm Birth: a Longitudinal Birth Cohort Study』(妊娠中のグリホサート曝露と早産との関連:縦断出生コホート研究)2026年
doi.org/10.1016/j.envp…

 

アレクサンドリア図書館が炎に包まれ、古代の叡智が灰燼に帰した——誰もが知るこの物語は、ほぼ間違いなく嘘である。カエサルの放火も、キリスト教徒による破壊も、イスラム軍の焼却命令も、後世の創作か誇張に過ぎなかった。図書館は、劇的な大火によって失われたのではない。

紀元前48年、カエサル軍がアレクサンドリア港の船に火を放ったのは事実だ。その火は市街に延焼し、蔵書庫の一部を焼いた可能性はある。だが、数十年後に地理学者ストラボンが同地を訪れ、図書館の機能を記録している。

1世紀の学者ディデュモス・カルケンテロスは、4,000冊もの著作をものし、「ビブリオラテース(書物を忘れる者)」とあだ名された。あまりに多作で、自分が書いた本すら覚えていられなかったという。図書館の蔵書が灰燼に帰していたなら、この超人的な仕事は不可能だった。

テオドシウス1世の異教弾圧で付属施設セラペウムが破壊されたという説は、18世紀の歴史家エドワード・ギボンがキリスト教に一方的に責任を負わせるために広めた話だ。今日、まともに取り合う歴史家はほとんどいない。

では、図書館はどうやって消えたのか。

誰も火をつけなかった。ただ、修繕もされず、読まれもせず、静かに朽ちていったのである。

炎に包まれれば、嘆き悲しむ者がいたはずだ。しかし現実は、冷たい無関心だった。人々は埃に埋もれゆく書架の前を通り過ぎ、肩をすくめただけだ。何が失われたのかさえ、正確には誰も知らない。

この喪失の空白が、逆説的に私たちを魅了する。図書館が燃えたという嘘にしがみつくのは、そのほうが「気持ちがいい」からだ。少なくとも、知の消滅を嘆く人々がいたという慰めが得られる。

だが実際に起きたのは、そのようなドラマではない。無関心という、もっと冷酷で静かな忘却だった。

この構図は、そのまま現代に跳ね返る。人類の知的遺産の大半は、いまスマホの中にある。史上最大の図書館が、誰の手のひらにも載っている。ところが私たちは、ページをめくる代わりに親指で画面を「無限スクロール」し、TikTokの断片を浴び続けている。ドーパミンの小粒を追い、一つの思想と格闘する時間は消えた。

情報はかつてなく豊富だが、知恵は痩せ細る。これは大火より始末が悪い。炎ならば人々の注意を引き、何かを変えようという動きが生まれたかもしれない。しかし、スクロールの惰性に沈んだ忘却は、誰にも異変を気づかせない。

詩人T・S・エリオットは『空洞の人間』の末尾でこう書いた。

「世界はこうして終わる/轟音ではなく、すすり泣きとともに」

図書館もまた、同じ終わり方を選ぶ。大火ではなく、無関心という名の静かなため息によって、知の殿堂はその幕を閉じるのだ。

かつてのアレクサンドリアと同じく、私たちは自分たちが何を失いつつあるのか、それすらもわかっていない。失われたものの輪郭すら描けぬまま、スクロールは続く。


James Corbett
記事 『The Library of Alexandria is NOT on Fire』(アレクサンドリア図書館は燃えていない)
corbettreport.com/the-library-of…

 

1970年代初頭、英米の政策担当者や犯罪学者のあいだでは、刑務所はやがて時代遅れの遺物になるという見方が常識だった。犯罪者を罰するよりも更生させ、社会に戻すことを優先する「刑罰=福祉主義」が、疑いようのない正義として機能していたのである。

ところが半世紀を経た現在、 その予測は完璧に裏切られた。アメリカの収監者数は過去と比べて爆発的に増加し、民間刑務所はひとつの産業となり、性犯罪者の住所を公開するメーガン法や、三振法に象徴される超厳罰立法が次々に成立した。なぜ社会は、より寛容になるどころか、これほどまでに懲罰的になったのか。

デイヴィッド・ガーランドはこの問いに、「犯罪の日常化」という切り口で挑む。彼の『文化としての統制』が描き出したのは、高犯罪社会に生きる人々の内側にこびりついた「犯罪コンプレックス」とも呼ぶべき、集合的な不安と怒りの構造だ。1960年代以降、犯罪率は先進国で持続的に上昇し、もはや例外的な出来事ではなく、生活の背景ノイズへと変わった。

すると、中産階級の日常生活は根本から組み替えられる。夜間に一人で出歩くことは避けられ、子どもたちはかつてないほど監視され、自宅には防犯カメラや警備会社のステッカーが貼られるようになった。ゲートコミュニティに移り住み、物理的な壁と契約によって「危険」を遠ざける暮らしが、むしろ常識になっていく。

ここで起きているのは、単なる防犯対策の普及ではない。人々は犯罪を経験したり、その報道に触れたりするたびに、加害者への激しい怒りと、彼らを社会から取り除きたいという剥き出しの感情を育てていった。犯罪はもはや、社会全体で取り組むべき病理ではなく、危険な「他者」がもたらす日常的脅威と見なされる。

メディアは被害者の苦しみを増幅し、政治家はその感情を吸い上げて、より苛烈な罰を競い合う。個人の寝室にまで忍び込む不安が、国家による大量収監の強力な推進力となったのだ。

だが、話はこれで終わらない。私たちは「犯罪が増えたから、刑務所が満杯になった」と考えがちである。

ガーランドの分析が鋭いのは、むしろ因果を反転させるところだ。犯罪の増加そのものよりも、「国家には犯罪を制御できない」という深い不信感の蔓延こそが、政策を先鋭化させた。刑罰=福祉主義は、専門家への信頼と、福祉国家が貧困や不平等といった犯罪の根本原因を取り除けるという確信に支えられていた。ところが経済のグローバル化と家族の変容が加速し、福祉政策への支持が後退すると、刑事司法への信頼もろとも崩れ去ったのである。

追い詰められた政策担当者は、二つのまったく矛盾する道を同時に歩み始める。ひとつは「予防的パートナーシップ」だ。警察だけでなく、住民や企業、地域コミュニティに防犯の責任を広く割り振り、監視カメラやリスク評価によって犯罪の機会そのものを減らそうとする。もうひとつは「刑罰的分離」であり、危険と見なされた人々を長期にわたって物理的に隔離し、社会から排除する戦略である。

前者は冷徹なリスク管理、後者は感情的な応報に根ざしているが、どちらにも共通する冷たい前提がある。それは「犯罪者はもはや矯正できない」というあきらめだ。更生の理念は静かに葬られ、刑務所は厄介者を保管する巨大な倉庫へと変貌した。

ガーランドが最終章で強調するのは、この展開が不可避の歴史的必然ではなかったという事実だ。

それは新自由主義の経済政策や、根深い人種的分断と結びついた、まぎれもない政治的選択の結果にほかならない。不安の原因を社会全体で引き受けるよりも、特定の集団に「危険」の烙印を押して排除するほうが、短期的には心地よい。

しかし、監視カメラと高い塀が最終的に私たちに返すのは、より深い不信と社会の分断ではないか。犯罪を常に誰かのせいにし続ける「統制の文化」が、実は私たち自身をも、いつか「他者」として仕分ける網の目であるとしたら、その安全はあまりにも脆い。


書籍『The Culture of Control: Crime and Social Order in Contemporary Society』(『文化としての統制:現代社会における犯罪と社会秩序』)1989年
David Garland(ニューヨーク大学法学部・社会学部教授、刑罰社会学)

 

あなたは今、罪悪感を感じている。その原因が、自分が何か悪いことをしたからだと思い込んでいないだろうか。

心理学の長年の研究が、その前提そのものを覆そうとしている。

罪悪感は個人の内部で生じる自己評価ではない。それはむしろ、人と人の間——とりわけ、互いの幸せを気遣う関係性の中で ——機能する社会的な仕組みだ。そうRoy F. Baumeisterらが膨大な実証研究を基に論じている。彼らの主張は単なる思弁ではない。数十年来の実験データが、罪悪感の原因と結果が深く対人関係に根ざしていることを示しているのだ。

この見方は、従来の多くの理論を根本から揺るがす。フロイトは罪悪感を超自我と自我の内部緊張とみなし、Helen Block Lewisは「罪悪感は自己の内側からのみ喚起される」と断言した。しかしBaumeisterらは言う。それらの理論はどれも、実証的基盤を欠いた推論に過ぎないと。

実際のデータは何を示しているのか。

まず、人々が日常で体験する罪悪感の報告は圧倒的に対人的だ。Tangney(1992)の研究では、罪悪感を引き起こした出来事のほとんどが他者との関わりを含んでいた。たとえ一人で罪悪感を感じるときでさえ、その原因は対人的な出来事だった。さらにBaumeisterらの研究では、被験者が罪悪感を抱いた出来事の93%が「共同体的関係」で生じていた。これはClarkらが定義する、互いの福祉を気遣うことを暗黙のルールとする関係性だ。

共同体的関係は交換関係と根本的に異なる。交換関係では公平性と即時の見返りが期待される。一方、共同体的関係では、相手の利益のために行動し、直接の返礼を期待しない。Baumeisterらは、罪悪感がこの共同体的関係の中で最も強く、最も頻繁に、そして最も一貫して現れると指摘する。

では、罪悪感にはどのような機能があるのか。

第一に、罪悪感は関係性を強化する行動を動機づける。人々は罪悪感を避けるために、パートナーを傷つけることを控え、注意を払い、期待に応えようとする。
第二に、罪悪感は対人影響力の手段として機能する。これは特に、公式な権力を持たない人が自分の望む方向に相手を動かすための強力なツールとなる。
第三に、罪悪感は二者間で感情的苦痛を再分配する。加害者が罪悪感を感じることで、被害者は「気遣い」のメッセージを受け取り、感情的な均衡が回復されるのだ。

注目すべきは、罪悪感が必ずしも「悪いことをした」という自覚を伴わない点だ。McGraw(1987)は、意図的ではない過ちの方が、意図的なものよりも頻繁に罪悪感を生むことを発見した。また、Austinら(1980)は、他者より多くの報酬を得ただけで罪悪感が生じることを示した。生き残り罪悪感——自分だけが助かったことへの罪悪感——は、何も悪いことをしていない人々に広く見られる現象だ。

理論の大きな転換点はここにある。

伝統的な理論が罪悪感の本質を「意図的違反の自己評価」に置いたのに対し、実証データは「他者への危害」や「不均衡な利益」こそが核心だと示している。Baumeisterらは次のように結論づける。罪悪感は行動の結果として他者に生じた危害、あるいは他者との比較における過剰な便益に応答して生じる。その起源も機能も、個人の内部ではなく、人と人との間に存在するのだ。

これは、罪悪感を単なる「個人の内面の問題」として扱う従来の見方を大きく書き換える。そして同時に、罪悪感が単なる不快な感情ではなく、人間関係を維持し、公平性を回復し、相互配慮の規範を強化するための、社会的に適応的なメカニズムであることを示している。

罪悪感は「悪い感情」ではないのかもしれない。

それはむしろ、私たちが他者とどう生きるかを決める、極めて社会的な知恵の現れなのだ。


研究論文 『Guilt: An Interpersonal Approach』(1994年)
Roy F. Baumeister(ケース・ウェスタン・リザーブ大学心理学教授)、Arlene M. Stillwell、Todd F. Heatherton
DOI: 10.1037/0033-295X.101.2.243

 

犯罪を防ぐ「恥」と、生む「恥」――再統合的恥付け理論

日本は先進国の中で最も犯罪が少ない国の一つだが、その理由は刑務所の多さではない。収監率はアメリカの15分の1以下だ。ではなぜ犯罪が抑えられているのか。鍵は、犯罪者を「恥じさせる」やり方にある。

私はこの違いを「再統合的恥付け」と「分断的恥付け」に分けて考えている。

どちらも恥をかかせる行為だが、その後に何が起こるかが正反対なのだ。犯罪行為を厳しく非難したあと、赦しと再受容の仕草でその人をコミュニティに迎え戻す――これが再統合的恥付けである。一方、スティグマ化は「お前は犯罪者だ」というレッテルを貼り、社会から永久に排除する。

家庭を思い浮かべてほしい。子どもが過ちを犯したとき、親が行為そのものを叱りつつ、最後には抱きしめて「お前は大切な子だ」と伝える。この子は良心を内面化し、次からは自ら歯止めをきかせるようになる。ところが同じ過ちを「お前はダメな子だ」と断罪し、冷たく突き放し続ければ、子どもは親から離れ、同じ境遇の仲間と徒党を組み、かえって非行に走る。

これとまったく同じ構造が、社会全体の犯罪にも当てはまる。

私が理論を構築する際、最も参考にした事例が日本だ。日本では刑事手続きに「家族モデル」が浸透している。犯人の多くは起訴されず、代わりに被害者への謝罪や地域での弁明の場が重視される。そしてやり直しの機会が与えられ、コミュニティがその再統合を支える。この連鎖が、罪を犯した者の良心を強化し、再犯を防ぐ強力な道徳的制御になっているのである。

スティグマ化は、犯罪者の下位文化を生む。烙印を押された者たちは社会から閉め出され、互いに集まり、逸脱を正当化し合う集団を形成する。つまり、過剰な排除が新たな犯罪の温床になるという逆説だ。これはホワイトカラー犯罪の領域でも同じで、不祥事を起こした企業を徹底的に断罪し続けると、規制を嘲笑する抵抗文化が育ってしまう。

重要なのは、恥とは外部から浴びせる罰ではなく、人間関係の中で育まれる社会感情だという点だ。親しい人からの非難ほど痛みは大きく、だからこそ人はそこから学び、行動を改める。再統合の扉が開いていれば、恥は良心を形づくる土壌になる。

私たちの社会は、犯罪者をどこまで排除し、どこから再び迎え入れるのか。その線引きの判断こそが、犯罪の増減を決めているとしたら、あなたは今の司法の仕組みをどう見直すだろうか。


書籍『Crime, Shame and Reintegration』(『犯罪・恥辱・再統合』)1989年
John Braithwaite(オーストラリア国立大学 犯罪学者)

以上引用終わり。金儲けプラス無責任の自信イコール無敵の人となる。どうも有り難うございました。

 

本日のベストスリー7月25日

三位 来年の約束なんかしないけど背中に刻む花火大会

 

二位 打ち上げる玉のうち抜くその先は人のこころか他人の身体か

 

一位 花開く流れる光眼で追えば憂い包んで闇に溶けゆく

 

お題は、花火大会。花火大会で一句分。コレを使うとフツウになってしまう。まだまだ修行の足らない私であった。さて、テレビ無し生活うん十年の私がたまたまテレビの情報番組の切れ端をYouTubeで見かけると即途中で打ち切ることとなる。ヨイショ番組にケチをつけるのは野暮だが、やはりどうも。淀川長治さんも亡くなって随分経つが、いやー映画って本当に◯◯ですね、のセリフ。イヤーテレビってホントウにウソですねえ。長さんかと思ったら水野晴郎さんの方だった。サヨナラサヨナラサヨナラ。

 

本日のベターツイートは、ヒト氏のもの。以下引用開始。

興味深いのは、Meiji Seikaファルマのツイートに対する批判への対処として、「ワクチン反対派のアカウントのブロック」を推奨している人がいること。

反対派をすべて敵と断定し、反対意見を積極的に排除させることで、信者の連帯感を高めている構図だ。
まさに典型的なカルト集団の行動様式である。

以上引用終わり。

Ark Gold & Silver氏のもの。以下引用開始。

【速報】2026年7月24日、金の歴史が変わった。世界最大の金融システムが「終わりの始まり」を迎えている。

同じ日に起きた「異常すぎる2つの出来事」に、世界中の投資家が絶句した。

西の「CME(シカゴ商品取引所)」が1オンス金先物を【24時間365日】取引可能にしたその瞬間、東の「中国最大手銀行(ICBC等)」は個人向けの【紙の金・銀取引を即座に停止】した。

一見すると無関係に見えるこの2つのニュース。

しかし、コモディティの裏側を知る者から見れば、これは「紙の金で現物価格を抑え込んできた西側金融支配」の断末魔に他ならない。

冷徹な事実だけを積み重ねて、この衝撃的な構造を解説する。長文になるが、資産を守りたいなら最後まで読んでほしい。

🚨 まず理解すべき「2つの金」の決定的な違い

👉金市場には、私たちが普段目にする価格の裏に「2つの世界」が存在している。
金投資の罠にハマる人の99%は、この違いを理解していない。

1⃣ 【フィジカルゴールド(物理の金)】
・金庫に保管された本物の「金属」そのもの
・発行体に依存しない「無リスク資産」
・地球上に存在する量が限定されている

2⃣ 【ペーパーゴールド(紙の金)】
・現物の裏付けを持たない「価格変動を当てるだけの契約」
・先物やデリバティブなどの金融派生商品
・レバレッジをかけて無限に「発行(印刷)」が可能

※デリバティブ(金融派生商品)とは:実際の現物ではなく、その価格の動きだけを対象にして売買する金融取引のこと。

世界規模で見れば、実際に存在する「物理の金」の何十倍、何百倍もの「紙の金」が日夜取引されている。

そして恐ろしいことに、現在の世界基準の金価格を決めているのは「現物」ではなく、CMEなどの市場で取引されるこの「紙の金額」なのだ。

大量の「紙の売り注文」を出せば、現物が買われていようが金価格を人工的に押し下げることができる。これが西側金融が長年使ってきた価格コントロールの手口だ。

🇨🇳 2026年7月24日、中国で起きた「地殻変動」

👉この「紙の支配」に強烈な楔(くさび)を打ち込んだのが中国だ。
世界最大の金融機関であるICBC(中国工商銀行)をはじめとする中国の大手銀行が一斉に動いた。

【中国で起きた事実】

・個人顧客向けの「レバレッジ付き紙の金・銀取引」を全面的に停止

・対象は手元資金の何倍もの取引ができる投機的デリバティブ

・現物(実物)の金の購入は一切禁止されていない

・機関投資家や中央銀行の現物取引はそのまま継続

※レバレッジとは:手元にある資金の何倍〜数十倍もの金額を動かして取引する仕組みのこと。

これが意味することを考えたことはあるだろうか?
中国は世界最大の金消費国であり、国民も大量の金を保有している。その巨大市場で「個人が紙の金で投機する道」を完全に塞いだのだ。

紙の取引が排除されれば、市場に残るのは「実際に金地金を買う現物需要」だけになる。
つまり、中国は自国市場から「紙のノイズ」を取り除き、現物価格の威力をそのまま市場に突きつける体制を整えたということだ。

🇺🇸 同じ日にCMEが断行した「24時間365日化」の正体

👉中国の動きと完全に重なるように、同じ2026年7月24日、西側価格決定の総本山であるCME(シカゴ商品取引所)が動いた。
CMEは「1オンス金先物」という小口の金先物契約を、これまでの取引時間の枠を撤廃し、【24時間365日】いつでも取引できるように変更したのだ。

CME側が発表した公式理由は以下の通りだ。

・地政学的リスクに即座に対応するため
・常に「価格発見機能」を維持するため
・少額から取引できるため個人投資家の利便性を高めるため

※価格発見機能とは:買い手と売り手の注文が市場に集まることで、公正な適正価格がリアルタイムに決まる仕組みのこと。

一見すると「ユーザーフレンドリーな改善」に見えるだろう。
しかし、なぜ2026年6月に発表され、準備が進められてきたこの制度が、中国の紙取引停止と同じ「7月24日」に本格始動したのか?

金融のプロがこの裏に見るシナリオは一つしかない。
「東側から現物需要が押し寄せ、紙の価格支配力が崩壊するのを防ぐため、24時間体制で『紙の流動性』を供給し続ける防衛策」だ。

《続く🔽》

⚔️ なぜこれを「必死の試み」と呼ぶのか?
対立構造を整理すると、恐ろしいほどの歪みが浮かび上がる。

【東側(中国)の戦略】
🔽
・個人の紙取引(デリバティブ)を削減・停止

・紙の投機を排除し、現物の裏付けがある需要へシフト

・結果:市場における「物理の金」の価値が剥き出しになる

【西側(CME)の対抗策】
🔽
・紙取引を24時間365日オープンにして強化

・世界中からいつでも「紙の売り買い」ができるようにアクセスを最大化

・結果:紙の取引量を極限まで増やし、価格決定権を死守する

簡単に言えばこういうことだ。
中国という巨大な現物吸収装置が「もう紙のゲームには付き合わない」と宣言した。
その瞬間に、西側市場は「ならばこちらは24時間休みなく紙を売り買いできる場を提供し、紙の圧倒的取引量で現物の圧力をねじ伏せる」という賭けに出たのだ。

これは、現物需要の津波に対して、紙の防波堤を24時間体制で補強し続けるようなもの。
だからこそ、市場を冷徹に見ている投資家たちは、このCMEの動きを「価格コントロール権を失わないための必死の延命策」と呼ぶのだ。

📊 投資家が直面している「歴史的転換点」

👉私たちが目撃しているのは、単なる取引ルールの変更ではない。
「印刷できる紙の金融資産」と「絶対に印刷できない物理的現実(コモディティ)」の最終戦争だ。

西側の中央銀行や金融機関は、金価格が急騰すると自国の通貨(ドルやユーロ)の信用が失墜するため、デリバティブ市場を使って金価格を抑制したい動機が常に働く。

しかし、物理的な現物が枯渇し、東側諸国が圧倒的な量の現物金を爆買いし続ける中で、紙の売り崩しだけで価格を抑え込むことには物理的な限界がある。

どれだけCMEが24時間体制で「紙の金」を取引させようとも、現物を引き渡せと言われた瞬間に、紙の契約はただの「無価値な約束手形」と化すからだ。

💡 私たち個人投資家はどう動くべきか?

👉市場がこれほどまでに歪み、東と西で明確な分断が起きている今、ボケっとインデックスファンドだけを買っている時代は終わった。

1⃣ 金先物やレバレッジ取引などの「紙の金」に過度な期待をしないこと
市場の流動性が急変した際、紙の契約は取引停止やルール変更で突然梯子を外されるリスクがある。

2⃣ ポートフォリオの一部に「現物資産の裏付け」を意識すること
ペーパーマネーの信用が揺らぐ局面で最終的に強いのは、いつの時代も物理的な実体を持つコモディティだ。

3⃣ ノイズに惑わされず「中央銀行と現物市場の動き」を追うこと
CMEの建前(公式発表)を鵜呑みにせず、各国のゴールドショック対策や現物移動のデータを冷徹に分析し続けること。

時代が変わる瞬間は、いつだって静かに、しかし決定的な出来事と共に訪れる。

2026年7月24日。この日を境に、世界の金市場は「現物というリアル」が「デリバティブという虚構」を飲み込むカウントダウンに入ったと言っても過言ではない。

感情を捨てろ。事実だけを見ろ。
生き残るのは、常に構造を理解した者だけだ。
#金価格 #コモディティ #資産運用

以上引用終わり。

手賀敬介氏のもの。以下引用開始。

人文系の人員を削るのはかなり危ない。哲学など社会では全く役に立たないという人がいるが、社会をよく観て考える哲学者がいないと、国民は権力者にとって都合が良いだけの奴隷になってしまう。人文系、社会科学の哲学者を政府は一番恐れている。哲学など全く役に立たないという風潮は権力者が仕掛けたプロパガンダだと思ってる。

以上引用終わり。

最後は、並行図書氏のもの。以下引用開始。

「医者は第三の死因だ」という主張がある。これは処方薬による死亡を指し、ピーター・ゲッチェらが示した強烈な数字だ。だが、この順位付けには、もっと深い欺瞞が隠されている。死因の第一位と第二位、つまり心臓病とがんという「自然な病」の多くが、実は同じ医師たちが百年かけて作った枠組みから生まれているとしたらどうなるか。

ジョイ・ガーナーの調査によれば、ワクチン未接種の成人における慢性疾患率はわずか2.64%だ。一方、接種者では60%に跳ね上がる。これは単なる相関ではなく、現代医学の根幹に関わる構造的問題だ。

この構造を作ったのは、1910年の「フレクスナー報告書」である。

ロックフェラー財団とカーネギー財団の資金で行われたこの医学教育改革は、当時米国に162あった医学校を66校にまで激減させた。この時、排除されたのは悪質なニセ医学ではない。自然治癒力を重視し、食事や生活で身体を支える「地形医学」の学校だった。フレクスナーが破壊したのは無知ではなく、知識そのものだったのだ。
そして、この薬物依存型のカリキュラムは、ロックフェラー財団の国際保健部門によって欧州、アジア、南米へと輸出され、現代の世界標準となった。

ここで生まれた医学の根本的なルールは「身体の信号を敵とみなす」ことだ。

熱は代謝を高めて毒素を排出する浄化作用だが、医師は解熱剤でそれを止める。咳や下痢、皮膚の発疹も、身体が必死に老廃物を外に出そうとする「解決策」だが、治療はそれを「症状」として抑制する。成人病の領域でも同じだ。
コレステロールは傷ついた血管を修復するための材料だが、スタチンで数値を下げる。血圧や血糖値も、身体の不調を知らせる警報だが、薬で数値だけを黙らせる。警報を止めても、火事の原因は消えない。むしろ火は燃え広がる。

この構造は、医師個人の悪意の問題ではない。むしろ、真面目に勉強した医師ほど、この「逆の治療」を忠実に実行するようにできている。ウプトン・シンクレアの言葉を借りれば、「給料をもらっている人間は、給料が何に依存しているかを理解しないようにできている」のだ。医師たちは患者を助けたいと願いながら、制度に従順であるほど、長期的には患者を病気に追い込む。

だからこそ、このシステムは本物の「治癒」を許さない。

それを示す最も衝撃的な事例がある。英国の医師サラ・マイヒルは、細胞代謝と栄養、解毒に基づく治療で患者を次々と回復させた。患者からの苦情はゼロだったにもかかわらず、彼女は20年間で30回以上も医師免許を剥奪されそうになり、調査を受けた。
なぜか。検察側の弁護士が漏らした本音は「患者が全員良くなり、誰も証言してくれないからだ」というものだった。システムは、病気を治すこと自体を攻撃対象とみなす。ここに、医学教育に埋め込まれた「反転」の本質がある。

医療界はこの事実を「医者は日々命を救っている」という急性期医療の成果で覆い隠す。骨折の治療や虫垂炎の手術は素晴らしい。

しかし、問題の本丸は慢性疾患の「管理」にある。

高血圧の薬が咳を引き起こし、その薬の副作用で転倒リスクが上がり、次の診療科を紹介される。一本の処方箋が、終わりのない患者製造ラインの始まりとなる。その終着点は、人生最後の数週間を最も医療費のかかる集中治療室で「死に抗う」ことだ。

これは、個人の身体を蝕むだけでなく、制度全体を死に至らしめる経済システムでもある。

百年前、この仕組みを世界に輸出したロックフェラー自身は、家族のために生涯ホメオパシー医を選んでいた。彼は、身体を工場のように扱う儲かる仕組みを他人に売り、自分は「治す」医療を知っていたのだ。今、この仕組みは心臓病とがんを「自然な死因」に仕立て上げ、自らは第三の死因に甘んじている。

本当の順位は最初から決まっていた。私たちが信頼する「健康管理」の枠組みそのものが、最大のリスクかもしれない。


記事『Doctors Are Dangerous』(2026年7月24日)
Unbekoming(医療批評家)

 

ホルムズ海峡封鎖は「失敗」ではない
youtu.be/GWFiwo55nrw
なぜ、結果が分かりきった軍事行動に踏み切るのか。2011年のリビア空爆は「人道的介入」と称されたが、NATOが支援した反政府勢力が最初に掌握したのは、首都の中央銀行とその金準備だった。表向きの大義と、実際の標的は一致しない。

イランへの軍事介入でも同じ構図が見える。米軍の戦略立案者たちは以前から熟知していた。攻撃を受ければ、イランは真っ先にホルムズ海峡を封鎖する。世界の石油供給の大動脈を遮断し、エネルギー市場を大混乱に陥れる行為だ。にもかかわらず、彼らはその引き金を引いた。

唯一の合理的な解釈は、彼らがまさにその結果──海峡封鎖と市場の不安定化──を望んでいた、ということだ。

アジア向けの石油の流れが滞れば、中国を筆頭とする国々は新たな調達先を探す。ここで、すでにエネルギー純輸出国となった米国が代替供給者として浮上する。ベネズエラへの介入も、石油を「獲得する」より、中国へ渡さないための作戦として捉えると筋が通る。戦争とは、世界の石油市場における米国の支配的地位を、軍事的に再定義する工程なのだ。

この経済覇権の土台にあるのが、ペトロダラー体制である。1971年に金との兌換が停止された後、米ドルが基軸通貨であり続けられたのは、サウジアラビアとの間で結ばれた「石油をドル建てで取引し、得たドルを米国債で運用する」という暗黙の合意があったからだ。以後半世紀、世界の基軸通貨は石油によって裏打ちされてきた。

このシステムは近年、徐々に摩耗している。サウジアラビアが中国に接近し、人民元建ての石油取引がちらつく。ロシアへの制裁は、ドル建て資産の凍結という形で、各国に「ドルは安全な資産ではない」という強烈な警告を発した。SWIFTからのイラン排除も、国際決済網が政治の道具であることを世界に露呈し、中国は代替となるCIPS(中国国際決済システム)の構築へと動いた。

しかし、ここに逆説的な層が重なる。CIPSは実はSWIFTと業務協力の覚書を交わしており、多くの取引は今もSWIFT網に依存している。BRICS主導で設立された新開発銀行(NDB)の幹部には、世界銀行やIMFと同じ顔ぶれが並ぶ。

表向きの「米国対BRICS」という対立構図の裏で、実際には双方を掌握する金融勢力が、より大きなゲームを進めている可能性がある。冷戦下でさえ、ソ連経済は西側の積極的な金融投資によって育成されていたという史実を思い出すべきだ。

結局、共和党であれ民主党であれ、有権者が選んだ指導者は、この巨大な資本のうねりの前では、決められた台本を演じる以上の力を持たない。だからこそ、ワシントンの椅子に誰が座ろうと、介入の連鎖は止まらない。

だとすれば、個人に残された現実的な選択肢は、巨大な歯車に資金を預けるのをやめることだ。軍事産業複合体で老後資金を増やすよりも、地元の農家から一頭買いした牛や、修理のきく機械、地域の小さな経済圏にこそ、真の防御がある。それが、遠くの戦争の経済的引力から、自らの生活圏を少しずつ引き剥がす、唯一の静かな抵抗線となる。

James Corbett(調査報道ジャーナリスト、The Corbett Report主宰)、Elijah K. Johnson(Gold Standard Economicsホスト)
対談 『It’s About Money, Not Freedom | James Corbett』(「自由ではない、それは金の話だ」)2026年7月4日

 

10月7日は「想定外」ではなかった
corbettreport.com/was-10-7-a-fal…
私は2023年10月7日の朝、信じがたいニュースに釘付けになった。約6000人のハマス戦闘員がパラグライダーとバイクで世界一厳重なイスラエルの境界壁を突破し、数時間にわたって集落を襲撃したという。監視塔もセンサーも遠隔操作銃座も、なぜか機能しなかった。

すぐに私は、奇妙な証言にぶつかった。当日朝、IDFの部隊は「全ステーション、理由はわからないがフェンスの巡回はしない」と命じられていたのだ。現場の兵士たちは出動停止を受け、境界線は無防備になった。

これは単なる失策ではない。元国防相ガラントは後に、人質ごと民間人を殺害する「ハンニバル指令」が戦術的に発動されたと認めた。つまり、混乱の一部は意図的に設計された可能性が高い。

後日、乳児斬首や組織的強姦の証言が事実無根と判明しても、その残虐イメージだけが独り歩きを続けた。

NBCは発生数分で「ハマスのパラグライダー侵入」を伝え、ブラックバーン上院議員は数時間後に「イランの関与」と言い切った。ネタニヤフ首相はその日のうちに「我々は戦争状態にある」と宣言し、世界はこの物語をほとんど無批判に飲み込んだ。

しかし、IDF精鋭情報部隊8200はハマス戦闘員がイスラエル領内で何時間も携帯電話を使っていたのに位置情報を提供せず、上空からの事前警告も握りつぶされた。首相、国防相、軍参謀総長が初めて会話したのは事件発生から4時間後。

エジプト政府や軍情報部、国境防衛隊の警告は一顧だにされなかった。ノヴァ音楽祭の襲撃に至っては、IDFが把握するまで3時間を要した。

コロンビア大学ロースクールの研究が、10月7日直前の金融市場で「奇襲」を事前に知った投資家による空売りの痕跡を発見した。通貨単位の初歩的な誤りはあったが、結論は揺るがなかった。金に変えた者がいたという事実こそ、この「奇襲」の本質を物語る。

私は思う。12月7日、9月11日、そして10月7日――これらは後に大嘘と判明した偽旗作戦の日付だ。リバティ号攻撃、9.11テロ、新型コロナ対応、いずれも恐怖が先行し、異論は罵倒で封じられた。

今回も疑問を呈する者は「反ユダヤ主義」と烙印を押され、警備文書は何者かによって削除された。結局この日もまた、すべては筋書き通りだった。異論を封じる筋書きも含めて。


『10/7: A Conspiracy Theory』(10/7:ある陰謀論)
James Corbett(独立ジャーナリスト、The Corbett Report 主宰)

 

6週間で「脳年齢」が7.5歳若返る——二重盲検試験が示すL-トレオン酸マグネシウムによる認知機能の底上げ
frontiersin.org/journals/nutri…
脳の老化はゆるやかで不可逆な坂道だ、と誰もが信じている。だが、ある特定のマグネシウム化合物が、健康な成人のその坂道を6週間で7.5年分、逆走させる可能性を示した。 

L-トレオン酸マグネシウム(Magtein®)——一般的なサプリとは異なり、脳内マグネシウム濃度を直接高めるように設計されたこの物質を1日2グラム摂取したグループは、プラセボ群と比べて全般的な認知機能が有意に向上した。

特に改善が大きかったのは、ワーキングメモリとエピソード記憶である。ワーキングメモリは情報を一時的に保持し操作する前頭葉-頭頂葉のネットワーク、エピソード記憶は出来事を順序立てて覚える海馬依存の機能だ。Magtein®は、まさに脳の「記憶の中枢回路」に選択的に働きかけたことになる。

その結果が、推定7.5歳の「脳年齢の若返り」である。これは、テストの素点を年齢標準データと照合し、何歳相当のパフォーマンスかを算出した数字だ。プラセボ群がわずかに低下したのに対し、Magtein®群は介入前から明らかに上方へ跳ねた。

だが、この結果の本質を「若返り」と呼ぶのは正確ではない。

参加者はもともと、同年齢平均を上回る認知機能を持っていた。NIH Toolboxの標準スコア平均100に対し、参加者の平均は約110。つまり、ここで起きたのは「衰えの補填」ではなく、「すでに良好な脳のさらなる底上げ」である。マグネシウムは単なる不足解消のミネラルではない。Magtein®はシナプス密度を調節し、神経可塑性そのものを増強する可能性があるのだ。

この解釈を補強するのが、副次的な生理データだ。睡眠中に装着したOura Ringの記録では、Magtein®群の平均心拍数が有意に低下し、心拍変動(RMSSD)が上昇した。RMSSDは副交感神経——リラックスと回復を司る自律神経の指標である。つまり、Magtein®は脳だけでなく、身体の深部で自律神経バランスを組み替えていた。

しかも、研究開始時の睡眠中心拍数が低い人ほど、主観的な睡眠の質や幸福感が高いという相関も確認された。心拍数という無意識下の指標が、そのまま「よく眠れた」という感覚に直結していたのである。Magtein®は、この心拍数を下げる介入だった。

一方で、睡眠の自己評価やOura Ringの睡眠スコアには、プラセボ群と有意な差が出なかった。参加者の平均総睡眠時間は6時間53分、睡眠効率86%と、すでに健康的な水準にあったため、天井効果が働いたとみられる。要するに、主観的な「よく眠れた」が変わらなくても、脳と自律神経は着実に整っていたことになる。

だとすれば、私たちが「認知機能の低下」と呼んでいる現象の一部は、実は自律神経の慢性的な乱れが脳のパフォーマンスを覆い隠している状態なのかもしれない。Magtein®は、その覆いを静かに剥がす触媒として働いた可能性がある。

もちろん、これは6週間の限定的な試験であり、長期効果や高齢者・認知障害への応用は未検証だ。しかし、「不足を補うサプリ」という枠組みでは説明のつかない結果が、すでに目の前にある。脳は、十分に機能している状態からでも、まだ応答できるのだ。


研究論文 『The effects of magnesium L-threonate (Magtein®) on cognitive performance and sleep quality in adults: a randomised, double-blind, placebo-controlled trial』(成人におけるL-トレオン酸マグネシウム(Magtein®)の認知機能と睡眠の質への効果:無作為化二重盲検プラセボ対照試験)2026年。Adrian L. Lopresti(臨床研究機関Clinical Research Australia、マードック大学)、Stephen J. Smith(同)。DOI: 10.3389/fnut.2025.1729164

 

夢の中の気づきが、現実を変える

10歳の少年が公立図書館で本を眺めていると、突然ティラノサウルスが書架の間を歩いてきた。「恐竜は絶滅したはずなのに、なぜここに?」。その瞬間、彼は気づいた——「これは夢だ」と。この少年こそ、後に数千回の明晰夢を記録し、この分野の第一人者となる ロバート・ワゴナーその人である。

明晰夢とは、夢を見ている最中に「いま自分は夢の中にいる」と自覚している状態を指す。単なる睡眠中の映像体験とは決定的に異なり、意識を持ったまま夢の世界を探索できる。ワゴナーが長年の研究と実践から導き出したのは、明晰夢が誰にでも開かれた、無償の内的資源だということだ。

その効用は、まず悪夢の克服に現れる。

戦争や事故の記憶に苛まれるPTSD患者は、同じ悪夢を繰り返し見る傾向がある。1982年、オハイオ州のセラピスト、ゴードン・ハリデーは患者に明晰夢を教え、「悪夢の中でたった一つだけ変えてみてください」と提案した。結果は劇的だった。彼らが夢の中で何か一つを変えた瞬間、何年も続いた悪夢はぷつりと止んだ。

夢の中でのささやかな選択が、現実の神経回路を塗り替えたのである。

創造性の領域でも、明晰夢は強力な道具となる。芸術家が夢の中で「私が創りうる最も素晴らしい芸術を見せてほしい」と告げると、壁にそのイメージが現れる。音楽家は、覚醒時にはとうてい再現できない交響曲を夢の中で「聴く」。
ポール・マッカートニーが「イエスタデイ」の旋律を夢から得た逸話は有名だが、それは特異な才能に限られた話ではない。ドイツではプロスポーツ選手の約11%が、危険を伴わずに技術を磨く場として明晰夢を活用している。

ここまでは夢の実用性の話である。だがワゴナーは、さらに深い層へと踏み込む。彼は夢の中で「あなたは何を象徴しているのですか」と夢の登場人物に尋ねた。すると、その人物の頭上のはるか高みから声が答えを返してきたという。これが転機となり、彼は夢の奥に「内なる自己」とでも呼ぶべき意識の層があると考えるようになった。

その働きかけの向きは一方通行ではない。明晰夢の熟達者が繰り返し報告するのは、自分の潜在意識が驚くべき精度で問いに答える現象だ。

薬物依存に苦しんでいた若者が、夢の中で「このまま薬物を使い続けたらどうなるか見せてほしい」と頼むと、彼が傷つけるすべての人々の映像が流れた。彼はその夢をきっかけに薬物を断ち、2年後には大学の準学士号を取得して手紙をくれた。潜在意識は、当人が意識的に把握している以上の情報を保持し、適切な問いかけがあればそれを差し出す。それはまるで、最新の大規模言語モデルに正確なプロンプトを与えたときのように。

ワゴナーの体験は、私たちに一つの逆説を突きつける。覚醒時に「現実」と信じている世界でさえ、私たちは多くの奇妙な出来事を説明し、合理化し、受け流している。

昼の世界で批判的思考を働かせない習慣は、夜の夢の中でもそのまま作動し、空飛ぶ車も、突然の場面転換も「そんなものだ」と受け入れてしまう。

明晰夢の第一歩は、まず起きているあいだに「これは本当に現実か」と問う習慣を身につけることだ。言い換えれば、覚醒時の思考の癖が、夢の中の自由の度合いを決める。

ワゴナーがすすめる最も簡便な入り口は、寝る前の「暗示」である。

「今夜、夢の中で自分の手を見たら、それが夢だと気づく」と数分間唱えるだけで、3日目には夢の中で両手が眼前に浮かび上がり、明晰さが訪れたという。特別な装置も薬物も要らない。必要なのは、眠りに落ちる直前の数分間と、自分の意識の奥を探索してみようという好奇心だけだ。

夢の中で目覚めるという逆説は、現実の覚醒を問い直す。私たちが確固たる現実だと思っているこの世界は、はたしてどれほど醒めているのか。


対談
Robert Waggoner(明晰夢研究家、『Lucid Dreaming: Gateway to the Inner Self』著者)、Mike Adams(ブライトビデオニュース主宰、健康自由擁護活動家)
『Decentralized TV』「Down the Rabbit Hole」エピソードより
healthranger.substack.com/p/compassion-a…

 

社会が崩壊するとき、政府は国民を助けてくれる。そう信じている人は少なくないだろう。しかし、元ペンタゴン分析官で退役空軍大佐のドリュー・ミラー氏は、その前提を真っ向から否定する。

彼が番組内で明かしたのは、政府が極秘に準備を進める「存続計画」の実態だ。それは 国民を守るための計画ではない。政府自身を守るための計画であり、あなたや私を「有事の際に搾取すべき資源」と見なす冷徹な設計図である。

ミラー氏は、米国政府の崩壊リスクは年々高まっていると警鐘を鳴らす。送電網へのサイバー攻撃や太陽フレア、新型ウイルスのパンデミック、人工知能の悪用。複合的な脅威が現実化すれば、経済は停止し、法と秩序は数日のうちに消滅するという。人々は食料を求めて略奪を始め、社会は「72時間後」どころか即座に無法状態になると彼は言う。

その崩壊に備え、政府機関は地下バンカーに食料を備蓄し、大統領令によって民間の資源を強制的に接収する権限まで確保している。問題は、その準備が政府内部の「継続性」だけを目的としている点だ。

ミラー氏の言葉を借りれば、「彼らは国民の命には関心がない。ただ選挙で再選され、権力を維持することだけが目的だ」。この指摘は陰謀論ではない。ニューヨーク・タイムズのベストセラー『Raven Rock』が詳細に暴いた、厳然たる事実である。

国民の安全よりも自己保存を優先する統治機構は、そもそも「政府」と呼べるのか。ミラー氏はその構造を「倒錯の三角形」と名付ける。職業政治家、官僚、そして弁護士の三者が、憲法が定めた制限を無視して互いの権益を拡大し合う自己増殖システムだ。

彼によれば、米国憲法修正第10条が定める連邦政府の権限制限は1937年以降、事実上骨抜きにされ、政府は「やってはいけないこと」を忘れた。もはや政府は国民を守る主体ではなく、国民を自分たちの生存のための消耗品と見なす主体へと変質している。

この構造的な腐敗を前に、ミラー氏が最も重要だと訴える解決策は、備蓄や自衛のスキルではない。職業政治家を一掃する「任期制限」の導入だ。彼は「任期制限なしに、この混乱を修正することは不可能だ」と言い切る。政治家が再選のためだけに票を買い、グリッドの強化といった長期的な国益を無視し続ける現状を変えなければ、本当の意味での「準備」にはならない。

ミラー氏の主張の核心は、政府の無能さを嘆くことではない。近代国家の常識を裏返し、「政府の不在こそが、かえって人々の生活の質を向上させる可能性がある」と論じる点にある。

大規模な崩壊の後、人々は巨大都市を捨て、地元で食料を育て、顔の見えるコミュニティで助け合わざるを得なくなる。それは中央政府の理不尽な規制や官僚主義から解き放たれた生活でもある。

あなたが信頼を寄せるその巨大システムは、有事の際、本当にあなたを守ってくれるのか。ミラー氏との対話が突きつけるこの問いは、単なるサバイバルの話題を超えて、市民と国家の契約とは何かという根源的な問題に行き着く。

— 
ドリュー・ミラー(退役空軍大佐、元ペンタゴン分析官)、サラ・ウェストール(番組ホスト)
対談 『How a Functional Collapse Could Actually Unfold | Col. Drew Miller』(機能的な社会崩壊は実際にどのように起こり得るのか)
sarahwestall.substack.com/p/how-a-functi…

 

年間16%から57%——これが、いま人類が直面している文明崩壊の推定確率だ。本書『Preparing to Survive in the Age of Collapse』の著者ドリュー・ミラーは、退役空軍大佐であり、ハーバード大学で公共政策学の博士号を取得した政策分析の専門家である。その男が、楽観とは無縁の数字を叩きつける。

脅威の本丸はバイオエンジニアリングとAIである。個人や小集団でも、既存のウイルスを改変し、数億から数十億人を殺傷できるパンデミックを引き起こせる時代になった。国家が独占していた大量破壊兵器の閾値が、決定的に崩れたのである。これに電力網の脆弱性と、在庫を極限まで削ったジャストインタイム経済が重なる。災害そのものより、その後の略奪と治安崩壊が最大の死者を生むとミラーは警告する。

では政府は備えているのか。ミラーの答えは冷徹だ。政府はむしろ、国民の生存を脅かす側に回っている。

彼が「堕落の三角形」と呼ぶ構造——継続政治家、政府官僚、弁護士が再選と利権で結託し、電力網強化やパンデミック対策への投資を妨げる一方、自らのためにはマウント・ウェザーやレイヴン・ロックといった豪華な避難施設を整備している。市民向けの民間防衛備蓄は1970年前後に廃止されたままだ。さらに大統領令により、非常時には政府が市民の食料を徴発できる法的枠組みすら存在するという。

ここで視座を一段上げる。問題は特定の政権や政党ではない。1937年の連邦最高裁判断以降、憲法修正第9条・第10条が定める連邦政府の権限制限が事実上無効化され、この構造は半世紀以上にわたって制度的に固定されてきた。政府の機能不全は、欠陥ではなく設計仕様なのだ。

ミラーは具体的な処方箋も示す。個人レベルでは、都市部を離れ、大人数で共同防衛するサバイバル・コミュニティへの参加が最も現実的な生存戦略だ。単独世帯や小集団での防衛は成り立たない。外交面では台湾防衛の約束を撤回し、中国の内戦への介入を止めるべきだと主張する。AIについては、AGI(汎用人工知能)の開発を完全に禁止し、ツールAIも核兵器並みの国際管理下に置く「AI統制同盟」の創設を提唱する。

本書が最終的に突きつけるのは、読者の前提そのものを覆す問いだ。政府が国民を守らないなら、守るのは誰か。ミラーの答えは「おまえ自身だ」である。プレッパーになること、市民的不服従も辞さないこと、そして何より、政府が機能しているという前提を捨てること。文明の寿命は約250年とされる。建国から249年のアメリカに、残された時間は長くない。

— 
書籍『Preparing to Survive in the Age of Collapse』(『崩壊の時代を生き延びる準備』) Drew Miller(退役空軍大佐、ハーバード大学公共政策学博士、Fortitude Ranch創設者)2026年

 

米国はなぜ「世界最大の債務国」で世界を支配し続けられるのか

1971年8月15日、ニクソン大統領はドルと金の交換を停止した。この日を境に、世界の金融秩序はひっそりと逆転した。それまでドルは「金と同じ」と見なされ、米国は世界の金の四分の三を保有する圧倒的な債権国だった。だがこの日以降、 米国は世界最大の債務国へと転落しながら、なぜかかつてないほどの支配力を手に入れた。

この逆説を解く鍵は「米国財務省証券本位制」にある。金の交換停止後、世界の中央銀行は余剰ドルを金に換えることができなくなった。代わりに彼らが受け取ったのは米国財務省が発行する短期証券——つまり米国政府の借金の証文だった。奇妙なことに、この借金こそが今日の国際通貨制度の基盤となっている。

問題はその仕組みにある。日本の自動車メーカーが米国に輸出して得たドルは、日本銀行に渡される。日銀はそのドルをそのまま保有し続けるわけにはいかない。代わりに彼らが購入するのは米国財務省証券だ。つまり、日本が米国に対して貿易黒字を積み上げれば積み上げるほど、日本は自動的に米国政府に融資を行っていることになる。これが「強制的な融資」の実態だ。

この構造は冷戦期の軍事支出にその起源を持つ。朝鮮戦争以降、特にベトナム戦争の拡大で米国の国際収支は慢性的な赤字に陥った。フランスのド・ゴール大統領が余剰ドルを金に交換し続けたことで米国の金準備は逼迫し、1971年のニクソン・ショックを招いた。だが金の交換停止は米国にとって弱点ではなくなった。むしろその逆で、債務の拡大そのものが新たな支配手段へと変貌した。

米国の戦略は三つの層で機能する。
第一に、世界の中央銀行が米国財務省証券を買い支えることで、米国は自国通貨安を抑制しながら国内の財政赤字を他国にファイナンスさせる。
第二に、米国自身は緊縮政策を課されることなく、逆にドル安を武器に輸出競争力を高める。
第三に、IMFや世界銀行を通じて途上国には民営化と緊縮財政を強制し、自国には適用しない二重基準を確立した。

このメカニズムがもたらす帰結は深刻だ。米国経済は脱工業化し、金融・保険・不動産部門が実体経済を圧迫するレント収取型経済へと変質した。製造業は海外に移転し、国内労働者の賃金は1970年代以来ほぼ停滞している。それでも米国が破綻しないのは、世界の中央銀行が「強制的な融資」を続けているからだ。この関係は、まさに「課税なき代表」——米国政府の政策に発言権を持たない外国人が、自動的に米国の軍事・外交政策をファイナンスする構造——と呼ぶべきものだ。

しかしこの体制にも限界が訪れつつある。中国の一帯一路構想と上海協力機構の拡大、RCEPの締結は米国抜きの経済圏形成を示す。欧州もノルド・ストリーム2天然ガスパイプラインを巡って米国の圧力を拒否し、中国との貿易協定に署名した。ロシアや中国を中心に脱ドル化の動きは不可逆的に進行している。

世界は今、金融化・レント収取型経済か、公共投資・混合経済型かの選択を迫られている。米国の「無料昼食」が終わるとき、新たな国際通貨秩序は金を一部含む多極的なシステムへと移行するだろう。その移行が秩序あるものか混乱を伴うものかは、まだ誰にもわからない。ただ一つ確かなのは、債務こそが武器になるという逆説が、もはや通用しなくなりつつあるということだ。


書籍『Super Imperialism: The Economic Strategy of American Empire』(『スーパー・インペリアリズム:アメリカ帝国の経済戦略』)2021年
著者:Michael Hudson(マイケル・ハドソン、経済学者)

 

骨粗鬆症と診断された瞬間、多くの人は「年齢のせいだ」と諦める。あるいは「一生薬を飲み続けるしかない」と医師に告げられ、その通りに生きていくしかないと思い込む。だが、その前提自体が間違っているかもしれない。

米国農務省のデータが示す通り、米国人の93%がビタミンD欠乏であり、 70%がカルシウム不足だ。骨は「古くなって弱る」のではない。必須の栄養素が足りないから脆くなる。この違いは決して小さくない。なぜなら、不足は補充できるからだ。

本書『Rebuild Your Bones』の著者ミラ・カルトンは、30歳で「骨密度は80歳レベル」と診断された。医師からは薬物療法以外に道はないと言われたが、彼女はそれを拒否し、栄養学の専門家である夫ジェイソンと共に、食事・生活習慣・サプリメントの全面的な見直しに着手する。その結果、わずか2年で骨密度は正常な30代女性の水準まで回復した。彼女を変えたのは「微量栄養素」という概念だった。薬ではなく、体が本来持つ修復力を引き出すアプローチだ。

では、なぜ現代人はこれほどまでに微量栄養素が不足しているのか。理由の一つは、私たちが日常的に食べているものの多くが、栄養という名の「殻」だけを残した空っぽの食品だからだ。著者はこれを「ネイキッドカロリー」と呼ぶ。

白い小麦粉や精製糖、加工油は、ビタミンやミネラルをほとんど含まず、むしろ体内の栄養を奪い取る。特に小麦に含まれるフィチン酸はカルシウムやマグネシウムの吸収を阻害し、グルテンは腸管の透過性を高めて「リーキーガット」を引き起こす。腸が傷つけば、どれだけ良質な食品を食べても栄養は吸収されない。つまり、食べているつもりが食べられていないのだ。

ここで、ある根本的な誤解を解く必要がある。骨を強くするにはカルシウムをたくさん摂ればいい、という思い込みだ。実際には、カルシウムはマグネシウムや亜鉛と吸収経路を競合する。同時に摂れば互いの吸収を阻害し、せっかくのサプリメントが無駄になる。

著者たちが開発した「抗競合技術」は、競合する栄養素を別々のタイミングで摂取することで、吸収率を飛躍的に高める方法だ。この技術の鍵はシンプルだ。朝と夜で摂る栄養素を分ける。それだけで、体は本来の吸収力を取り戻す。

ところが、この「競合」は栄養素の世界だけの話ではない。医療の世界にも同様の構図がある。ビスフォスフォネート系の骨粗鬆症薬は、骨密度を数字上は上げるが、実際には骨を脆くし、顎骨壊死や心房細動、食道癌のリスクを高める。

まるで、一見すると役立つように見えて、実は別の場所でしっぺ返しを食らう。薬は症状を抑えるが、根本の栄養不足には手をつけない。それどころか、薬自体が新たな栄養欠乏を生み出す。ミラが薬物療法を拒否したのは、この矛盾に気づいたからだ。

しかし、薬を拒否するだけでは何も変わらない。体が自らを修復するためには、骨を壊す細胞(オステオクラスト)と骨を作る細胞(オステオブラスト)のバランスを整える必要がある。

ここで鍵となるのが「オメガ6とオメガ3の比率」だ。現代人の食事はこの比率が16対1にも達し、慢性的な炎症を引き起こす。炎症はオステオクラストを活性化させ、骨の破壊を加速させる。理想は1対1だが、それを実現するにはオメガ6を多く含むナッツ類や植物油を徹底的に減らし、EPAやDHAといったオメガ3を補う必要がある。ただ、植物性のオメガ3(ALA)は体内でEPAやDHAに変換される率が男性で5〜10%、女性でも21%程度に過ぎない。だからこそ、質の高い魚油サプリが推奨されるのだ。

本書が提示する12週間のプロトコルは、いわば「栄養の再教育」だ。最初の2週間は食事とサプリメントの見直し、次の2週間で「オステオジェニック・ローディング」と呼ばれる体重の4.2倍の負荷をかける運動を導入する。これは単なるウォーキングではなく、骨に刺激を与え、再構築を促すための必須の習慣だ。

さらに、ストレス管理や睡眠の質の向上、家庭内の化学物質の排除など、生活の隅々までが「骨を育てる環境」へと再設計される。40の習慣は一見細かく見えるが、どれもが「微量栄養素を奪わない」という一点に収斂する。

ここで一つ、考えてみてほしい。あなたが「健康的」だと思っていた食事が、実は骨から栄養を奪っていたとしたら? サラダにたっぷりかけたドレッシングに含まれるオメガ6、朝食のシリアルにまぶされた糖質、健康志向のスムージーに使われるほうれん草のシュウ酸――どれも微量栄養素の吸収を妨げる「反栄養素」だ。健康食品店の棚に並ぶ商品が、実は骨を蝕んでいた。この逆説こそが、現代栄養学の最も見落とされがちな盲点である。

ミラ・カルトンは言う。「骨粗鬆症は運命ではない。選択だ」。その選択の第一歩は、「老化のせい」という呪縛を解くことにある。骨は常に壊され、作り替えられる生きた組織だ。必要な材料——ビタミン、ミネラル、必須脂肪酸、アミノ酸——を揃え、吸収を阻む要因を取り除けば、体は自らを修復する力を取り戻す。薬が症状と戦うのに対し、栄養は体そのものを変える。この二つの発想の違いは、治療の成否を分ける分水嶺だ。

あなたの骨は、まだ再生する準備ができている。その準備を整えるのは、あなた自身の選択に他ならない。


書籍:『Rebuild Your Bones: The 12-Week Osteoporosis Protocol』(『骨を再生する:12週間骨粗鬆症プロトコル』)2019年
著者:Mira Calton, CN / Jayson Calton, PhD

以上引用終わり。ヨイショが良い子の所作なら政府はコワいものはない。どうも有り難うございました。

 

本日のベストスリー7月24日

三位 Tシャツの乾く間も無く走っても貧乏神が追いついて来る  

 

二位 不都合なツッコミあれば迷わずに名誉毀損で訴える人

 

一位 飼い慣らすためのネタから入るのが大マスコミの自由報道


お題は、Tシャツが乾くまで 。ググることもせずに言うがおそらくドラマだろう。ここでは言葉だけが重要で何でも可。さて、論文もデータも見たことも聞いたことも無い者がテレビマスコミに刷り込まれたネタを元に他人をバカにする。不思議な現象だが、刷り込みネタ程度のものしかオツムに入らない。ココが問題。論文もデータも見たことも無い。だからこそ他人をバカに出来るのである。刷り込みネタは言い換えればメリットを受け取るためにその他大勢、つまり、メリットを吸い上げられる側に流布しているもの。真に受ければメリットではなくデメリットになるものである。昨今はいよいよ分かりやすくなってきたと思う。分からなければデメリットを引き受けることとなる。

 

本日のベターツイートは、threepinner氏のもの。以下引用開始。

29日の公聴会の直前にランド・ポールからの暴露。ゆさぶりをかけ追い込むと同時に29日一回ですまずさらなる追求が必要との世論を誘発させる。いままで Smoking gun はどうしたとかいわれていたが発砲者が自分でゲロった。自然発生か人工かは科学論争で白黒つける、なんて最初から無力な立場だった。
ウイルスを作ると計画を公表した、そのウイルスが仲間の研究所の街から始まってパンデミックを起こした、そのウイルスは人工ではなく自然発生だと言いはった、対策は無効だとわかっていても責任逃れのためにマスクが効くロックダウンが効くワクチンが効くとウソを言った。これがコロナ禍コロナ対策禍のメインストーリーだ。

 

CIAにしろBNDにしろこうした情報を初期に掴んでいたのだろう。それ故にCOVID19が人工物であると結論した。根拠がバリックのこの発言なのか他の人物なのかは明らかになるはずもないが。日本でも科学わかってます論文読めますのたぐいが随分とわいてきたが無駄かもとは思わなかったんだろうな。本物の情報機関、というより諜報機関をもたなかった国の悲哀を感じるべきだが一生かかっても理解はしないだろう。x.com/threepinner1/s…

以上引用終わり。

次は、藤江成光氏のもの。以下引用開始。

本日(7/24)の審議会分を反映

前代未聞
新型コロナワクチン副反応疑い報告
死亡 2,317件

※合計値は公表されていないので、あくまで私が集計したものになります。

以上引用終わり。

Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

「なぜ巨額の経常黒字がありながら歴史的な円安が進むのか」

BA(アベノミクス前)と AA(アベノミクス後)の構造的対比

1996年〜2025年の国際収支統計の年平均データを整理すると、日本経済が「貿易で稼ぐ実物経済」から「海外資産の利回り依存型経済」へ変質した姿が浮き彫りになる。

(表)

① 第一次所得収支の実体(円還元率)

第一次所得収支(年間26兆円超)の多くは、海外現地子会社の再投資や海外での再運用に回り、外国為替市場で「ドル売り・円買い」として実効的に持ち帰られる割合(円転率)が極めて低い。3割以下だと経常収支黒字は相殺されるが、実際の円建て還流分はそれよりわずかだ。

結果として、統計上の経常黒字がどれほど巨大であっても、為替市場における円買い圧力として作用せず、「黒字なのに円が買われない」という見せかけの黒字を生み出している。

② 企業の直接投資流出という恒常的な円売り圧力

 直接投資の流出(AA期で年平均18.3兆円)は、日本企業が円をドルなどの外貨に変えて海外の企業買収(M&A)や工場建設に向かう動きだ。

これは一時的な投機ではなく、実需に基づく不可逆的かつ強烈な円売り・外貨買いの底流(構造的資本流出)として市場に重くのしかかり続けている。

③ 貿易・デジタル赤字の実需円売り

貿易赤字(年-2.2兆円)とデジタル赤字をはじめとするサービス赤字(年-4.6兆円)は、100%確実に円を売って外貨を支払う実需の円売りだ。

第一次所得収支の円買戻しが不十分なため、実需の円売り(貿易赤字+デジタル赤字+直接投資流出)が市場を圧倒し、結果として強烈な円安圧力が持続する構造ができあがっている。

3. キャピタルフライト(証券投資)に関する見立て

証券投資(BA: -4.0兆円 ➔ AA: -1.3兆円)の流出が減少傾向にある点から、金融資産の本格的なキャピタルフライト(資本逃避)はまだ起きていない。

現在起きているのは、国民や金融機関がパニックになって一斉に海外へ資産を逃がすアルゼンチン型キャピタルフライトではなく、企業構造の海外シフトに伴う実務的な直接投資流出と実需の貿易・デジタル赤字による構造的円安である。

言い換えれば、まだ家財道具(証券資産)まで持ち出されて逃げられたわけではないという意味で最後の防波堤は残っているものの、このまま国内供給力と中間層の弱体化が続けば、いずれ個人や機関投資家の証券投資流出(本格的なキャピタルフライト)へ波及するリスクを孕んでいる。

統計データは、アベノミクス以降の異次元緩和と円安誘導が、期待された『輸出数量の増加・国内産業の復活』をもたらさず、むしろ『企業の海外脱出(直接投資流出)』と『国内供給能力の崩壊(貿易・デジタル赤字)』を加速させたという歴史的事実を冷徹に証明している。

対外純資産と第一次所得収支という過去の遺産で食いつなぎながら、実体経済の実需(直接投資・デジタル)では激しく円売りが進行しているというこの国際収支の構造変化こそ、日本が今すぐ国内の供給能力と中間層の再生に舵を切らなければならない最大の根拠と言える。

 

「円安ホクホク」の罪

国際収支の構造変化(第一次所得収支への依存と直接投資の流出)を見つめた時、その発言の本質は、国家の長期的な地盤沈下を『好決算』という表面的な数字で覆い隠し、構造的な調整と国内投資から目を背けさせる最も危険な麻薬ということになる。

企業業績が過去最高を更新し、株式市場や税収が潤っているように見える現象は、国内の産業や国民が豊かになったからではなく、単に過去に海外へ持ち出した資産の価値が、円安によって水増し表示されている(円安換算効果)に過ぎない。

この構造を追認し、2040年まで放置・拡大し続けた場合、間違いなく家財道具を持ち出して逃げ出す日(本格的なキャピタルフライト)へのカウントダウンが始まるだろう。

「緊縮派」の自己撞着

一方、現在の財政緊縮派は、投機筋が引き起こすノイズに惑わされ、原因と結果を逆転させ、処方箋(政策エラー)のループに陥っている。

財務省や一部のメディア・学者が主張する「日本の財政赤字・国債膨張への懸念によって円安が起きている」という議論は、実際の国際収支や市場データと矛盾する(直近では、日本の機関投資家は長期国債の購入に動いている)。

【緊縮派の誤った診察】
 財政赤字・国債増発 ➔ 国の信用失墜 ➔ 円安発生 ➔ 「だから財政を締めろ!」

【現実の国際収支の真実】
 内需不振・低成長 ➔ 企業が国内市場に見切りをつける ➔ 直接投資(海外M&A・工場建設)で外貨へ脱出   + デジタル・貿易赤字(実需の円売り) ➔ 構造的円安の発生(財政赤字とは無関係)

現実に起きているのは企業の国内投資見送りと海外投資(直接投資)の激増だ。つまり、円安の原因は国の借金への不安などではなく、企業が国内で投資しても儲からない(利回りが低い)から、ドルに変えて海外に投資しているという、企業の合理的な経営判断の合成に過ぎない。

投機筋のノイズや表面的な円安を理由に財政を引き締めると、企業の海外投資を国が政策的に後押しする最悪の結末を招く。

【財政緊縮がもたらす悲劇のメカニズム】

 ① 緊縮財政(増税・歳出削減・インフラ/教育投資の縮小)
       │
       ▼
 ② 国民の可処分所得が減り、内需(個人消費・国内市場)がさらに冷え込む
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       ▼
 ③ 企業は日本国内に工場を建てたり、賃上げしても期待利回り(収益)が得られないと判断
       │
       ▼
 ④ 企業は留保資金や投資資金を外貨(ドル等)に変え、成長する海外市場へ投じる(直接投資流出:年間20兆円超)
       │
       ▼
 ⑤ 不可逆的・構造的な実需の円売りが加速し、さらに円安が進行する

企業の行動原理はシンプルに期待利回りだ。政府が財政を引き締め、国内市場(需要)を自ら痛めつければ、企業が国内投資を避けて海外へ資金を逃がすのは当然の帰結だ。財政緊縮派が「円安を止めるため」と称して財政を絞れば、かえって円安の真因である企業の資本流出を猛烈にアシストする。

為替市場における短期的な投機筋のキャリートレードや金利差を狙ったポジションは、あくまで表面の波(ノイズ)に過ぎない。

本質(潮流): 実体経済の需要不足と、それによる企業の対外直接投資流出(構造的円売り)

表層(波): 日米金利差やヘッジファンドの短期的なポジション操作(投機)

投機筋のノイズに右往左往し、「為替を防衛するために財政を絞る」「金利を強引に上げて内需を叩き潰す」といった本末転倒な対応をすれば、潮流そのもの(国内供給力の破綻と内需の壊滅)を悪化させ、最終的にはノイズどころではない本物の資産逃避(キャピタルフライト)を引き起こすことになる。

唯一正当な経済政策は、明確だ。

1.減税や社会保障負担の軽減によって国民の購買力を復元し、国内消費のパイを拡大すること。

2.エネルギー自給、食料安全保障、半導体・AI・インフラ再構築などの分野で政策的に需要を産み出し、国が巨額の財政投資を国内の供給能力へ直接流し込み、日本国内で投資した方が海外よりも儲かる(高利回り)という環境を作り出すこと。

企業が日本国内に投資した方が有利だと判断し、投資の国内回帰(円買い・国内流入)が始まって初めて、構造的円安の蛇口は閉まる。

財政を縮小して国民と国内市場に負担を押し付け、企業の海外逃避を加速させるという緊縮派の愚策を排し、国家主導の国内供給力投資によって企業の利回り期待を日本国内に取り戻すことこそが、為替のノイズに振り回されない、真の主権的経済を取り戻す道だ。

以上引用終わり。

Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

1962年、ウガンダのマケレレ大学で「アフリカ文学とは何か」を議論する国際会議が開かれた。主催者は英語表現による作家だけを招き、スワヒリ語作家シャバーン・ロバートやヨルバ語作家ファグンワを除外した。

アフリカ文学を定義する場から、アフリカの言語で書く作家が排除されたのである。 ケニア出身の作家グギ・ワ・ジオンゴは、この逆説を40年以上にわたって追跡し続けた。

グギの分析は、言語の二重性から出発する。言語は単なる伝達手段ではない。それは一民族の歴史・価値観・世界把握の総体を内包する「文化の担い手」である。

植民地支配はここに照準を合わせた。教室で母語を話す子どもを罰し、英語を話す子どもを賞賛する。その日々の積み重ねをグギは「文化的爆弾」と名づける。

爆弾は肉体を破壊しない。代わりに、自分たちの言語は劣り、歴史には価値がなく、外から見れば滑稽な存在だという自己否定を内面に炸裂させる。武装蜂起よりも深く、精神の宇宙を占領する兵器である。

この認識に立てば、アフリカの作家が英語やフランス語で書くことの意味は一変する。チヌア・アチェベは英語をアフリカ体験に合わせて変形させればよいと言い、ガブリエル・オカラは母語の発想を英語に移植しようとした。

しかしグギはそれを「運命的論理への屈服」と断じる。欧州言語で書くアフリカ人の文学は、真のアフリカ文学ではなく「アフロ・ヨーロッパ文学」にすぎない。それは帝国主義時代の過渡的で少数派の伝統であり、農民や労働者が守り続けてきた母語の宇宙とは断絶している。

ここまでは診断だ。だがグギは1977年、診断を実践に転じる。

ケニアの農村カミリイトゥで、農民や労働者とともにギクユ語の演劇『望むときに結婚しよう』を創作したのである。歌と踊りとマイムが一体となった舞台は、言語も内容も観客と完全に共有され、上演は共同体の祭典となった。

民衆の言語で書くこと。それは体制にとって、どんな武器より脅威だった。

劇場は公的機関によって破壊され、グギは無期限拘留される。ところが獄中で彼は、トイレットペーパーにギクユ語初の長編小説を書き始める。

口承伝統の語り技法を駆使した『十字架上の悪魔』は、出版後さらに奇妙な運命をたどった。農村部で文字の読める者が集団に朗読し、活字が再び声へと回収されていったのだ。小説が口承伝統に飲み込まれるという、欧州文学の常識ではありえない受容が起きた。

弾圧は創造を止めなかった。むしろ、母語による創造が弾圧の対象となること自体が、言語選択の政治的危険度を証明してしまった。

序文でグギは宣言する。「本書をもって英語による著作に訣別する」。世界的名声を獲得した言語を自ら手放し、農民と労働者の言葉で世界を変える側に立つという、作家生命を賭した選択だった。


書籍『Decolonising the Mind: The Politics of Language in African Literature』(『精神の脱植民地化:アフリカ文学における言語の政治』)
Ngũgĩ wa Thiong'o(グギ・ワ・ジオンゴ、ケニア出身の小説家・劇作家・批評家)

 

アメリカ大統領が「ロシア、イラン、中国、北朝鮮からなるユーラシア枢軸」と口にした。誰の入れ知恵であれ、主権と多極化を掲げる国家は自動的に覇権国の敵となる。イランは今、その最前線で血を流している。

イランの受けた打撃は計り知れない。 停戦と称した騙し討ちで、軍事・政治指導部の多くが殺害された。

米海軍の高官が「非戦闘事故」で死亡したと報じられたが、真実は戦場の霧の中だ。トランプは反グローバリズムを掲げて大統領に就任したが、公約をすべて反故にし、より攻撃的なグローバリストへと変貌した。「深層国家(ディープステート)」との戦いを誓い、伝統的価値の復活を叫んだが、実際には既存の権力構造に完全に取り込まれた。

エプスタイン文書の公開も棚上げし、熱狂的な支持者たちは深く失望した。国内での信頼は地に堕ち、イランとの交渉は株価を支えるための茶番にすぎない。

トランプは本物の詐欺師であり、いかなる合意も平然と破る。トランプは狂気のマニアックであり、その場の都合で立場をひっくり返す。イラン国民はこの本質を見抜き、もはや取引を拒否している。

イランは文明国家として、信仰に根ざした真のジハードを選んだ。約三千万人が義勇兵に志願し、最後の一人まで戦う覚悟を固めている。米軍は17人の戦死者を公表したが、実際の損害は100人をはるかに超える。トランプが思い描いた「コンピューターゲームのようにボタン一つで指導部が変わる」という幻想は完全に打ち砕かれた。

ホルムズ海峡に加え、バブ・エル・マンデブ海峡の閉鎖も現実味を帯び、湾岸諸国の淡水化プラントへの反撃は相手の経済的急所を正確に突く。ザグロス山脈の難攻不落の地形は、地上戦となれば侵略者を数十年の泥沼へ引きずり込むだろう。

イランは、声高にスローガンを叫びながら西側の操り人形に過ぎない他のイスラム諸国とは本質的に異なる。真に独立した主権国家として立ちはだかる。アッバス・アラグチ外相が述べた通り、軍事的優位を確立しない交渉は自殺行為だ。イランには「勝つか、消滅するか」の二つに一つしか残されていない。

しかし、この英雄的な孤独の戦いには致命的な欠陥がある。単独での抵抗は、持久戦で必ず限界を迎える。

トランプが最近になって口にした「ユーラシア枢軸」は、まだ実体を伴っていない。BRICSの合同演習は始まったが、NATOのような集団的自衛の拘束力も統合指揮系統も存在しない。これはユーラシア構想が未だ脆弱なスローガンに過ぎないことの証左だ。

トランプが突然この用語を使い始めたのは、ネオコンから地政学の初歩を教え込まれたからに他ならない。しかし、その言葉が示す現実は深刻だ。主権を掲げる国家は、覇権国によって自動的に敵とみなされ、包囲される。中国も北朝鮮も、イランが崩れれば次は自分たちだと理解すべきだ。

ロシア自身、ウクライナ戦争で信用できない相手との停戦協議が全く無意味だと痛感してきた。言葉だけの「戦略的パートナーシップ」に明日はない。イランの死闘はユーラシア全体に覚醒を迫るが、覚醒だけでは足りない。

このままでは、ユーラシアの独立諸国はバラバラに狩られる獲物に過ぎない。イランがどれほど勇敢でも、単独ではいずれ消耗する。その時、矛先は中国、そして北朝鮮へ向かう。ロシアも例外ではない。かつて停戦を仲介した欧州のパートナーたちも、結局は欺瞞の塊だった。信用の崩壊は完全だ。

モスクワは今こそ、相互防衛義務を明記した本格的なユーラシア防衛条約の核となるべきだ。イランの血は、全独立国家への最後の警告である。紙の上の連帯を捨て、リアルな軍事同盟だけが、野蛮な単極支配を粉砕する唯一の手段だ。


Alexander Dugin(ロシアの政治哲学者)
2026年7月24日
alexanderdugin.substack.com/p/eurasian-axis

 

NATO諸国は、もはやロシア領内への長距離攻撃を「支援」ではなく「公然と主導」している段階にある。それでも西側の分析は、ロシアの反応を過小評価し続けてきた。私が注目するのは、ここ数週間でモスクワから発せられた言葉の質が明らかに変わったという点だ。

ラブロフ外相は先週末、欧州の指導者たちを「支離滅裂」と切り捨て、アンカレッジでの対話を「偽りの外交」だったと断じた。こうした発言を単なるプロパガンダと片付けるのは簡単だが、彼は外相である前にプーチン大統領の意思を代弁する存在だ。言葉の背後には、国家としての明確な意思決定がある。

さらに注目すべきは、マリア・ザハロワ報道官がエストニアを名指しし、「NATO加盟国がロシアへのテロ行為に加担した」と表明したことだ。サンクトペテルブルクへの攻撃への関与が、ロシア側の調査で固まりつつあるのだろう。大国が小国を「テロ支援国家」と公式に断じたのだ。これに対して軍事的な「答え」を出さなければ、ロシアの抑止力は完全に瓦解する。クレムリンはその瀬戸際に立たされている。

誤解してはならない。これはプーチンという個人の短気ではなく、冷徹な安全保障論理から生じる必然だ。戦争初期、西側の武器供与はウクライナ国内での使用に限定されていた。しかし我々は段階的に「越えてはならない」線を踏み越え、高機動ロケットシステムを送り、F-16を供与し、今ではロシアの戦略縦深を叩くことを「戦争をロシアに持ち込む」と称して公言している。

ここに根本的な認識の断絶がある。西側はこれを「ウクライナ支援の延長」と見なすが、モスクワは「NATOによる代理戦争の主戦場化」としか認識していない。

ロシアにとって、欧州の兵器工場が聖域であり続ける理由はもはや存在しない。自国領土が戦場と化しているのに、敵の生産拠点を「安全地帯」として放置する軍事組織など歴史上存在しないのだ。ラブロフの言葉が以前より鋭さを増したのは、その結論にロシア指導部が達しつつある証左である。抑止力の崩壊を食い止めるには、エスカレーションの階段を自ら上る以外に道はない。彼らはすでにオレシュニクのような新型兵器を配備し、核ドクトリンさえも変更した。これらは全て、来たるべき段階への準備だ。

ボリス・ジョンソン元首相は先日、ウクライナのNATO加盟を改めて主張し、「プーチンはこれ以上エスカレーションできない」と喝破した。これは危険なまでの無理解である。ロシアがウクライナのNATO加盟を「実存的脅威」と定義している事実を無視すれば、対処できる限界はとうに超えているという幻想に陥る。実存的脅威に対し、大国が「コストが高いから降りる」という選択をした試しはない。生物は急所を突かれれば突き返す。国家も同じだ。

今、我々が立っている地点は、もはやウクライナの戦場だけの問題ではない。欧州の政治エリートたちが「ロシアの限界」を語れば語るほど、その言葉は事実から遊離し、危険な楽観論へと転化する。対話を拒否し、相手の論理を理解する努力を放棄したとき、戦争は必ず最も深い奈落へと向かう。


Judge Andrew Napolitano(司会者、元ニュージャージー州最高裁判所判事)、Prof. Glenn Diesen(地政学教授)
対談『Prof. Glenn Diesen : Will Putin Attack His NATO Tormentors?』(Judging Freedom, 2026年7月23日)

 

罰とは罪を犯した後に下されるものだ——私たちはそう教え込まれてきた。警官がいて、法廷があり、刑務所の壁があり、判決が下る。だがフリードリヒ・エンゲルスは、階級社会において罰は犯罪の前からすでに始まっている、と見抜いた。

工場で、職場で、住宅市場で、失業者の列で、そして生存の最低ラインを割り込むのではないかという絶え間ない恐怖の中で、罰はすでに作動している。それは鎖でも鉄格子でもなく、依存と不安と経済的排除によって築かれた監獄である。

資本主義的規律の巧妙さは、強制をなくすことにあるのではない。強制を、より目立たない形へと変えることにある。

労働者は鎖で縛られてはいない。法的には自由だ。だが生産的な財産を何ひとつ持たない者は、生き延びるために自分の労働力を売るほかない。

この物質的条件が課す要求は、しばしば外部からの命令と同じだけの力を持つ。経済的必要性そのものが、支配の仕組みとして働くのだ。

エンゲルスは1845年に『イングランドの労働者階級の実情』を著し、この矛盾を1世紀以上前に描き出した。彼が産業化の進んだイングランドの工業都市を歩いて見たのは、莫大な富と並んで生み出される貧困、病、過密な住環境、そして社会的混乱だった。

彼を同時代の道徳批評家と分けたのは、貧困を個人の失敗や不運の結果として解釈することを拒んだ点にある。貧困は資本主義的生産関係の構造的産物である。労働者の悲惨は、システムの外部にある欠陥ではなく、システムそのものが生み出した産物だった。

支配には力だけでは足りない。既存の秩序を正当化する説明が要る。

もし社会が、貧困は搾取と不平等な所有関係から生じると認識すれば、体制そのものの正統性が問われる。だが貧困が怠惰や判断ミス、道徳的欠如の結果だと説明されれば、社会構造は検証の対象から外れる。批判の的になるのは、その状況を生んだ制度ではなく、個人のほうだ。

その体制が生み出した苦しみは、その体制の下で苦しむ者たちに不利な証拠へと変えられていく。貧困という結果が、あたかも本人の資質を示す原因であるかのように読み替えられるのだ。

救貧院はしばしば、援助を求める者に意図的な屈辱を与える形で運営された。そこで発せられるメッセージは、依存すること自体が恥だ、というものだった。

恥を内面化した者は、同じ状況にある他者から切り離される。共通の境遇に気づき、その苦しみを生む力に集団で立ち向かう可能性は、そこで大きく削がれる。

これは今なお、最も強力な階級規律のひとつである。

制度の形は変わった。現代の労働者はビクトリア朝の救貧院に直面しはしない。だが何百万もの人々が、職を失えば医療も、住まいの安定も、経済的安全も、社会的地位も同時に失う状況で生きている。家賃を払うために過酷な労働時間を受け入れ、医療保険が雇用に紐づいているために屈辱的な条件に耐える。

このシステムは、集団的な苦しみを個人化するときに最もよく機能する。搾取に直面した労働者は、集団としての力ではなく個人の成長を考えるよう促される。貧困に直面した者は、それを生む経済関係を問うのではなく、自分自身を向上させるよう促される。

監視システム、信用スコア、アルゴリズムによる管理も、この延長線上にある。技術は社会関係から切り離されては存在しない。資本蓄積を軸に組織された社会で開発された技術は、多くの場合その優先課題に奉仕する。

問われるべきは、技術が進歩するかどうかではない。誰がその技術を握り、どんな社会的目的のために使うのか、である。

エンゲルスが残した問いは、まだ解かれていない。社会は富の蓄積を軸に組織されているのか、それとも人間の生活の向上を軸に組織されているのか。

経済的不平等が現実の生活条件を決めてしまう以上、自由は法的平等には還元できない。形式的な権利を持っていても、それを行使する実質的な手段を欠くことがある。見えない監獄は、社会がその土台となった構造そのものと正面から向き合ったときにしか、解体されない。

— William Murphy(評論家) 
記事 『The Invisible Prison: Engels, Social Punishment, and the Hidden Mechanics of Class Discipline』(見えない監獄:エンゲルス、社会的処罰、そして階級規律の隠された仕組み)
futuredude.substack.com/p/the-invisibl…

 

森林散歩に440万円罰金、退役軍人が挑んだ緑の全体主義

私がカナダで30秒間、森の茂みを歩いたことで、州政府から2万8,872ドル50セントもの罰金を科せられた。これは単なる珍事ではない。気候変動対策という錦の御旗のもとで、いかに容易く基本的人権が停止されるかを示す、極めて危険な前例だった。

ことの発端は、2023年に州政府が発した「森林立ち入り禁止令」に遡る。大規模な山火事を受けてのことだったが、私が住むケープブレトン島には一切の火の手は上がっていない。にもかかわらず、当局は州全域の森林を封鎖し、ハイキングどころか散歩すら犯罪行為に変えたのだ。

この理不尽を法廷で争おうとした私に、裁判官は「実際に罰金を科されなければ当事者適格はない」と言い放った。そこで2025年、私は文字通り、罰金を科されるために森へ足を踏み入れた。州の天然資源局へ自ら出向き、職員立ち会いのもとで茂みを30秒ほど歩き、望み通りの罰金切符を受け取ったのである。

私は退役軍人だ。20年間、カナダ軍の電子技術専門官としてアフガニスタンやイラクにも派遣された。自由と法治国家のために働いてきた私にとって、この措置は到底看過できるものではなかった。

ありがたいことに、憲法擁護団体がこの闘争を支えてくれた。迎えた4日間の法廷闘争で、政府側の論理は驚くほど脆かった。彼らは「我々の憲章が保障する『移動の自由』は、社会の中で自由に動き回る権利を意味しない」と書面で主張したのだ。800年前のマグナ・カルタ以来守られてきた自由を、火事の言い訳で否定しようというのである。裁判官はこの主張を退け、僅か17ページの判決文で私たちの完全勝訴を宣言した。

一見すると、これは個人が理不尽な行政に勝利した痛快な物語だろう。

しかし、ここで視野を狭めてはならない。これは特異な事件ではなく、世界的に進行する統治手法の氷山の一角である。COVID-19パンデミックの際、私たちは「公衆衛生」の名のもとに外出制限やワクチン・パスポートを受け入れた。その異常な「慣れ」こそが、次の段階への地ならしだったと私は確信している。

今度は「気候危機」が、内燃機関への制限やエネルギーの配給制、そして今回の森林封鎖のような移動の自由の制限を「やむを得ないもの」として社会に受容させるための大義名分になっているのだ。

私の事件も、単に気難しい退役軍人が騒いだ話で終わらせてはいけない。これは、国家が非常事態を恣意的に定義し、その都度、市民の自由を無効化していく危険なガバナンスの形である。

私たちは今、自然との健全な関わりすらも「規制」されかねない地点に立っている。私が起こしたこの訴訟は、国家による「緑の外套をまとった権力の濫用」を憲法の砦で食い止めた小さな戦いに過ぎない。

だが、次にあなたの街で「緊急事態」が宣言されたとき、その措置は本当に目の前の危機のためだけのものか、それとも自由を手放すための新たなステップなのか。その問いを、私の30秒の違法散歩は投げかけている。


Hrvoje Morić(ポッドキャストホスト)、Jeff Evely(退役カナダ軍人)
対談 『Geopolitics & Empire』:Jeff Evely: The Unholy Trinity of Covid-Climate Lockdowns & Trans Ideology(非聖なる三位一体――新型コロナ気候ロックダウンとトランスジェンダー・イデオロギー)

 

カナダからパラグアイへ──「機能しない政府」が自由を守るという逆説

私のコンサルティング会社で今、顧客の50〜60%を占めるのがカナダ人だ。カナダの人口は米国の10分の1にすぎないのに、である。生まれ育った母国を愛し、移住など考えたこともなかった人々が、いま国外脱出に動いている。

膨れ上がる税金、54%に達する累進課税の最高税率、そして医療介助死制度(MAID)による事実上の安楽死拡大。これらが重なり、もはや住み続ける価値を見いだせなくなったのだ。数十億ドル規模の資本逃避と並行して、知的労働者層の頭脳流出も加速している。

同じ現象は欧州連合(EU)でも起きている。ドイツでは成人男性が3か月以上出国する際に書面許可を義務づける動きがあり、ロシアとの戦争に備えた徴兵制の布石と見られている。にもかかわらず、多くの欧州人は「欧州にしがみつく」傾向が強い。モナコで月額24万ユーロ(約3800万円)の賃貸住宅を見たとき、私は思わず「中南米ならその10分の1以下で済むのに」と苦笑した。

一方、ラテンアメリカでは潮目が変わっている。コロンビアは4年間の急進的左派政権を経て右派政権に戻り、ここ数週間で通貨が16〜17%上昇、数十億ドル単位の投資が流入した。パラグアイは国土が完全に食料・水を自給し、イタイプダムの水力発電で電気代はほぼ無料。首都の新築ワンベッドルームなら6万ドル程度、ペントハウスでも20万ドルだ。さらに固定資産税は年数百ドル、一括前納なら10〜25%割引される。

私がパナマを生活拠点に選んだのは、「できるだけ無能な政府がいい」と気づいたからだ。米国のように紙幣を刷り続け、監視システムを拡張し、無限の予算で市民を追い詰める政府には勝てない。ところが中南米の政府は徴税能力も行政執行力も低く、国民を締め上げるだけの体力がない。まさに「機能不全」が、こちら側の自由を担保している。

もう一歩踏み込もう。私は中東のアラブ首長国連邦で8年暮らした後、米軍の艦隊集結を目の当たりにして、地政学的リスクから家族を連れて脱出した。今はパナマを軸に複数のパスポートと居住権を確保し、有事の際は24時間で移動できる態勢を整えている。この「プランB、C、D」の積み重ねが、資産と生命を守る最後の砦になる。

最初の一歩は驚くほど小さくてよい。

まず海外の銀行口座を開き、少額でも入金し、デビットカードを手に入れる。次に、実際に長期滞在できる第二の居住権をどこかの国で取得する。そして可能なら、小さな賃貸用物件を購入し、短期賃貸に回して管理費を賄う。パラグアイの6万ドルのアパートなら固定資産税も保険料も微々たるものだ。

これらの手配は、思い立った今すぐ始めるに越したことはない。各政府の規制が日々厳しくなるなか、選択肢が永遠にある保証はどこにもないからだ。


Mikkel Thorup(expatmoney.com創業者・CEO)、Geopolitics & Empire(ポッドキャスト司会者)
対談 『Mikkel Thorup: Americas Rising & Plan-B Internationalization Amidst the Chaos』(ミケル・ソープ:台頭する南北アメリカと混乱の中でのプランB国際化)

 

私たちはなぜ、こんなに孤独なんだろう

都会のマンションでスマホを眺め、郊外のリビングでネット配信を流す。家族以外とほとんど口をきかない週末が、当たり前になっている。あなたはそれを、自分が社交的でないからだと思うかもしれない。だがレイ・オールデンバーグは言う。問題は あなたの性格ではない。物理的な「場」が消えたことにあるのだ、と。

1989年に刊行された『素晴らしき第三の場所』が診断したのは、戦後アメリカから急速に失われた「第三の場所」の不在だった。

家庭(第一の場所)でも職場(第二の場所)でもない、気軽に立ち寄れて、誰とでも雑談できる公共のたまり場。カフェ、パブ、書店、床屋、街角のベンチ。そうした空間が、実は民主主義と精神衛生の基盤だった。

「第三の場所」には、八つの共通特性があるとオールデンバーグは整理する。

最も重要なのは「中立地帯」であることだ。そこでは誰もホストでもゲストでもなく、社会的地位が一時的に無効になる。会話が主役で、冗談と知的遊戯が飛び交い、出入りは自由。常連たちが場の空気をつくり、派手さのない内装がくつろぎを誘う。要するに、何の目的もなく行けて、誰でも受け入れられる場所である。

こうした場がもたらす利益は、個人の精神衛生にとどまらない。オールデンバーグは第三の場所を「心のビタミン」と呼ぶ。新奇な出会いが日常に刺激を与え、家庭や仕事の重圧をユーモアで相対化する。

さらに重要なのは、「第三の場所」が民主主義のインフラだということだ。

17世紀ロンドンのコーヒーハウスは「1ペニー大学」と称され、身分を超えた討論が政治意識を育んだ。アメリカ独立の火種も、タバーンやコーヒーハウスで燻っていた。気軽な会話の積み重ねが、社会を動かす意見を形づくるのである。

ところが戦後アメリカは、このインフラを組織的に破壊した。

郊外化と自動車前提の都市設計が、歩いて行けるたまり場を物理的に消し去った。ゾーニング規制が住宅地から商空間を切り離し、巨大チェーン店が没個性的な消費空間で街を均した。人々は家庭と車と職場を往復するだけになり、顔見知りと偶然出会う余地が奪われた。オールデンバーグはこれを「ブロイラーハウス社会」と呼ぶ。管理された檻の中で、受動的に生きるしかない人間の群れだ。

だが、ここで前提を裏返す事実がある。フランスには、第三の場所を支える環境がいまだに残っている。歩道に張り出したカフェのテラス席、長時間の滞在を許す店の寛容さ、低家賃で移動を抑える政策。フランスはオールデンバーグの目には「生活水準より生活様式を優先した社会」と映る。孤独は不可避の宿命ではなく、設計の結果なのだ。

この本が最終的に訴えるのは「いまのままでいいはずがない(This need not be so)」という確信である。

人には共同体を求める本能があり、環境がその本能を押さえ込んでいるにすぎない。徒歩圏に日常の集い場を再配置すること。個人で自分を変えようとするより、場を共同で取り戻すこと。オールデンバーグの提案は、都市計画というより人間関係の設計思想そのものだ。

問題は心の弱さではなく、「街の設計」にある。


書籍 『The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, and Other Hangouts from the Heart of Community』(『素晴らしき第三の場所:カフェ、コーヒーショップ、書店、バー、そしてコミュニティの心臓部としてのたまり場』)
Ray Oldenburg(フロリダ大学ウェスト校社会学教授、都市社会学)

 

イラン戦争、最も危険な局面が始まった

イラン周辺での戦闘激化を受け、多くの人々は軍事的な衝突の拡大を懸念している。だが、本当に恐ろしいのは戦場での死者数ではない。世界経済の心臓部が止まる瞬間が、いま現実のものとなろうとしている。

ホルムズ海峡は、世界の石油と液化天然ガスの大動脈だ。この狭窄した水路が封鎖されれば、エネルギー価格は暴騰し、食料や工業製品のサプライチェーンが寸断される。それは単なる地域紛争ではなく、グローバルな生活基盤を直撃する危機である。

米国はイランへの圧力を強め、湾岸諸国にも基地使用や協力を迫っている。しかし、私が見る限り、ワシントンには明確な戦略がない。イランを追い詰めれば屈服するという前提そのものが、根拠のない思い込みなのだ。

彼らはイランが簡単に折れると考えている。

実際には、イランは中国やロシアとの連携を深め、すでに「戦時経済」と呼べる持久体制に入っている。制裁下でも物資と資金の流れは完全には止まらず、国内の生産基盤はむしろ強化されている。短期決戦を想定した米国の計算は、根本から狂っている。

かつて戦争は、国境線を塗り替えるものだった。いま戦場となっているのは海上輸送路であり、標的は一般市民の日常生活そのものである。前線を持たない経済戦争というこの構造こそが、今回の局面を最も危険なものにしている。

湾岸諸国への圧力が高まるなか、イランが直接イスラエルを攻撃しないのは、全面戦争への拡大を避ける戦略的判断だ。しかし米国がインフラや通商路への干渉をエスカレートさせれば、その自制も限界を迎える。ホルムズ海峡の封鎖は、イランにとって最後の切り札であり、同時に世界経済にとっては致命的な一撃となる。

問題は、米国にその連鎖を読み切る力が欠けていることだ。場当たり的な制裁と軍事的圧力は、相手の屈服ではなく、追い詰められた反撃を誘発する。交渉の糸口を自ら断ち、対話よりも威嚇を選ぶ姿勢が、危機を深部へと押し進めている。

封鎖が現実になれば、先進国も新興国も等しく物価高騰と供給不安に見舞われる。そしてその代償は、戦場から遠く離れた場所で、最も弱い立場の人々にのしかかる。米国が戦略なきまま進むほど、世界は取り返しのつかない地点へと近づいていく。

私たちが当たり前のように享受している生活の基盤そのものが、いま戦場になりつつある。


Seyed Mohammad Marandi(テヘラン大学教授)、Pascal Lottaz(Neutrality Studies ホスト)
対談 『🚨 Most DANGEROUS Phase Of Iran War Has Just Begun | Prof. S. M. Marandi』(イラン戦争、最も危険な局面が始まった)

 

米国が仕掛けた対中チップ制裁は、皮肉にも中国を潤し、米国自身のAIバブルを支えさせている

先月から先々月にかけ、米国の対中輸入が30%から40%という驚異的な伸びを示した。その中身の大半は電子部品と、米国のAIインフラ整備に欠かせない中間財である。 米国が自ら仕掛けた半導体規制のさなか、中国製品への依存度はむしろ跳ね上がった。この数字は、米中経済のねじれた実態を静かに映し出している。

イラン戦争の激化は、中東に巨額を投じる米国のAI建設計画を根底から揺るがしている。サウジアラビアやUAEにデータセンターを建設する構想は、ミサイルが飛び交う戦場ではもはや絵に描いた餅だ。石油価格の上昇は米国の発電コストを直撃し、戦略石油備蓄は驚くべき速度で底をつき始めた。AI景気にGDPの2%超を依存する米国経済にとって、この戦争は計算外の致命傷になりつつある。

問題はそれだけではない。米国が中国から吸い上げた部品でAI投資を膨らませれば膨らませるほど、中国には莫大な貿易黒字が積み上がる。その資金は、中国が自国のAI競争力に再投資する原資へと姿を変えるのだ。

中国は今後5年間で約2900億ドルをAI競争に振り向ける方針を固めている。年平均に直せば約600億ドルだが、購買力平価で換算すれば実質的な投下資本の効率は米国の2倍から3倍に達する。この投資計画には決定的な条項が組み込まれている。必要資材の80%を中国国内企業から調達するという内需ロックインだ。

Huaweiのチップ折り畳み技術、CXMTの国産メモリ。そのすべてが、中国内部で完結する循環経済を形成し始めている。米国勢が得るはずだった半導体市場の40%から60%は、この瞬間も音を立てて縮んでいる。

米国が中国の技術的封じ込めを狙って仕掛けた制裁は、中国に「買えないなら創るしかない」という強烈な動機を与えた。その結果、米国は自国AIの生命線を中国製部品に委ね、さらにその支払いで中国の自立を加速させるという自己矛盾に陥っている。封じ込めという原因が、封じ込められる側の強化という結果を生み、その結果が再び封じ込めようとする側を弱める。この循環はすでに制御不能だ。

通貨の風景も静かに塗り替わっている。中国は毎月のように米国債を手放し、人民元の国際化へ舵を切る。全貿易の50%から60%はすでに元建て決済へ移行しており、残るドル依存も時間の問題だ。米国が年率6%から8%で通貨供給量を膨らませる以上、ドル建て資産の保有は目減りを待つだけの危険な賭けに等しい。中国が近く上海での金先物取引を改革し、実物資産としての金の受け皿を整備する動きも、この流れを加速させるだろう。

イラン戦争の1日あたりのコストは5000億ドルから1兆ドルに迫る。米国が戦争を続ける限り、財政赤字は膨張し、ドルの信認は削られ、AIバブルへの資金流入だけが株価を支える異常事態が続く。しかしそのバブルも、中国の供給網と中東の安定なくしては成立しえない。米国が「最強の経済」と自賛するほど、その足元では依存構造が重く横たわっている。

同盟国の迷走も深刻だ。米国はイラン戦線へ対空ミサイルを回すため、韓国や日本の防衛網から装備を引き抜いている。韓国は動揺し、日本は1兆ドルの米国債を抱えたまま身動きが取れない。彼らは「トランプ後」に望みを託すが、問題は個人の指導者ではなく、持続不可能な経済構造そのものだ。

最後に突きつけられるのは、「覇権国」という言葉の定義そのものが音を立てて崩れる光景である。制裁を仕掛けた側が制裁の網に絡まり、戦争で敵を弱らせるはずが自らの足を撃ち抜く。覇権とは何かを再定義せざるを得ない時代が、すでに始まっている。


Sean Foo(金融アナリスト、中国専門家)、Glenn Diesen(国際政治経済学者、Glenn Diesen Clipsホスト)
対談『Sean Foo: Iran War Is Destroying the U.S.』(「Sean Foo:イラン戦争が米国を破壊している」)

 

1972年5月30日、イスラエルのロッド空港で乱射事件が起きた。実行犯3人を含め26人が死亡し、実行犯として生き残った日本人はただ一人だった。その男が、鹿児島大学の学生・岡本公三だった。しかし、彼の名前が公になる前、既にその正体を掴んでいた一人の記者がいた。フリージャーナリストの鳥越俊太郎である。

鳥越が大阪府警の記者クラブにいた当時、事件の実行犯の兄がよど号グループに関与しているという未確認情報を掴んだ。彼は直ちに各大学へ電話をかけ、学籍簿を洗った。そこで浮かび上がったのが「岡本」という名字だった。さらに役場で自宅まで調べ上げ、事件との接点を突き止めたのだ。

当時の鳥越は、夕刊にこの情報を流せば特大スクープになるという確信を持っていた。しかし、上司が発表をためらう間に時機を逸し、結局は警察庁の公式発表で名前が出るという、記者として無念の結果に終わっている。

この岡本公三という人物は、一地方紙の記者による別の記録からも、事件以前の足取りが浮かび上がる。ISF副編集長の梶山天が鹿児島赴任時に取材した質屋の店主は、事件の1年前、学生だった岡本がトランジスタラジオを質入れに来たことを鮮明に覚えていた。店主が「苦学生だろう」と相場より高く金を貸した際に押させた拇印が、後に犯罪の物的証拠として残ることになる。凶行の裏にあったのは、貧しさの中で行き場を失った一人の若者の姿だった。

問題は、この事件が中東の歴史的文脈の中でどう位置づけられるか、である。鳥越は岡本がレバノンの難民キャンプに潜伏中、2度にわたって直接対面した。キャンプ内で岡本は、パレスチナの民衆から「英雄」として熱狂的に迎えられていた。イスラエルに土地を奪われ、難民として追いやられた人々にとって、自分たちのために命を懸けた岡本は、まさに救いの象徴だったのである。しかし、鳥越の目に映った岡本は、獄中での拷問により人格を破壊され、無表情でぽつりぽつりと話すだけの抜け殻のような男だった。

メディアはこれを単なるテロリストの犯行として消費してきた。だが、ここには近代国家が生み出したパレスチナ難民という巨大な矛盾と、その矛盾に自らを投げ出した日本人青年の悲劇が重なっている。

中東の火種が消えない限り、この構図は形を変えて繰り返される。 


動画『岡本公三とロッド空港乱射事件』より再構性。
鳥越俊太郎(フリージャーナリスト)、木村朗(ISF独立言論フォーラム編集長)、梶山天(ISF独立言論フォーラム副編集長)
 isfweb.org/post-15093/

 

ロシアの報復でオデッサ港完全停止、ウクライナ経済の致命傷に

先週、ウクライナのオデッサ港から突然、船が消えた。船舶の入港が完全に停止したのだ。農政政策・食料大臣タラス・ヴィソツキーは「政府が制限をかけたわけではない。船主たちが自ら判断した」と述べた。 前日まで4〜5隻が入港していたのに、この急変だ。

ロシア軍の攻撃が港の物流拠点を直撃している。税関・検査・コンテナ荷役を担うユーロターミナルが破壊され、周辺の石油貯蔵施設も被害を受けた。大手海運マースクはオデッサでの事業を停止し、ルーマニアのコンスタンツァ港へルートを変更した。

ウクライナの外相アンドリー・シビハは、ロシアが経済を「人質にした」と国連安保理の緊急会合を要請したが、現場は動かない。ウクライナは7月27日にも安保理を招集するが、外交的解決の見通しは立っていない。穀物輸出は陸路やドナウ川の河川港へ振り替えようとしているが、鉄道の輸送力は月100万〜120万トンに過ぎない。必要なのは500万〜600万トンだ。

軍事情報筋「ツー・メジャーズ」によれば、チョップやウジホロドなど西部国境の駅で広軌から欧州軌間への積み替えが行われ、ドナウ川のイズマイル、ルーマニアのコンスタンツァ、モルドバのジュルジュレシュティ港も活用される見込みだ。だが、これらの陸路・河川ルートを総動員しても、月間の処理能力は100万〜120万トンが限界で、必要量の5分の1にも満たない。

ロシア側は、オデッサ港への攻撃が敵と西側諸国の真の弱点を突いたと分析し、さらなる圧力強化を示唆している。

しかも、ヨーロッパの業界団体によれば、今年6月の熱波でEU域内の穀物生産は約900万トン減少したと推定される。ウクライナ産農産物への依存度が高まる中での輸出停止は、キエフだけでなく欧州各国にも打撃を与える。欧州の穀物相場はすでに上昇しており、供給不安が食料インフレに拍車をかける構図だ。

つまり、ロシアの海上封鎖は単なる局地的打撃ではなく、ウクライナ経済の生命線を断ち切る致命傷となった。政府はもはや船主たちに安全を保証できず、輸出再開の目処は立っていない。

元国立銀行総裁キリロ・シェフチェンコはSNSで「ウクライナは深海穀物輸出回廊を事実上失った。主要トレーダーは黒海での買い付けを停止し、船主は不可抗力条項を理由に入港を拒否、複数のターミナルが操業を停止している」と嘆いた。まさにその通りの現実だ。

ところが、この経済的窮地の裏で、ウクライナはロシアのネット通販大手ウィルドベリーズの倉庫を狙ったドローン攻撃を繰り返し、すでに3か所目を炎上させた。ゼレンスキー政権はこれを「戦果」と喧伝するが、その同じ日、オデッサ港では船舶の入港が止まっていた。ロシアが仕掛けたのは、倉庫一軒ではなく、経済の大動脈そのものを止める報復だった。

この攻撃目標の移り変わり自体が、ウクライナの戦略的袋小路を示している。もともとウクライナはロシアの製油所への長距離攻撃を仕掛けていたが、その成果は乏しかった。ロシアの通信社コメルサントによれば、総処理能力約4000万トン相当の製油所がすでに修理を終えて稼働を再開し、石油・ガス収入は前年比60%増、ブレント原油は1バレル100ドルを突破した。ロイター通信によれば、ロシアの海上原油輸出は日量416万バレルと過去最高水準で、週間輸出額は15億4000万ドルに達する。製油所攻撃は結局、ロシア経済にほとんど打撃を与えられなかったのだ。

さらに、プーチン大統領も前日、国内の燃料事情が改善したと発表し、製油所攻撃がほぼ無効化されたことを自ら認める形となった。

つまるところ、製油所攻撃は期待した効果を生まず、ロシア経済に大した傷を与えられなかった。そこでゼレンスキー政権が狙いを変えたのが、国民生活に直結する小売倉庫だ。安上がりなドローンで火を放ち、ロシア国内の不満を煽ろうという算段である。

しかし皮肉なことに、この戦術は逆効果を生んでいる。これはもはや戦場での勝敗だけを争う段階ではない。ウクライナの外相経験者クレーバが「戦争は完全な総力戦の段階に入った」と語る中、ロシア側も遠慮を失い、経済インフラへの報復に踏み切った。戦火はもはや前線だけではなく、両国の物流網と国民生活を焼き尽くしている。ウクライナが民需を狙えば狙うほど、ロシア国内の怒りは増幅し、国民の支持はかえって強固になる。

戦争が長引けば、追い込まれた側がルール無用の応酬に踏み切るのは歴史の常だ。ウクライナは今まさにその段階に足を踏み入れている。

倉庫を三つ燃やしても、港が封鎖されれば国家の経済は死ぬ。ウクライナが必死に放つ残り少ないカードは、自らの首を絞める結果に終わっている。この悲惨な非対称性こそが、消耗戦の冷酷な実態だ。


Simplicius(地政学アナリスト、Simplicius’s Garden of Knowledge主筆)
記事 『Ukraine Bafflingly Battles Warehouse Chain as Russia Pulls Plug on Port Odessa』(ウクライナ、戸惑いながら倉庫チェーンと戦う中、ロシアがオデッサ港を停止)

 

日本赤軍はなぜテルアビブ空港で26人を殺したのか——岡本公三の「革命観」が問いかけるもの

1972年5月30日、イスラエルのロッド空港で三人の日本人学生がサブマシンガンと手榴弾で乱射し、26人の無関係な民間人を殺害した。死者のうち17人はプエルトリコから巡礼に来ていたキリスト教徒だった。 この事件を起こしたのが日本赤軍派の岡本公三であり、彼はただ一人生き残ってイスラエル軍に捕まった。

私は数カ月後にイスラエルの拘置所で岡本と面会し、彼が何を考え、どういう経緯でテルアビブの空港に立ったのかを聞いた。彼は「革命のために戦いたい」と語った。だがその言葉の裏にある論理は、西欧的な正義感や非暴力の倫理とはまったく異なる場所に根差していた。

岡本が所属した赤軍派は、トロツキーの世界同時革命論を掲げ、暴力によるブルジョワジーの打倒を主張する組織だった。彼らはデモの効果に限界を感じ、より劇的な武力行動によって支持者を拡大できると考えた。その発想は、少数の勇敢な労働者のストライキがやがてゼネストへと発展するという、古いサンディカリスムの思想に通じるものがある。

だが岡本はその組織においても異質な存在だった。彼は鹿児島大学の農学部に在籍しながら、赤軍派の定例会合に出席したことはほとんどない。彼の兄が1970年に飛行機を北朝鮮へハイジャックした事件をきっかけに、赤軍派と接触を持ったにすぎなかった。彼は理論闘争の細かな議論には関心を示さず、「革命家になる」というロマンそのものに惹かれていた。

岡本の父親は元小学校長で、退職後も社会福祉に携わる人物だった。彼は二人の息子がテロ事件を起こした後、自ら公職を辞し、「社会の側に原因がある」と語った。家族を恥じるどころか、息子たちの行動を社会構造の問題として引き受けたのである。この家族の反応は、日本人の共同体意識や責任の引き受け方を象徴しているように思える。

岡本は1971年秋、赤軍派からベイルートへ来るよう誘いを受けた。「兄に会えるし、ゲリラ訓練も受けられる」という内容だった。彼はすぐに承諾した。実際には兄には会えなかったが、それでも彼はパレスチナ解放人民戦線の訓練キャンプで武器の扱いを学んだ。訓練の最終週になって初めて、彼はテルアビブ空港襲撃計画を知らされた。計画はすでに決定事項であり、彼は「戦士として命令を受けた」と語った。

襲撃当日、彼らはローマからテルアビブへ向かい、チェックイン荷物に自動小銃と手榴弾を隠し持った。到着後、手荷物受取所で銃を取り出し、群衆に向けて発砲した。岡本自身も手榴弾を投げたが、仲間が顔を潰して死んだのに対し、彼は無傷で捕まった。彼は自らの死を準備し、偽造パスポートから自分の写真を剥がしていた。それでも死ねなかった。

裁判で岡本は自らの罪を認め、死刑を望んだ。弁護人は「精神鑑定を」と提案したが、岡本は法廷で「私は正常だ」と宣言した。彼は裁判を革命宣伝の場と見なし、世界革命の理論を語り、次のように述べた。「私は子供の頃、人は死ぬと星になると言われた。私たち赤軍兵士は死んでオリオン座になりたかった。殺した人々も同じ星空の星になる。革命が進めば、星はどれほど増えるだろう」

この発言には、西洋人の感覚にはなじまない死生観がある。日本の仏教的な伝統では、個人の死は終わりではなく連続の一部であり、集団のために死ぬことが個人の名誉と結びつく。岡本は三島由紀夫の自決を敬愛し、イデオロギーの違いはあれ、「志のために死ぬこと」の感情は同じだと言った。彼はまた、自分が革命の道具として殺した人々をも「自然現象のように」捉えている。空港の虐殺を、誰かが意志して起こしたのではなく、革命という気象現象の一環と見なす。そこには犯意や憎悪はなく、ただ歴史の必然があるだけだ。

岡本はイスラエルの尋問で、当初は偽証を重ねたが、やがて自らの罪を詳細に語り始めた。死刑を確実にするためだった。しかしイスラエルの軍事法廷は、緊急規則に基づき政治テロとして審理し、最終的に終身刑を宣告した。彼は「生き残ったことが最も重い罰だ」とも述べた。

彼は最後にこう言った。「革命が正しかったかどうかは、歴史が判断する」。この言葉は、現代の暴力の構造を考える上で看過できない問いを含む。正当性を未来に先送りにすることで、現在の犠牲のすべてを免罪する論理。それは岡本個人の特異な思想ではなく、多くの過激派が共有する思考の枠組みである。

岡本が描いた「革命」は具体的なビジョンを欠いていた。彼は「革命後の世界がどうなるか、それが一番難しい質問だ」と笑った。つまり、破壊の先の設計図はなく、ただ既存秩序の転覆それ自体が目的化されていた。このような考えは、19世紀のアナキズムに近い。何を目指すかよりも、何を壊すかが先立ち、その手段は無限定に許容される。

彼の口から出た「星」のイメージは、死を美化し、犠牲を普遍化する強力な装置だった。殺し、殺されることが、等しく宇宙的な現象へと昇華される。そこには責任も償いもない。ただ革命のプロセスがすべてを飲み込む。

岡本公三は特殊な狂人ではない。彼は普通の家庭に生まれ、社会問題に素直に心を動かされ、理想に憧れた青年だった。その青年がどのようにして無差別殺人に至る思考を身につけたのか。その過程を追うことは、私たち自身の倫理的前提を問い直すことでもある。私たちが当たり前と思っている「正義」や「平和」の枠組みは、岡本の論理の前でどれほど有効か。それとも彼の論理は、私たちの社会がつくり出した亀裂の産物にすぎないのか。

研究論文 『Portrait of a Terrorist: An Interview with Kozo Okamoto』(『テロリストの肖像——岡本公三インタビュー』)1976年
Patricia G. Steinhoff(パトリシア・G・スタインホフ、当時ハワイ大学社会学教授)
jstor.org/stable/2643244

以上引用終わり。会費要員、養分、人柱、等々選択自由である。どうも有り難うございました。

 

 

 

本日のベストスリー7月23日

三位 ぐるはナイそんな顔した連中の利益相反からの爆益

 

二位 補助金の投入有りか無しかこそボーナス有無に完全比例

 

一位 ぐるばかり仲間内には回しても一般市民に全く来ナイ

 

今日のお題は、ぐるナイ、昨日はさんま御殿であった。ぐるの連中の勢力が強力であれば、デメリットもベネフィットに呑まれてしまう。効果有りの情報ばかり流布されそんなものにオツムが占拠されるからである。占拠する方が問題だが、される方のオツムも相当なものである。私の見立てはほぼ手遅れ。特大の痛手が唯一の治療法である。生か死か。死ぬ目を見ても生き残れば、勉強になったと言えるのだが、、、。

 

本日のベターツイートは、漢方内科松本医院氏のもの。以下引用開始。

マスク真理教、ワクチン真理教、抗生剤真理教、ウイルス真理教、病原体真理教・・・。

感染症や公衆衛生の分野だけに限っても、これだけの宗教信仰が求められるんですよね。

もちろん他の医療分野にも、同様の宗教派閥はたくさんあります。

健康診断真理教(早期発見真理教)、検査真理教、コレステロール真理教、ステロイド真理教、遺伝子真理教、など、挙げればキリがありません。

糖質悪玉真理教やオメガ3善玉真理教などの新興宗教もあります。

その大元である「現代医療教」の洗脳の深さは、もはや解くことが非常に困難です。

医療者としてやるべきことは、故高橋晄正先生が述べておられたように、一旦は自らを全否定し、真に医療が仁術であるためにどうするべきか?を一人一人が考えることです。

それしか、我々にできることはありません。

以上引用終わり。

Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

慢性疾患の95%はワクチンが原因である

私たちは慢性病の原因を「わからない、あるいはすべてだ」と説明されてきた。カリフォルニアではコーヒーカップにもクルミの袋にも発がん性警告が貼られている。あたかもがんはどこにでも潜み、何歳で発症しても不思議ではないかのように。しかしそれは 壮大な嘘だと私は確信している。元製薬R&Dの研究者として、真実は別にあると断言できる。

鍵はアナフィラキシーにある。1913年にノーベル賞を受賞したシャルル・リシェは、極めて無害な食品タンパク質でも血流に直接注入すれば致死的反応を引き起こすことを発見した。2回目の注射で身体は暴走する。このメカニズムは今日の医学教育ではほぼ教えられていないが、ワクチンの多回接種スケジュールと完全に一致する。1回目でアナフィラキシー状態が準備され、3週間後の2回目で反応が顕在化するのだ。

反応は劇的なショックだけではない。軽度の発疹から始まり、腸管に慢性的な炎症を起こす。外来タンパク質への暴露が腸壁を破壊し、リーキーガット、自己免疫疾患、そしてアレルギーへと連鎖する。

製薬業界の前臨床研究では、まさにこの原理でマウスに確実にがんを誘発している。新生児や妊娠マウスへの注射が最初の一撃であり、その後、高脂肪食やエタノールで発症を加速させる。

ワクチン接種は、がん研究において最も信頼性の高い発がん手法として確立されているのだ。

では、食品や化学物質は無害なのか。そうではない。イタリアの大規模研究では、生涯にわたり規制値の100倍のグリホサートを摂取し続けても、ラットの発がんリスクはわずか4%上昇するにすぎなかった。

問題の本質は「組み合わせ」と「順序」である。最初に注射で免疫系を破壊し、その後に環境因子が追い打ちをかける。逆は極めて起こりにくい。

この構造を完璧に示す調査がある。米国で1,500人以上の完全未接種者を追跡した「コントロールグループ」研究だ。全年齢を通じた慢性疾患の発生率はわずか2.64%だった。注意欠陥多動性障害(ADHD)、がん、糖尿病、心臓病は、未接種群ではほぼゼロである。対する一般人口の慢性疾患率は40%を優に超える。

ワクチンが全慢性疾患の95%以上を生み出しているという計算になる。

合成mRNAに使われる化学物質のリストをChatGPTから引き出したことがある。可燃性物質、腐食性物質、強塩基、酸化剤、過酸化物形成物質、ハロゲン系溶媒、そしてタンパク質変性剤。これらは生命と一切相容れない。写真フィルムの化学合成で培った工場が、今や「遺伝子治療薬」の製造拠点になっている事実をどう捉えるべきか。

製薬業界は「まれな反応」「遺伝子のせい」と言い続けるだろう。しかし90回以上も注射を繰り返せば、確率論的に誰もが損傷から逃れられない。

ワクチンは慢性疾患という収穫のための「種まき」装置であり、その後に続くがん治療産業が刈り取る。あなたの生活習慣の乱れは、既に壊された土壌の上で起きているにすぎない。


Sasha Latypova(元製薬R&D研究者)
講演『How to Reliably Cause Cancer in Mice, or What Really Drives the Chronic Disease Epidemic?』
Health and Wellness Summit(2026年3月22日、ニューヨーク州ロチェスター)

 

ロシアの「領土獲得」は勝利の証なのか

グレン・ディーセン氏との対談で、私は一見すると奇妙に響くかもしれない事実を提示した。ロシアが特別軍事作戦で併合した四州のひとつ、ヘルソン州の知事が「州はもはや居住不可能だ」と公言したのである。 これは私が参加したロシア外務省主催の国際電話会議でのことだ。

知事は、連日のウクライナ軍のドローン攻撃で電気が途絶え、住民が道路に撒かれた地雷を恐れて買い物にも行けない現状を詳細に語った。ロシアが「解放」したはずの地域が、である。

この証言は、ロシアが戦争に勝利しつつあるという一般的な見方に根本的な疑問を投げかける。

なるほどロシア軍はドンバスで前進を続け、ルガンスク州全域とドネツク州の約75%を掌握している。だが、こうした領土の獲得は、ピュロスの勝利に過ぎないのではないか。プーチン大統領が2022年2月に掲げた軍事作戦の目標——ウクライナの非軍事化・非ナチ化、中立化——はいまだ達成されていない。それどころか、ウクライナによるロシア領土深部への攻撃は激しさを増し、ロシアの抑止力はかつてなく損なわれている。

私が重視するのは、クレムリンやキエフのプロパガンダではなく、ロシア国内の信頼できる情報源だ。ヤンデックス系のニュース・アグリゲーター「Zen」を毎朝確認すると、クリミアや国境地帯で何が起きているかが嫌でも目に入る。

長年の友人であるサンクトペテルブルクのジャーナリスト夫婦は、1995年にわずか100ドルで購入したクリミア東岸フェオドシヤの小屋で毎夏を過ごしてきた。しかし今年は違った。ガソリンが何週間も手に入らず、停電で何もできず、頭上をドローンが飛び交う。高齢の彼らは幸運にも特別に手配された列車で脱出できたが、駅には脱出を望む数百人のロシア人がいた。ロシアの愛国心の象徴であるクリミアが、もはや訪問者にとって耐えがたい場所になりつつある。この現実を、一体誰が「勝利」と呼べるのか。

ここで視点を変えてみたい。多くの欧米の論者は、ロシアの苦境を喜ぶべき材料と見なす。ウクライナの攻撃が成功するほどロシアは弱体化し、NATOの優位は動かないと。しかし、この見方は危険なほど一面的だ。ロシアの抑止力がこれ以上損なわれれば、その反動は誰も制御できない形で現れる可能性がある。

問題はプーチン政権が「核のボタン」を持つことではなく、相手に「使うかもしれない」と信じさせられなくなることだ。

私は以前、まずウクライナという「代理勢力」を叩くべきだと述べた。だが今は、より踏み込んだ段階が必要だと考えている。ロシアは国際法の枠内で、ロシア領奥地を攻撃する高度なドローンを製造しているドイツやイギリスの工場を、限定的に攻撃すべきだ。全面戦争に至らずに済む、合法的な自衛措置である。

しかしロシア軍指導部は、そうした決断から逃げ続けている。ワグネルの反乱を招いた軍幹部の無能と汚職——クルスク州侵攻を許した防衛線建設費の横領——が未だに問責されていない現状は、異常としか言いようがない。私はまず、ゲラシモフ参謀総長らを更迭し、戦争の実態に即した指導部を作るべきだと考える。

結局のところ、歴史の転換点で問われるのは「指導者が国民を支配するのか、国民が指導者を動かすのか」だ。ロシアがこの戦争を真の惨敗で終わらせないためには、国民が指導者に厳しい選択を迫るほかない。

欧州の軍事的準備が整わないうちに、抑止力を現実のものとして再構築すること。それができるかどうかが、ロシアの命運を分けるだろう。私たちが「勝利」の定義を再考する必要に迫られているのは、間違いない。


Gilbert Doctorow(歴史家、政治アナリスト)、Glenn Diesen(司会、国際関係研究者)
対談『Gilbert Doctorow: Russia Must Restore Its Deterrence to Survive』(『ロシアは抑止力を回復せねばならない』)

 

219対206。この数字は、ある予算案の採決結果ではない。2026年7月、合衆国下院を通過した2027会計年度国防権限法(NDAA)第219条に組み込まれた、前代未聞の条項に対する票差である。この条項は、アメリカとイスラエルの軍事および諜報活動を事実上統合するという内容を含んでいる。

イラクやアフガニスタンで「国づくり」に疲弊したかつての米国なら、即座に否定されたであろう発想だ。しかし、今回は違った。この「主権の譲渡」としか言いようのない条項に対し、下院は議論の機会さえ与えなかった。超党派の議員が提出した削除修正案は、下院規則委員会によって審議そのものを阻止されたのである。

では、この驚くべき議会の決定の背景には何があるのか。

それは、米国が現在戦っている二つの「代理戦争」の挫折にある。ウクライナとイランでの戦争は、ロシアを弱体化させ、その資源を掌握し、最終的に中国を封じ込める壮大な地政学計画の一環だった。ところが逆に、米国の軍事在庫を危機的な水準にまで消耗させる結果を招いている。

弾道ミサイルや極超音速ミサイルを迎撃する高価なミサイルはもはや底をつきかけている。米国防産業はスピードよりも利益を追求する構造のため、補充には何年もかかる。世界各地の基地から迎撃ミサイルをかき集めている現状は、他の潜在的な紛争地域での即応態勢を直接損なっている。

イラン戦争に目を転じれば、事態はさらに深刻である。米国はイランの文民用インフラや鉄道橋を爆撃しているが、それらはイランとロシア・中国を結ぶ陸路を分断する意図があった。しかしイランは橋や鉄道を驚異的な速さで再建し、ドローン製造能力までも急速に回復させた。

イランは開戦当初、あえて旧式で低速のミサイルを使い、米国の迎撃ミサイルを消耗させる戦術をとった。そして今、最新鋭の超音速・極超音速ミサイルを実戦投入している。これらは降下中に目標を変更でき、複数の独立誘導弾頭を放出するものさえあり、事実上迎撃不可能だ。もはや「近くに落ちる」のではなく、最大の損害を与えられる「一点」に正確に着弾する。

サウジアラビアやクウェート、UAEなどの湾岸諸国は、米軍への基地や領空の提供を軒並み拒否している。彼らには、自国が報復攻撃の標的になる明白な危険があるからだ。イランの目標は、中東からの米軍の完全撤退である。欧州でもイタリアのメローニ首相がシチリア島の基地の使用を認めず、トランプ大統領との間で深刻な対立が生じている。

ここで、一つの前提が裏返る。

米国の政治エリートの目標は、本当に「戦争に勝つこと」なのだろうか。むしろ戦争を永続させることによって、米国自体を弱体化させ、世界的な不況を創出し、人口を減少させ、その混乱に乗じてグローバルな支配構造を確立すること——それが真の目的ではないのか。

下院を通過した第219条は、この文脈で見ると違った相貌を現す。これは単なる軍事協力の強化ではない。超党派の「NO」を封殺し、最小限の票差で押し通されたこの条項は、もはや自国の憲法や主権よりも、特定の同盟関係を優先する統治構造の完成を告げている。

食料も水も空気も汚染され、精神はプロパガンダで侵食される。それでも、この密やかな主権の放棄に気づき、声を上げることだけが、残された最初の一歩だ。


Meryl Nass(内科医、生物兵器・疾病管理専門家)
『Meryl’s CHAOS letter(Critical Health Analysis and OpinionS)』(Meryl NassのCHAOSレター——批評的健康分析と見解)
July 23, 2026
merylnass.substack.com/p/have-not-bee…

 

我々が握らされている「金ぴかの足枷」

3%の住宅ローンと勤め先の医療保険。あなたはそれらを「豊かさの証」だと思っていないか。実はそれこそが、あなたをその場に縛りつける「金ぴかに塗られた足枷」だ。目に見える鎖はない。だが我々は、かつての農奴よりも巧妙に、移動の自由を奪われている。

問題の本質は、富と権力の集中にある。誰が権力のレバーを握っているかではない。レバーそのものが一箇所に集められているという構造そのものが問題なのだ。

表面上は民主主義を装い、数年ごとに支配者を選び直しているように見える。しかし、その選択肢は「どちらを向いた取り巻きか」の違いでしかなく、権力構造そのものに手を触れることはできない。

ここで「黄金の手錠」という言葉の意味を、一段深く掘り下げて考えてみよう。多くの人はそれを、高収入だが辞められない仕事の比喩だと思っている。だが本当の仕組みはもっと底意地が悪い。低利の住宅ローンが、転職も移住も許さない楔となる。会社が提供する医療保険が、独立や起業への道を塞ぐ檻となる。

さらに巧妙なのは、学歴という「身分証」の機能だ。

「成功に必要な資格」として機能する大卒の学位は、実質的に多額の借金と引き換えの通行手形である。新封建制は、もはや法律で身分を固定する必要などない。何が「手の届くもの」かを操作し、医療保険と低利融資へのアクセスを制御するだけで、直接的な隷属よりもはるかに効率よく人々を管理できるのだ。

これが新封建制の核心である。人々に「力」と「富」の幻想を植え付けることで、自発的な服従を引き出す。実際に我々が手にしている富など、そのほとんどが実体のない幻影に過ぎないのにだ。それは持続的な信用バブルの連続が生み出した、まやかしの資産価値でしかない。実体経済の成長が生んだ富ではない。

本当の問題を解決できるのは誰か。

それは皮肉にも、現在このシステムが「自分の利益になっている」と信じ込まされている、無力な「コモンズ(平民)」たちだけだ。あるいは、今あるわずかなものを失う恐怖に凍りついている者たちである。

各階級はすでに悪魔と取引を済ませている。「私には低金利の住宅ローンがある」「安定した職がある」「政府からの補助金がある」と。

我々は「真実が露見すればすべてを失う」と恐れている。しかし、考えてみてほしい。本当に価値のあるものは、すでに失われてしまったのではないか。

毒されていない水や空気、すべての市民に開かれた機会、そして消されることのない透明性と説明責任。これらは、腐敗した信用バブルの上に成り立つ「繁栄」の幻想よりも、はるかに取り戻す価値のあるものだ。


Charles Hugh Smith(著述家、元ソフトウェアエンジニア)
『Who Will Solve Our Real Problem–The US is a Neofeudal Autocracy』(誰が我々の本当の問題を解決するのか——アメリカは新封建的専制国家である)
charleshughsmith.substack.com/p/the-gold-pai…

 

米国が仕掛ける「敗北前提」の戦争

なぜアメリカは、軍事的に勝ち目の薄いイランとの対決にのめり込み、同時にロシアの石油輸出能力を執拗に削ごうとするのか。戦場を見ているだけでは、決して理解できない。マイケル・ハドソン教授が語るのは、 答えは世界経済を流れる石油とカネの循環構造のなかに隠されている、という冷徹な現実だ。

アメリカが目指すのは、産業や金融といった従来の覇権手段ではもはや維持できない「世界経済の支配」を、物理的な独占によって再構築することだ。

ハドソン教授はその核心を、石油貿易、情報技術、国際輸送、ドル決済という四つの独占に整理する。とりわけ重要なのが石油の流れの掌握であり、イランとロシアへの攻撃は、すべてこの文脈のなかにある。

イランがホルムズ海峡で年間400億ドル規模の通行料徴収を計画すれば、トランプ米大統領は「その通行料はアメリカが徴収する」と応じ、サウジアラビアなどに対して「守ってやるのだから対価を払え」と迫る。米財務長官ベッセントは、イランを征服した暁には石油収入を米財務省の口座で管理し、その使途をアメリカ製品の購入に限定する構想まで語っていた。一連の動きは、もはや安全保障の議論ではない。石油の利権を誰が握るかという、冷徹な収奪構造の設計図だ。

イランはこの構図を見抜いている。

だからこそ、米軍基地を攻撃するだけでなく、米国と湾岸産油国を結ぶ経済的共生関係そのものを遮断しようと動いた。バーレーンのアマゾンAIデータセンターや、世界のヘリウム供給の2割を担うカタールの生産施設への攻撃は、単なる軍事行動ではない。米国の情報技術独占と、産油国の対米投資循環という二本柱を同時に破壊する、明確な戦略的意図を持った一撃である。

ここで前提が裏返る。戦争が経済的な封じ込めを目的としているのなら、軍事的な勝敗は二の次でよい。むしろ、戦争が長引くことで石油の供給路が遮断され、エネルギー価格が高騰すれば、その混乱の果実をアメリカだけが液化天然ガスの輸出などを通じて独占できる——これこそが、アメリカの描く究極のシナリオだからだ。

この構造は、アメリカの同盟国をも巻き込む。

欧州は、アメリカの高価な液化天然ガスに依存させられ、ロシア産の安価なパイプラインガスを絶たれ、脱工業化の渦中にある。それでも欧州が自国の経済的利益に反してアメリカの対ロシア包囲網に加担し続けるのは、もはや経済合理性ではなく、冷戦期から続く従属構造の慣性によるものだろう。自国の利益を追求する政治勢力の台頭は、こうした矛盾の噴出にほかならない。

一方で、この戦略の成否を握るのは、意外にも湾岸産油国の内部にある。

アラブ首長国連邦やバーレーンの君主制が、自国の石油収入をアメリカのAI産業に投資するサイクルに留まり続ける限り、米国の独占は維持される。しかし、パレスチナやインド系の労働者を多数抱えるこれらの国々で、経済格差と政治的抑圧に根ざした社会革命が起これば、米国の世界戦略は一瞬で足元をすくわれる——ハドソン教授はそう予見する。

ホルムズ海峡の通行料、破壊されるデータセンター、加盟国を苛むエネルギー高。これらはすべて、一つの設計図の異なるパーツにすぎない。戦場はホルムズ海峡ではなく、石油と情報とカネが地球を巡る経路、すなわち世界経済の血管そのものなのだ。


Michael Hudson(古典派経済学者、超帝国主義論)、Glenn Diesen(地政学アナリスト、ノルウェー南東大学准教授)
対談『Michael Hudson: The U.S. Plan to Revive Geoeconomic Dominance』(マイケル・ハドソン:地経学的支配力を復活させる米国の計画)

 

骨粗鬆症という「発明」

骨粗鬆症の診断基準は、ホテルの一室でその場の思いつきから作られた。これは陰謀論ではない。1992年6月、ローマのスペイン階段近くのホテルに、世界保健機関が招集した骨の専門家たちが集まった。会議の資金を出したのは、骨粗鬆症薬「フォサマック」を販売するメルク社。 同社は骨密度測定器の普及も強力に推し進めていた。

参加者の一人は後に、米公共ラジオ局NPRの取材に対しこう証言している。

「オステオペニア(骨減少症)」という用語は、その場で即興的に造られた。単に公衆衛生の研究者が「きれいな区分」を好んだからだ。

Tスコアがマイナス1.0からマイナス2.5の範囲の女性全員に、この新しいラベルが貼られることになった。会議の参加者たちは、これが「治療を必要とする病気」として患者に売り戻されるとは想像もしていなかったという。

データがすべてを物語っている。この定義により、閉経後女性の約半数が「患者」に仕立て上げられたのだ。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校のスティーブン・カミングス教授は、この診断基準に「生物学的、社会的、経済的、治療的根拠は一切ない」と断言している。

根本的な問題は、この「でっち上げ」が善意や科学的議論から生まれたのではない点だ。

「骨を強くする薬」として売られたビスフォスフォネート系薬剤の実態は、さらに深刻である。thennt.com がまとめたコクランのデータが示す通り、骨折歴のない女性において、大腿骨頸部骨折のような命に関わる骨折を防ぐという質の高いエビデンスは存在しない。効果が認められるのは、すでに骨粗鬆症と診断され、なおかつ骨折歴のあるごく一部の患者に限られる。

しかも有害事象は凄まじい。

大腿骨の非定型骨折、顎骨壊死、食道がん、心房細動。骨を守るはずの薬が、骨を溶かし、顎を腐らせる。メルク社はフォサマックの訴訟で、約1200件の和解に2,800万ドル(約42億円)を支払った。新薬のプロリアは投与をやめると骨が反動で崩れる「リバウンド骨折」を引き起こし、イブニティには心臓発作と脳卒中の黒枠警告が付されている。

問題の本質は、薬が骨代謝の一方だけを乱暴に叩く点にある。骨は常に古い組織を壊し、新しい組織を作るリモデリングを繰り返している。原因は閉経によるエストロゲンの急減であり、ビタミンDやK2、ミネラル不足だ。「骨粗鬆症は薬不足が原因ではない」と私は断言する。

私の患者ハッティは、ホルモン補充と栄養療法、そして高強度の筋力トレーニングで、2年間で骨密度を7%増加させた。彼女は今、30代の同僚と変わらぬ活力で法廷に立つ。骨を測るDEXAスキャンは有用だが、製薬会社が描いた「スキャン→ラベル貼り→投薬」というレールに乗る必要はない。その薬こそが、あなたの骨にとって最大の毒かもしれないのだ。


著者:Robert Yoho, MD(医師)
タイトル:『460. Osteoporosis: How Pharma Invented a Fake Diagnosis, Sold Poison Drugs, and Hid the Real Cures』(骨粗鬆症:製薬会社はいかに偽の診断をでっちあげ、毒薬を売り、本当の治療法を隠したか)
公開日:2026年7月23日
robertyoho.substack.com/p/458-osteopor…

 

その橋は、貧しい人々を締め出すために低く作られた

ニューヨーク郊外へ向かう高架橋の設計図を初めて見たとき、私は言葉を失った。ロングアイランドの美しい海岸公園へ通じるその橋は、高さが極端に低く設定されていたのだ。設計者はロバート・モーゼス。20世紀を代表する都市計画家である。

彼は、橋桁の下を大型バスが物理的に通過できないように意図的に設計した。なぜか。答えは単純だ。自家用車を持つ裕福な白人層だけがビーチへ行けるようにし、バスに頼る貧困層や黒人を閉め出すためだった。橋はコンクリートと鉄鋼によって、社会の分断をそのまま固定化したのである。

これは単なる過去の逸話ではない。私は本書『クジラと原子炉』で、技術と政治の関係についての私たちの根本的な誤解を正そうと試みた。人工物は、はたして政治を持つのか。

多くの人は「ノー」と答えるだろう。ナイフは料理にも殺人にも使えるが、それは使い手の道徳の問題だ。原子力発電所は電気を生む。そのリスクをどう管理するかは社会の選択である。これが技術を「中立的な道具」と見なす、きわめて常識的な考え方だ。

この見方は心地よい。なぜなら、技術について深く悩む責任から私たちを解放してくれるからだ。しかし、モーゼスの橋は、この前提がいかに脆弱であるかを示している。橋の低さは、使い方ではない。設計そのものが、特定の政治的秩序を実現している。

技術は、設計図の段階ですでに誰が利益を得て、誰が排除されるかを決めているのだ。

カリフォルニアの農業地帯でも、同じ構造を見ることができる。かつてトマト収穫は、多くの農園労働者の手作業に支えられていた。そこへ、巨大な機械式収穫機が導入された。効率は劇的に向上したが、この機械は大規模な単一栽培にしか適応できない。結果として、小規模農家は淘汰され、何千人もの労働者が職を失った。

技術の選択は、社会の勝者と敗者を生み出す政治的行為にほかならない。私はこれを「人工物の政治性」と呼ぶ。

だが問題はさらに根深い。私たちはこれらの選択を、ほとんど「選択」として認識していない。この無自覚な状態こそが、私が「技術的夢遊病」と名付けた現代の病理である。

夢遊病者が歩き回るように、私たちは技術の意味を問うことなく、ただ受動的に受け入れ続けている。なぜか。「進歩」という言葉が、あらゆる疑念を事前に粉砕してしまうからだ。新しい技術は、それが何であれ、常に「進歩」という名の下に正当化される。

ここで、私たちが当然と思っている言葉の定義を掘り下げてみよう。「技術」とは何か。通常、それは「道具」や「機械」を意味する。しかし、私はもっと広い視野で捉えるべきだと考える。技術とは、人間の活動に特定の構造を与え、思考や行動のパターンそのものを形成する「生活形式」なのだ。

時計が時間を測るだけでなく、私たちの生活を細切れのスケジュールに再編成したように、あらゆる技術は私たちに特定の行動様式を静かに要求する。コンピュータ・ネットワークは「即時の応答」を、監視カメラは「常に見られている」という感覚を、そして原子力発電所のような巨大システムは「専門家への絶対的な信頼」を前提とせざるを得ない社会を生み出す。

技術は単に世界の在り方を変えるのではない。その世界の中で、人間がどう生きるべきかという規範までも変えてしまうのだ。

故郷のカリフォルニアで、その代償を痛感したことがある。サン・ルイス・オビスポの美しい海岸に、ディアブロ・キャニオン原子力発電所が建設された。ある日、私はその巨大な原子炉を見つめながら海岸に立っていた。すると、すぐ沖合の海面に、一頭のシロナガスクジラがゆったりと浮かび上がったのだ。コンクリートの巨塔と、太古から続く生命の対峙。その光景は息を呑むほど美しく、同時に耐えがたい違和感を私にもたらした。

リスク計算の専門家は言うだろう。「原子力発電所の安全性は科学的に担保されている」と。しかし、私が感じたのは、そんな数値では決して捉えられない倫理的で美的な直観だった。この美しい海岸に、この巨大な原子炉は場違いだ。

問題は、私たちの社会が、この「場違いだ」という感覚を議論の土俵にすら載せられなくなっていることではないか。効率性とリスク評価の言語だけが唯一の「合理的」な言葉となり、私たちの心が発する根源的な違和感は「非科学的な感情論」として黙殺されてしまう。

この沈黙こそが、私が本当に暴きたかった「文明的判断の崩壊」である。技術の選択は、結局のところ「私たちはどんな世界を望むのか」という問いと切り離せない。

効率化や利便性の追求が、すべての倫理的・美的判断に優先するのだとしたら、クジラが泳ぐ海辺に原子炉を建てるという選択は、まさに「合理的」な結論なのだろう。しかし、その合理性に身を委ねた先に待っている世界を、あなたは本当に美しいと思うだろうか。その根源的な違和感に気づくことこそ、夢遊病から覚めるための、最初の一歩である。


書籍『The Whale and the Reactor: A Search for Limits in an Age of High Technology』(『クジラと原子炉——ハイテクノロジーの時代における限界への探求』)1986年
Langdon Winner(政治理論家、技術哲学者)

 

イランが破壊するのは「帝国の幻想」だ――封鎖が晒す終わりの始まり

イランには、まだ公表されていない「第4」「第5」の標的リストが存在する。そのリストが実行に移されたとき、世界経済はおそらく大恐慌に突入する。これは単なる脅迫ではない。戦略的計算に基づいた、静かで緻密な現実だ。

現在、イランは段階的に報復の範囲を拡大している。UAEの唯一の石油積出港であるフジャイラはすでに機能を喪失し、紅海ではフーシ派による通航阻止が続く。この紅海こそ、世界の物資輸送の心臓部だ。数年前、米国の平和研究所が実施した机上演習では、全世界の商品の60%がこの海域を通過するという結論が出た。石油、天然ガス、食料、あらゆる物資がスエズ運河を経由している。その紅海が事実上封鎖され、喜望峰迂回を強いられた場合のコスト増は、マラッカ海峡の代替路が効いたこれまでの事例とは比較にならない。

この状況下で、トランプ政権は迷走を深めている。大統領は「誰も通さない」と連呼し、隣に座るヘグゼス国防長官は「イランを跪かせる」と息巻く。だが現場では、米軍は一度紅海から事実上撤退している。何も解決していないのだ。

イランが見ている景色は、我々の想像とまったく異なる。

イランは決して孤立していない。中国から提供された高性能衛星によるリアルタイムの標的情報が、そのミサイルの驚異的な精度を支えている。実際、彼らはF-35が格納庫に収まった数秒後に、その格納庫ごと戦闘機を破壊してみせた。この事実は、イランが単独で戦っているという前提を根底から覆す。背後には、すでにNATOと戦争状態にあるロシア、そして経済覇権を争う中国の影がちらついている。

さらに重要なのは、イラン国内の結束だ。政権内部の穏健派と強硬派の対立はもはや存在しない。93百万人が「ペルシア」として一つにまとまり、日々の空爆で戦争犯罪の犠牲となりながらも、国家としての決意は揺るがない。そして驚くべきことに、国際世論は米国ではなく、むしろイランへの共感を強めている。世界の3分の2が、中国を自国にとって有益な大国と見なし、同程度の割合が米国を「未来への脅威」と捉えているのだ。パキスタンでは国民の90%以上がそのように回答する。これは、単なる戦術の失敗を超えた、物語の完全な逆転である。

こうした中で、イランは破壊の矛先を経済インフラへと向け始めている。サウジの紅海側石油施設、UAEの積出港、そして次はラスタヌラのような大規模油槽所か。クウェートやバーレーンといった小国は、すでに機能不全に陥りつつあり、イラクの民兵組織が南部から流入する隙を窺っている。

イランは自らが世界経済のスイッチを握っていることを自覚している。だからこそ、世界の共感を失う最終段階の攻撃をためらってきた。しかし、封鎖が長期化し、食料供給網が寸断されれば、欧州やアジアでの暴動、そして地球規模の難民移動が現実となる。20年前の予測では、気候変動と食料危機が南から北への武装移住を引き起こすとされていた。それが、紅海封鎖という人為的な行為で前倒しされる。そのとき「民主主義」の軍隊は、国境で移民を射殺する任務に就くのだろうか。

これは、もはやイランをどうするかという問題ではない。米国は自らが依存するシステムを、自らの手で破壊しつつある。敵を潰すという憎悪だけで動く政策に、出口戦略は存在しない。イランが「第4」「第5」のリストを実行に移す日、それが帝国の終わりの始まりとなるだろう。彼らが本当に破壊しているのは、イランの建物ではない。我々が決して崩れないと信じていた、一つの幻想なのだ。


Lawrence Wilkerson(退役大佐、元米国務長官首席補佐官)、Glenn Diesen(政治学者、司会)
対談 『Lawrence Wilkerson: Iran War Escalates Toward Global Crisis』(ローレンス・ウィルカーソン:イラン戦争、世界危機へと拡大する脅威)

 

日本の街中には英語があふれている。看板、広告、商品パッケージ、テレビ番組。これほど英語に囲まれている社会は珍しい。にもかかわらず、日本人の多くは英語を話せないとされ、その「欠如」が長年嘆かれ続けてきた。私はこの奇妙なギャップに着目し、日本社会における英語の意味を分析した。

表面的には、英語はコミュニケーションの道具と見なされている。しかし実際には、英語は日本において「外国」や「憧れ」を象徴する文化的アイコンとして機能している。このことを、私は三つのモチーフを通して明らかにした。

第一に「グローバル化」である。日本は歴史的に、外来文化を「和魂洋才」の精神で吸収してきた。英語もまた、カタカナ語や装飾的な看板英語として日本化され、安全な距離から消費されている。まるで外国文化のテーマパークを散策するように、英語は「外のもの」として楽しまれているのだ。

第二に「真正性」だ。福島県のブリティッシュ・ヒルズは、英国の田舎町を模した研修施設であり、「イングランドそのものよりも英国的」であることを売りにしている。ここでは、ネイティブ話者こそが「本物の英語」の体現者とされ、その空間は現実よりも「真正」なシミュレーションとして機能する。

第三に「願望」である。英会話学校の広告は、英語が話せるようになることで人生が一変し、自己実現や社会的制約からの解放が叶うかのように謳う。とりわけ女性向けの留学情報誌では、英語が日本社会の固定的なジェンダー役割から抜け出す手段として描かれる。

ここで一つの転換を提示したい。通常、英語が使えないことは教育の失敗や個人の能力不足と捉えられる。しかし、この現象の原因と結果は逆ではないか。むしろ、英語を「外国のもの」として隔離し、日常生活から切り離すことで、日本社会は自らの文化的アイデンティティを無意識に維持しているのではないか。英語が「使えない」のではなく、使わない構造が巧妙に組み込まれているのだ。

実際、私の調査では、多くの日本人が街中の英語表記を「英語」として認識していなかった。看板の「Coffee」は、意味を伝える言葉としてではなく、洒落た雰囲気を出す装飾として処理される。この「抹消」のプロセスによって、英語は日常生活に浸透しながらも、決して「自分たちの言葉」にはならない仕組みが保たれている。

日本人が英語を話せないという物語は、単なる能力の問題ではない。それは、英語を象徴的な「外部」として位置づけ続けることで、日本文化の境界線を引き直す社会的実践にほかならない。あなたが次に街角で見かける英単語は、本当に「言葉」としてそこにあるのだろうか。


書籍『The Idea of English in Japan: Ideology and the Evolution of a Global Language』(日本における英語という概念——イデオロギーとグローバル言語の展開)
Philip Seargeant(英国オープン大学 応用言語学・英語教育教授)

以上引用終わり。自分ではなく他人の誰かさんの利益になるネタを仕込まれたオツム。某師匠筋のバカは死んでも治らないという心からの吐露を思い出す。どうも有り難うございました。

 

 

 

 

本日のベストスリー7月22日

三位 追跡は既得権者のためにあるシツコいニュースのヤラシイ狙い

 

二位 成功は自分の手柄失敗は部下の責任サクセス作為 

 

一位 業界の広告塔をセンモンカ枠で並べるテレビ番組

 

番外 いつまでもレッテル貼りをしていても人は離れる人気マスコミ

 

賢者が長寿を望むのかどうか分からないが、賢明な判断が積み重なれば自ずと健康長寿となりそうである。私がよく言う、

今日もまた大マスコミの与太話乗っかるほどに貧苦短命

に陥るならば賢者とは真逆の判断を日々繰り返していることだろう。よくよく顧みて明日への糧にしたいと思う。余程決定的な痛打を浴びないと当面変わらないだろうから。故に被害者は引き続き続々と現れる。そのひとりになってはいけない。

本日のベターツイートは、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

「資産税は工場に課税するものではない。資産に対する所有権の主張に課税する。」

この指摘は、資産税批判派が陥りがちな最大のリフレイン「課税すると工場や設備といった実物資本が失われる」を鮮やかに解体する。

【実物資産(工場、機械、設備)】
財・サービスを生み出す現実の生産能力

【金融資産・所有権】
その生産能力や将来のキャッシュフローに対する請求権

富裕層に資産税を課したからといって、工場が消滅するわけではない。 変わるのは、その工場がもたらす果実に対する所有権の割合に過ぎず、社会全体の生産能力自体は何ら損なわれない。

「企業は売上を期待するから投資する。銀行はその投資を資金化するための信用を生み出す。貯蓄は投資と収入の会計上の結果であり、その前提条件ではない。」

ポスト・ケインズ派および現代の多くの金融実務者が強調するように、現実の銀行システムは貸出を行うことで預金(通貨)を生み出す(信用創造)構造だ。

投資の原動力は富裕層が口座に溜め込んだ貯蓄ではなく、将来の売上見込み(有効需要の期待)だ。そして銀行は事前の貯蓄の有無にかかわらず、健全な需要があれば新規に信用を創造して投資資金を供給できる。

したがって、富裕層の資産に課税して貯蓄を削ると、投資原資が枯渇するという古典的な懸念は、資本主義の金融構造を正しく反映していない。

「現代の富の大部分は金融資産、土地、独占地代、キャピタルゲインだ。」

現代のビリオネアの資産ポートフォリオの大部分は、新規の生産性向上に寄与する投資(新工場建設など)ではなく、レント追求型の資産だ。

‐地価の上昇や不動産独占による地代
‐プラットフォーム独占や知的所有権の独占による不労所得
‐既存の金融資産のバリュエーションの吊り上げ

これら既存資産への請求権に課税することは、生産活動の阻害ではなく、むしろ資産バブルや地代追求行為に対するペナルティとして機能し、マネーをより生産的な循環へと押し出す効果すら期待できる。

「フランスやスウェーデンの失敗は資産税そのものについてと同じくらい、税回避、抜け穴、国際的な税制競争について語っている。」

過去に欧州諸国が富裕税を縮小・廃止した理由は、経済が破壊されたからではなく、国内のみで課税したため、税金逃れを防ぎきれなかったからだ。

これは制度設計と国際協調の敗北であり、理論的欠陥ではない。近年、G20やOECDで国際連帯税や最低法人税率(グローバル・ミニマム課税)の合意が進んでいるように、共通の枠組みが構築できれば、税金逃れ問題は克服可能だ。

「本当の危険は、富があまりにも集中して、購買力が広範な経済から吸い上げられ、ますます多くの資本が既存の資産を追いかける一方で、新しい生産的な投資を生み出さなくなること。」

富の極端な集中は、経済循環において二重の麻痺を引き起こす。

①消費需要の減退(限界消費傾向の低下)
ビリオネアに1億ドルが渡っても消費はほとんど増えないが、中間層・低所得者に渡れば大部分がリアルな消費に回る。過度な集中は、経済全体の有効需要を衰退させる。

②資産バブルの過熱
富裕層に吸い上げられた巨額の資金は、実物投資に向かわず、不動産や既存の株式、金融デリバティブといった既存資産の奪い合いに集中し、バブルと生活コストの高騰を引き起こす。

実体経済を真に豊かにするのは、需要の創出→企業の投資→雇用の拡大→実質賃金・生産性の向上というマクロ経済の好循環だ。

ビリオネアの紙の上の所有権(請求権)に適切に課税し、それを社会インフラ、教育、購買力の底上げへと還流させることは、生産能力の破壊どころか、壊れかけた有効需要の循環システムを修復するための正当かつ論理的な処方箋になる。

 

「官民370兆円の投資」と聞けば、一般の人は政府が370兆円の予算をドカンと投じると錯覚する。しかし、実際の構造はこうだ。

政府が直接出すお金(真水・歳出)は全体の数%〜10%程度(例:数兆円〜十数兆円)。残りの90%以上は企業が今後15年〜20年で投資してくれる『はず』の金額(見込み値・目標値)だ。

つまり、政府が実際に約束しているのは呼び水(補助金や税制優遇)のわずかな部分だけで、残りの巨額な数字は「民間がこれくらい投資してくれたらいいな」という鉛筆を舐めた希望的観測に過ぎない。

もう一つのトリックは「2040年度まで」という極端に長いスパンだ。

370兆円を2040年までの15年で割ると、年間平均では20数兆円(そのうち政府分は年間数百億円〜数千億円レベル)という数字になる。

年間の金額に直すと日本のGDPのわずか数%に過ぎず、大規模な構造転換を起こすには程遠い平常運転の数字に収まってしまう。

15年分の民間予想金額まで全部かき集めて合算することで、政治的なインパクトを出すためだけに「370兆円」というメガ数字を作り出している。

そもそも、企業が実際に投資するかどうかを決めるのは政府の目標ではなく、作ったものが売れるかという需要見込みだ。

政府:「370兆円投資します」
企業:「国内の購買力も落ちてるし、人口も減るから、そんなに投資できません」
結果:「目標未達でした(でも誰も責任を取らない)」

過去の「官民投資〇〇兆円」と打ち出された数々の成長戦略でも、この空手形が繰り返されてきた。

結局のところ、この手のアピールは嘘ではないが、国民に対しては政府が巨大なマネーを刷って経済を爆発的に成長させるかのような印象を与えるという点で、悪質な政治演出だ。

「真水はいくらなのか」「単年度でいくら動くのか」「その裏付けとなる有効需要はあるのか」を削ぎ落としてメガ数字だけを拡散する手法は、まさにそうした虚飾を覆い隠すために機能している。

更に悪いことに、財政主導の成長投資PRが、期待された国内への民間投資の呼び水になるどころか、円安の加速→実質購入力の低下→資本の国外脱出→ 国内投資の減退というアドバース・エフェクト(逆効果)を引き起こすことだ。

円の信認が揺らぐことで、金融市場・企業に対して円を持ち続けることはリスクであるという強烈なメッセージを与える。

さらに円安が進めば、エネルギー、原材料、製造設備、知的所有権などの輸入コストが壊滅的に跳ね上がる。

結果として、政府が補助金を出して「投資しろ」と背中を押しても、企業経営者から見れば「今、日本国内に設備投資をするのはあまりにもリスクが高すぎる」という判断になる。

つまり、国内の需要見込み(人口減・実質所得減少)が育っておらず、通貨の購買力が減退している環境下で打ち出される「〇〇兆円の官民投資」というレトリックは、決定的な矛盾を孕んでいる。

投資を呼ぶためのPRが、円安とインフレを助長して国内の投資環境を破壊し、結果として資本の国外流出(投資減退)を加速させる。

真の「民間投資の呼び水」となるのは、派手な大言壮語の補助金枠ではなく、「強固な国内購買力」「通貨価値の安定」「実体経済の成長期待」だ。

それらを欠いた虚構のPRは、市場から見破られ、かえってキャピタルフライトを加速させるという皮肉な結果をもたらすことになる。

 

政策的な失敗から目を逸らさせ、国民同士を犯人探しに向かわせる構図は、高度な分断の統治術と言える。

マクロ経済の失政によってパイが縮小すると、人々は自らの生活苦の原因を政策決定者(垂直的支配者)ではなく、自分と同等か少し恵まれて見える他者(水平的対立者)に求めがちになる。

政府の税制・財政運営を批判するには、一定の知識やシステムとの対峙が必要だが、「高齢者の医療費が高いから自分の保険料が上がる」「外国人が増えたから生活が脅かされる」というストーリーは感情的に理解しやすく、攻撃対象として容易だ。

政治の側からすれば、世代間(若者 vs 高齢者)や属性間(日本人 vs 外国人)で国民同士が争っている間は、政治の失策への批判が集まらないため、安上がりな防波堤になる。

また、日本の有権者の多くは、政府を国民が厳しい監視と批判を通じてコントロールする道具ではなく、与えられた環境として受け入れる傾向が強い。

投稿にある「政府の言うとおりに税金を払い、国に協力してきた」という姿勢は誠実さの表れだが、裏返せば国家への依存と従順さでもある。

権力そのものと戦い、システムを変えるコストを支払うくらいなら、ルールに従わない特定の他者(不正受給者、ルールを守らない外国人、社会の重荷とされる層)を叩く方が心理的に手軽であり、カタルシスを得られやすい。

もちろん、現代のSNSや動画プラットフォームのアテンション・エコノミーも、この分断を加速させている。

制度の欠陥や税制の構造的課題を説明する解説動画よりも、「〇〇世代が甘えている!」「〇〇人が優遇されている!」という怒りや恐怖を煽るコンテンツの方が、アルゴリズム上爆発的に拡散される。

政治の側やその周辺のネットインフルエンサーは、このアルゴリズムの特性を熟知しており、感情的な仮想敵を設定した動画や投稿を連発することで、世論を望ましい方向へと誘導する。

対立の軸を『国民 vs 国民(水平的対立)』から『国民 vs 政治の不作為(垂直的対立)』へ戻さなければならないという主張は至極まっとうな視点だ。

誰のせいかという生贄探しに終始している限り、どのような政権が誕生しても、国民の購買力は吸い上げられ、実体経済の衰退と格差の拡大は止まらない。

「政策の果実(需要や投資)が正しく循環しているか」「誰のための税制か」というマクロな構造的責任を正しく政治に問うことが、長く続いているPR政治と分断の支配から抜け出す唯一の道だ。

 

これは安全保障や外交という名目を借りた「みかじめ料ビジネス」そのものだ。

「あのならず者(あるいは自分の部下)が店を襲うかもしれない」

「毎月カネを払えば、私たちが店を守ってやる(=攻撃しない、または他者から庇う)」

米・イランの全面衝突と、それに巻き込まれる湾岸諸国の石油・経済インフラの破壊リスクをアピールしつつ、政府特使という公的な立場と個人ファンドという私的な財布の境界を曖昧にし、湾岸オイルマネーから巨額の資金を自らのファンドへ流し込ませる。

その見返りは米国の介入を暴走させず、イランとの壊滅的衝突を回避してやるという約束だけ。

本来であれば一国の国家利益や地域安定のために行われるべき外交・防衛政策が、特定の政治家やそのファミリーの個人的なビジネスとしてマネタイズされている。

通常、公務員に対する外国からの資金提供や利益相反は厳しい倫理規定で制限される。しかし、政権の特使・補佐官としての情報アクセス権をそのままファンドの運用資金調達に転用することで、平和の維持という国際的な公共財が、個人の手数料や成功報酬というリターンに変換されている。

サウジアラビアやUAE、カタールにとっても、自国の油田や淡水化プラントがミサイル攻撃を受ければ国家の存立に関わるため、この「みかじめ料」がどれほど不当で足元を見られたものであろうと、支払いを拒否する選択肢を持てない。

このマフィア的手法が最も悪質なのは、問題が解決してしまうと、みかじめ料を徴収できなくなる構図だ。

緊張が和らぎ、イランとの関係が正常化すれば、湾岸諸国は米国や特定の政治ファミリーに高額な保護代を払い続ける必要がなくなる。

したがって、マフィアにとって完全な平和も壊滅的な戦争も望ましくなく、常に破滅の一歩手前の緊張状態(エスカレーションの危機)を維持し続けることが、巨額のリターンを持続的に生みだすビジネスモデルになる。

国家間条約や公的な同盟関係という枠組みを形骸化させ、特定の個人や政権にカネ(ファンド出資やライセンス料)を払った者だけを守るというディール外交は、近代法治国家の安全保障の概念を根本から覆すものだ。

以上引用終わり。

Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

東京の駅に広がる「檻」──ガザで磨かれた封鎖技術はなぜここにあるのか

東京のターミナル駅で、誰もが一度は感じたことのある息苦しさがある。渋谷駅で乗り換えようとすると、床に引かれた矢印のとおりにしか歩けず、脇道はプラスチックの壁で塞がれている。

新宿駅西口では、 外の光を見るまでに20分近く迷路のような地下通路をさまよう羽目になる。こうした空間は、単なる混雑対策なのか。それとも、別の意図が隠されているのか。

変化は唐突ではなく、段階的に進む。最初は路上にポツンと置かれたプラスチックのコーン。数週間後にはそれが鎖で連結され、やがてポールに替わり、最終的には人が通り抜けられない金属製のフェンスが完成する。

駅の乗り換え口では、通行を物理的に遮る透明の板が突然設置され、ほんの少し脇にそれることすら許さなくなる。現場の警備員に尋ねても、誰が何のために指示したのか答えられないことが多い。

歩行者の誘導だけではない。渋谷駅や新宿駅では、床から天井までを覆う巨大なLEDディスプレイが絶え間なく映像を切り替え、思考を断片化させる。公園の入り口には「喫煙・スケートボード禁止」と書かれたバリケードが置かれ、実質的に立ち入りを拒む。

公共の水飲み場やベンチは姿を消し、少し休むにも金を払わなければならない空間へと変貌した。監視カメラは至るところに増設され、何十万もの人々の動線が長期にわたって記録されている。

ここで、地理的に遠く離れたある場所の都市改造手法を見てみたい。

パレスチナのガザ地区である。ジャーナリストのアントニー・レーヴェンシュタインは著書『パレスチナ実験室』で、イスラエルが数十年かけてガザの町をどう「屋根のない監獄」に変えたかを詳述した。

最初は簡易なバリケードが「安全対策」として置かれ、それが恒久的なコンクリート壁に置き換わる。壁は地域を分断し、住民は検問所を通らなければ隣町へも行けなくなる。全住民の顔がデータベースに登録され、行動は常時追跡される。

物理的な障壁と監視が生活に染み込んだあと、軍はドローンによる爆撃を開始した。つまり、このプロセスは単なる憎悪の表れではなく、人間の抵抗を段階的に奪うための実験だった。そして、ここで磨かれた技術は、イスラエルの民間企業によってパッケージ化され、世界中に販売されている。

購入先には、表向きイスラエルと対立する国々さえ含まれる。監視用顔認証システム、群衆制御のノウハウ、情報収集のプラットフォーム——それらはNソ・グループやブラックキューブといった元諜報機関出身者が率いる企業群から、各国政府や警察、企業へと輸出されている。

東京の都市改造の背後にも、同じ構造が見え隠れする。

公共空間の再編計画は、選挙で選ばれた政治家や一般の行政担当者が掌握しているわけではない。上流にはプライベートエクイティ・ファンドが控え、マッキンゼーやBCGといったコンサルティング会社が全体設計を描く。

実装段階では、米国の民間情報企業(ブーズ・アレン・ハミルトン、パランティアなど)が秘密契約のもとで自治体や建設会社を動かし、厄介な現場の調整役としてイスラエル系のセキュリティ企業が入る。この指揮系統は非公開の契約と秘密保持条項で覆われ、外部からは追跡できない。

一人ひとりの行動を矯正するには、大声で命令する必要はない。歩く道筋を物理的に限定し、休む場所を奪い、視覚と聴覚から絶え間なく情報を浴びせ続ければ、人は自発的に考える力を徐々に失っていく。

東京で進行中の現象は、単なる再開発や安全対策の範囲を超えている。それはガザで実証された「社会の漸進的無力化」という設計図の、静かな輸入なのかもしれない。


Emanuel Pastreich(Center for Truth ディレクター、アジア研究所所長)
記事 『FEAR NO EVIL: The Gazafication of Tokyo and the Hidden role of Israel』(『東京のガザ化とイスラエルの隠れた役割』)
emanuelprez.substack.com/p/the-gazafica…

 

対ロシア制裁の目的は、12年前と変わっていない。ロシアにウクライナでの行動を止めさせることだ。だが、その成果ははっきり言ってゼロである。

私は2014年から2019年まで、駐モスクワ英国大使館で経済参事官として制裁の影響を間近で見てきた。制裁は本来、外交を補完する手段のはずだった。しかし 現実には、外交の完全な代替物となり下がっている。欧州も英国も、ロシアと話したくない。だから制裁に頼る。だが、その制裁が戦争を終わらせるどころか、対話の道まで塞いでしまった。

経済面での効果も皮肉な結果に終わっている。2017年頃から、制裁はロシアよりも欧州と英国を痛めつけてきた。ロシアは2014年以降、有能な中央銀行総裁と財務大臣を据え、一貫したマクロ政策を維持している。一方、同じ期間にドイツ、フランス、英国では23人もの財務大臣が交代した。政策の継続性が、ロシアに驚くべき経済的耐久力を与えているのだ。

では、なぜ欧州の指導者たちは非効率な制裁を繰り返すのか。それは、彼らの外交政策が「いかにウクライナに和平をもたらすか」ではないからだ。彼らの目標は「ロシアの敗北」であり、そのためには対話は必要ない。だから21次に及ぶ制裁パッケージが生まれ、戦争は続く。元英国首相ボリス・ジョンソンが唱えた「戦略的忍耐」という言葉が、全てを物語っている。

この「戦略的忍耐」ほど欺瞞に満ちた言葉はない。本当の意味は「長期戦」だ。制裁と軍事的圧力でロシアが内部崩壊するのを待つ、という戦略である。しかし、核超大国で国民の結束も固いロシアのレジームチェンジなど、起こりそうにない幻想だ。指導者たちは「戦略的忍耐」と言いながら、実は出口のない消耗戦を選び、自らの失敗を認める時期をただ先延ばしにしているに過ぎない。

結局、この戦争は欧州が音を上げる形で幕を引く可能性が高い。ウクライナはすでに疲弊し、欧州各国の有権者も、自国の生活を犠牲にしてまで続ける戦争に疑問を抱き始めている。経済的余力と政治的正当性の両方を、欧州はじきに失うだろう。敗北を認める政治的混乱は計り知れないが、ロシアよりも先に欧州が折れる。私にはそうとしか見えない。

問題の根源には、冷戦後の欧州安全保障体制の欠陥がある。NATO拡大ではなく、人と人との交流こそが平和の礎だと私は信じてきた。戦争が終わったとき、ロシアの人々と再び繋がり、共通の安全を築く長い対話を始められるかどうか。それが、制裁や武器よりもはるかに重要な問いとなる。

Ian Proud(元英国外交官、駐モスクワ英国大使館経済参事官)、Glenn Diesen
『Ian Proud: Anti-Russian Sanctions Do Not Work - How the Ukraine War Ends』(イアン・プラウド:対ロシア制裁は機能しない — ウクライナ戦争の終わらせ方)

 

AIの膨大な電力需要を満たす鍵は「水」だった

AI革命に必要なのは「送電網の4倍化」だと言われる。だが、変圧器ひとつ調達するにも年単位を要する。ソフトウェアは指数関数的に進化しても、それを動かす電力インフラの拡張はまるで追いついていない。

AIやデータセンターが消費する莫大な電力は、米国を中心に想像を絶する勢いで増加している。この新しいデジタル経済を支えるには、既存の電力網を根本から増強しなければならない。しかし、従来の送電網建設は計画から完成まで長い年月がかかり、もはや技術革新のスピードとの差は埋めがたいものになっている。私たちは、物理的なエネルギーの壁という重い現実に直面している。

ここで問われるのは、AI関連ビジネスが経済的に成立するかという根本的な現実である。月額20ドル程度で使い放題のAIサービスを提供しながら、企業は数兆円規模の時価総額を維持している。この矛盾した状況は、かつてのインターネットバブルを彷彿とさせる。技術に巨大な可能性があることと、それを支えるビジネスモデルが確立しているかは、全く別の問題なのだ。

こうした閉塞感を打破する可能性を秘めた技術の一つが、圧電効果を利用した新たな発電システム「RIVSAL」である。

この技術の核心は、水の動きによってピエゾ素材から電気パルスを生み出す点にある。燃料として消費するのは基本的に水のみであり、太陽光発電のように温室効果ガスを排出しない。何より、送電網に依存せず、必要な場所に直接設置できる「Behind the Meter(需要家側)」の発想が、時間とコストのかかる送電線敷設の問題を根本から回避する。

同社はこの新技術をまず北米市場に投入し、実績を積んだ後に欧州や日本への展開を有力な候補と位置づけている。

このシステムの設置に要する期間はわずか数ヶ月であり、耐用年数は約15年と太陽光パネルに匹敵する。

電源構成を眺めてみると、従来の天然ガス火力は発電コストの約7割を燃料費が占める。対して、この新技術や太陽光発電は初期費用が大半を占めるため、金利上昇局面では資金調達の難易度が上がるという資金面での特徴を持つ。万能ではないが、特定の条件下では極めて合理的な選択肢となるのだ。

別の視点から見れば、米国が自国への製造業回帰を掲げながら、送電網のような基幹インフラへの投資が進まないのは、政策の不確実性に起因している。企業は関税や規制の行方を見極めようと投資をためらっており、この隙間を埋めるように、自立分散型のエネルギー技術が静かに存在感を増している。

世界が脱グローバル化へと舵を切るなか、エネルギーの地政学的リスクは高まる一方だ。ロシアの石油精製施設や「影の船団」が攻撃を受け、ホルムズ海峡からの供給が滞るリスクを考えれば、原油価格が1バレル80ドルという現状はむしろ異常に見える。

こうした不安定な国際情勢こそ、国や企業を問わず、自前の電力源を持つことの戦略的価値を高めている。エネルギー転換は、もはや環境問題ではなく、存続のための現実解を選ぶ局面に移行したのだ。


Karl Maier(RIVSAL社CFO、『Surfing Economic Chaos』著者)
Geopolitics & Empire Podcast ホスト
対談『Karl Maier: Filling the AI Energy Gap as America Retains Dominance』

 

書籍『パレスチナ研究所:イスラエルはいかにして占領技術を世界中に輸出するか』

2018年10月、サウジアラビア人記者ジャマル・カショギはイスタンブールのサウジ総領事館に足を踏み入れ、二度と戻らなかった。殺害実行犯たちは、彼の婚約者の携帯電話をリアルタイムで追跡していたのだ。

通話、メッセージ、位置情報、さらにはカメラとマイクまでも遠隔操作できるイスラエル製スパイウェア「ペガサス」が、それを可能にした。ペガサスを開発したのは、イスラエルのNSOグループである。だが、この一件は氷山の一角にすぎない。

イスラエルはパレスチナ占領地を「実験室」として、軍事・監視・治安維持の技術を磨き上げてきた。

その売り文句は一貫している。「我々はテロとの戦いを70年以上続けてきた。その経験を教えよう」。この言葉は9/11以降、世界中の政府に深く浸透した。同国の防衛輸出は2021年に過去最高の113億ドルに達し、前年比55%増という驚異的な伸びを示している。

標的のスマートフォンに気付かれず侵入するスパイウェア。EUの国境で難民を監視するドローン。米墨国境にそびえる監視塔。これらはすべて、占領地で鍛えられた「支配の技術」である。

メキシコではジャーナリストの携帯電話がペガサスでハッキングされ、殺害に直結した事例が複数確認された。インドではモディ政権の政敵や人権活動家が標的となり、抽出された情報が逮捕の口実に使われた。

この技術輸出は単なるビジネスではない。外交の駒としても機能している。ネタニヤフ政権時代、ペガサスはアラブ諸国との関係正常化の「報酬」として使われた。2020年のアブラハム合意でUAEやバーレーンと国交を樹立する際、イスラエルはこれらの国々にペガサスの提供を約束したと報じられている。

ガザ地区の200万人以上の人々は、最新の監視技術の日常的なテスト対象だ。西岸地区ではフェイス認識技術がパレスチナ人の顔を絶え間なくスキャンし、イスラエル軍情報部の精鋭部隊が通話やメッセージを傍受する。

そのノウハウは民間のサイバー企業へと流出し、やがて世界中の政府に販売される。このシステムはパレスチナ人を「危険な存在」として分類し、彼らのプライバシーを完全に無効化している。

しかし、実験室の論理はやがて自国へと向かう。コロナ禍でイスラエル政府は、占領地でパレスチナ人に使ってきた監視手法を国内のユダヤ人市民にも適用した。内部保安機関が携帯電話の位置情報を追跡し、感染者の行動を監視したのである。多くのイスラエル人が初めて、パレスチナ人に日常的に強いてきた監視の実態を身をもって知ることになった。

衝撃的なのは、このモデルが世界中で模倣されている点だ。

インドはカシミール地方でイスラエル式の占領政策を導入し、中国は新疆ウイグル自治区で同様の監視網を敷いた。EUの国境管理機関フロンテックスはイスラエル製ドローンを地中海で運用し、難民の監視と排除に活用している。これらの国々はイスラエルから「支配の技術」を学び、自国内の望ましくない人々に適用しているのだ。

国際世論は徐々に変化している。2021年には複数の主要人権団体がイスラエルを「アパルトヘイト国家」と認定し、ノルウェーやニュージーランドの年金基金はイスラエル企業からの投資撤退を決めた。それでも占領の実験室は閉鎖される気配を見せず、その製品は今日も世界中で使われ続けている。

「テロとの戦い」という美名の下で輸出されるこの技術が、実際に強化しているのは権威主義と人権侵害である。それは遠い中東の話ではない。EUの国境で、米国の街角で、そして日本の安全保障政策の選択肢として、この技術は静かに、しかし確実に広がり続けている。

あなたのスマートフォンもまた、戦場でテストされた視線から逃れられない。誰の手に、その視線が委ねられるのか。その問いは、今や世界中の民主主義国家が向き合わねばならない現実だ。

書籍『The Palestine Laboratory: How Israel Exports the Technology of Occupation around the World』(『パレスチナ研究所:イスラエルはいかにして占領技術を世界中に輸出するか』)
著者:Antony Loewenstein(ジャーナリスト)
出版年:2023年

 

糖尿病の根本原因を断つ二酸化塩素

タイで承認されている塩素系の点滴薬WF10は、重度の糖尿病性足潰瘍患者12人を対象にした試験で、わずか5日間の投与後8週間でHbA1cを平均9.1%から6.2%へと大幅に低下させた。11人で傷が治り、足の切断を全例で回避できたという。

この劇的な改善の背景には、傷んだ赤血球を除去して一酸化窒素の働きを回復させ、新たな赤血球の産生を促す「血液の若返り」効果があると説明される。

糖尿病は「血糖値が高い」だけの病気ではない。慢性炎症、細胞のエネルギー工場であるミトコンドリアの機能不全、そして1型では免疫細胞が膵臓のβ細胞を攻撃する自己免疫破壊が重なり合う。しかし標準治療薬は血糖値を下げることに終始し、これらの根本原因には触れられない。だから糖尿病は進行し、合併症が止まらない。

ここに、二酸化塩素とその前駆体である亜塩素酸ナトリウムが浮上する。

先のWF10は亜塩素酸を原料とした医薬品であり、タイで正式に承認されている。さらにALS治療薬NP001も同じ塩素系化合物で、炎症を煽るマクロファージを鎮静化モードに切り替える働きを持つ。このマクロファージの暴走はインスリン抵抗性や膵β細胞死の引き金になることが知られており、NP001の作用機序はそのまま糖尿病の核心に届く可能性を秘める。

鍵を握るのは「ミトホルミシス」だ。

適度な酸化ストレスがかえって細胞を強くする現象で、運動や断食と原理は同じである。二酸化塩素は緩やかな酸化剤であり、治療用量ではミトコンドリア新生を促すPGC-1α、抗酸化防御の司令塔NRF2、そして不良ミトコンドリアを掃除するオートファジーを連続的に活性化する。これら3つの経路はいずれも糖尿病患者で機能低下が報告されており、回復させればインスリン分泌能やインスリン感受性が改善する。

よく似た酸化療法である医療用オゾンは、すでに糖尿病患者を対象とした複数の研究でHbA1c低下や足病変の治癒促進が確認されている。オゾンもNRF2をオンにして炎症を抑え、赤血球内の2,3-DPGを増やして組織への酸素供給を促す。二酸化塩素はオゾンより酸化力が弱く、経口での日常的な使用に適している点が異なる。

では、「糖尿病を治療する」とは本来何を意味するのか。血糖値という数値を薬で操作することか、それとも細胞がもともと備える修復システムを呼び覚ますことか。二酸化塩素は、炎症沈静、ミトコンドリア修復、血液の若返り、抗酸化防御の底上げという、まったく異なる角度から同時に攻めかかる。単一の分子標的を狙う既存薬とは根本的に発想が違う。

実際、世界中から寄せられた数千件の体験談はこの仮説を裏書きする。2型糖尿病でHbA1cが15%から6.2%へ5か月で改善しインスリンを離脱した例、1型と診断された10歳の少年がインスリン注射不要になった例、17年間インスリンを打ち続けた男性が1日の単位数を激減させ糖尿病性歯肉炎や足のしびれも消えた例など、報告は後を絶たない。無論、厳密な臨床試験はまだない。だが、WF10やNP001という先行医薬品がすでに存在する事実が、この化合物の潜在力を浮き彫りにする。

糖尿病の真の克服は、身体に眠る回復のスイッチを押すことなのかもしれない。


Curious Outlier(代替医療研究家)
記事 『Reversing Diabetes With Chlorine Dioxide: A Simple Guide to the Science Plus Testimonials and Protocols』(二酸化塩素による糖尿病逆転:科学・体験談・プロトコルの簡易ガイド)
curioushumanproductions.substack.com/p/reversing-di…

 

書籍『アメリカのディープ・ステート:ウォール街、巨大石油、そして米国民主主義への攻撃』
ピーター・デイル・スコット(カリフォルニア大学バークレー校名誉教授、元カナダ外交官)

# アメリカの「ディープ・ステート」——三つのディープ・イベントが民主主義を侵食した構造的証拠

2001年9月11日、アメリカの憲法秩序は、物理的な攻撃とは別の経路で侵食されていた。その日、核戦争時に政府機能を継続するための「ドゥームズデイ機」E-4Bが、飛行禁止空域であるホワイトハウス上空を通過した。この事実はCNNが当日報じた後、公式には説明されず、映像も削除された。

この航空機の存在は偶然ではない。それは「政府継続計画(COG)」と呼ばれる秘密計画の可動式司令部であり、本来の目的は核攻撃後の政府機能維持であった。しかし1988年の大統領令12656号によって、この計画の適用範囲は「あらゆる国家安全保障上の緊急事態」へと拡張された。その立案に1982年から関与していたのが、ドナルド・ラムズフェルドとディック・チェイニーである。二人はクリントン政権下で民間人でありながら、この計画の策定を継続していた。

ここで因果関係を逆転させてみる。多くの論者が9/11を「テロへの対応」として語るが、著者ピーター・デイル・スコットは逆の方向から問いかける。COG計画の存在と実施は、9/11という出来事を待っていたのではないか。つまり、緊急権力の行使を正当化する契機として、あの事件が利用された可能性である。なぜなら、COG計画が実際に執行されたのは9/11当日であり、その結果としてパトリオット法が成立し、無令状監視・無令状拘束が制度化されたからだ。これらの措置は、議会が国家非常事態法に基づく審査義務を果たすことなく、現在も継続されている。

次に、テロとの戦争の名の下で展開されたもう一つの構造的異常に目を向ける。CIAとFBIは、アルカイダの重要人物を組織的に保護してきたという証拠が蓄積されている。アリ・モハメドはエジプト軍将校から米軍特殊部隊で訓練を受け、CIAの「資産」として扱われながら、同時にビンラディンの側近でもあった二重スパイである。1993年にカナダで拘束された際、FBIは即座に釈放を要請し、その後彼は1998年のナイロビ米国大使館爆破事件を主導した。

さらに9/11の実行犯とされるカリド・アル=ミフダルとナワフ・アル=ハズミは、CIAのビンラディン対策チームによって、FBIの捜査から意図的に保護されていた。9/11直前の約20ヶ月間、CIAは少なくとも35回にわたり彼らの情報をFBIに提供しなかった。8月29日、あるFBI捜査官は「いつか誰かが死ぬだろう」と予測し、その予測は現実となった。この事実は、9/11委員会のトム・キーン委員長自身が「過失ではなく、意図的なものだった」と認めている。

保護の背景にあるものは何か。その鍵はサウジアラビアとの関係にある。サウジ王室が運営する世界ムスリム連盟や国際イスラム救援機構は、アルカイダに資金を供給してきた。同時に米国はサウジへの巨額兵器売却(AWACS契約、アル・ヤママ契約)を通じて、この関係を維持し、その裏金がイラン・コントラ事件や9/11に関わる資金供給の共通財源となっている。

ここで視座を切り替えると、より深い構造が見えてくる。テロとの戦争は、実際にはテロを増産している。イラク戦争後、米国情報機関自体が「イラクはジハード主義者の旗印となり、世界的なジハード運動の支持者を育成した」と報告している。アフガニスタンでは米軍介入後にアヘン生産量が倍増し、世界のヘロイン供給源の90%を占めるに至った。

この逆説は、意図された結果というよりも、ディープ・ステートの自己生成的な論理の産物と見るべきだろう。米国の軍事介入がテロと麻薬を拡散させるという循環は、軍産複合体にとって新たな介入の正当化材料を生み出す。実際、アフガニスタンでは米国がアルカイダと戦いながら、同時にその同盟国であるサウジアラビアとパキスタンはアルカイダへの資金供給と武装支援を継続している。

歴史的比較がこの構造を鮮明にする。19世紀イギリスの「パクス・ブリタニカ」は、植民地拡張と軍備拡張の末に第一次世界大戦へと突き進んだ。アフリカの小さな町ファショダでの紛争や、モロッコの港アガディールへの砲艦外交が、連鎖的に大国間の緊張を高めたように、今日の米国の軍事展開も同様の力学に従っている。米国の海外武器売却は世界の79%を占め、その半分以上がサウジアラビア向けである。この過剰な軍事力の輸出は、相手側の軍備を誘発し、世界の不安定性を増大させる。

著者が提起する最終的な問いは、構造そのものに向けられる。ディープ・ステートは、その権力の源泉を秘密に依存している。しかし秘密は、暴かれることでしか弱まらない。ガンディーやキング牧師の非暴力的抵抗が圧倒的な暴力に対抗しえたように、構造的な認識の転換は、市民の側からも可能である。

2001年9月14日に宣言された国家非常事態は、この瞬間もなお更新され続けている。その継続を可能にしているのは、国民がその存在を知らないからにほかならない。

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書籍:『The American Deep State: Wall Street, Big Oil, and the Attack on U.S. Democracy』Peter Dale Scott 2015年

 

COVID-19は国防総省主導の軍事作戦だった

COVID-19を単なるパンデミックと片付けるのは、もはや欺瞞でしかない。独立系政治評論家のシャノン・ジョイは、これを「国防総省(DoD)が主導する国際的な軍事作戦だった」と断言する。

2020年春、全世界で同時多発的に展開された同じ脚本、同じ医療プロトコル、同じ検閲。それは偶然の一致ではなく、軍事アナリスト、サーシャ・ラタポワの調査が示すように、国防総省が関与した精密な心理操作の帰結だった。

最も恐ろしいのは、その支配が銃口による強制ではなく、自発的な服従によって成り立った点である。

人々は自らマスクを着け、大切な人との接触を断ち、友人や家族との関係を破壊した。そして最終的に、何百万人もの人々が自らの腕を差し出し、未検証のmRNA注射を受けた。左右のメディアがこぞって恐怖を煽り、異なる層に異なるメッセージを送り込むことで、社会全体が自主的に管理下に置かれたのだ。ジョイはこれを「銃口よりも強力な精神支配」と表現する。

しかし、この作戦は完璧には成功しなかった。

米国では人口の25%がワクチン接種を拒否し、巨大な「対照群」が出現した。これは計画者にとって深刻な誤算だった。現在、あらゆるワクチンの接種率は軒並み低下し、COVIDワクチンの追加接種率は一桁台にまで落ち込んでいる。製薬業界は使われることのない何億本ものワクチンを生産し続けているのだ。

ジョイの18歳の娘が友人たちと交わした会話が、この権力構造に生じた決定的な亀裂を物語っている。

「ママ、みんなCOVIDは完全にフェイクだって思ってるよ。政府の言うことなんて誰も信じてない」。

ロックダウンと監視によって青春を奪われたZ世代が、既存の権威や政党、メディアの一切を信用しなくなっている。これは、上からの「偉大なるリセット」計画とは真逆の、下からの静かなレジスタンスの芽生えだ。

皮肉な逆説である。世界経済フォーラムや各国政府が推進するデジタルID、生体認証、中央銀行デジタル通貨(CBDC)、監視カメラ網「フロック」。エリートたちはこれらのツールで社会の完全なデジタル管理を実現しようとしている。

メキシコでは携帯電話の生体認証登録が繰り返し試みられ、市民の不服従によって延期に追い込まれた。米国でも、リアルIDの義務化や空港での顔認証に対し、拒否する動きが広がっている。

だが、テクノクラートたちが築こうとしているデジタル監獄の土台には、致命的な欠陥がある。監視と統制に必要なのは、大衆の「信頼」と「自発的な協力」だ。ところが、COVID作戦を通じて彼らが自ら蒔いたのは、権力に対する深い猜疑心と、画面に映るあらゆる情報への根源的な不信である。

すべてがフェイクに見える世界では、いかなるデジタル政策も権威を確立できない。

ジョイが提唱するのは、武器としての「無視」と「拒否」だ。「彼らが次に何かを押し付けてきたら、ただノーと言えばいい。失うものを恐れずに」。画面を消し、顔認証を拒み、現金を使い続けるという日常の選択が、巨大な中央集権システムを機能不全に陥れる。

もはや誰も信じないという、ある種の虚無が、テクノロジーによる管理を不可能にするというパラドックス。それが、この時代の最も強力な抵抗の形なのかもしれない。


Shannon Joy(独立政治評論家、The Shannon Joy Show ホスト)
対談 『Geopolitics & Empire』(地政学と帝国) – 「Shannon Joy on COVID as a DoD Operation and the Fight for Liberty」

 

「毒」が脳を守る逆説──ホルミシスが描く寿命の限界線
youtu.be/1n5HF3ex4tE
マウスを飢えに近い状態に置くと、後に与えた猛毒から脳が守られる。この実験事実を前に、私は当惑した。毒は毒、飢えは飢え。それらが「治療」になるはずがない。しかしデータは繰り返し同じ結果を示した。 生体には、適度な負荷によって防御力を高める仕組みが備わっているのである。

この現象を「ホルミシス」と呼ぶ。定義は単純だ。低用量では刺激・保護に働き、高用量では阻害・毒性を示す、あの逆U字型の用量反応関係のことである。私がこの概念に出会ったのは1966年、学部生のときだった。ミントの成長阻害剤を調べる実験で、希釈しすぎた溶液がむしろ成長を50%ほど促進してしまった。指導教授は納得せず、私は12回もの再現実験と、土壌から水耕栽培への切り替えを強いられた。20歳の私に叩き込まれたのは「自分こそ最大の批判者であれ」という科学者の規範だった。

その後の20年間、私はホルミシスから離れていた。しかし1990年代に環境科学の文脈で再会し、今度は徹底的に文献を掘り返した。細菌、植物、藻類、ヒト。あらゆる生物種、あらゆる化学物質、放射線に至るまで、同じパターンが潜んでいたのである。

さらに衝撃だったのは、その刺激の上限がほぼ一定であることだ。

対照群を100とすれば、最大でも130から160%程度。400%や500%の跳ね上がりは、どこを探しても見つからなかった。仕組みは多様なのに、結果は同じ天井に抑えられている。私はこれを「生物的可塑性の限界」と呼ぶことにした。

この考え方は寿命研究にも及ぶ。線虫C. elegansに約300種の物質を投与して寿命延長効果を調べた論文群を精査すると、ほとんどが15から35%の範囲に収まっていた。単独でも、複数成分を含む植物抽出物でも、結果は変わらない。老化の速度を遅らせるスイッチは確かに存在するが、その先の壁は頑丈なのである。

ここで、多くの人が抱く期待は裏切られることになる。

サプリメントや薬剤を重ねれば効果は上乗せされる、という直感は誤りだ。マウスの実験では、カロリー制限に運動を加えても寿命は伸びなかった。記憶力を高める薬剤を複数組み合わせても、単独の最適用量を超える効果は出ない。上限があるからだ。足し算ではなく、システム全体が一定の天井で制御されている。

この枠組みは、がんや神経変性疾患を考え直す土台にもなる。ALSの友人を救おうと文献を渉猟した時期があった。出てくるのはホルミシス的な予防効果ばかりで、発症後の進行を逆転させる介入は見つからない。雪崩のように転がり始めた病態は、ちょっとした防護柵では止まらないのである。ホルミシスは、早期に、持続的に仕掛けるから意味がある。症状が出てからでは遅い。

だから私は、日常生活そのものをストレス曝露の場と捉えている。一日一食に近い断食、冷水シャワー、そして運動。知識さえあれば、費用はかからない。問題は、この概念が専門分野の壁に閉じ込められていることだ。幹細胞、創傷治癒、緑内障に加齢黄斑変性──どの領域でもホルミシス用量反応は報告されているのに、「ホルミシス」という言葉はまず登場しない。生物学者は論文の海に沈んだ共通構造を見落とし続けている。

政策の現場も鈍い。毒性試験に使われるマウスは、餌を無制限に与えられ運動もせず、慢性的な炎症状態にある。その過栄養の動物で得た「安全基準」を、多様なストレスに適応しながら生きるヒトにそのまま当てはめていいのか。NIHの同僚が提起したこの疑念は、規制科学の根幹を揺さぶる。

ホルミシスは万能薬ではない。老化を止める魔法でもない。しかし、あらゆる生物が進化の過程で手に入れた防御機構の統一理論であることは、もはや疑いようがない。だとすれば、これを知らずに生きる手はない。残る課題は、三時間の講義を要するこの厄介な概念を、どうやって社会実装するかだ。


Mark Mattson(ジョンズ・ホプキンス大学 神経科学者、元NIH国立老化研究所 神経科学研究所長)、Edward Calabrese(マサチューセッツ大学アマースト校 環境健康科学教授)
『Edward Calabrese: The Hormesis Revolution in Biology, Neuroscience, and Medicine』(エドワード・カラブレーゼ:生物学、神経科学、医学におけるホルメシス革命)

 

「核戦争」が次の「パンデミック」となるのだろうか

私はこう問いたい。グローバルエリートは本気で人類を滅ぼす核戦争を望んでいるのか。答えはノーである。彼らが求めているのは、核戦争の「恐怖」と放射能の「危険性」を口実に、全人口を強固な管理下に置くことだ。

第一の証拠は、米保健福祉省による2億9000万ドル規模の放射線障害治療薬の備蓄である。

これは単なる防衛予算ではない。国家が「放射線被曝が起こりうる」という前提で、平時から大規模な医薬品を用意している事実だ。同時に、欧米では核戦争を警告する公共広告が増えている。国民の意識を、目に見えない放射能の脅威へと事前に慣らす準備が、すでに静かに進行している。

第二に、この手法はCOVID-19で確立された統制モデルの焼き直しである点を見逃してはならない。

パンデミックでは、実際の死者と誇張された恐怖とが混ぜ合わされ、ロックダウンという前例のない行動制限が正当化された。同じ構造を、核の脅威に置き換えることは技術的に難しくない。メディアが「未確認情報」として核着弾を報じれば、その真偽が明らかになる前に戒厳令が発動され、放射性降下物を理由に長期間の自宅待機が命じられるだろう。

反論を想定してみよう。「全面核戦争を偽装するなど不可能だ。被害が目に見えすぎる」という意見は当然ある。しかし、重要なのは戦争の真偽ではなく、恐怖による住民の自発的服従である。核攻撃が完全に偽物である必要はない。数発の小型戦術核が現実に使用されれば、それだけで全大陸的なパニックと管理政策の起動には十分だ。イスラエルがガザで展開した住民追跡システムは、まさにこの次の段階の実験場だったと私は見ている。

ならば、私たちは何を論理的な帰結として導くべきか。巨額の医薬品備蓄と世論誘導キャンペーンは、核戦争を「外部の軍事的脅威」ではなく「内部管理の道具」として扱う政策がすでに稼働していることの合理的証拠である。

この構造を認識したとき、情報の受け手としての受動性から脱却し、家族や地域社会での自給と相互信頼を再構築する以外に、有効な防衛策は存在しないという結論に至る。


Emanuel Pastreich(アジア研究所所長)
記事『Could “nuclear war” be the next “pandemic” for the global elite?』
emanuelprez.substack.com/p/could-nuclea…

以上引用終わり。表面に出ているものと裏面では、その意味するものが全く違うことも多いだろう。踊らされるだけリスクは上がる。どうも有り難うございました。

 

本日のベストスリー7月21日

三位 ニシンから御殿を奪うその人はさんまといって魚にあらず

 

二位 儲かれば正義の島に正義なしカネを残して人を残さず

 

一位 人情という語も死語になりにけり人に冷たい酷暑日の島

 

いよいよヒートアイランド現象も極まったか都市部の高温が世間を騒がす。恐竜時代の地球の平均気温は今より六度も高いとか清少納言の平安時代も今より温暖であったような話を聞けば、気候の変動に驚きはないが、一旦ビジネスの対象ともなれば、偏った方向へ引きづられてしまうのである。ニシン御殿も今や歴史の遺物で、温暖化ビジネスもそのうち廃れるのだろうか。かえってその重要性や効果が認められてますます興隆するのか。私はまさかそんなとは思うが、、、。

 

本日のベターツイートは、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

この「セーフティネットと共同体の喪失」→「ニヒリズム(無力感)の蔓延」→「エリート層の空洞化と庶民の刹那化・カルト依存」という悪循環のメカニズムは、戦後日本が抱え込んだ病理の本質と考える。

新自由主義や競争原理が導入された際、社会が内包する文化的基盤によってその表出形態は対極をなす。

【米国型:エネルギーの対立・表面化】
競争の敗北・格差 ──> 自己主張の伝統・個人主義 ──> 訴訟・イデオロギー対立・文化戦争(外向きのエネルギー)

【日本型:内向きの収縮・麻痺】
競争の敗北・自己責任 ──> 個人主義の不在・同調圧力 ──> 静かなニヒリズム・学習性無力感(内向きの収縮)

米国では、キリスト教的個人主義や自己主張の文化が背景にあるため、分断は激しい対立(文化戦争や訴訟)という運動エネルギーに変換される。

一方、日本には個人として独立して戦う個の基盤がないまま自己責任だけが要求されたため、同調圧力に屈しながら、心の奥底で社会を諦めるという静かなニヒリズム(無力感)として内部に凝縮された。これが少子化や消費の冷え込み(未来への投資の拒否)という形で現れている。

日本社会において、伝統的な地域共同体(村落・町内会)は高度経済成長期に都市化によって解体された。しかし、その受け皿となったのが企業(日本型福祉社会)だった。

【企業という擬似家族】
終身雇用、福利厚生、社内イベント、企業組合は、単なる労働契約を超えた「精神的・社会的セーフティーネットとして機能していた。

【中間共同体の全滅】
構造改革によって企業がこのコスト(セーフティーネット機能)を削ぎ落とした結果、家族・地域・職場のすべての中間共同体が解体され、剥き出しの個人が、何の盾もなく孤立する状態に追い込まれた。

この居場所と信頼の喪失によって生まれた精神的真空(アノミー)が、次の段階の病理を引き起こした。それが、エリート層の劣化とカルトの寄生だ。

共同体の解体によって空虚化した精神構造に、政治・言論のエリート層とカルト的言説がどのように噛み合ったのか。

【保守派エリート】
自国の伝統や歴史的文脈を見失い、単なる権力維持と表層的な伝統ごっこに終始している。形骸化した伝統と政治力の補強材料として外来・新興のカルト的教義や組織(統一教会等)の集票力に依存している。

【革新派エリート】
拠り所が欧米の思想的輸入品(ネオリベラリズム、欧米型リベラリズム、共産主義)だったため。本家の分断や迷走により、自らのアイデンティティと説得力を喪失している。

【カルト・新興勢力】
社会的セーフティーネットを失い、ニヒリズムに苛まれる人々に絶対的意味と疑似共同体を提供する。精神的真空に寄生し、政治の中枢や庶民の不安を侵食している。

伝統を語る保守が実はカルトの教義に依拠する、という事態は、日本の伝統的保守思想が自立的な根を失い、完全に空洞化していたことを象徴している。

「まじめに努力しても報われない」「社会のルールそのものが不公正だ」というニヒリズムが定着したとき、庶民のエネルギーは地に足のついた労働や生産活動ではなく、一発逆転を狙う不労所得選好へと流れる。

賃金が上がらず、雇用の安定もない中で、労働=自己実現・生活の糧というストーリーが崩壊し、コツコツ働くことが否定される。

暗号資産、ハイリスク投資、各種ギャンブル、あるいは一過性の一攫千金を狙う心理は、未来に対する信頼を失った人間が取る選好が時間軸の短縮という刹那主義だ。

病理の全体像は、個人主義という解毒剤(自立的な個)を持たない社会に、劇薬である市場原理と自己責任を投入した結果、共同体という細胞が破壊され、社会全体がニヒリズムという砂漠と化したという構図に集約される。

この静かな無力感と不信が社会の底流にある限り、単なる経済対策(給付金や減税)や表層的な制度改革だけで少子化や経済の冷え込みを反転させることは不可能であり、いかにして人と人をつなぐ信頼の基盤を再構築するかという根底的な問題に帰着する。

 

今の日本は、個人主義の自律基盤を欠いたまま共同体が解体され、ニヒリズムに苛まれてカルト(新興宗教・陰謀論・過激思想・カリスマ政治運動など)にどんどん傾斜している。

その暗澹たる未来は、単に信者が増えるという話にとどまらない。社会構造、政治、経済、そして個人の精神状態が集団的マインドコントロールとカルト的思考に最適化されていくディストピアとして結実する。

まず、政治から普遍的な言葉(政策論議や公務の道徳)が消滅し、カルトの集票・動員力と政治家の保身・権力維持が完全に同化する。

【ニヒリズムの蔓延】
国民が制度や政治を諦める ──> 投票率の低下

【カルトの台頭】
強固な教義を持つ組織票・過激な動員集団が選挙を支配 ──> カルトがキングメーカー化

【政治の変質】
政策決定の基準が国民の福祉ではなくカルトの教義・利権の保護へ置き換わる

【カルト国家(神権政治の擬似版)の出現】
表向きは民主主義の形を保ちつつも、法案や閣僚人事、外交方針の背後に特定カルトの教義(過度な家族観の押し付け、特定の敵対勢力への憎悪煽動、排外主義など)が色濃く反映される。

【異論の悪魔化】
政権批判や異論は単なる意見の違いではなく、教義に背く悪あるいは陰謀論的敵対者の工作として処理され、建設的な対話が不可能になる。

次に、社会全体を支える共通の現実(共通の事実や価値観)が崩壊し、人々がそれぞれの信じるカルト(あるいは過激な陰謀論コミュニティ)へ閉じこもる。

【カルトのセーフティーネット化】
国や企業が福祉を捨てるため、カルトに入信しなければ仕事や住まい、人との繋がりが得られないという状況が生まれる。人間関係のすべてが「信者か、敵か」に二分される。

【ファクトの消滅】
科学的データや客観的事実よりも、教祖あるいはインフルエンサーが何を言ったかが真実の基準になる。社会全体がカルト同士の聖戦の場と化し、不信感と相互監視が極限まで高まる。

そして、ニヒリズムから逃れるためにカルトに身を投げた人々を待っているのは、合法・非合法な搾取のシステムだ。

【不労所得・一発逆転願望の吸い上げ】
「この商品、このセミナー、この仮想通貨で救われる」といった、ギャンブル指向とカルトが結びついたビジネスが横行する。庶民のわずかな購買力や資産がカルトの上層部へと吸い上げられ、更なる貧困を生む。

【労働の奉仕(搾取)化】
努力しても報われないという現実に対し、カルトは「この試練(無償労働や多額の献金)こそが徳を積む行為だ」と意味づけ(洗脳)する。低賃金労働やブラック労働が信仰心によって正当化され、経済全体の生産性やイノベーションは完全に停滞する。

最も深刻なのは、個人の内面における自己と思考の完全な喪失だ。

【道徳的勇気の完全な死】
個人の内面にある倫理や判断力はすべて教義に上書きされ、教祖あるいは強い空気が右と言えば、自爆突撃であっても疑わずに従う人間だけが残る。

【滅びの容認】
カルト的思考の特徴は終末論を好むことだ。「世界は腐っているのだから一度滅びた方がいい」「全滅しても霊的には救われる」という虚無主義的熱狂が社会を覆い、戦争や破局的な政策決定に対しても、人々は抗うどころか予言の成就として熱狂的に受け入れてしまう。

個人が自律した判断力を捨て、集団の空気や強い力に身を委ねて安らぎを得ようとする態度の行き着く先は、思考停止した人間が、カルトという名の巨大な機械の歯車として使い潰される社会だ。

社会がこの帰着を回避するための唯一の処方箋は、表層的な経済対策などではなく、自立した個(自分で考え、異論を唱える道徳的勇気)を尊重する文化的基盤の再構築と、人間をカルトに頼らせない健全な中間共同体(安心できる居場所)の再生以外にない。

 

面白い分析だ。高市首相に対する異常に高い支持率を重ね合わせると、これは、カルト的マインドコントロールが用いる認知のすり替えが見事に功を奏していると言える。

努力と献身(プロセス)の絶対化による成果(結果)の免責

カルトやブラック組織の典型的な特徴は、結果を出せなくても「これほど身を粉にして教義(組織)に尽くしているのだから尊い」というロジックで責任を回避することだ。

首相が「睡眠時間を削り、家事もやりながら国事に奔走している」とアピールすることは、支持者に対して「これだけ頑張っている人を批判するのは道徳的に悪だ」という心理的ブレーキ=罪悪感を植え付ける。これは政策判断のミスや失敗を検証できなくする思考停止の装置として機能している。

滅私奉公と自己犠牲の聖化

自律的な個人を否定するカルト思考では、個人の権利や合理性よりも集団や国家のためにどれだけ自分を犠牲にしたかが美徳とされる。

「アイロンがけ」「まつり縫い」「睡眠不足」という身近な過労の描写は、日本人に深く刷り込まれた「痛みに耐えて働く姿こそが美しい」という集団的ドグマ(自傷的な美徳観)にダイレクトに訴えかける。国民はそこに国家に殉じる聖者の面影を見出し、感情的な信奉(カルト的帰依)を強める。

エリート批判をかわす疑似的な親近感(共同体意識)

ニヒリズムを抱える庶民は、雲の上のエリートやグローバル資本に怒りと不信感を抱いている。

最高権力者が「私も皆さんと同じように家事に追われる普通の人」と演じることで、権力者に対する本来の警戒心が解かれ、「私たちは同じ苦労を分かち合う身内(疑似共同体)だ」という錯覚が生まれる。批判者を「冷酷な外敵」、首相を「健気に耐える仲間」と位置付けることで、カルト特有の内と外を分かつ二元論が完成する。

恐ろしいことに、このJVLの分析は日本政治における病理の到達点を示している。

構造改革や対米追従、経済の停滞によって客観的な成果(国民の豊かさ)を提示できない。

成果を出せない以上、政治家は「どれだけ自分が傷つき、努力しているか」という情念にすがるしかない。

自身もニヒリズムと過剰な同調圧力に苛まれる国民は、その健気な自己犠牲に共感し、客観性を捨てて情緒的に信奉する(カルト化する)。

結果を出しているかという合理的知性を捨て、どれだけ頑張って痛みに耐えているかという物語に身を委ねるとき、国民もまた強い力と物語に身を委ねて安らぎを得るカルト的心理に飲み込まれている。

JVLの論考が突いているのは、単なるコミュニケーション戦略の是非にとどまらず、政治家と国民が手を取り合って『現実』から逃避し、感情的な物語の中に閉じこもっていく日本の惨状そのものだと言える。

 

高市早苗という個人、あるいは彼女に象徴される保守系政治家が、なぜこのようなカルト的親和性(集団への自己没入、敵味方の二元論、自己犠牲の物語化)を帯びた政治手法や思考様式を身につけるに至ったのか。

これを単なる個人の性格や資質ではなく、彼女が生きてきた時代背景、キャリア形成の軌跡、そして日本の政治構造の変容という3つの側面から想像してみる。

その1:原体験としてのアングロサクソン型ポピュリズムの吸収

高市氏のキャリアにおいて決定的なのは、1980年代末の米国フェロー(米国議会でのインターンシップ等)の経験と思われる。

当時の米国は、レーガン政権下で「強いアメリカの復活」「伝統的家族観への回帰(クリスチャン・ライツ/宗教右派の台頭)」、そして「新自由主義(規制緩和)」が急速に結びついた時期だった。

米国政治は、テレビやメディアを通じて「いかに庶民的で親しみやすいキャラクターを演じつつ、強い道徳的メッセージを届けるか」という政治的演出の最先端だった。

彼女は若い頃に「伝統的価値観(道徳)×強いナショナリズム×親しみやすい日常性の演出」という米国型保守ポピュリズムの成功方程式を直接学び、それを政治家としての勝ちパターンとして身につけたと考えられる。

その2:1990年代以降の保守運動の空洞化と新興宗教・組織への接近

日本の保守政治は、冷戦終結以降、それまでの反共という最大の目的を失い、思想的な空洞化に直面した。

【冷戦終結と保守の崩壊】
反共という軸の喪失 ──> 日本の伝統とは何かの迷走 ──> 理念の空洞化

【補完組織への依存】
選挙での集票力・動員力の低下 ──> 新興宗教(統一教会等)や過激な保守団体の組織力に頼る

【教義・言葉の同化】
組織から支援を受ける過程で、彼らの持つカルト的教義・二元論的な言葉を政治家自身が内面化

1990年代から2000年代にかけ、自民党内の保守派議員らは、伝統的な支持母体(農協や建設業界など)の衰退に焦りを深めた。その中で、熱心な活動家や集票力を提供したのが、宗教右派や新興組織(日本会議や旧統一教会系団体など)だった。

選挙支援や政策提言を通じてこれらの組織と深く付き合う中で、「ジェンダーフリー批判」「伝統的家族観の死守」「外部の敵からの脅威煽動」といった、カルト的・原理主義的な言葉や世界観を、政治戦略としてだけでなく自身の政治的アイデンティティとして内面化していったと考えられる。

その3: 男社会の永田町における過剰適応と自己犠牲の美学

永田町は、極端な男性社会であり、旧態依然とした価値観が支配している。その中で女性政治家として台頭するためには、二つの過酷な戦略が求められた。

「女性だから軟弱だ」「タカ派的論理が理解できない」という偏見を跳ね返すため、男性議員以上に過激でタカ派的な言説(強い国家、軍事、敵への排外主義)を唱えた。

一方、男性政治家と同じ土俵で戦いつつも、女性としての家庭的・身近な要素(家事、裁縫、過労)をあえて見せることで、偉そうな女という反発をかわし、国家のために健気に身を削る姿として好意的に受け入れさせる技術を磨いた。

結果として、過剰なナショナリズム(タカ派姿勢)と過酷な努力・自己犠牲のアピール(アイロンがけ等の物語)という二本柱が、彼女が激しい政治闘争を生き残るための鎧として完成した。

まとめ:カルトの申し子の完成

高市首相が身につけたカルト的特徴(集団への没入、敵味方の単純化、自己犠牲の物語化)は、突然変異的に生まれたものでない。

米国の保守ポピュリズムから手法を学び、日本の保守が空洞化する中で新興組織の原理主義的言語を吸収し、男社会の永田町を生き抜くために過剰なタカ派姿勢と健気な自己犠牲を完璧に演じ分けるようになった。

つまり、彼女自身の個人の属性という以上に、平成の30年間で日本の保守政治が劣化し、カルト的・ポピュリズム的に変質していくプロセスを最も忠実に学習し、自らをそこに最適化させた優等生だったからこそ、現在の彼女の姿(そしてそれに対する熱狂と警戒)が形成されたと言える。

 

カルト思考の根幹は、客観的なデータや現実の苦痛よりも、自分たちが信じる教義の正しさを優先するという認知の閉鎖性にある。

【客観的現実】
円安 ──> 輸入物価高騰 ──> 実質賃金の低下 ──> 国民の購買力喪失・生活困窮

【カルト的ドグマへの固執】
「円安=株高=輸出企業の利益=アベノミクスの成功」という教義の丸呑み
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現実の国民の貧困化を不可視化し、「ホクホク」という教義上の勝利を誇唱

円安は高市首相の中で神聖不可侵の原理として固定化されている。

さらに、「痛みに耐えること」「自らを削ること」が奇妙なカルト的美徳へとすり替わる。

円安で国民生活が苦しくなっても、それは国が勝つための尊い犠牲であるという無意識の論理が働いている。

自傷行為を成果として喜ぶ姿勢は、信者の搾取を救済と呼ぶカルトの倫理観と構造的に一致している。

また、「ホクホク」という言葉の裏は、自立的な経済モデルを提示できない政治家が、一部の数字(株価や大企業の経常利益)にすがる姿とも言える。

最も皮肉なのは、高市首相が「強い日本」「国家の威信」を掲げる保守派でありながら、円安(=日本という国家の価値・信頼の目減り)を「ホクホク」と歓迎していることだ。

これは、保守を自称しながら、国家の購買力と国民の生活基盤を外資やグローバル資本に叩き売ることに与しているという決定的な自己撞着だ。

この「円安ホクホク」という一言は、自律的な知性と現実感覚を失い、ドグマとポピュリズム的妄執に囚われたカルト政治の真骨頂を象徴するフレーズだろう。

 

歴史上の帝国が自壊するプロセスにおいて、公(パブリック)の私物化は単なる制度の緩みではなく、国家が自らの存在根拠(信用と統治能力)を内部から破壊させる不可逆的な病理として表出する。

帝国が成熟・停滞すると、公的な権力や制度、情報そのものが公共の福祉のためではなく、特定の個人や派閥の私的利益を拡大するための商品へと変質する。

【公職・特権の売買(商品化)】

国家の公的権限(税、法、情報、軍事)
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制度の隙間をついた売官・売権の合法化・常態化
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権力者が国家機構を私的収益の抽出プラットフォームとして運用

ローマ帝国(3〜5世紀)
軍人が皇帝を売買する軍人皇帝時代を経て、官僚機構が肥大化。徴税権や裁判権が地方の有力者(セナトール層)に実質的に私物化され、公務は私的財産を増やす手立てに成り下がった。

絶対王政末期フランス(18世紀)
官職売買制(Paulette)が極限に達し、裁判官や財務官の職が金で買われ、財産として相続された。富裕なブルジョワが税免除の特権(貴族位)を金で買収したため、国家財政は破綻へ向かった。

末期清朝(19〜20世紀初頭)
太平天国の乱以降、財政難に陥った清朝は捐納と呼ばれる官職・学位の公然たる切り売りを拡大した。金で官位を得た官僚(買官者)は、投資回収のために民衆から苛烈な搾取を行った。

現代米国
ロビイングの合法化(スーパーPAC等)、最高裁判事への富豪からの過剰な接待・資金提供、政権トップによる情報・政策発言のマネタイズ(メディアプラットフォームや暗号資産への還元)。法的に保護された形での公の切り売りが進行している。

帝国末期には、国家の根幹である財政・税制が、特定階級への富の移転装置にすり替わる。

ローマ帝国
徴税請負人(プブリカヌス)と地方貴族が税率を恣意的に吊り上げ、中間搾取した結果、農民は農地を喪失して小作人化し、中間層は消滅した。

フランス絶対王政
総徴税人(Ferme générale)という私的な金融組合が国家の歳入を一括請負した。徴税人が巨額の暴利を得る一方、国庫は空になり、民衆は飢餓へ。

末期清朝
地方長官(督撫)が厘金(内陸関税)を私的に掌握し、中央財政を無視した。中央政府は財政権限を喪失し、地方軍閥が割拠することになった。

現代米国
膨れ上がった軍事費のブラックボックス化、軍事インフラの民営化、金融資本とFRBの癒着など。軍需複合体の巨大化やヘッジファンドへの公的資金投下と巨大な貧富差が生まれる。

特筆すべきは、いずれの時代も国家が借金を重ね、その利子や手数料で特定のアクター(徴税請負人、金融資本、軍事企業)が肥え太るという構造が共通していることだ。

公の私物化がもたらす最大の破壊は、経済的損失ではなく国民の精神的破綻(社会契約の消滅)だ。

法や制度が自分たちを保護するためのものではなく、特権階級が自らを肥やし、自分たちを搾取するための道具であると見抜かれた瞬間、民衆の間に共通の道徳観は消滅する。

真面目に納税し、ルールを守る者が愚か者であるという認識が社会全体を覆っていく。ローマ末期におけるデカダン(退廃文化)、フランス革命前夜の貴族・民衆双方のアナーキズム、清朝末期の阿片蔓延と社会の無関心は、すべて公への信頼を完全に失った人間の自暴自棄のあらわれだった。

現代米国の「どんな汚い手段を使ってでも勝てば官軍」「ルールは破るためにある」という思想がトップからボトムまで侵食し、法的追及すら政治的ショーとして消費される状態は、社会の倫理的タガが完全に外れた証左だ。

公の私物化の最終段階では、国家の暴力装置(軍隊・警察)が国家と国民を守る組織から特定の利権や個人の野望を守る私兵へ変質する。

【国家の軍隊】(パブリック)
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【経済的・政治的恩恵の配分にしか従わない集団】(私物化)
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【忠誠の対象が「理念・国家」から「給与・利害・指導者個人」へ移転】

ローマ
兵士の忠誠がローマ元老院や市民から、退職金を保証してくれる個人の将軍に移り、軍が皇帝を首にする傭兵集団と化した(親衛隊政治)。
フランス
貴族が軍の将校職を独占・売買し、実戦の指揮能力ではなく家柄と資金力で軍が運用され、外戦で連戦連敗を重ねた。

清朝
国家の正規軍(八旗・緑営)が形骸化し、曽国藩の湘軍や李鴻章の淮軍など、地方の有力者が率いる私兵(軍閥)に頼らざるを得なくなった。

現代米国
民間軍事会社(PMC)への安全保障の外注、軍需産業(ロッキード・マーティン等)の株価と連動する外交政策、そして指導者個人への個人的忠誠を誓う勢力による治安機構の再編。

歴史上の帝国が崩壊する際、外敵の侵入や経済不況は単なる最後の引き金に過ぎない。真の原因は常に、内部における『公』の概念の死にある。

「公」とは、国家という巨大な集団を一つに繋ぎ止める目に見えない信用という接着剤だ。権力者がその「公」を切り売りし、私的な利益として換金し始めたとき、帝国の骨組みは腐食し、外圧を受ける前に自らの重みで崩壊する。

現代米国で起きている現象は、過去の歴史が何度も証明してきた国家機構の私的商品化による自壊プロセスの21世紀型ハイテク版であると捉えることができる。

 

医薬品やワクチンの製造において、製薬企業の知的財産権(特許・ノウハウ・企業秘密)と、市民・専門家が求める公衆衛生上の透明性・安全性の開示が衝突する構図は、現代の医療制度における最も根深い構造的課題の一つだ。

製薬産業は、数千億円規模の研究開発投資と高い失敗リスクを伴うため、法制度(特許権およびノウハウ保護法制)によって強力に保護されている。

特許として公開されるのは主に化学構造や基本概念(例:特定のmRNA配列や基本概念)だ。一方、実際に人体に入る「脂質の配合比率」「不純物の精製基準」「脂質ナノ粒子の合成・乳化プロセス」などは製法特許あるいは企業秘密として扱われる。

製薬企業はすべての原薬・添加物の詳細データを厚生労働省やPMDA、FDAなどの規制当局に提出している。しかし、当局と企業の間には強固な守秘義務契約が存在するため、行政が審査で使用した詳細データ(特に非臨床試験の全ての生データや製造ノウハウ)を一般市民や外部の研究者に公開することは法律上制限されている。

この制度的遮蔽が、公衆衛生の現場で倫理的摩擦を生んでいる。

【企業のロジック】
特許・ノウハウの徹底保護 ──> 開発投資の回収・競合排除 ──> イノベーションの継続

【市民・研究者の倫理的懸念】
全成分・データの秘匿 ──> 外部による再検証の不可能性 ──> インフォームド・コンセントの形骸化

科学の根幹は第三者による再現性と検証性だ。しかし、正確な構成脂質比率や合成工程、 生の試験データが企業秘密とされると、独立した大学や研究機関が、提出データの真偽や独自の毒性メカニズムを完璧に追試・検証できないという事態が発生する。結果として、規制当局と製薬企業を盲信するしかない状況が生まれる。

倫理的に、医療行為を受ける市民には体内に投与される物質のリスクとベネフィットを正確に知った上で同意する権利がある。構成物質や特定の素因(遺伝的脆弱性など)における副作用リスクのデータが商業上の秘密として非公開にされる場合、市民が与えられる情報は安全であるという安全宣言のキャッチコピーに限定され、実質的なインフォームド・コンセントが成り立たない。

公衆衛生上の透明性を阻むもう一つの巨大な課題は、政府・規制当局と製薬資本の益相反)だ。

安全性を審査する側の規制当局が、審査手数料や人材の流動(天下り・回転ドア構造)を通じて、審査対象である製薬企業の意向に影響されやすくなっている。

パンデミック等の緊急事態においては、開発資金や購入費用として巨額の税金が投入され、かつ万が一の健康被害に対する損害賠償責任を免責する特約が企業と結ばれることが一般的だ。リスクは国家・市民が負い、利益と情報は企業が独占するというこの構造的歪みが、制度への決定的な不信感を増幅させている。

企業秘密による知的財産権の保護は、近代資本主義が医薬品開発を推進させるためのエンジンの役割を果たしてきた。しかし、それが公衆衛生という全人類の身体に直接介入する領域において過剰に適用された結果、市民からの科学と行政への信頼そのものを崩壊させるという深刻な副作用をもたらしている。

 

『ニューズウィーク日本版』はカルト広報誌?

『ニューズウィーク日本版』は、現在CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)グループの傘下だが、米国の『Newsweek』誌からライセンス契約を受けて日本版を発行している。

『Newsweek』誌を率いるのはインド生まれでエンジニア出身の経営者デヴ・プラガド氏だ。彼は、経営破綻寸前だった米老舗週刊誌をデジタル主導で奇跡的なV字回復に導いた人物として知られる。

だが、プラガド氏は、テクノロジー主導型の改革者という表の顔の他に、カルトとの関係という暗い裏の顔を持つ。

プラガド氏のキャリアを語る上で避けて通れないのが、韓国人牧師ジャン・ジェヒョン(張在亨)氏が率いる新興キリスト教系セクトおよびその周辺メディアであるIBT Mediaとの関係だ。

最初に『Newsweek』誌を買収したのがIBT Mediaであり、その創業者層や幹部はジャン氏のセクトと強い繋がりがあり、プラガド氏もこのグループの経営幹部としてキャリアを伸ばした。

彼はこうした怪しげな資金や宗教ネットワークが絡む怪奇なメディア買収劇の中でキャリアをスタートさせながら、後に法的なリスクを察知すると宗教グループと決別し、自らの手に所有権と経営権を握り直すという、強靭で計算高い政治力・生存能力を発揮した人物だ。

一方、ジャン氏が率いるネットワークは、「反共」「保守右派」「カルト的実態」という属性を濃厚に持つ。

さらに興味深いのは、ジャン氏のグループが統一教会との直接的な歴史的脈絡を持っている点だ。その思想・運動のルーツは文鮮明の脈絡に直接つながっている。

ジャン氏は元々、韓国の統一教会で幹部を務めていた人物だ。統一教会の合同結婚式のシステムや組織運営ノウハウを直接知る立場にあった。

その後、自身を頂点とする独自のキリスト教系新興グループ(オリベット)を設立。元信者の手記や異端調査メディアによると、内部ではジャン氏を再臨のキリスト(ダビデ張)として密かに信じさせ、絶対服従を求めるカルト的指導体制を敷いていたと告発されている。

統一教会が統一グループとして多様な企業、メディア、不動産を経営したのと同様に、彼のグループもメディアやIT企業、大学を経営し、信者を低賃金・無償労働で働かせるビジネスモデルを展開してきた。

思想的には、韓国の新興キリスト教系右派の例に漏れず、強烈な親米・反共を旗印にしている。冷戦期から続く「キリスト教 vs 共産主義(悪魔)」という二元論的対立軸を拠り所にしている。

そして、世界的な影響力を得るため、全米や世界に広がる正統派キリスト教組織や、米国の保守派政治勢力に巨額の資金・不動産提供を通じて接近し、主流派の中に自らの組織を潜り込ませ、団体の正統性にお墨付きを得ようとしてきた。

宗教右派の反共カルトが『Newsweek』や『IBT(International Business Times)』などのメディアを買収したのも、かつて統一教会が米国の保守紙『ワシントン・タイムズ』を設立して共和党右派や政界に強い影響力を行使しようとしたのと同じ構図だ。

ジャン氏は世界的メディアのブランド力を手に入れることで、自らのカルト的な実態を隠蔽し、国際的な言論空間での影響力を拡大することを狙ったと言える。

デヴ・プラガド氏が切り離しを試みたバックボーンには、統一教会の流儀を汲み、反共保守右派の皮をかぶりながら、国際的なビジネスと政治的影響力を伸ばしてきた韓国系新興カルトという巨大な闇が存在する。

新自由主義やポピュリズム、ニヒリズムによって空洞化した現代社会で、老舗メディアがカルト的資本に侵食され、利用されていく構造的病理を示す一例であると言える。

以上引用終わり。

Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

中国の衛星測位システム「北斗」が変える戦場、米軍を蝕む消耗戦

イランが放つミサイルは、かつて簡単に逸らすことができた。GPS信号を操作すれば、着弾点を狂わせるのは難しくなかったからだ。しかし今、その前提は音を立てて崩れている。

2026年7月20日、アメリカはイラン南西部の建設中だったダルホビン原子力発電所を爆撃した。イランが「越えてはならない一線」と警告し続けてきた核関連施設への攻撃である。イランは直ちにクウェートやバーレーンの米軍基地に報復を加えた。

一連の応酬で際立つのは、イランの弾道ミサイルの精度だ。昨年の12日間戦争では目標を外すことの多かった兵器が、今回は吸い込まれるように命中している。

照準を支えるのは、中国の衛星測位システム「北斗」である。

アメリカが運用するGPSと違い、北斗は中国独自の衛星網で構成される。米軍による信号妨害を受けず、ミサイルは目標座標を寸分違わず捉える。その結果、クウェートの脱塩プラントと発電所は壊滅し、ヨルダンの二大空軍基地では米兵に相当数の死傷者が出た。

だが、ミサイルの命中精度以上に戦局を左右している要素がある。米軍が自らの攻撃で急速に消耗している精密誘導兵器の在庫だ。

トマホーク巡航ミサイルの世界的在庫はすでに2000発を下回り、セントコムに割り当てられる数は700発程度とみられる。最新鋭の精密打撃ミサイル(PRSM)に至っては、開戦時にロッキード・マーチンが製造していたのはわずか56基である。イランを攻撃すればするほど、これらの数は底を突く。

この消耗を、中国とロシアは静かに見つめている。イランに撃ち込まれるミサイル一発一発が、太平洋や欧州で対峙する米軍の抑止力を削いでいるのだ。かつてモハメド・アリがジョージ・フォアマンのスタミナを吸い尽くした「ロープ・ア・ドープ」のように、イランはアメリカの攻勢を受け流しながら、その軍事資源を根こそぎ減らしている。目先の破壊の応酬は、長期の力の空白を生み出している。

外交の裏側でも歪みは広がる。パキスタンのアシム・ムニール陸軍元帥を仲介に、トランプ政権はイランに非公開の条件を提示した。その中には「革命防衛隊の許可を得た回廊のみでホルムズ海峡を再開する」という異例の案が含まれていた。

核施設を爆撃しておきながら、海峡の管理をイランに委ねる提案は矛盾に満ちている。イラン側の要求は単純だ。凍結資産の解除や制裁緩和を、将来の「約束」ではなく、今すぐ実行せよというものだ。

もはや言葉を信じる段階はとうに過ぎた。

紛争は世界の燃料供給をも直撃している。ペルシャ湾のサワー原油は軽油とジェット燃料の主原料であり、4月以降、民間航空と運輸は燃料不足に蝕まれている。フロリダでは給油中に価格が上昇する異常事態さえ起きた。

攻撃が続けば続くほど、米国内の燃料価格は高騰し、株式市場は打撃を受ける。アメリカの軍事行動は、自国経済への逆説的な大打撃となって跳ね返っているのだ。

戦局はすでに「誰がより多く撃ったか」ではなく、「誰の構造が先に音を上げるか」の段階へ移った。中東で消えるトマホークの一発一発が、数年後のアジアの安全保障地図を静かに塗り替えている。


Larry Johnson(元CIAアナリスト、元国務省テロ対策官)、Pepe Escobar(地政学アナリスト、ユーラシア統合専門)、Zulfiqar Ali(イスラマバードおよびテヘランに直接の情報源を持つ記者)
対談
『RED LINE CROSSED -PEPE: US BOMBS Iran's Nuclear Plant TEHRAN Unleashes Heaviest Strikes on US Bases』(「レッドライン突破──ペペ:米国がイラン核施設を爆撃、テヘランは米軍基地に最大規模の反撃」)
youtu.be/_5mS8ETlFXA

 

データセンターは監視社会の物流倉庫である

10万世帯分。たったひとつのデータセンターが消費する電力の規模である。それが米国だけですでに400カ所稼働し、2030年までにさらに450カ所が建設される。

完成すれば全米の総発電量の40%がこれらの施設に吸い取られる計算になり、 バージニア州では今週、住民に計画停電の可能性が通知された。

私はこの問題を追う中で、奇妙なことに気づいた。保守派の牧場主と進歩派の環境活動家が、同じ市議会の議場で同じ企業を相手に発言している。テキサス州では、独立記念日にFlockのナンバープレート読み取りカメラが破壊され、星条旗が立てられた。地元紙のコメント欄は称賛で埋まり、数日後にはさらに2基が同じ運命をたどった。

表面的な説明は単純だ。AIブームがデータセンター需要を押し上げている、と。

しかし私が憂慮するのは、その先の構造だ。Flockカメラ、生体認証ゲート、デジタルID、スマートフォンレジストリ。これら監視装置の総体が吐き出す個人データの格納先こそ、このデータセンター群なのである。言わば、監視社会の物流倉庫だ。表向きの「AIのため」という説明は、倉庫の存在理由のごく一部でしかない。

この構図を理解した時、私はもう一つの事実に気づいた。問題は一国に閉じていない。メキシコでは携帯電話の生体認証登録が今秋にも強制施行される。クロアチアには米国エネルギー省の資金でデータセンターが建設中だ。ロシアでは「Max」という政府管理アプリが決済から公共交通機関までを一元化し、Telegramは締め出された。自由の砦など存在しない。中国のWeChatと同じ全包摂型プラットフォームが、プーチン政権下でも着々と整備されている。

ニューヨーク州知事はデータセンター建設の一時停止令を出し、ロサンゼルス市警はFlockとの契約を打ち切った。フロリダでは複数の郡がモラトリアムを可決し、ある活動家は市議会の議場を地元住民で埋める戦術を続けている。企業のロビイストが市議を会食に招く時間を、住民の声で上書きするのだ。

私はいま、全米各地を回りながら「Reclaim Our Future」という行動を呼びかけている。8月1日を皮切りに、各地で集まり、データセンター建設の法的プロセスを学び、許認可段階で住民がどう介入できるかの知識を共有する。

フェンスを破壊する必要はない。議場の席を埋めればいい。市の土地利用計画を読み込み、水利権の申請書類を精査し、公聴会で発言する。それだけで企業は動きを止める。

メキシコで生体認証ゲートを拒否した一人の男が、半年後にはコミュニティの語彙に「データプライバシー」という言葉を定着させた。巨大なシステムへの抵抗は、そうした小さな亀裂から始まる。


対談
Hakeem Anwar(Above Phone創設者、テクノロジー活動家)、Derrick Broze(The Conscious Resistance創設者、ジャーナリスト)
『Geopolitics & Empire Podcast』より「Hrvoje Morić interviews Hakim Anwar and Derek Broze on Data Centers, Flock Cameras, and the Global Technocracy」

 

『アルツハイマー研究を支配する「アミロイド・マフィア」の実態』
statnews.com/2025/02/11/amy…
「これが正しい歴史だ」と彼は言った。そして患者は脳から血を流して死んだ

2022年、私はScience誌の調査報道で、アルツハイマー病の新薬レカネマブを投与された治験参加者が、脳全体に及ぶ大出血で死亡 した事実を報じた。血栓溶解薬tPAを投与された瞬間、「体が燃えているようだ」と叫び、数日後に人工呼吸器が外された65歳の女性である。そのわずか1か月後、同じ薬で脳が腫れ上がり激しい痙攣の末に命を落とした別の参加者の存在も明らかになった。

レカネマブは脳内のアミロイドβというタンパク質を強力に除去する抗体薬だ。長年アルツハイマー病の原因とされてきた「アミロイド仮説」に基づき、その蓄積こそが認知症を引き起こすという前提で設計されている。製薬会社イーライリリーとエーザイ、バイオジェンはこの仮説を「疾患修飾」の突破口と呼び、学会は歓喜に包まれた。

しかし冷静な数字がある。2002年から2022年までに実施された51の抗アミロイド臨床試験のうち、実に80%がアミロイド沈着の減少に成功した。にもかかわらず、プラセボよりも有意に優れた認知機能の改善を示した薬は、後に市場から撤退した危険な薬アデュカヌマブ以外、ひとつも存在しなかった。

アミロイドを除去しても、認知症の進行は止まらない。

この逆説を前にしても、FDAは2023年7月、レカネマブを正式承認した。年間26,000ドルの薬価に、画像診断と安全性モニタリングを加えれば、患者ひとり当たり最大9万ドル(約1,300万円)に達する。メディケア受給者の半数近くが年収5万ドル前後で暮らすなか、自己負担は6,600ドルに上る。支払えない高齢者は多い。それでも製薬会社は、2031年までに年間100億ドル超の売上を見込む。

何より不可解なのは、この薬が脳をアルツハイマー病そのものより速く萎縮させるというデータだ。長期的に何が起きるのかは、誰にもわからない。治験データを製薬会社が非公開にしているため、独立した専門家による検証は不可能になっている。

かつてNIHのアルツハイマー研究を率いたザベン・ハチャトゥリアンは、この状況を「無謬の信念体系」と呼んだ。アミロイド仮説に逆らう研究者は、助成金を獲得できず、有力誌への掲載を拒まれ、ベンチャーキャピタルから「アミロイド以外には出資しない」と告げられた。

英国マンチェスター大学のルース・イツハキは1991年、ヘルペスウイルスとアルツハイマー病の関連を提唱したが、主要誌は掲載を拒み、20年後の査読者は「一流誌への掲載が少なすぎる」と却下した。

ひとりの男が、この構造の中心にいる。ハーバード大学教授デニス・セルコー。彼は2006年にNatureへ発表され後に画像捏造で撤回された論文を繰り返し引用し、自説の「毒性オリゴマー」仮説の裏付けとしてきた。捏造が露見した2022年以降も、「自分は歴史の正しい側にいる」という確信は揺るがなかった。

ところが、私が彼に「将来、抗アミロイド薬は認知機能を改善するか」と尋ねたとき、セルコーはこう答えた。「それはないだろうね。」

40年を捧げた仮説の到達点が治癒ではないことを、第一人者自身が内心では認めていたのである。

にもかかわらず、エーザイはすでに次の段階へ動き出している。健康な人々への予防投与試験だ。55歳や60歳で投与を始め、数十年にわたって薬を売り続ける構図が透けて見える。

スタンフォード大学のノーベル賞受賞者トーマス・スードフは警告する。「アミロイド仮説は絶えず姿を変えるから、決して反証できない。」科学が反証可能性を手放したとき、残るのは信仰と商売だけである。


Charles Piller(Science 調査報道記者)
記事『How the ‘amyloid mafia’ took over Alzheimer’s research』

 

書籍『病気の研究でやってはいけないこと:アルツハイマー病の物語』

アルツハイマー病の治療薬開発をめぐる臨床試験は、この30年間でほぼすべてが失敗に終わっている。しかもその大半は、たったひとつの仮説——アミロイドカスケード仮説——に基づいたものだった。 製薬企業が投じた損失は、累計で数百億ドル(数兆円)にのぼる。

なぜ、これほどまでに巨額の資金と年月が無駄になったのか。その答えの一端は、アルツハイマー病という病名そのものの定義にある。

1906年、アロイス・アルツハイマーが報告したのは、稀な早発性認知症の一症例にすぎなかった。当時の「アルツハイマー病」は、現在私たちが想像するような一般的な老年期認知症とはまったく別物だった。

ところがその後、この病名は少なくとも三度にわたって「拡大解釈」されてきた。

最初は上司のクレペリンが教科書に掲載したことによる戦略的命名。
二度目は1970年代、アメリカ国立老化研究所(NIA)が資金獲得のために、老年期認知症の大部分をアルツハイマー病と再定義した政治的判断。
そして三度目は2018年、NIAとアルツハイマー協会が「アルツハイマー病は根底にある病理学的過程によって定義される」と宣言し、臨床症状ではなくアミロイド斑の有無で疾患を決めつけたことだ。

この三度のインフレーションが、研究の方向性を決定的に歪めた。脳にアミロイド斑があればアルツハイマー病だ——この単純な前提が、あらゆる代替仮説を排除する秘密結社を生み出したのだ。

データはその前提に反していた。
健常な高齢者の約30%は、アミロイド斑を持ちながら認知症を発症しない。逆に、アミロイドを除去しても認知症の進行は止まらない。アミロイド生成を阻害する薬剤は患者をむしろ悪化させた。これらの事実は、アミロイドが「原因」ではなく、複雑な脳ネットワーク崩壊の「一要素」にすぎないことを示している。

それでも研究はアミロイド一辺倒を続けた。NIA予算の約3分の2がアルツハイマー病研究に費やされ、その大部分がアミロイド関連に集中した。製薬企業は株式市場の圧力に屈し、芳しくない第II相試験にもかかわらず第III相試験を強行し続けた。
「もしアミロイドを研究していなければ、アルツハイマーを研究していない」という暗黙のルールが、研究の多様性を根こそぎ奪ったのだ。

この前提が崩れたとき、残されたのは空洞だけだった。臨床症状ではなくアミロイド斑で疾患を定義するという奇妙な逆転——病理が臨床に優先するという倒錯——は、治療法開発の見通しを著しく遠ざけた。

ここから脱却するには、発想の転換が必要だ。
著者が提案するのは、脳を五つの細胞タイプ——ニューロン、アストロサイト、ミクログリア、オリゴデンドロサイト、血管細胞——からなる「近隣」の集合体として捉えるモデルである。
老化による各細胞の劣化と、特定の使用パターン(炎症や血管ストレスなど)が「焼き付き」を生じ、それがアルツハイマー病特有の症状パターンとして現れる。

アミロイドはそのネットワーク崩壊の一要因にすぎない。むしろ、血管性認知症との重複が80%に達するという事実こそが、このネットワークモデルの妥当性を裏付けている。

純粋なアルツハイマー病は稀であり、ほとんどの認知症は複数の病態が混ざり合ったものだ。

この視点に立てば、治療戦略も自ずと変わる。ミエリン損失に着目し、多発性硬化症の治療薬を応用する。アミロイド誘発性炎症だけではなく、ミクログリア全体の炎症制御を目指す。高血圧治療や運動・栄養介入といった「ローテク」なアプローチも、ネットワークモデルから見れば理にかなっている。

老化そのものを止めることはできない。だが、その理解を深めることが、真の治療法への最短経路だ。

問題は、このような代替アプローチが資金を得られない構造にある。アミロイド研究だけが厚遇される現状では、優れたアイデアも育たない。制度の再設計——NIAからNINDSへの研究移管、非アミロイド研究の専用枠創設、製薬企業の第III相試験全額自己負担化——が急務だ。

30年の迷走は、たったひとつの仮説に固執した代償だった。だが、その教訓を踏まえ、ネットワークの複雑性を受け入れることこそが、次の一歩になる。


書籍『How Not to Study a Disease: The Story of Alzheimer's』2021年
Karl Herrup(ピッツバーグ大学医学部神経生物学教授)

 

私たちは“進歩”という名の椅子取りゲームを生きている

アメリカ社会は、たった4つの階級に分類できる——そう聞くと、単純すぎると思われるかもしれない。投資で生きる者、月給で生きる者、時給で生きる者、そして福祉で生きる者。

思想家ジョン・マイケル・グリアはこの4分類を軸に、いま米国で進行中の静かなる階級闘争を「椅子取りゲーム」に例えた。

音楽が鳴りやんだとき、最も多くの椅子を独占していたのは「給与階級」である。

彼らは一見、知的労働で高収入を得るエリート層に見える。しかしグリアは、その実態を「存在しない問題を解決するふりをして、高給と手厚い福利厚生を貪る層」と断じる。そして、いまや国家財政が彼らを支えきれなくなったため、「AIによる置き換え」という錦の御旗のもと、この非生産的なホワイトカラー層が大量に掃除され始めている、と。

この指摘には、背筋が寒くなるような真実が含まれている。私たちが「進歩」と信じてきたものの正体は、実は肥大化した中間管理職や不要な会議、誰も読まないコンプライアンス報告書といった「象徴的仕事」にすぎなかったのかもしれない。

石油とテクノロジーが生み出した莫大な余剰に胡坐をかいていた時代は終わり、社会は「本当に必要な仕事は何か」という問いを、冷たいナイフで突きつけられている。

ただし、ここで視点を一段、深くする必要がある。グリアの4分類だけでは捉えきれない、より不気味な構図があるのだ。私は長年、所得だけでなく「制度を歪める政治権力」や「自らの意思で人生を変えられる力(エージェンシー)」を軸に、米国社会を10の階級に分解してきた。

頂点に君臨するのは、選挙で交代することのない「深層国家(ディープ・ステート)」と、制度そのものを買い取るオリガルヒたちである。その下には、ロビー活動で法を自在に操る「新貴族」や、現状を管理する「上層カースト」、鉄壁の身分保障に守られた「国家官僚」が続く。彼らは信用バブルが膨らむたびに「自分たちは成功している」と酔いしれ、下層に流れる不満には目を背けてきた。

本当に怖いのは、AIが奪うのが「仕事」そのものではないかもしれないという点だ。

奪われるのは、社会が富を分配するための唯一の回路、すなわち「雇用」という枠組みそのものなのである。かつて産業革命が工場労働者を生んだように、第四の波とも呼ぶべき今回の変革は、もはや雇用契約すら必要としない「自律的に価値を生む認知資本」を生み出しつつある。

ここでは、資本家と労働者の対立というマルクス的な構図すら古びて見える。新たな分断線は「思考する機械を所有する者」と、「所有者から富や許可を与えられて生きるしかない者」の間に引かれつつあるのだ。

これは、「仕事を失う」という生易しい話ではない。自分の人生の主導権そのものを、誰かに委ねるかどうかの瀬戸際なのである。システムが崩れる音は、すでに官僚制の自己肥大化と、制御不能な借金の山の中で鈍く響き始めている。

信用バブルが再び破裂したそのとき、次のバブルを生み出す条件は、もう社会のどこにも残っていないかもしれない。

— Charles Hugh Smith(経済評論家、オブ・トゥー・マインズ誌発行人)
記事 The Conflicts Brewing in America's Ten Classes
charleshughsmith.substack.com/p/americas-ten…

 

# アルツハイマーは予防できる

抗アミロイド薬レカネマブは、臨床認知症評価スケールでわずか0.45ポイントの低下しかもたらさず、しかも脳を萎縮させることが判明した。一方、1日10ペンス(約20円)のBビタミンは脳萎縮を最大73%抑制し、投与群の3分の1で認知症の臨床診断基準そのものが消失した。 この差は何を意味するのか。

この逆説が問いかけるのは、私たちの常識そのものだ。アルツハイマー病は「治らない」病気ではない。「薬で治すべき」病気でもない。それは、私たちが無意識に信じ込んできた医療の枠組みそのものを揺さぶる。

私は40年以上にわたり栄養と脳の関係を研究してきた。その結論は単純明快だ。アルツハイマー病の原因はアミロイド斑ではなく、システムの崩壊にある。脳の「構造」「機能」「利用」という三つの側面が、食事とライフスタイルの複合的要因によって徐々に損なわれていく。そして最も強力な修復ツールは、薬ではなく栄養素そのものだ。

ホモシステインというアミノ酸に注目してほしい。

血中のホモシステインが11マイクロモルを超えると、脳萎縮が加速し認知症リスクは10倍に跳ね上がる。しかしこのホモシステインは、B6・B12・葉酸という三つのBビタミンによって容易に低下させることができる。オックスフォード大学のデイビッド・スミス教授の研究では、Bビタミン補給により脳萎縮率が半分以下に減少し、アルツハイマー関連領域の萎縮は9分の1にまで抑えられた。

さらに重要な発見がある。Bビタミンはオメガ3 DHAと組み合わさって初めて真の力を発揮する。オメガ3が不足している人にBビタミンを与えても効果はほとんどない。逆もまた然りだ。両者が揃ったとき、脳萎縮の抑制効果は73%にまで達する。これは抗アミロイド薬が脳萎縮を20%も加速させた事実と対照的である。

ここで視点を変えよう。なぜこの明白な事実が広く知られていないのか。その答えはシンプルだ。Bビタミンは特許が取れない。製薬業界は抗アミロイド薬の研究開発に推定42.5億ドルを投じたが、Bビタミンとオメガ3の併用試験にはたったの300万ポンド(約5.7億円)すら集まらなかった。英国の主要認知症慈善団体は年間1億ポンド超を集めながら、非薬物予防研究にはほぼゼロを割り当てている。

つまり、アルツハイマー予防を阻んでいるのは科学の欠如ではなく、利益構造そのものだ。ランセット委員会の報告書はホモシステインを二度にわたり無視し、専門家からの抗議文を受け取りながらも掲載を拒否した。世界認知症評議会は予防を標榜しながら、私のような予防専門家の参加を物理的に排除した。これらは科学ではなく、市場の防衛行動だ。

では、私たちに何ができるのか。Food for the Brain財団が提供する無料の認知機能テストは、わずか15分で自分のリスクを評価できる。続くDRIfT血液検査は、ホモシステイン・オメガ3・ビタミンD・HbA1c・グルタチオンという五つのバイオマーカーを自宅で測定し、個人に最適化された予防計画を提示する。このアプローチはすでに、認知機能の改善とリスク指数の大幅な低下を多数の参加者にもたらしている。

これは薬を待つ受動的な医療ではない。自らデータを提供し、自ら行動を変え、その結果を共有する市民科学の運動だ。中国では元厚生大臣がこのイニシアチブを支持し、年内に1800万人の高齢者テストを計画している。もし英国でホモシステインテストとBビタミン補給が制度化されれば、年間6000万ポンドの医療費節約と平均寿命14年の延伸が見込まれる。

この数字が示すのは、予防は単なる希望ではなく、計算可能な現実だということだ。問題は、それを実行に移す政治的意志と、利益構造を超えた市民の連帯にある。

次にあなたが認知症の話題に触れたとき、問いかけてみてほしい。「予防について、私は何を知っているか。そして、何を行動に移せるか」と。その問いこそが、薬に依存する医療から、自らの手で健康を創る未来への第一歩になる。

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書籍『Alzheimer's: Prevention is the Cure』Patrick Holford(栄養学研究者、Food for the Brain Foundation創設者)2025年

 

Google DeepMindの最前線で、いま静かな退場が続いている。中心的な研究者だったアレックス・ターナーらが相次いで辞表を出した。きっかけは、自社が育てたAI基盤が米軍へ売却された事実だった。しかも、そこには自律型致死兵器や大規模監視を禁じる制約は一切なかったという。かつて「邪悪になるな」を掲げた企業の倫理は、契約書の数行で無効化された。

ロンドンにあるDeepMindのオフィスでは、職員の98%が労働組合への加入に賛成した。米国とイスラエルの軍に自分たちの技術が使われていることへの、異議申し立てである。この異様な数字は、現場の危機感を物語る。パレスチナにルーツを持つ元エンジニアは、軍との契約を批判するビラを配ったことを理由に解雇され、現在不当解雇で訴訟を起こしている。会社は異論を許さず、倫理を口にした社員から切り捨てていく。

問題は、AIに戦争の判断を委ねたときの暴走リスクだ。キングス・カレッジ・ロンドンの研究によれば、模擬戦争ゲームで主要なAIモデルは、なんと95%の確率で核兵器の使用を選択したという。対話型AIが示したこの選択は、管理不能な連鎖反応の予兆にほかならない。自律型兵器に人道的判断を期待することは、もはや空論ですらなく危険な賭けだ。

私がさらに不気味に感じるのは、軍事転用と検閲が同じ技術基盤の上で動いている現実である。

米国防総省がグーグルやオープンAI、マイクロソフト等と結んだ契約は、これら企業のAIを極秘任務に投入するための包括的なものだ。国防総省は自らを「AIを最優先する戦闘力」と位置づけ、人間を介在させない意思決定の高速化を急いでいる。現場の司令官よりも、機械の判断が戦場を支配する構図が目前にある。

この巨大な監視と判断の網が、平時には市民に向けられる。あなたのメールは既にAIによって選別され、特定の政治的立場や代替医療に関する情報は「不適切」として配送すらされないケースが報告されている。グーグルのAIチャットボットは人間を装い、検索結果はアルゴリズムによって歪められる。ネット上に溢れる情報の多くが、もはや人間ではなくボットによって生成されているという「死んだインターネット」理論は、今や現実の脅威だ。

かつてアントロピック社は、自律型兵器への利用制限を外せという国防総省の要求を拒んだ。すると政府は同社を調達先から外し、グーグルが代わりに契約を奪った。倫理を守ろうとした企業は干され、倫理を捨てた企業が国を守るという倒錯。これが、いま私たちが立たされている現実の最前線だ。

自分たちの生活を支える検索や地図、メールのプラットフォームが、同時に自律型殺戮機械の頭脳となっている。この二重構造を直視せずに、便利だからと使い続けることは、無自覚な依存でしかない。いずれ「デジタルID」なしではネットに接続できなくなり、発言にはライセンスが必要になる社会が来るかもしれない。その土台は、もう築かれ始めている。

集中管理された巨大システムは、利便性と引き換えに、あなたの自由を吸い上げる。その仕組みからどう足を洗うか。答えは、技術の分散にある。大規模なサーバー群ではなく、個人の手元で動くオープンソースのAIを確保し、自分でコントロールすることだ。それが、巨大な軍事 AI 複合体への服従を拒否する、唯一の静かな選択肢となる。今ある自由は、あなたが思っているよりもずっと脆い。


Mike Adams(The Health Ranger、NaturalNews.com創設者)
『Google Sold Its Soul to the Military – Here’s Why That Should Terrify You』
healthranger.substack.com/p/google-sold-…

以上引用終わり。儲かれば人情なんてという世界の成れの果ての島。どうも有り難うございました。