本日のベストスリー7月5日

三位 フィクションであればどんなにいいことか史上最大薬害事件

 

二位 あんなにも警鐘乱打したけれどマイフィクションはただの現実

 

一位 メリットはただのフィクションデメリットこそが現実めでたい世界

 

謝罪せずとも済む世界。道理で世界有数、否、世界一のダマサレ天国である。悲惨なのはとどのつまりダマサレ天国による膨大な数の被害者地獄となることである。強者であれば裁くのは難しい。いつも言う通り己の良心には期待出来ない。元来、真善美に興味もなく多少何か感じるものがあったとしても勝手に相対化し矮小化してしまう。都合の良いものが善、不都合は悪である。儲かれば正義、損害は邪悪である。何処まで行っても手の施しようのない筋金入りの堕落である。真善美に興味がないのだから論理も科学もホントウはどうとも思ってはいない。利用価値次第で選択されたものが持ち上げられるだけである。科学的と唱える者の科学とは現代用にカスタマイズされたひとつの方便である。そして決して無宗教ではなく無自覚な自己利益真理教である。コレらが蔓延ると短期的には利得をもたらしても長期的に繁栄するのは到底叶わない滅びの文化文明へと変質する。コレを私は自然に反することで起きる天罰と考える。

 

本日のベターツイートは、掛谷英紀氏のもの。以下引用開始。

米国のニュースを見ていないと、こういう歪んだ認知になる。米国家情報長官の公開文書や、CIA現役職員の米上院公聴会証言をご存じないようです。ファウチは自分に都合の悪い政府文書の破棄を指示し、CIAに圧力をかけて新型コロナ研究所起源の報告書公開を妨害した。それだけで十分重罪です。

2024年の米下院公聴会で、ファウチは米情報機関に圧力はかけていないと証言しました。つまり、彼は偽証罪を犯したことになります。ただ、彼は恩赦されているのでそれを罪に問うのは難しい。それでも、今月末の公聴会で再び偽証すれば、それは恩赦の対象外なので、偽証罪に問われることになります。

ファウチは難しい選択を迫られます。自らの名誉を守るためにウソをつき通せば、今度こそ罪に問われる可能性がある。刑罰を逃れるために本当のことを話せば、彼の今までの作り話は全て崩壊し、自身の評価は地に落ちる。ファウチはどちらの道を選ぶでしょうか。要注目です。

以上引用終わり。

次は、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

コンテンツビジネスにおいて、最も付加価値が高く、覇権を握れるのはコンテンツを作る労働者ではなく、コンテンツが流通するプラットフォームを支配する者だ。ここを握られた時点で、日本側はいくら汗を流して素晴らしいアニメを作っても、その果実の大部分を吸い上げられ、生殺与奪の権利を外資に委ねる小作人へと転落することになる。

かつて配信プラットフォームの主導権をCrunchyroll(クランチロール)やNetflixに握られ、それを後からソニーが巨額の資金(約1,300億円)で買い戻すという授業料を払ったにもかかわらず、なぜ日本は再びB2Bの権利流通レイヤーを米国発のAniBizに明け渡してしまうのか。その背景には、日本のコンテンツ産業にこびりついた根深い構造的欠陥と、市場に対する思考停止がある。

日本のアニメ産業は、現場のクリエイターや個々の製作委員会といったもの作りの職人の集合体としては世界最高峰だ。しかし、国際的な市場を設計・支配する仕組みの構築に対して極めて消極的だ。

クランチロールの創業者であるクン・ガオ氏らが仕掛けるAniBizの狙いは、これまで属人化していた日本のガラパゴスな交渉文化を標準化・デジタル化し、世界中のバイヤーがワンストップでアクセスできるアニメ流通の基本OSになることだ。

東映、アニプレックス、東宝といった主要プレイヤーが軒並みこれに初期参加したのは、自分たちで世界基準のインフラを作るコストとリスクを背負いたくないから、用意された便利な道具に乗り込もうとする安直な姿そのものだ。これは、防衛省が自前でシステムを作らずにパランティアを導入する構図、あるいは大学が基礎研究を削って目先の成果を追う「選択と集中」のロジックと相似形だ。

なぜ日本は最初からグローバルな市場のプラットフォームをとることを諦めてしまうのか。

世界基準のB2Bプラットフォームを構築・維持するには、巨額のIT投資、数年間赤字を続けるリスク耐性、そして世界中の法規制や商習慣に対応するタフなリーガル・ガバナンス能力が必要だ。平成以降の日本企業や官民ファンドは、こうした不確実だが勝てば総取りできる賭けに資金を投じる度量を失っている。

日本のコンテンツホルダーは、国内市場だけでとりあえずビジネスが回るため、海外は誰かが高く買ってくれればそれでいいという、時代遅れな商売人感覚から抜け出せていない。彼らにとって海外は自分たちが打って出る市場ではなく、外資が買い付けに来てくれる場所なのだ。

市場の流通レイヤーを外資に握られるということは、単にプラットフォーム利用料を抜かれるという話にとどまらない。

世界中のアニメの権利情報、取引実績、バイヤーの需要動向、価格の相場といった最も価値のあるメタデータがすべて米国側のサーバーに蓄積され、ブラックボックス化されることを意味する。AniBizは、どのIPが世界で熱望されているか、どのジャンルが次に跳ねるかを日本企業よりも正確にデータとして把握できるようになる。

結果として、彼らが提示する条件に従わなければ、日本のIPは海外に流通すらできなくなる従属関係に縛られることになる。配信という出口を握られた過去に続き、今回は卸売り(B2B)という川上の入口まで外資のインフラに依存することになる。

いくらクールジャパン政策で予算をいくら増やしたかを政治家が誇り、企業に補助金をばら撒いたところで、そのコンテンツが流れるプラットフォームが外資のものなら、汗を流せば流すほど海外のシステムが肥大化するだけだ。

ものづくりの優秀さに自惚れ、その価値を流通させる空間の支配を他人に委ねる姿勢は、まさに主権の自覚なき国家の縮図だ。

 

概ね首肯する。指摘の通り、1990年以前の護送船団システムに戻れることはない。

伝えたいことはひとつ。

前線が崩壊し、指揮統制が麻痺したまま退却している軍隊に対して、上層部が精神論で反撃せよと命じたところで、反撃どころか各個撃破の加速に繋がり、完全な瓦解を招くだけだ。

反撃に転じるためには、まず出血を止め、踏みとどまる一線を画定し、そこに強固な陣地を構築して戦線を安定させるというフェーズが不可欠だ。これを現在の日本経済や科学技術、安全保障の文脈にスライドさせれば、この国が反撃(再生)できない理由が明確になる。

現在の日本は、まさに後退を止める拠点(セーフティネットや基盤)を自ら破壊しながら、空中分解しそうな軍隊に向かって上から「反撃能力を持て」「卓越した研究をしろ」と叫んでいる発狂状態にある。

軍事における後退の停止とは、敗残兵をかき集め、弾薬を補給し、陣地を掘って敵の進撃を食い止める防衛線を敷くことだ。これを国の政策に置き換えるなら、国民生活の底割れを防ぎ、社会の基礎体力を維持するための強固な防衛線を張ることに他ならない。

まず後退を止めなければ、反撃のエネルギー(投資や消費、破壊的イノベーション)など生まれるはずがない。

だが今の指導層(アベノミクス以来の極右政権)にとって、強固な拠点を作って現場が自立・安定してしまうことは都合が悪い。

現場の大学や企業、国民が独自の安定した拠点(資金・身分・内需)を持ってしまうと、言う通りにしなければ予算を切るぞという上からの脅しが効かなくなる。

彼らは、現場を常に兵糧攻めの恐怖に晒し、後退し続け、すがるような思いで上から降ってくる小銭(補助金やプロジェクト予算)に飛びつかざるを得ない状態に留めておきたい。だからこそ、後退を止めるための陣地構築(基盤的経費の復活や分配構造の変革)を執拗に拒絶する。

「反撃するには、まず後退を止めて拠点をつくらねばならない」

この当たり前の真理を無視し、お布施がきかないと、さらにお布施を積むことが称賛される現状は、霊感商法に騙されたカルト信者の狂気そのものだ。

必要なことは、華々しい「反撃のポーズ」を競うことではなく、これ以上の敗走(国民の困窮と技術の途絶)を止めるための防衛線の敷設である。

そこを確保することこそが真の主権の自覚への第一歩だ。

以上引用終わり。

最後は、Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

トランプ氏が宣言した肥料危機、その本当の理由

米国大統領が「国家肥料緊急事態」を宣言した。リン酸肥料のコストを約22%削減し、10万の農場と9700万エーカー(約39万平方キロメートル)の農地を救う一手とされる。しかし、この緊急宣言は決定的な問題を解決しない。硫黄の不足だ。

リン酸肥料の製造には、原料として大量の硫黄と硫酸が必要になる。その硫黄の主要な供給源であるペルシャ湾岸からの輸出が、ホルムズ海峡の封鎖によって滞っているのだ。

国内のリン酸肥料大手モザイク社も、この点を厳しく批判している。真のボトルネックは、もはや価格ではなく、硫黄の物理的な供給不足にあると。つまり、大統領令によっていくら国内生産を促しても、原料がなければ肥料は作れない。モロッコからリン鉱石を輸入するにしても、それを運ぶ船舶の燃料や、肥料化するための硫黄は結局、同じ海峡の向こう側にある。

この問題の本質は、食料危機がもはや「将来のリスク」ではなく「既に確定した未来」だという点にある。2026年の秋、そして2027年春の作付けに必要な肥料は、このままでは確保できない。食料価格の高騰と品不足は、今後数カ月ではまだ序章に過ぎず、2027年に本格化する構造だ。

ところが政府の消費者物価指数は、食品と燃料の価格を計算から除外している。数字の上ではインフレが落ち着いているように見せながら、実際の生活費は静かに、しかし確実に上昇しているのが現状だ。

この状況への備えとして、個人ができることは明確だ。まず、2026年のうちに長期保存可能な食料を購入しておくこと。次に、2027年春の作付けに備え、灌漑設備の計画を今から始めること。配管資材でさえ、ペルシャ湾岸産のポリエチレンに依存しており、将来的な調達は難しくなる。

緊急宣言は問題の存在を認めさせた点では一歩前進だが、物理的な欠乏を埋めるものではない。肥料は紙幣のように印刷できない。食料安全保障の要は、もはや国家の政策よりも、個人の先見性と行動に移りつつある。


Mike Adams(Health Ranger、Natural News創設者)
『Mike Adams  5:00』(2026年7月4日配信のポッドキャストより)
brighteon.com/50314608-416e-…

 

先日、ある男がSNSでこう投稿した。「来週、Tdapと帯状疱疹のワクチンを接種する」。発信者はブライアン・ジョンソン。年間200万ドルを投じ、自らの肉体を徹底管理する長寿研究の第一人者だ。彼が体内に入れるものには常に細心の注意を払ってきた。それだけに、今回の決断は看過できない。データは、彼が信じるワクチンの“効能”が根底から覆されるべきものだと警告している。

まず、Tdapワクチンだ。彼は「人間の盾」仮説に基づき、自分が免疫を得ることで周囲への感染を防げると考えた。しかし、これは重大な誤解である。査読論文「粘膜免疫、鼻咽頭保菌、無症候性伝播と百日咳の再興」が示すのは、ワクチンが百日咳菌の保菌を抑えず、むしろ無症候性キャリアを生み出すリスクだ。感染に気づかない保菌者が自由に動き回れば、アウトブレイクは悪化する。Tdapによる集団防御は科学的根拠が薄弱なのだ。

それだけではない。同論文は、Tdap接種が将来の感染感受性を高める「プライミング効果」をもたらし、「この生涯感受性の増大を容易に低減する方法はない」とまで指摘する。彼は自らの免疫に長期的な弱点を埋め込んだのである。盾を構えたつもりが、自ら弱点を作り出していた。

次に帯状疱疹ワクチンだ。彼はこれが寿命を延ばすと信じ、観察研究で全死亡率を40%も低下させた数字に魅了されたのだろう。

だが私は以前、まったく同じ構図を目の当たりにしている。フランスの研究が「新型コロナワクチンで非コロナ死が25%減少した」と主張した際、私はそれを「健康な接種者バイアス」による錯覚だと断じた。健康意識の高い人ほどワクチンを打つため、見かけ上の死亡率低下が生じるのだ。

この錯覚を暴く決定的な証拠が、世界で唯一一般公開されている個人レベルのデータセット、チェコ共和国の記録にある。60歳未満の全人口を対象に、週ごとの非コロナ死を示す緑の線を追跡した。ワクチン接種が本格化した2021年初頭、本来なら下降すべきその線は、急上昇し、そのまま高止まりした。傾きは、期待とは正反対の方向へ動いたのだ。

私はこのグラフを長く手元に置いてきたが、今回初めて公にする。一枚の図が、数十の観察研究よりも雄弁に真実を語ることもある。


Steve Kirsch
記事『Why I think that longevity researcher Bryan Johnson just made a major mistake』(なぜ長寿研究者ブライアン・ジョンソンは重大な過ちを犯したと思うのか)
kirschsubstack.com/p/why-i-think-…

 

いまアメリカでは、成人男性の3人に1人が労働市場から完全に姿を消している。女性の専門職や55歳以上の労働参加率は、1980年代と同水準にまで落ち込んだ。ロックダウンの爪痕や高齢化だけでは説明できない。私がこの数字の裏に見るのは、半世紀にわたって静かに進行してきた「生物学的植民地主義」の最終局面だ。

生物学的植民地主義。これは私が名付けた、現代の支配構造を言い表す言葉だ。かつて支配層は、工場労働で我々の肉体を搾取して富を得ていた。だがもはや、製造業の仕事はNAFTAとWTOによって国外へ消えた。代わりに彼らが選んだのが、製薬産業を通じて国民の健康そのものを収奪するモデルである。

その起点は1986年、国家ワクチン傷害補償法にある。製薬会社に免責が与えられたことで、小児期に打たれるワクチンの数は8本から72本へと爆発的に増えた。結果として生まれた「1986年世代」は、3%に達する自閉症率をはじめ障害を抱え、成人しても労働市場に一度も参加できない人々を大量に生み出した。健康被害が労働力人口を直接削っているのだ。

さらに2020年からのCOVID-19対応は、この搾取構造を加速させた。ロックダウンで企業を潰し、政府が給付金をばら撒くことで勤労意欲を粉砕しただけでなく、世界中に強制接種されたmRNAワクチンが心筋炎や急発症のがん、認知症を引き起こしている。製薬産業にとっては、これもまた巨大な収益源である。人間は病めば病むほど、医療保険という「中抜き」の仕組みにカネを吸い上げられる。保険中間業者は総医療費の15%を手数料として抜く。つまり彼らは、国民が病気になればなるほど儲かるのだ。

ここまで聞くと、陰謀論に聞こえるかもしれない。しかし、もっと不可解な事実がある。それはアメリカのCIA職員までもが、このワクチン義務化に抵抗し、調査対象とされたという現実だ。通常、CIAは権力の中枢と見なされる。だが彼らは、製薬会社の意向に逆らえなかった。要するに、真の権力は諜報機関ですら制御できない場所にある。これこそが、いわゆる「認識の支配」だ。医学界、学界、規制当局、メディアはすべて製薬マネーに買収され、都合の悪い科学論文は発表後に抹消される。反対する者は「国外追放」ならぬ「学界追放」に遭う。

冷戦時代、私たちはソ連のルイセンコ学説を笑ったものだ。政治イデオロギーが科学をねじ曲げた愚行だと。だが現代アメリカは、企業の利益のためにワクチン有害性のデータを握りつぶす、より洗練された形の「ルイセンコ主義」に陥っている。

もはや選挙で何かを変えられるという期待は、幻想に過ぎないのかもしれない。政権が代わっても、行政は次々と農薬を承認し、mRNAワクチンは市場に残り続ける。共和国を救うはずの政治回路そのものが、寄生システムの内部に取り込まれてしまった。私たちに残された道は、この崩壊していく船から静かに降りることなのだろうか。


Toby Rogers(政治経済学博士、Brownstone Instituteフェロー)、Jeffrey Tucker(Brownstone Institute創設者)
対談『The Brownstone Show, Ep 26: Labor Collapse, Vaccine Harms & Biological Colonialism』
substack.brownstone.org/p/labor-collap…

 

私が医療の世界で最も背筋が凍った話の一つは、安全を訴える内部告発者のパソコンに、規制当局が密かにスパイウェアを仕掛けていた事実だ。これが、私たちが「科学」と呼ぶ公正なシステムの裏側で、半世紀かけて築き上げられた腐敗の日常風景である。

この巨大な癒着構造を理解する鍵は、新薬の承認に必須とされる大規模臨床試験にある。

これらは一社あたり数十億円もの資金を要するため、莫大な開発費を回収する必要がある製薬企業以外、実質的に試験を実施できない。結果として「科学」は、高額な参加料を払った者に有利な裁定を下す、完全な「pay-to-play」の仕組みへと変質した。

ここまでは想像に難くないかもしれない。しかし、私が本当に深刻だと感じるのは、この不正を見張るべき規制当局そのものが、財政的にも人的にも「業界の捕虜」と化している点だ。

例えば米食品医薬品局(FDA)では、医薬品審査部門の予算の実に77%を、審査を受ける側の企業が支払う手数料が占めている。人の面では、直近10人のFDA長官のうち9人が退任後に製薬企業の役員に就任し、内部で安全性の懸念を表明した審査官の57%が、退職後に規制対象だった企業へと流れている。声を上げた者は、キャリアの死を意味するのだ。

だが、こうしたあからさまな「回転ドア」以上に、システムを鉄壁にしている巧妙な抜け道が存在する。私はそれを「財団」という名の資金洗浄装置と呼んでいる。

米疾病対策センター(CDC)財団は、設立以来、製薬企業や飲料メーカーから1000億円近い「寄付」を集め、情報公開の及ばない闇の中で、公衆衛生のガイドラインを寄付者の商品に有利なように書き換えてきたのだ。
コカ・コーラが砂糖税に反対するロビー活動の助言をCDC職員から受け、タミフルを売るロシュ社がインフルエンザ治療薬の推奨キャンペーンに資金を提供する。これはもはや、規制でも監視でもなく、利益の分かち合いである。

この構造の頂点に立つのが、世界最大の研究資金配分機関である米国立衛生研究所(NIH)と、ビル・ゲイツ財団との異様な一体化だ。

内部告発が明かした内部文書によれば、ゲイツ氏は20年以上にわたり数百億円を投じてNIHの研究計画と自身の財団を事実上統合。今や両者で世界の保健研究資金の57%を掌握するに至り、それに逆らう科学者は研究費を絶たれ、学界から抹殺される。私が見てきた中で最も恐ろしい権力の集中である。

あなたがまだ「それは対岸の火事だ」と思うなら、この構造が最も無慈悲に機能したコロナ禍を思い出してほしい。

パンデミックが起きる何年も前から、ゲイツ財団や世界経済フォーラムは「次のパンデミック」を想定したシミュレーションを繰り返していた。そして、その机上演習で用意された脚本は「ロックダウン」と「迅速なワクチン開発」以外の選択肢を完璧に排除していたのだ。安価で再利用可能な治療薬や、空気感染を物理的に防ぐ技術は、利益を生まないがゆえに、研究段階で黙殺された。

私はこの現実を前に、希望を見出すのが難しい時期もあった。しかし今は、少し違う見方をしている。この巨大な「潰せない巨像」の不気味な設計図を、これほど多くの市民が理解し始めた時代は歴史上存在しなかった。

権威への盲目的な信頼が剥がれ落ちた今こそ、私たちは巨像に依存しない、自分自身の身体と対話するための並行システムを、草の根で静かに育てる時を迎えているのだ。


A Midwestern Doctor(中西部の医師)
記事『How Medicine Became “Too Big to Fail”: Dissecting the Anatomy of Corruption that Took Over the Federal Health Agencies and Our Economy』(医療はいかにして「潰せない巨像」となったか:連邦保健機関と経済を蝕んだ腐敗の解剖)
midwesterndoctor.com/p/how-medicine…

 

私は三十年余り、気候科学の最前線に立ってきた。気候モデルを開発し、IPCCの評価プロセスに関わり、そして民間企業で現実の気候リスクと向き合ってきた。その経験から断言できる——「気候変動に関する科学は決着した」という主張は、科学的根拠に基づかない政治的スローガンにすぎない。むしろ、 その嘘こそが私たちを最も危険な過信へと導いている。

2013年、オバマ大統領は「97%の科学者が気候変動は人為的で危険だと同意している」とツイートした。この数字は広く引用され、議論を終わらせる決定的な武器として機能した。だがこの97%という数字は、そもそも何を測ったものなのか。
この論文は、約1万2000本の気候関連論文の要旨を分析し、その97.1%が人為的温暖化を「支持」または「前提」としていたと報告した。しかし「前提」と「支持」は全く異なる。そして何より、この分析は気候感応度——つまり二酸化炭素が実際にどれだけ気温を上げるか——についての合意を何も示していない。
それにもかかわらず、政治的主張は「危険な気候変動」という価値判断までコンセンサスに含めて拡張された。

IPCCは過去30年にわたり、「科学者たちのコンセンサス」ではなく「政治的に製造されたコンセンサス」を構築してきた。合意形成のプロセスは、不確実性や異論を排除し、一枚岩のメッセージを作り上げることに焦点を当てている。
科学は本来、異なる仮説をぶつけ合い、不確実性を徹底的に吟味することで前に進む。だが気候科学では、異議を唱える者は「否定主義者」というレッテルで封殺され、コンセンサスへの同調が研究資金や論文掲載の条件になった。

ここで問題の本質が反転する。私たちが「科学の決着」と呼んでいるものは、実際には科学の終焉だったのだ。コンセンサスが確立されたと宣言された瞬間から、新たな疑問を投げかけ、仮説を検証するという科学の営みそのものが停止した。
その結果、私たちは気候変動の最も重要な側面——気候感応度の真の幅や自然変動の役割、地域ごとの影響の差異——について、依然として深い無知のまま放置されている。

もう一つの深刻な誤解は、全球気候モデル(GCM)の予測能力に対する過信にある。これらのモデルは政策決定の根幹を支えるツールとして位置づけられている。しかし私は、それらが「適合目的外」であると断言する。
気候モデルは雲の挙動や海洋循環など、数多くの未知のプロセスを単純化した式で代用している。そのうえ、観測データに合わせてパラメータを調整する「チューニング」が日常的に行われており、過去の気温を再現できることは将来予測の正確性を保証しない。

何より深刻なのは、IPCCが利用する排出シナリオの非現実性だ。特にRCP8.5——「ビジネス・アズ・ユージュアル」として広く使われてきた最悪シナリオ——は、2100年までに現在の6.5倍の石炭消費を前提とする。
国際エネルギー機関(IEA)の現実的なシナリオと比較すると、RCP8.5は2050年時点で2倍以上の排出量を想定しており、エネルギー専門家の間では実現確率が5%未満と評価されている。それにもかかわらず、この非現実的なシナリオが数千もの影響評価研究の基盤となり、「5℃温暖化」という終末論的な恐怖を増幅してきた。

予防原則はしばしば気候政策の正当化に用いられる。「重大で不可逆的な被害の恐れがある場合、完全な科学的確実性がなくとも行動すべきだ」という論法である。
だが私はこの原則が意図せぬ害を生む危険性を身をもって見てきた。COVID-19パンデミックにおけるロックダウン政策はその好例だ。不確実性の高い初期段階で予防原則が発動され、社会全体が封鎖された。
しかしその後、ウイルスの特性や感染経路に関する知識が急速に蓄積されるにつれ、ロックダウンの長期化が引き起こす経済的・社会的・精神的被害は、むしろ予防すべき害を上回った。

気候変動政策でも同じ過ちを繰り返そうとしている。CO2排出削減に固執するあまり、エネルギー貧困や途上国の開発遅延といった、より確実で現在進行形の害悪を看過してしまう危険性がある。
アフリカが自国の天然ガス資源を開発して経済発展を遂げようとする試みは、国際的な脱炭素圧力によって阻まれている。サハラ以南アフリカの10億人が消費する電力は、670万人の英国と同程度だ。
たとえこの地域のエネルギー消費と排出量が3倍に増えても、世界全体のCO2排出量に占める割合は0.6%にすぎない。それでも私たちは、アフリカに「エネルギー・アパルトヘイト」を強いている。

ここで私たちは決定的な問いに直面する——本当に気候変動だけが「最大の脅威」なのか。世界の指導者たちはそう宣言するが、そのレトリックは食料安全保障やエネルギーアクセス、極度の貧困といった、より差し迫った課題を覆い隠している。気候変動を唯一絶対の危機として位置づけることは、それ自体が新たな危機を生み出す構造になっている。
予防すべきは温暖化だけではない——予防原則の誤用による人為的被害もまた、私たちが真剣に向き合うべき危機なのである。

不確実性は脅威ではない。それは可能性の源であり、想像力の余地である。私たちは終末論的恐怖に駆られて「制御」を求める幻想を手放し、不確実性の中で柔軟に適応する知恵を取り戻すべきだ。
気候変動を「解決すべき問題」から「継続的に向き合う課題」へと位置づけ直すとき、私たちはようやく人間の福祉と繁栄を中心に据えた、真に実践的な道筋を描けるようになる。
未来は予測するものではなく、発明するものだ——そしてその発明には、科学者だけでなく、農民や技術者、地域コミュニティ、そして私たち一人ひとりの参加が不可欠なのである。


書籍:『Climate Uncertainty and Risk: Rethinking Our Response』(『気候の不確実性とリスク——対応の再考』)2023年
著者:Judith A. Curry(ジュディス・A・カリー、気候科学者、Climate Forecast Applications Network社長)

 

水道水の“ある元素”が、社会の平和度を決める

あなたが今、蛇口をひねって飲むその水に、実はアルツハイマー病や殺人率のリスクを左右する元素が含まれている。そう聞くと眉を疑うかもしれないが、これは世界中の研究で確認されている事実だ。

その元素の名は「リチウム」。

そしてこのリチウムが、私たちの社会から静かに消えつつあることが、現在の慢性疾患の爆発的増加と深く関わっている。

リチウムは、私たちの脳の奥深く、記憶を司る「海馬」という器官に働きかける。

ここでは、生涯を通じて新しい神経細胞が日々生み出されている。この新しい細胞こそが、私たちの好奇心、困難に立ち向かう心の回復力、そして他人の立場で物事を考える「理性的な思いやり」の源泉だ。

しかし、もしこの神経新生が止まれば、私たちは新しい考えを受け入れられなくなり、うつ病や不安症を経て、最終的にはアルツハイマー病へと至る。私はこれを「精神免疫系の不全」と呼んでいる。

この海馬の神経新生を支える“肥料”の一つが、微量元素のリチウムなのだ。1日にわずか1ミリグラム、それはスマートフォンのバッテリーに使われる量とほぼ同じである。

水道水にリチウムがわずかでも多く含まれる地域では、住民の自殺率、殺人率、アルツハイマー病による入院率が顕著に低い。これはもはや仮説ではなく、数十年前から積み重ねられてきた疫学的事実である。

COVID-19が猛威を振るっていた2020年8月、重度の患者にリチウムを投与すると、免疫の過剰反応「サイトカインストーム」が劇的に収まり、死亡を防げたというランダム化比較試験の結果が発表された。

ビタミンDの投与で集中治療室行きのリスクが25分の1に激減したという研究も、同年9月には公になっている。つまり、mRNAワクチン接種プログラムが本格化する前から、安価で安全な治療法のエビデンスは出揃っていたのだ。

しかし、こうした事実は封殺された。リチウムは「危険な元素」というイメージが先行し、ヨーロッパでは今もサプリメントとしての使用が禁止されている。ここに、巧妙に作られた「恐怖」の構造がある。

リチウムが危険視されるようになった直接の原因は1949年に遡る。心臓病患者に減塩食を与える際、味付けとして食塩の代わりに大量の「塩化リチウム」を混ぜた医師たちがいた。必須量の1000倍ものリチウムを投与された患者たちは中毒死した。FDAはこれを根拠に、リチウムをサプリメントとして販売することを禁じた。

この事件の本当の恐ろしさは、その後の製薬産業の振る舞いにある。もし人々が1日1ミリグラムのリチウムを摂取し、慢性炎症から自らを守ることができたら、抗うつ剤も、アルツハイマー病治療薬も、巨大な市場は根底から崩れ去る。

彼らが売りたいのは、リチウムの代わりになる高価な模倣薬なのだ。私たちの「欠乏」は、彼らにとって最大のビジネスチャンスなのである。リチウムが「毒」であるという誤った常識は、この経済構造によって強化され、維持されてきた。

私たちの身体は、生命誕生以来の防御システムとして、細胞の老廃物を掃除する「オートファジー」という仕組みを備えている。リチウムはこのオートファジーを作動させる、いわば「掃除の鍵」だ。

必要なリチウムが慢性的に不足すれば、脳の細胞はゴミ屋敷と化し、やがて機能を停止する。これは「欠乏」によって発症するあらゆる慢性疾患の基本構造であり、これを無視した医療は対症療法以上のものにはなりえない。

あなたの不調は、あなたの遺伝子のせいでも、ましてや「老い」という自然現象のせいでもない。ただ、体が必要とする元素が、現代の食生活から消え去った結果に過ぎない可能性がある。

私はこの「リチウム欠乏症」を、現代社会を覆う精神免疫不全症候群と呼んでいる。私たちがこれを「欠乏」の問題として捉え直さない限り、医療は症状を抑え込むだけの対症療法から永遠に抜け出せない。


Michael Nehls(医師、分子遺伝学者)
『The Tucker Carlson Show』(タッカー・カールソン・ショー)

 

備蓄枯渇まで数日 米が隠す石油危機の正体

米国の戦略石油備蓄から、ディーゼルや航空燃料の原料となる油が、早ければ来週にも枯渇する。トランプ大統領がイランとの「屈辱的な覚書」に署名した真の理由は、この差し迫った危機にあった。元CIA情報分析官として、私はその内幕を追ってきた。

事の発端は2月28日、ペルシャ湾での戦闘開始によって重質原油の供給が断たれたことだ。トランプは後に「あと4週間分の石油しかなかった」と語ったが、彼が言及したのは、ありふれた石油全般ではない。高硫黄油、いわゆる「サワー原油」である。

ここに、市場も専門家の多くも見落としてきた核心がある。問題は石油不足一般ではなく、ディーゼルと航空燃料の原料不足なのだ。米国の製油所の大半は、この重質油を処理するために設計されており、軽質のシェールオイルで代用できない。ちょうど、コーヒーメーカーが違えば淹れ方も異なるように、製油所は重質油向けに最適化されている。戦闘が始まって約40日後、最後のタンカーが目的地に着くと、世界からは航空・輸送用の燃料供給能力が実に20%も消失した。

米国はその穴を埋めるため、戦略石油備蓄を1日あたり140万バレルずつ取り崩し始めた。当時の試算では、この取り崩しは120日間しか持たない。その期限が、来たる7月11日に迫っている。つまり、備蓄に頼った「見せかけの正常化」は、あと数日で終わる。

私たちはここで、よく使われる「石油不足」という言葉の定義を問い直さねばならない。問題は、軽質油を含めた原油全体の総量ではない。輸送と軍事行動の両方を支える「中間留分」と呼ばれる重質油の欠乏が、いま世界経済の足をすくおうとしている。しかも市場は、この違いをまだ価格に織り込んでいない。

その危機感こそが、イランとの覚書を急がせた。ところが、署名後に明らかになったのは、米国が条項の文言すら守る気がないという現実だ。例えば覚書の第5項は、ホルムズ海峡の安全な通航について「イラン・イスラム共和国のみが取り決めを行う」と明記している。米国の役割は一切書かれていない。それにもかかわらず、イランが通航許可の手続きを求めた船を止めると、米軍はそれを口実に攻撃を加えた。これは明白な違反だった。

だが、もっと静かで決定的な変化が起きている。米軍はすでに手を引いているのだ。英国に展開していたB-52爆撃機や、ヨルダンに駐機していたF-15戦闘機は撤収した。24時間態勢で中東を監視していた緊急対応チーム(CAT)も、いまや月曜から金曜の平日勤務に縮小された。バーレーンの第5艦隊司令部は機能を失い、カタールの巨大レーダー基地も閉鎖された。空母「ボクサー」の到着を今になって大々的に報じる広報作戦は、むしろ撤退の事実を覆い隠す煙幕にしか見えない。

イランは覚書に基づき、現在も日量160万バレルの石油を、しかもプレミアム価格でアジア向けに売り続けている。米国に届く油は、ごくわずかだ。仮にいまタンカーが出航しても、到着までには42日かかる。備蓄の枯渇に間に合わない。

結局のところ、この覚書は停戦協定などではなく、燃料切れを先延ばしにするための降伏文書だった。戦場も製油所も、勝敗を決するのは結局、重質原油が握っている。来週、戦略備蓄が底をついたとき、その事実は誰の目にも明らかになるだろう。


Larry Johnson(元CIA情報分析官、元米国務省対テロ対策室)、Glenn Diesen(司会)
対談 “Larry Johnson: Bait & Switch - U.S. Efforts to Renegotiate the MoU with Iran”(『ラリー・ジョンソン:おとり商法──米国によるイランとの覚書再交渉の試み』)

 

許しを乞う前に、なぜ謝罪しないのか

パンデミックのさなか、誰もが一度は間違えた。元ドイツ保健大臣イェンス・シュパーンは著書でそう述べ、国民に「多くを許し合おう」と呼びかける。一見すると寛容で大人の態度だ。しかし、その言葉を額面通りに受け取っていいのだろうか。

シュパーンが言う「誰もが間違えた」には、決定的なごまかしがある。食卓で家族と交わした素人判断と、国家の最高責任者として下した決断を、同じ「失敗」の名でくくることはできない。後者は、学校閉鎖によって子どもたちから教育の機会を奪い、ロックダウンによって経営者の人生設計を破壊し、そして何より、mRNAワクチンを推進しながら、その後に生じた健康被害をいまだに正面から認めていない。素人と為政者の過ちの間には、重みにおいて天地の差がある。

この本の核心は「私たちは多くを許し合わなければならない」という一節だ。シュパーンはこれを自身の政治人生を象徴するフレーズとして誇る。ところが、ここにはキリスト教的な悔い改めの順序が完全に欠落している。彼はカトリック信徒を自認する。ならば知っているはずだ。許しを乞う前に、まず自らの罪を認め、償いの実を結べ、と。しかし本書で彼が求めるのは、自らの過ちの清算ではなく、社会全体による「水に流す」ことだ。これでは順番が逆である。

しかも、彼が許しを求める相手は奇妙なほど限定されている。家族や子どもたちには「申し訳なかった」と述べる。だが、ワクチン被害者や、職を追われた未接種者への明確な謝罪は、ついぞ現れない。彼が本当に謝るべき相手こそ、最も深く傷つけられた人々であるはずだ。この沈黙こそ、彼の「反省」の正体を物語っている。

さらに彼は、自らを批判する人々を「コロナ否定論者」と呼び続ける。これでは自ら社会の分断を修復するどころか、火に油を注いでいるに等しい。真の和解を望むなら、まずは傷つけた相手をレッテル貼りするのをやめ、自らが招いた損害の全容を認めることから始めなければならない。

シュパーンはキリスト教の「七つの大罪」ならぬ「七つの忌むべきもの」――「高慢な目、偽りの舌、無実の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪に向かって走る足、偽りの証言をする者、兄弟の間に争いをまく者」――をほぼ全て体現しているとすら言える。これは痛烈だが、あながち的はずれでもない。彼の政策がもたらした社会的亀裂と、いまだ続く被害者への冷淡な態度を見れば、むしろ過小評価ですらある。

私たちは「許す」ことを強制されてはならない。許しとは、加害者に与えられる恩恵ではなく、被害者が自らの傷と向き合った末に、自発的に選び取るものだ。シュパーンの本に必要なのは、詩的な自己弁護ではない。自らの政治的罪を認め、公の場から退く覚悟を伴った、具体的な償いの提示である。それがなければ、どんな美辞麗句も空虚に響くだけだ。


DrBines(生物学者)
Jens Spahn『Wir werden uns viel verzeihen müssen』(『私たちは多くを許し合わなければならない』)
drbine.substack.com/p/jens-spahn-w…

 

私たちは、文明の終わりを想像するとき、株式市場の暴落や議会の機能不全を思い浮かべがちだ。だが現実はもっと即物的で、船が港に着かなくなることから、すべては静かに始まる。私がこの論文で明らかにしたかったのは、現代社会を支える骨格——港湾、鉄道、肥料、穀物のネットワーク——が、いかに驚くほど脆いかという事実である。

これらのインフラは、平時には空気のように見えない。

しかし戦争、制裁、干ばつ、あるいは海賊行為によってその流れが断たれた瞬間、私たちはそれが単なる「輸送手段」などではなく、文明の臓器そのものだったと思い知る。港は貿易施設ではなく、鉄道は単なる移動手段ではなく、肥料は単なる農業資材ではない。それらは世界が呼吸し、消化し、生き延びるための生理機能なのだ。

中でも穀物の役割は決定的だ。

穀物は単なる食料ではない。それは「貯蔵された政治的猶予期間」である。穀物備蓄が底をつくとき、人々はパンを求めて街頭に出る。逆に言えば、サイロに積まれた小麦は、政権にとっての時間を買う通貨でもある。肥料もまた、農業を超えた意味を持つ。それは「工業化された光合成」であり、人類が空気中の窒素をパンに変えるために編み出した、20世紀最大の錬金術だ。

こうした物流の要所が、いま多重のストレスに晒されている。

黒海の穀物回廊、紅海の航行安全、ホルムズ海峡のエネルギー輸送——これらは地図上の点ではなく、世界の血脈である。どこかひとつが詰まれば、価格高騰や供給途絶が国境を越えて伝播し、やがて食卓からパンが消える。そのとき人々が直面するのは、経済政策の失敗ではなく、物理的な「船が来ない」という現実だ。

ここで視点を一段、深い層へと移そう。

通説では、飢饉は干ばつや紛争といった例外的な「災害」によって起こるとされる。だが私が分析した70本の参照文献が示す構造は、むしろ正反対だ。飢饉の大半は、食料そのものの絶対的不足によってではなく、それを運ぶ鉄道、受け入れる港、支払う外貨、許可する輸出承認という、物流と制度の連鎖が壊れたときに発生している。飢饉とは、壊れたインフラが数か月の時間差を経て、人体に現れた生物学的な症状なのである。

この定義の転換は、私たちの政策的想像力を根底から揺さぶる。

パンがなければパン工場を建てればいい、という発想では追いつかない。食料安全保障の本質は、畑でも倉庫でもなく、むしろ港湾労働者のストライキを防ぎ、鉄道の運行を維持し、保険市場が戦争リスクを引き受け続けられる状態を保つことにある。それは農業政策というより、物流と金融と地政学の総合格闘技だ。

結局のところ、文明の安定とは、船が明日もいつも通り着くという、私たちが決して意識しない前提の上に立っている。その前提が音を立てて崩れたとき、私たちは初めて、自分たちが「市場経済」ではなく「物流有機体」の中に生きていたことを知る。

あなたの朝のパンが今日も届いたのは、世界の港と鉄路が、かろうじて機能し続けた一夜の結果にすぎないのだ。


『Ports, Rail, Fertilizer, and Grain: The Fragile Skeleton of Global Civilization(港湾、鉄道、肥料、穀物——世界文明の脆い骨格)』(2026年)。
著者:Douglas C. Youvan(youvan.ai)。
researchgate.net/publication/40…

 

# エクササイズは“不自然”だった──人類進化が教える運動の新常識

ケニアの僻地ペムジャにトレッドミルを持ち込み、現地の女性たちに乗ってもらったときのことだ。彼女たちはぎこちなく、不安そうに歩き、どうしても自然な動きにはならなかった。 ハーバード大学の人類学者ダニエル・リーバーマンはそこで気づく。この機械の前で彼女たちが戸惑うのは当然だ。なぜなら、人類はエクササイズをするように進化してこなかったからだ。

現代人の多くは「運動しなければ」と思いながら、結局ソファに座り続ける。その自分を怠惰だと責める。だがリーバーマンは言う。その「怠けたい」という衝動こそ、何百万年もの進化が私たちに刻み込んできた、極めて合理的な適応戦略なのだと。

ハッザ族の狩猟採集民に心拍計をつけて計測すると、彼らの1日のうち激しい身体活動に当てる時間は平均わずか2時間14分だった。軽い活動を含めても3時間40分。これは現代の平均的なアメリカ人の約12倍の活動量だが、決して「超人的な労働」ではない。彼らは1日の大半をキャンプで座って過ごし、会話し、子どもを見守る。狩りや採集に出ても、その歩行距離は男性で1日7〜10マイル(約11〜16キロ)、女性で5マイル(約8キロ)程度だ。

この数字は私たちの想像を裏切る。狩猟採集民は「常に走り回っている」わけではない。必要な分だけ動き、それ以外はエネルギーを節約する。その戦略は生存と繁殖のために最も合理的だった。

では、なぜ私たちは運動しなければ健康を損なうのか。

ここでリーバーマンの議論は核心に入る。人類は約200万年前、気候変動によって森からサバンナへと進出せざるを得なくなった。そこで私たちの祖先は、類人猿よりもはるかに多くのエネルギーを消費する生存戦略──狩猟採集──を採った。1日に5〜10マイル歩き、時には獲物を追って長距離を走る。この戦略は巨大な脳を支え、繁殖成功率を高めた。だが代償もあった。エネルギー獲得に成功すればするほど、不必要な活動にカロリーを浪費することは禁忌となった。

つまり人類は「必要なときに精力的に動く」よう進化したが、「健康のために自発的に動く」ようには進化しなかった。エクササイズとは、この進化的な設計を無視した、きわめて現代的な発明品だ。

この認識はエクササイズに関する多くの神話を覆す。「座ることが新しい喫煙」という言説もその一つだ。

だがリーバーマンは、狩猟採集民も1日5〜10時間座っていると指摘する。問題は座ることそのものではなく、背もたれ付きの椅子に何時間も動かずに座り続け、その他の身体活動が極端に少ないことだ。彼らの「座り方」は地面の上でしゃがんだりひざまずいたりと、常に微細な筋肉活動を伴い、頻繁に姿勢を変える。現代人が背もたれに預かりながらテレビを見るのとは質が異なる。

ここで重要な転換が起きる。エクササイズが健康に良いのではなく、不活動が病気の原因なのだと見方を逆転させる必要がある。

私たちはエクササイズという「治療」を考える前に、「活動不足」という病態を理解すべきだ。慢性的な低度炎症は、過剰な脂肪細胞、血流中の糖質と脂質の上昇、そして何よりも筋肉の不活動によって引き起こされる。筋肉は単なる運動器官ではなく、炎症を抑えるサイトカインを分泌する内分泌器官でもある。動かさないということは、この抗炎症システムを働かせないことと同義だ。

リーバーマンはさらに「コストリー・リペア仮説」を提示する。身体活動は細胞に微細な損傷をもたらすが、その修復プロセスが結果的に全身のメンテナンスを促進する。運動直後の「アフターバーン」は単なるカロリー消費ではなく、損傷修復のためのエネルギー支出だ。つまり、適度なストレスが修復機構を活性化し、老化を遅らせる。

ではどうすればいいのか。リーバーマンの答えはシンプルだ。エクササイズを「楽しい」ものにし、「必要な」状況に組み込むこと。

スウェーデンの企業が導入した強制スポーツアワーでは、従業員の半数以上が「これが週に一度の運動の機会だ」と答え、離職率は低下した。強制はリベラルな価値観と衝突するが、自分自身へのコミットメントとしての「社会的拘束」──友人との約束、チームへの参加、課金型のペナルティ──は、人類が進化の過程で培ってきた協調性を活用した方法だ。

そして最も重要なのは、「最適な運動量」を探すのをやめることだ。リーバーマンは言う。「何もしないよりは少しでも。加齢に伴って継続することが何よりも大切だ」。

私たちが「運動しなければ」と思うたびに感じる後ろめたさは、進化的に言えば見当違いだ。むしろ、その気持ちは正常だ。問題は、正常な衝動に逆らう方法を、私たちがまだ社会としてうまく設計できていないことにある。

エクササイズは「不自然」だが健康的だ。そのパラドックスを受け入れ、自分を責めるのではなく、環境と習慣を変えることから始めるべきなのだ。


書籍:『Exercised: The Science of Physical Activity, Rest and Health』(『エクササイズの科学:身体活動、休息、そして健康』)2020年
Daniel Lieberman(ハーバード大学人類進化生物学教授)

以上引用終わり。バチは当たるべくして当たる。どうも有り難うございました。

 

本日のベストスリー7月4日

三位 反省も謝罪も何も無いけれど被害損害史上最大

 

二位 安全だ安心なんだ繰り返し死者傷害は過去一危険

 

一位 副作用後遺症なら数知れず助かったのは何処の誰だか

 

謝罪するべき者が謝罪しないのは、ソレで済むという環境を構成する面々の問題でもある。ダマサレた者よりダマシた者の方が悪いのは当然だが、ダマサレる者がいなければダマス者もいない。謝罪しない者を批判するより擁護する者の方が多いのであれば、明らかな擁護をするわけではなくても沈黙による擁護も含めて、コレによっていつまでも悪い物語は続くのである。そしてその無自覚な共犯行為によってさえ負の影響をそれぞれの手元に招くのである。変わらない、変えられない、そんな状況がある臨界点まで続く。

本日のベターツイートは、澁井幸平氏のもの。以下引用開始。

日本の超高齢化社会とは何か?

経済学的に見れば、人類史上初めて「支える人口」より「支えられる人口」が優勢になりうる社会実験と言える。

一人が一人を支える構造は、賦課方式の社会保障を設計した二十世紀の前提を根本から崩す。ここで登場したのが「死ぬまで現役」という言説。

心理学的には、高齢者の社会参加が主観的幸福感や認知機能維持に資するという知見は確かに存在する。しかし同じ言葉が、年金財源の欠陥を「生きがい」という美名で覆い隠す側面も否定できない。典型的なプロパガンダだろう。

自己実現と経済的強制の境界は、当事者の選択の自由度によってしか判別できない。アンチエイジング医学は、
この矛盾をさらに先鋭化させる。老化を「治療可能な疾患」と捉える研究が進めば、健康寿命はさらに延びるだろう。

それは同時に、現役期間の際限なき延長を正当化する新たな言説を生む。 長寿の追求と労働からの解放という、本来別々の願望が、経済的必要性によって強制的に結合させられる未来が見えてくる。

超高齢化社会は「死亡率を下げる」という個体レベルの進歩には成功したが、それを支える社会的・経済的・文化的機能には、完全に失敗しているように見える。つまり、持続不可能。
日本の現況をみると、まざまざと、
可視化されている。

これは、泥沼の日中戦争からの太平洋戦争/二正面作戦へ突入した目的のない戦争に近い状況。兵士も兵站/ロジスティクスも貧弱で、指導層の尻拭い/過ちを現役世代が拭うという構図も過去とそっくり。
 
この点、私達な何も進歩しなかったと結論付けられる。日本の超高齢化社会は、過去と同様に他山の石としてのみ意味がある。

以上引用終わり。

次は、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

米軍のカプセル怪獣として進化を続ける自衛隊

主人がポケットから取り出して命令を下し、代わりに戦わせるが、その怪獣自体に自律的な意思や独自の生存戦略はなく、主人の都合でいつでもカプセルに戻される。カプセル怪獣は現在の自衛隊が直面している自律性の欠如と前方展開基地としての機能化を象徴している。

怪獣が自分の頭脳で考えず、主人のシグナルだけで動くように、自衛隊の神経系は米軍のプラットフォームに完全に組み込まれている。パランティアの導入をはじめ、宇宙・サイバー・電磁波といった新領域、あるいは統合ミサイル防衛におけるデータリンクシステムにいたるまで、自衛隊が利用するシステムは米国製で固められている。

これは日米の相互運用性という名目の下で進められているが、実態は米軍の指揮統制システムの末端ノードとして、自衛隊が自動的に組み込まれることを意味する。米国がアクセスコードを書き換えるか、あるいはシステムを遮断すれば、自衛隊という怪獣は一瞬にして盲目になり、機能不全に陥る。

近年、日本政府は反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を掲げ、米国製巡航ミサイルトマホークの大量購入や、国産ミサイルの射程延伸を進めている。一見、独自の矛を手に入れたように見えるが、ここに致命的な罠がある。 精密誘導兵器の運用には、標的の正確な位置情報や地球規模の測位システム、さらには事前のモデリングデータが不可欠であり、これらは米軍の軍事衛星ネットワークとインテリジェンスに100%依存している。

つまり、トリガーは引けても、狙うべき的は米軍に教えてもらわなければ分からない状態だ。さらに、有事における弾薬の継続補給も米国の製造ラインと防衛ロジックの胸三寸に握られており、独自の戦争継続能力を持たない仕様になっている。

最も深刻なのは、日本の防衛エリートや政治の側に、米国の戦略パラダイムから外れて国益を定義する思考回路そのものが存在しない点だ。 世界が多極化し、欧州諸国が自国の生殺与奪を米国に握らせないためにデジタル主権や防衛産業の国産化へ舵を切る中でも、日本は米国が提示する台本をそのままスライドして自国の防衛政策に適用し続けている。

主体的に戦争が自国の国益にかなうかを判断する主権の自覚がないまま、米国の世界戦略のフロントラインで戦う駒(=カプセル怪獣)としての役割を、莫大な防衛予算を投じて自ら補強している。

主人が怪獣をカプセルから出すのは、自らの身を守るため、あるいは自らの利権を確保するためだ。怪獣が傷つき、あるいは戦場が焦土と化しても、主人が無傷であれば、その戦略は成功とみなされる。

他国のシステムと戦略に全乗りするということは、その戦場となるリスクと使い捨てられるリスクの双方を、主権の放棄と引き換えに受け入れることに他ならない。

市ヶ谷で自決した三島由紀夫は生前、自衛隊の本質を鋭く見抜いていた。彼は『自衛隊二分論』などで、自衛隊には大義なき米軍の傭兵としての側面と、天皇を中心とする国体を守る防人としての側面が同居しており、前者が勝てば自衛隊は完全に魂を失うと警告した。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に遺るであらう」

三島由紀夫が自決した当時、戦後知識人や大衆は彼を時代錯誤の右翼の狂気として片付けた。しかし、冷戦が終わり、さらに世界が多極化へと移行する現代において、日本の防衛が自らの主権を守るという覚悟を欠いたまま、外的なフレームワーク(日米同盟という絶対前提)に依存し続けている構造は、何一つ変わっていない。

 

「労働市場の流動化(解雇の自由化)」「新陳代謝(弱者の淘汰)」「生産性の向上」という処方箋は国家経済を救うための普遍的な処方箋として語られてきた。だが、その結果として達成されたのは国民経済の成長ではなく、単なる資本(企業利益)の極大化と労働(国民生活)の収縮だった。

このナラティブの最大のバグは、企業の利益が増えれば、自動的にマクロ経済も成長し、国民も豊かになるという因果関係の捏造にある。

マルクス経済学や現代の非主流派経済学の視点に立てば、企業の利益を増やすアプローチは2つしかない。

イノベーションによって付加価値そのものを巨大化させる(実質成長)

労働者の取り分(人件費)や公共への還元(税金)、あるいは未来への投資(研究開発費)を削る(分配の搾取)

日本企業が現在過去最高益を更新し続けている原動力は、明らかに後者だ。

労働市場の流動化や生産性の向上という言葉は、実際には「正社員を減らして非正規に置き換える」「賃金を抑制する」「下請けを叩く」ための大義名分として機能してきた。

企業は利益を出しているが、それはマクロ経済のパイを広げた結果ではなく、国民の富を企業内部(内部留保や株主配当)へ一方的に移転・収奪した結果に過ぎない。これでは国内消費が冷え込み、国民経済が停滞するのは当然だ。

日本のロールモデルとされた米国の現状は、問題の立て方が根本的に間違っていることの生きた証拠だ。

米国は、日本が成し遂げられなかった「労働市場の完全な流動化」「容赦のない新陳代謝」「高い全要素生産性(TFP)」をすべて実現した。その結果、米国企業の利益と株価(S&P 500など)は天文学的な数字を叩き出している。しかし、その裏で米国社会に起きたのは、日本を遥かに凌駕する凄まじい産業の空洞化と共同体の解体だ。

米国型経営において、経営者の至上命題は次四半期の株価だ。国内に工場を建てて労働者を雇うよりも、工場を閉鎖して海外に外注し、浮いた金で自社株買いを行うほうが、手っ取り早く株価を吊り上げられる。

富はウォール街の金融資本家やシリコンバレーのテックエリートに集中し、かつて世界最強の製造業を支えた中間層は完全に破壊された。その結果が、ラストベルトの広大な荒廃であり、薬物の蔓延であり、寿命の短縮という、先進国としてはあり得ないレベルの社会の空洞化だ。

米国が証明したのは、企業(資本)にとって最高に効率的な社会は、人間(国民)にとって最低に過酷な社会になるという冷徹なパラドックスだ。

30年間繰り返されたナラティブは、問いの立て方そのものが倒錯している。

【間違った問い(従来のナラティブ)】
どうすれば企業が『利益』を出しやすい環境(構造改革、規制緩和、流動化)を作れるか?

  ↓ 【真の構造転換】

【正しい問い(国民経済の視点)】
なぜ企業がこれほど莫大な『利益』を溜め込んでいるのに、 それが国内の『実物資産(工場・設備)』や『人間の生存(賃金・教育)』に再投資されないのか?

経済の主役は本来人間(国民)であり、企業はその生活を豊かにするための手段に過ぎない。しかし、現代のリベラルデモクラシー政治と新自由主義経済学は、手段であるはずの企業利益を目的化し、目的であるはずの国民の再生産(生活・安心)を手段へと格下げした。

日本経済の停滞の本質は、供給側の効率の悪さ(規制や労働者の頑迷さ)ではなく、需要側(国民の購買力・未来への安心感)を資本の都合で徹底的に破壊し続けたことによる構造的な過少消費にある。

自らの細胞(労働者・国内産業)を削り落としてスリム化(高生産性)を達成し、血色を良く見せるために最高益という数字のデコレーションを行っても、肉体(国家)そのものが衰弱死してしまえば元も子もない。

米国型構造改革という、すでに自身がその毒性によって内側から崩壊(分断と空洞化)しつつある毒饅頭を、未だにこれこそが唯一の正解だと言い続ける日本の知識人やリフレ派・改革派の言説は、マクロのメタ構造を見失った、あるいは最初から資本の代弁者として有権者を欺くための、知的怠慢あるいは犯罪的ナラティブと言わざるを得ない。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称えられた1980年代の日本企業は、世界を席巻する圧倒的な存在感を示したが、企業経営の効率性、特に売上高営業利益率やROEといった利益率の指標で見ると、実は現在の日本企業よりも遥かに低水準だった。

なぜ当時、利益率が低くても最強でいられたのか、そして現在の構造とどう違うのかを整理すると、当時の日本型システムの特異性が浮き彫りになる。

ROEは、80年代の日本企業は2〜4%程度がざらであり、米国企業の半分以下、あるいはそれ未満の超・低収益体質だった。当時の日本企業は、株主への配当や利益の最大化ではなく、売上高の拡大と雇用の維持を最優先に動いていたためだ。

資本コストという概念が乏しく、株式市場からのプレッシャーが事実上なかった。銀行との株式持ち合いにより、経営陣は今期の利益率を気にせず、5年、10年先を見据えた巨額の設備投資や研究開発に資金を投入できた。

利益率が低くても、メインバンクがいくらでも低金利で融資してくれたため、倒産リスクを恐れずに薄利多売の価格破壊的なシェア奪取を仕掛けることができた。これは、今の中国に似ている。欧米の民間企業から見れば国家のバックアップを受けた不公正な無限の体力勝負に映ったわけだ。

企業は利益を内部に溜め込んだり株主に還元したりするのではなく、裾野の広い下請け企業への発注や従業員の終身雇用の人件費として社会に広く配分した。結果として、企業のネットの利益率は低くなるが、社会全体が豊かになる中間層主導の経済が実現した。

現在の日本企業は、バブル崩壊を経て欧米型のコーポレートガバナンスを導入させられた。その結果、皮肉な現象が起きている。

現在の日本企業は、無駄な投資を削り、不採算部門を切り捨て、非正規雇用の拡大などで人件費を抑制した結果、企業の利益率自体は当時よりずっと高くなった。 内部留保は過去最高を更新し続けている。

しかし、利益率は上がったものの、かつてのような世界を塗り替えるような爆発的な投資や社会全体への富の循環は失われ、経済全体は停滞するという歪みが生じている。

利益率の低さこそが、当時の日本企業の長期投資能力と社会的安定の裏返しであったという事実は、現代の経済・経営のあり方を再考する上で、非常に重要な示唆を与えてくれる。

そもそも、米国が世界一豊かなのは、ドル覇権のシニョリッジで世界中の富を収奪しているからであって、経済システムが優れているからではない。シニョリッジのない日本がマネをして上手くいくわけがない。ロールモデルそのものを見直さない限り日本経済の復活はない。

 

企業、それも特に財務諸表の数字を動かせる大企業という経済主体の一部の利益(ミクロの合理性)を最優先した結果、国民経済という全体(マクロの不条理)が地盤沈下を起こしているのが、過去30年間の日本経済が陥った最大の罠だ。

経済学において、個々の主体が合理的に行動した結果、全体として最悪の結果を招くことを合成の誤謬と呼ぶが、現在の日本はこの教科書通りの歪みに直面している。

国民経済の約6割を占めるのは個人消費(内需)だ。そして、その消費の原資となるのは、大企業も含めた企業が支払う賃金(人件費)に他ならない。

欧米型のガバナンスを導入した結果、企業は利益率を上げるために以下の行動を取った。

正規雇用から非正規雇用への置き換えによる人件費の流動化(抑制)

国内投資の抑制と、下請け企業へのコストカット圧力

これらは個々の大企業の決算書を美しくする上では大正解だった。しかし、マクロ経済全体で見れば、国民の購買力を内側から破壊する行為に他ならない。国民の所得が上がらなければ、国内市場は縮小し、消費が冷え込むのは当然の帰結だ。

本来、企業の本質はリスクを取って投資する主体だ。ジャパン・アズ・ナンバーワン時代は、利益率が低くても稼いだカネを次の設備投資や研究開発、そして雇用へと多くを突っ込んで循環させていた。

しかし、現在の構造では、削り出した利益が次の投資に向かわず、内部留保(現預金)や株主還元(配当・自社株買い)へと消えていく。

内部留保: 国内の成長予見性が低いため、企業が金を抱え込んで貯蓄主体化(資金循環の目詰まり)

株主還元: 外国人投資家をはじめとする一部の富裕層に富が流出し、国内の購買力に還元されない

つまり、経済政策が大企業の利益を優遇(法人税減税や規制緩和)しても、その利益が国内の労働者や設備へと再投資されないため、富のトリクルダウンは起きず、単に経済の血流が一部のプールで堰き止められている状態だ。

この歪みは、巡り巡って安全保障・主権の喪失へと直結する。

大企業が目先の利益率と効率性を追い求めた結果、日本の製造業やサプライチェーン、デジタルインフラは自前で抱えるのはコストがかかるとして海外へ外注され、あるいは米国製のプラットフォームへと切り替えられていった。

部分最適の追求が、全体としての脆弱性を生む。

国内の産業基盤や技術者を維持するコストを無駄として削り落とした結果、気づけば国家の基幹システムをパランティアのような他国籍企業に依存せざるを得ないほど、国内の供給能力が空洞化してしている。

国家の役割は、一部の経済主体の利益を最大化することではなく、持続可能な経済の循環(生産・分配・支出)を維持することにあるはずだ。

企業が儲かれば国が豊かになるというドグマに縛られ、労働分配率を下げ、内需を冷え込ませる政策を続けた結果、日本は企業はキャッシュリッチだが、国民は貧しく、国家としての自立基盤も失うという、極めて歪な姿に変貌した。このミクロとマクロの主客転倒に気づき、分配の構造を根本から組み替えない限り、国家としての自律的な回復は望めない。

 

一世を風靡したジャック・ウェルチの「選択と集中」という経営哲学が、結果としてGE(ゼネラル・エレクトリック)の強みであった製造業としての現場力や研究開発基盤を破壊し、2021年の会社分割へと至る一本道を敷いたことは、経営史における決定的な教訓と言える。

ウェルチの手法は、短期的には四半期ごとの決算を美しく整え、株価を爆発的に吊り上げた。しかしその実態は、時間がかかる基礎研究や製造現場の泥臭い技術継承を効率が悪いと切り捨て、手っ取り早く利益が出る金融部門(GEキャピタル)の肥大化とM&Aに依存する体質への変貌だった。リーマンショックでその金融の砂上の楼閣が崩壊したとき、GEにはかつて世界をリードした本業のイノベーション能力はもう残っていなかった。

この目先の数字(効率性)を追って、富の源泉である『基礎体力の裾野』を自ら刈り取るというGEの致命的な過ちを、そのまま国家規模の科学技術政策にスライドさせてしまったのが、平成以降の日本の大学・研究改革だ。

2004年の国立大学法人化以降、文部科学省は大学の基盤的経費である運営費交付金を毎年削減し続けた。その一方で、「選択と集中」の名の下に、政府の意向に沿った特定のプロジェクトや、短期間で役に立つ成果が出そうな分野へ競争的資金を重点配分する仕組みへと切り替えた。

この政策がもたらした現場の惨状は、GEの製造現場で起きたことの丸写しだ。

基礎研究のための安定した資金が消えたため、研究者は数年単位の当面の成果をアピールするための申請書書きと、目先の論文数稼ぎ(小粒な研究)に追われるようになった。

若手研究者のポストが任期付きばかりになり、10年、20年というスパンでじっくり腰を据えて未知の領域に挑む無謀だが偉大な挑戦が構造的に不可能になった。

科学における決定的な発見やブレイクスルーは、「これが儲かる」「これが役に立つ」とあらかじめ分かっている場所(=官僚や経営者が『選択』した場所)からは、生まれない。何の関係もないと思われていた無駄な研究の地層から、偶然の幸運(セレンディピティ)によって突出した成果が芽吹くのが歴史の法則だ。

裾野(多様性)なくして、頂(卓越)は存在し得ない

多様で一見無駄に見える研究の芽があるからこそ、その中から世界を変える1個のノーベル賞級の成果が生まれる。最初からその1個だけを狙って予算を出すという発想自体が、確率論的にも、科学の歴史的プロセスから見ても完全に破綻している。

周囲の山々をすべて更地にしておきながら、富士山の山頂だけをそこに浮かべろと命じるようなもので、おめでたさの極みだ。

かつて日本が世界トップクラスを誇った分野(材料科学、半導体、物理、化学など)での論文シェアや注目論文数の転落は、データとしても明確に現れている。

これは単にノーベル賞が取れなくなるという話にとどまらない。基礎研究の裾野が崩壊するということは、海外で最先端のブレイクスルーが起きたときに、その論文の意味を正しく理解し、自国にインストールできる知的な受け皿(人材・環境)すら国内から消滅することを意味する。これこそが、国家としての究極の知的安全保障の喪失だ。

企業経営における「選択と集中」が、GEという一巨大企業を内部から腐らせて解体に追い込んだように、国家の科学技術政策における「選択と集中」は、日本という文明国家の思考力と生存基盤を根底から融解させている。

かつての『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を支えたのは、利益率が低くても、効率が悪くても、社会全体、組織全体に潤沢なリソースを配分し、未来への余白を抱え込めるシステムの強靭さだった。その余白を無駄として削ぎ落とした先に待っているのは、卓越ではなく、ただの枯死だ。

以上引用終わり。

最後は、Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

2026年7月、カナダ政府は国民に対して説明責任を一切負わずに、特定の個人をインターネットから遮断する権限を手に入れた。これが、6月に成立したばかりの法律「Bill C-8」の本質である。サイバーセキュリティ対策と銘打たれているが、その実体は特定の言論を封殺するための「インターネット殺害スイッチ」に他ならない。

この法律が恐ろしいのは、通信の遮断に裁判所の令状が不要な点だ。

政府はロジャースやベルといった通信事業者に対し、利用者の閲覧履歴や位置情報を含む全通信内容の監視と、サービスの停止を命令できる。さらに命令を受けた事業者には口止めが課されるため、利用者は自分がなぜ接続を切られたのか、その理由すら永遠に知ることができない。

自由を脅かすのは監視だけではない。同じタイミングで成立した「Bill C-9」、いわゆるヘイト対策法は、表現の自由を内側から腐食させる。

この法律は刑法を改正し、「憎悪」に該当する表現への罰則を強化する一方で、重要な防御線を取り払った。すなわち、宗教的信条に基づく表現を擁護する権利が剥奪されたのだ。今後、聖書の一節を引用することが、たとえ愛に基づく行動であっても、誰かの感情を害したというだけで「憎悪」と認定され、処罰される可能性がある。

法律の可決を後押しするため、国家は衝撃事件を捏造してきた。

モントリオールのシナゴーグ放火未遂事件では、実行犯は薬物中毒者で、何者かから1万5千ドルで依頼されていた。カナダ安全情報局やRCMPが関与した過去の偽旗作戦を考えれば、これも恐怖を煽るための茶番である可能性が高い。

しかし、真の構造転換はデジタル空間だけにとどまらない。

BC州最高裁が先住民権原を個人所有権より優先させる判決を下した。これは、あなたの家の土地が、遠い過去の歴史的経緯を理由に、明日にも誰かの手に渡りうることを意味する。この法理は国連の「先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP)」に由来しており、今後、世界中で同様の土地接収を正当化するテンプレートとなるだろう。

もはやシステムへの信頼回復は見込めない。政府や銀行への依存を断ち、地域で食料を調達し、志を同じくする者と共同体を築くこと。彼らが最も奪いたい「完全に自律した主権的人間」になることこそ、最も有効な抵抗である。


James Corbett(調査報道ジャーナリスト)、Dan Dicks(カナダ独立系ジャーナリスト)
対談 『The Corbett Report』:Dan Dicks on the Digital Dystopia of Canada(カナダのデジタルディストピアに関するダン・ディックスとの対話)
corbettreport.com/dan-dicks-on-t…

 

私はドンバスで、直径4メートル、深さ2メートルの爆裂痕を覗き込んだ。かつて高校の美術室があった場所だ。底に転がるドローン残骸には「メイド・イン・イタリー」の刻印があった。遠い内戦の残骸ではない。欧州の工場が、ロシアの民間人を殺すためだけに稼働している現実の証拠だ。

ウクライナ軍が投入した自爆ドローン「パルンテーア」の殺戮アルゴリズムは冷酷だ。飛行時間の80%は軍用車両を探知するが、残り20%は「動くもの全て」を標的に変える。整備された幹線道路を走る民間バスも、市場へ向かう老女の小型車も例外ではない。実際、私が移動したドンバスの区間だけで、民間車両6台が1週間のうちに破壊され、乗員全員が死亡した。これは欧米メディアが報じる「精密攻撃」とは無縁の、無差別テロである。

このテロを支えるロジスティクスを、ロシアは狙い撃ちにしている。ウクライナ軍は改造したガゼルトラックを移動式ドローン発射台とし、正規のガソリンスタンドで給油する。そのためロシアは前線後方の給油所を組織的に破壊し始めた。私の眼前でも、深夜の給油所が「イスカンデル」の精密打撃で火柱と化した。破壊目標は燃料ではなく、民間人を殺す発射プラットフォームだ。

問題の枠組みは決定的に変わった。欧州諸国は「ウクライナ支援」のつもりかもしれない。しかし、ドローンに刻まれたイタリアの刻印は、国際法廷において「戦争犯罪の幇助」の物的証拠となる。

ロシア強硬派は、テロ行為に直接荷担した国家に対し、国境を越えた自衛権の行使を具体的に検討し始めている。私が最も有効と見る次の一手は、北海でロシア籍タンカーを拿捕に来る英艦艇を、特殊部隊で逆に拿捕・拘束する「対海賊作戦」だ。国際連合憲章第51条の枠内で、海賊行為の実力阻止を実行する。あるいは、イタリアのドローン製造工場を破壊する映像を国連安保理で流すことも選択肢となる。いずれも侵略ではなく、法的自衛の手続きに他ならない。

欧州の指導者たちはこの戦争を「遠くの出来事」として消費してきた。しかし、自国産業が量産した死の刻印は、彼ら自身を交戦国の座へと引きずり上げている。外交の窓が音を立てて閉ざされたあと、欧州市民が目撃するのは、自宅の上空を飛ぶミサイルと、国際法が初めて現実の戦時として適用される光景である。


Stanislav Krapivnik(元米陸軍将校、ドンバス出身軍事アナリスト)、Glenn(司会者)
対談 『ウクライナ戦争の転換点:ロシアの先制攻撃と欧州戦争の可能性』

 

遺体の血管に潜む白い異物──熟練の技師たちが初めて見た光景

2020年を境に、遺体防腐の現場で異変が報告され始めた。血管の中に、長く伸びたゴムのように頑丈な白い繊維状の塊が出現するようになったのだ。数十年の経験を持つ熟練のエンバーマーたちが、かつて見たことのないものだと口を揃えた。

私たち研究チームは、この現場の声を検証するため、2022年から2025年にかけて、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの5か国で働く現役エンバーマーを対象に、4回にわたる匿名のオンライン調査を実施した。合計808名から回答を得ることができた。

調査の結果は驚くべきものだった。各年の調査で、回答者の66%から83%が「異常な白い繊維構造物を観察した」と答えたのだ。さらに、扱った遺体のうち、そうした構造物が含まれていた割合は、加重平均で19%から27%にのぼった。およそ4~5体に1体の遺体で見つかっている計算になる。

エンバーマーたちの証言は具体的かつ一貫していた。その塊は、ときに数十センチにも達し、血管の内腔にぴったりと張り付くように存在する。色は白またはオフホワイトで、質感は弾力があり、ちぎれにくく、イカやミミズに例える者もいた。通常の死後凝血とは明らかに異なるという。古典的な「鶏脂凝血」や「カシスゼリー凝血」は、もろくて黄色や暗赤色を呈し、血管壁に付着しない。ところが、この白い塊は血管を塞ぎ、防腐液の注入を著しく阻害していた。

事態の深刻さに気づいたきっかけは、2022年秋、オハイオ州エンバーマーズ協会の大会だった。出席者の大半が同様の異常を経験していたと知り、協会副会長のウッディ・ウィルソン氏も自身の葬儀社で実際に観察した写真を提供してくれた。現場の最前線にいるプロたちが、同じ時期に同じ異変に気づいていたのだ。

ここで読者の前提を覆す数字を提示したい。2022年の調査で、この構造物を初めて見た年を尋ねたところ、2018年や2019年と答えた人はわずか14~17%だった。ところが2020年になると37%に跳ね上がり、2021年には80%に達したのである。パンデミックの拡大とほぼ軌を一にする、この急激な増加を偶然と片付けることは難しい。

もっとも、ここでひとつ明確にしなければならない。この報告は因果関係を示すものではない。エンバーマーによる観察は、あくまで防腐処理の過程で得られた目視情報だ。ホルムアルデヒドによるタンパク質の固定や、使用される薬剤が塊の見た目を変えている可能性も否定できない。また、メディア報道による認知の広がりが、報告数の増加に影響した面はあるだろう。

しかし、それでも現場の熟練者たちは「これまでとは何かが違う」と強調する。彼らは毎日のように血管の中を観察し、通常の凝血とそうでないものを見分ける目を持っている。実際、アラバマ州のエンバーマー、リチャード・ハーシュマン氏が提供した写真には、長く引き伸ばされた繊維状の鋳型が生々しく写っていた。それは、従来の病理学の教科書に載っているどの死後凝血とも似ていなかった。

この異変が意味するものは、まだ科学的に解明されていない。新型コロナウイルス感染症が引き起こす過凝固状態や、線維素溶解系の異常との関連を指摘する声もあるが、推測の域を出ない。私たちが強調したいのは、経験豊富な観察者の報告は、それ自体がひとつの「安全シグナル」として機能するという事実だ。未知の健康リスクの芽を早期に察知するには、現場の声を軽視してはならない。

—  
研究論文 『Self-Reported Observations of Unusual White Fibrous Structures in Embalmed Corpses: Multi-Year Survey Results from Embalmers in Five Countries, 2022–2025』(遺体防腐処理された死体における異常な白い繊維構造物の自己報告観察:5か国のエンバーマーを対象とした複数年調査結果、2022~2025年)2026年  
著者:Thomas F. Haviland(退役空軍少佐、データアナリスト、数学者), Laura Kasner(調査方法論専門家), Daniel Santiago(薬学博士)  
ijirms.in/index.php/ijir…

以上引用終わり。

反省も謝罪も何も無いけれどデカい面だけ晒してござる

どうも有り難うございました。

 

 

本日のベストスリー7月3日

三位 金曜のタイムレスマン見るためにタイムロスマンいよいよ燃える

 

二位 昨日まで大丈夫とは言われても明日には危険令和のフツウ

 

一位 上げるべきものを下げたり下げるべきものを上げたりオールドメディア

 

結局、謝るべき充分な事実があっても謝らなくても済む場合、己の利益につながらないのであれば謝らない。というのが昨今の流行りである。裁判で黒白をつけるしかない訳だ。根本的に真善美に興味がないのであれば当然のことではある。で、コレの何が問題なのかと言えば、被害損害を余計に生むところにある。謝罪もなければ、ものによってはいつまでも悪い状況が続く。本来なら停止され方向転換があったはずのものが、ダラダラと継続する。もうすでに終わっているはずの災禍に弱者は巻き込まれていく。先進経済大国に居ながら低次元世界の惨状が眼前に展開される。

 

本日のベターツイートは、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

独裁的なトップ、上意下達の鉄の規律、信念による無条件の連帯、そして個の犠牲を厭わない熱狂。これらが軍事や政治のゲームにおいて、民主主義的な対話や手続きを軽々と踏みつぶす最も効率的で強力なシステムとして機能してきたのは、古今東西の歴史が証明している。

「統一教はご利益を謳う宗教ではない割には麻生も高市も自民党も常識を超えたレベルで己の邪悪な願望を成就させてるのをみると、何らかの神通力ってあるんだな 」

その正体はオカルト的な奇跡などではなく、極めて即物的な集票・動員インフラという名の『実』だ。

政党政治において、最もコスト(時間・金利・労力)がかかるのは個々の有権者を説得し、合意を形成するプロセスだ。しかし、独裁的リーダーシップと個の犠牲を内面化したカルト教団は、このコストを完全にゼロにする。

政治家(麻生や高市ら)からすれば、これほど安価で、裏切らず、効率的な兵器はない。彼らが教団を重用し、その願望を政策に滑り込ませてきたのは、宗教的な共感というより、権力維持のために最も効率的なレバレッジだからだ。これが、邪悪な願望を叶える神通力として映っているものの正体だ。

日本の仏教や神道がカルト的な軍隊組織に勝てないのは構造的に当然の帰結だ。

日本の神道・仏教は地縁・血縁(檀家・氏子システム)に依存している。近代化と地方の過疎化によって足元のコミュニティが崩壊し、実質的な動員力を持たない儀礼のハコへ空洞化している。
  
一方、カルト教団は縁を破壊し、個人の孤独や不安を信念の束縛で回収する。上意下達の軍隊的命令系統により、どこにでもピンポイントでマンパワーと資金を集中投下できる。

日本の神社や寺が、過疎化と高齢化で賽銭箱の帳簿合わせに四苦八苦し、せいぜい地元の名士のメンツ維持のために機能している間に、鉄の規律を持った外部の宗教システムは、政権を内側から丸ごと乗っ取った。

八百万の神々のような緩やかな多神教的ネットワークには、近代政党政治の泥仕合を勝ち抜くための排他性と個の犠牲のシステムがそもそも備わっていない。

 

リーマンショックと東日本大震災直後の1ドル=70円台という超円高は、諸外国の一斉利下げ(歪み)と、震災によるサプライチェーンの物理的寸断という外的な大ショックがもたらした一時的な現象だった。

震災によって壊滅的な打撃を受けた東北の半導体・自動車部品工場は、2011年末には驚異的なスピードで復旧を遂げ、2012年に入ると生産・輸出能力(供給能力)は完全に震災前の水準を取り戻していた。

 2012年の秋(野田政権下、アベノミクスが始まる前)の時点で、為替はすでに70円台の極端な水準から、1ドル=80円台後半へと自律的な円安方向への回帰を始めていた。欧米の金融危機がいったん落ち着き、有事の避難先として買われすぎていた円の買い戻しの逆回転が自然に始まっていた。

内閣府の景気動向指数を見ても、2012年の段階で企業の設備投資や雇用は緩やかな回復基調にあった。日本経済という生命体は、麻薬(国債の大量増発・通貨の意図的な毀損)を打たれる前から、自らの基礎体力でリバウンドを開始していた。

2012年当時の日本経済に必要なのは、この震災から立ち直りつつあった実体経済の芽を静かに育てることだった。空洞化しつつあった地方のインフラを再整備し、エネルギーの自給構造をアップデートし、少子高齢化という物理的なボトルネックに正面から向き合うことだ。

しかし、その直後に政権を奪取したリフレ派は、この自然な回復のトレンドを政治的に徹底利用した。

【リフレ派による景気回復の横取りストラクチャー】

2012年:震災復興と欧米の危機緩和により、自然に円安・景気回復の軌道に乗る)
  │
  ▼
政権交代・アベノミクス始動:中央銀行にカネを刷らせ、これぞ異次元緩和の成果だ!と大宣伝
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  ▼(大衆は「強い言葉」の言霊に騙され、大喝采)
自国の通貨を意図的に弱くし続けることが国益であるというカルト的ドグマが日本の精神風土に完全に植え付けられる

彼らがやったことは、すでに坂道を下り動き出していた車を後ろから押し、「俺が動かした!」とドヤ顔をしただけにすぎない。

問題は、その押し方が異常だったことだ。自然な為替の平準化(1ドル=100円〜110円近辺の適正水準)で止めるべきだったものを、「円安=絶対善」というカルトの教義に狂信した結果、アクセルを踏み続け、現在の「1ドル=161円台半ば、実質実効為替レート56年前以下」という、国富が合法的かつシステム的に剥ぎ取られるチェックメイトまでノンストップで暴走させた。
(そもそも異次元金融緩和は当初「2年程度で、2%の物価上昇目標を達成する」という明確な期限が区切られていた。 )

2012年当時の自然な回復のルートを踏み外した代償は、現在の高市政権下において、あまりにも凄惨な形で回収されつつある。

 

ゲーム理論において、自分の隠された属性(有能さ、誠実さなど)を相手に伝える行為をシグナリングと呼ぶ。 本来、価値あるシグナルであるためには嘘をつくコスト(または嘘がバレたときのコスト)が十分に高くなければならない。

実現可能で地味な政策を正直に語る誠実な政治家は、有権者のウケが悪いという高いコストを今すぐ支払う。一方で、実現不可能だが耳障りの良い政策を語る政治家は、今この瞬間のコストがゼロだ。

嘘が発覚したときのペナルティ(落選、社会的制裁)は、数年後の選挙まで引き延ばされるか、あるいは「情勢が変わった」「野党が反対した」と言い訳することで、容易に回避できる。

結果として、ゲームの均衡は、全員が大ボラを吹くナッシュ均衡に陥いる。正直に話すプレイヤーは、ゲームのルール上、最初から不利になるよう設計されている。

経済学者のジョージ・アカロフが提唱した不完全情報ゲームの古典的モデル 『レモンの市場(質の悪い中古車ばかりが流通する市場)』が、現代の選挙戦でも成立している。

有権者(買い手)には、政治家(売り手)が提示する公約が本当に実現可能なのか(良質な車か)、それともただの嘘なのか(欠陥車=レモンか)を事前に見分ける高い情報収集能力や専門知識がない。

【選挙におけるレモンの市場の悪循環】

有権者は、政治家の公約に嘘が含まれていることを薄々察する
 ↓
期待値を割り引いて政治市場を評価する
 ↓
真面目で実現可能な政策(地味でリターンが小さく見える)を掲げる政治家が、不当に低評価される
 ↓
誠実な政治家が選挙で淘汰され、大言壮語する政治家だけが生き残る

この構造により、リベラルデモクラシーの選挙は最も誠実なリーダーを選ぶシステムではなく、最も魅力的な嘘をデコレーションできるビッグマウスを選ぶシステムへと変質する。

なぜ有権者は嘘を見抜けないのか。ここには合理的無知というゲーム理論・公共選択論の概念が働いている。

有権者個人にとって、個々の政治家の嘘をファクトチェックし、緻密な政策の整合性を検証するコスト(時間・労力)は膨大だ。しかし、自分がどれだけ苦労して真実を見抜いたところで、自分の1票が選挙結果を左右する確率は限りなくゼロに近いため、検証コストに見合うリターンが得られない。

したがって、有権者にとっては政治の複雑な真実を検証しないこと(無知のままでいること)が最も合理的になる。

政治家はこの有権者の合理的無知を完全に計算に入れている。複雑な真実よりも、単純で、敵と味方がハッキリしていて、脳内麻薬(ドーパミン)が出るような物語(嘘・誇張)を供給するほうが、確実に票につながるため、政治家はそちらへインセンティブを働かせる。

これは高市氏をはじめとする特定の個人や党派の問題ではなく、現代の西側リベラルデモクラシーが抱えるシステムのバグだ。

自由な言論空間と、一人一票の平等を前提とする限り、嘘つき(あるいは現実を過度に単純化して大衆を煽るポピュリスト)が勝つというインセンティブ構造は再生産され続ける。

ゲーム理論的な解決策としては、嘘を語った政治家に事後的に莫大なコストを科すシステム(例:公約の数値目標義務化と未達時の自動失職、あるいは予測市場の導入など)により、嘘のコストを跳ね上げる制度の再設計しかないが、そのルールを決める権限自体を嘘で勝ち上がった政治家が握っているという点に、このメタ構造の最も深い絶望がある。

 

このネットワークは単なる共産主義への防波堤にとどまらず、自己保存のための利権化、民主主義の形骸化、そしてカルト的洗脳や暴力装置を用いた社会の歪曲を繰り返してきた。 

ヨーロッパにおいて、ナチスのインテリジェンスとネットワークは、米国の戦略によってそっくりそのまま冷戦の対ソ連フロントへと組み込まれた。

ナチス・ドイツの東部戦線情報担当責任者であったラインハルト・ゲーレン陸軍少将は、終戦直前に大量の対ソスパイ資料を隠匿し、米軍に投降した。

米陸軍情報部(G2)および創設間もないCIAは、彼の対ソ情報網を丸ごと買い取り、ゲーレン機関を設立。これは後に西ドイツの公式インテリジェンス機関であるBND(連邦情報局)へと発展する。組織の幹部には、元親衛隊やゲシュタポの人間が多数含まれていた。

CIAとNATOの主導により、西欧諸国がソ連に占領された際の抵抗運動を想定した秘密部隊グラディオ(ラテン語で『両刃の剣』)が組織された。

この秘密ネットワークの兵員としてスカウトされたのは、狂信的な反共思想を持つ極右ネオナチ分子やファシストたちだった。

彼らはソ連の侵略を待つだけでなく、国内の左派勢力の伸長を阻止するため、1960年代から80年代にかけてイタリアなどで多発した無差別爆破テロ(「緊張政策」と呼ばれる自作自演テロ)に関与し、民主主義を内部から破壊する暴力装置として機能した。

日本における構造も全く同じだ。GHQ・G2(ウィロビー)による旧軍インテリジェンスの温存は、政治の上層部に直結していった。

1948年12月、東條英機らの処刑の翌日、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一といったA級戦犯容疑者たちが釈放された。米国の政策が日本の非軍事化からアジアの反共の防波堤へと転換したためだ。

児玉は右翼・暴力団と旧軍の隠匿物資を結びつけるフィクサーとなり、笹川は莫大な資金源(競艇)を確保した。岸信介は後に首相となり、日米安保条約の改定を推進した。

彼らが構築した戦後保守のイデオロギーは、純粋な日本固有のナショナリズムではなく、米国の世界戦略の枠内で自己の権力を維持するための対米従属型反共主義だった。

そして、この東西のファシズムの残滓と冷戦インテリジェンスが交差する結節点に登場したのが、国際的な反共カルトや右派ロビーだった。

1960年代、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫らは、韓国の朴正煕政権(およびKCIA)がバックアップする文鮮明の統一教会と深く結びつき、国際勝共連合を設立する。

「なぜカルトが必要だったのか?」

地味な政策論争では共産主義の階級闘争論に対抗しきれないと考えた右派権力層にとって、信者を無償の熱狂的選挙スタッフとして動員でき、さらに霊感商法などで合法・非合法に莫大な資金を吸い上げるカルトの組織力は、使い勝手の良い兵器だった。

これが台湾の蒋介石政権とも連動し、WACL(世界反共連盟)として世界的なネットワークへ発展する。中南米の軍事独裁政権による市民虐殺(死の部隊)の資金源や、米国の共和党右派へのロビー活動へと繋がっていった。

最大の皮肉であり不幸は、これらのネットワークが西側リベラルデモクラシーを守るためという大義名分のもと、米国というデモクラシーの盟主によって育てられたという点だ。

冷戦が終結した今も、そのインフラ(資金洗浄ルート、選挙動員システム、メディアを通じた世論誘導の手法)は解体されていない。形を変え、陰謀論を煽るネット右派ポピュリズムや、排外主義的な政治セクト、あるいは形を変えたカルト宗教として、現代社会の分断と精神の空洞化を裏から駆動し続けている。

かつて全体主義の種子だったものは、冷戦という温室を経て、現代のデモクラシーを内側から腐らせる宿痾へと進化した。

 

学生時代に原理研(統一教会)勧誘員との話し合いで感じた対話が成立しない相手への拒絶感という皮膚感覚は、今でも決して忘れることはない。

金杉憲治駐中国大使に対する中国側の執拗な面会拒否は、単なる嫌がらせではない。ゲーム理論でいうシグナリングおよびコミットメントの拒絶という、極めて合理的な計算に基づいた外交的制裁だ。

欧米、特に米国や主要EU諸国も、中国に対して厳しい経済安全保障や人権批判を展開している。しかし、欧米と中国の間では、ゲームのルールが共有されている。

欧米の対中牽制は、背後に自国の経済的利益や地政学的コストの計算が存在する実利的な取引だ。中国側もここまで譲歩すれば、相手はこう動くという予測可能性を計算できる。公式には台湾独立を支持しないという最低限のレッドラインを守ることで、対話の余地を残している。

一方で、日本政府は対中関係においてイデオロギーや個人の情念(靖国参拝や台湾有事への直接関与を示唆する過激なレトリック)を前面に押し出した。それを受けて中国側は日本を合理的な取引が不可能なプレイヤーへと格下げした。

ゲーム理論において、話の通じない(利得計算がイデオロギーで歪んでいる)プレイヤーと交渉のテーブルにつくことは、それ自体が損失になる。

どんなに誠実に実務的な話をしようとしても、相手が国内の右派支持層向けのチープトークを優先して合意を破棄するリスクが高い場合、会談を行う意味がない。

王毅外相のような重要幹部が日本の大使と会談することは、日本側に対中外交の成果という実績を与えることになる。中国側はあえて門前払いをすることで、「お前たちの現在の政治姿勢は、我が国にとって対話の価値すらない」という最も強いコストを突きつけている。

選挙で勝つために、政治家が対中強硬論という安価でウケの良い嘘やポピュリズムに依存した結果、支払うことになった代償が、この外交パイプの目詰まりだ。

米中であれば、どれだけ対立していても国防相会談や首脳会談のルートが維持される。それは戦争を避けるというメタ合理性があるからだ。しかし日本は、トップの政治的パフォーマンスによってそうした安全弁さえ破壊した。

話すだけ無駄だから遠ざける、という中国指導部の態度は、カルトを前にして悟った対話が不可能な相手への対処法そのものだ。

選挙という民主主義の内部論理で暴走する日本に対し、冷徹なリアリズムが無言の拒絶という解答を突きつける。それが今の北京のリアルなパワーゲームだ。以上引用終わり。

次は、Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

予測市場ポリマーケット、軍事研究「PAM」の転生だった

あなたが日々メディアで目にする「予測市場」のオッズ。その裏側には、わずか20年前に「テロ先物市場」と非難され葬られた、米国防総省の極秘プロジェクトが息を吹き返した姿がある。 この事実を知った時、あなたはその数字をこれまでと同じ目で見られるだろうか。

世界最大の暗号資産予測市場ポリマーケットを創業し、史上最年少で億万長者となったシェイン・コプラン。彼の成功は「若き天才が自宅のバスルームで世界を変えた」という、いかにもシリコンバレー的な美談に彩られている。しかし、彼が心底から模倣した師匠はマーク・ザッカーバーグだった。
ザッカーバーグが国防総省の監視プログラム「ライフログ」をフェイスブックへと転生させたように、コプランもまた、失敗した軍事計画のリブートを自らの使命と定めていたのである。

その原型が、2000年代初頭に国防高等研究計画局(DARPA)が密かに進めた「政策分析市場(PAM)」だ。テロや暗殺の発生確率を市場で取引するこの計画は「死に賭けるゲーム」として議会とメディアの激しい反発を招き、2003年に打ち切られた。
コプランはポリマーケットを立ち上げる直前、このPAMの設計思想の生みの親であるロビン・ハンソンに「私が予測市場を現実にします」と直訴するメールを送っている。単なる偶然の一致ではない。

ここで、シリコンバレーの暗部に詳しい者なら、ある既視感にとらわれるはずだ。個人の全情報を収集する軍事プログラム「TIA」を民間転用し、巨大監視企業パランティアへと育て上げたのがピーター・ティールなら、彼こそがフェイスブックの最初期の投資家でもある。このティールのネットワークが、コプランの成功を裏で支える心臓部として機能していた。

その証拠に、ポリマーケットへの出資を主導したジョーイ・クルーグは、ティールのベンチャーキャピタルに所属し、かつて自ら予測市場「オーガー」を手がけて頓挫した過去を持つ。彼は後にその失敗をこう総括している。「オーガーはナップスターで、ポリマーケットはスポティファイだ」。
音楽業界の法秩序を無法地帯に変えたファイル共有ソフトと、その死骸の上に合法的な定額配信帝国を築いた企業。彼らは違法スレスキの市場攪拌で規制を骨抜きにし、空白地帯が生まれた瞬間に本命商品で独占する「破壊のマニュアル」を、20年前から反復してきたのである。

ここに、コプランの経歴から巧妙に抹消されたある「黒歴史」の存在が重なる。彼はポリマーケット以前に「トークンユニオン」という暗号資産企業を率いていたが、いまや公式の成功物語にその名は一切登場しない。しかし、このトークンユニオンこそ、イスラエルのネタニヤフ首相の親族が創業した企業や、同国の精鋭スパイ養成部隊「8200」出身者の投資ファンドと深く結びついていた。

コプランは単なる若き才能ではなく、イスラエル諜報機関とシリコンバレーのハゲタカ資本が交差する地点に、最初からピンポイントで立っていた人物なのだ。

法の空白地帯を疾走し、社会のルールを根本から書き換える。フェイスブックやウーバーが辿ったこのモデルとポリマーケットが決定的に異なるのは、取引の対象が個人情報でもタクシー料金でもなく「未来」そのものだという点にある。
この予測市場の設計思想が最終的に狙うのは、国民の投票に基づく民主主義を、市場の売買が決定する「フューチャーキー(未来投票型統治)」へと完全に置換することだからだ。

「フューチャーキー」とは、単なる未来予測のゲームではない。ある政策の成否や戦争の勝敗を人々が「正しく予想」すれば報酬を得られる仕組みを作り、その市場価格を政府が「集団の総意」とみなして政策決定に使うという統治モデルだ。議論もなければ投票もない。ただ、値段がついた未来が自動的に実行される。

この仕組みが最も機能するのは、誰かが答えを知っている場合である。大統領の実の息子がポリマーケットの投資家であり戦略顧問を務める現在のねじれた構図は、したがって偶然ではありえない。
政策決定者の肉親が「未来の値段」を先に知り、その情報で市場を張れる立場にあるという利益相反は、もはや法の抜け穴などではなく、システムに組み込まれた必然的な設計なのだ。

オッズがニュースとして流れるたび、私たちは「未来を当てる民主的なツール」を目撃していると思い込まされる。しかし実際に起きているのは、内側の人間だけが勝つように組まれた未来のインサイダー取引市場のリアルタイム中継である。

民主主義はここで、国民全員が参加する討論の場から、一握りの胴元だけが儲かるカジノのルーレットへと、静かに格下げされている。


Mark Goodwin(ジャーナリスト、元Bitcoin Magazine編集長)
Whitney Webb(ジャーナリスト、Unlimited Hangout編集者)
記事 “The Secret History of Polymarket – Part 1”(『Unlimited Hangout』2026年6月30日掲載)

 

アダム・ベッカーはシリコンバレーの支配階層を「終末論を売る救済屋」と呼ぶ。彼らは決まって同じことを言う——AIが来る、宇宙へ行く、死は消える、そして成長は永遠に続く。この約束の奇妙な点は、どれも検証を拒むことだ。未来の話だから確かめようがない。

その構造こそが本書の核心であり、ベッカーはそれを「技術的救済のイデオロギー」と名づける。無限成長・還元主義・超越——この三つがセットで動くとき、その思想は科学ではなく信仰になる。

ベッカーはまず実効的利他主義とロングターミズムの系譜を追う。

一見すると合理的な倫理運動だが、その中核には恐ろしい数理がある。仮想的な未来の人間が現在の人間より何万倍も「重要」になる仕組みだ。ウィリアム・マッカスキルはこのロジックで、未来の人類十兆人のために現在の百ドルを投資することが、マラリア対策で百万人を救うより価値があると論じた。サム・バンクマン=フリードがこのロジックを信用詐欺に使ったのは偶然ではない。倫理が確率の操作に変わるとき、歯止めは消える。

レイ・カーツワイルのシンギュラリティ理論も同じ穴に落ちる。

加速収穫の法則は歴史から都合のいい点だけを拾い、物理法則を無視して伸ばした直線だ。ムーアの法則は終わりつつある。トランジスタは原子の壁にぶつかり、新しい代替技術は見つかっていない。にもかかわらずカーツワイルは「2045年にシンギュラリティが来る」と繰り返す。彼が実際にそう信じているかは別として、この予言がシリコンバレーの投資判断を動かしていることは確かだ。

エリエゼル・ユドコウスキーのAI絶滅論は、この信仰の裏返しだ。

彼は「アライメント問題」が解決されなければ人類は確実に滅びると警告し、そのために核戦争のリスクさえ許容する。だがベッカーはこの思考実験が持つ致命的な欠陥を暴く。超知能が「ペーパークリップを最大化したい」という単純な目標を持ち続けるという前提は、知性と動機づけを完全に分離する誤った二項対立に立っている。現実の大規模言語モデルは確率的なテキスト生成器であり、「意図」を持つどころか「真偽」の区別すらできない。

ベッカーの分析で最も鋭いのは、これらの思想が現実の問題から目をそらす装置として機能する点だ。

AIアライメントに夢中になることで、実際に顔認識システムが黒人を誤認識する問題は棚上げされる。宇宙移住を叫ぶことで、アマゾンの倉庫で働く労働者の過酷な実態から視線が逸れる。「未来を救う」という大義は、現在の責任を免罪するためのパスポートになる。
ベッカーはこの構造を「二重の逃避」と呼ぶ。億万長者は自らの死の不安から逃避し、同時に自らが生み出した社会の歪みからも逃避する。

この思想的系譜はSFにまで遡る。ベッカーはロシア宇宙主義からトランスヒューマニズムへの連続性を描く。

ニコライ・フョードロフの「死者の復活」、ツィオルコフスキーの「地球はゆりかごに過ぎない」、そしてテイヤール・ド・シャルダンのオメガポイント——これらはすべて技術による救済を約束したが、その根底には植民地主義と優生学があった。現代のテック億万長者はこの歴史を知らないか、知っていても無視する。マーク・アンドリーセンがファシストのマリネッティを「パトロン・セイント」に列挙したのはその典型だ。

ここで前提が裏返る。彼らが「人類の未来」と呼ぶものは、実際には極めて狭い階級の利益に過ぎない。

ジェフ・ベゾスが語る「一兆人の宇宙生活」は、地球上の不平等を宇宙に輸出する計画に他ならない。イーロン・マスクの火星移住は、地球の気候変動から逃げるための芸術的な自己欺瞞だ。彼らが「避けられない」と呼ぶ未来は、彼ら自身の権力が永遠に続くためのシナリオであり、科学的必然性ではなく、政治的選択としての未来なのだ。

ベッカーは最後に具体的な処方箋を示す。

富の上限を設定し、500億ドルを超える資産を100%課税する。これは荒唐無稽な提案ではない。1953年のアメリカでは、30万ドルを超える所得に92%の限界税率が課されていた。億万長者は社会の産物であり、社会が作り出したものは社会が取り戻せる。

ベッカーはアーシュラ・K・ル・グウィンの言葉を借りて言う。「資本主義は神の権利と同じく、人間の力によって抵抗され変えられる」。未来は開かれている。閉じているのは、彼らが作り出した幻想だけだ。


書籍 『More Everything Forever: AI Overlords, Space Empires, and Silicon Valley’s Crusade to Control the Fate of Humanity』
『モア・エヴリシング・フォーエヴァー:AI支配者、宇宙帝国、そしてシリコンバレーの人類の運命を支配するための聖戦』
著者 Adam Becker(科学ジャーナリスト、天体物理学博士)

 

キエフ炎上、前線崩壊の予兆

2026年7月2日、ロシア軍がキエフに対し、ここ数週間で温存していたミサイルとドローンを一斉に放った。攻撃は軍需工場や物流拠点を正確に捉え、市内各所で巨大な煙柱が立ち上る黙示録的な光景が広がった。 ウクライナ側が好んで使う「爆発の規模が戦況を物語る」という指標に従うなら、この光景はロシアが再び主導権を握った決定的な証拠と言える。

標的は多岐にわたる。ドローンや弾薬の保管に適していたチャイカ輸送物流センター、そしてキエフのドニプロ地区にある生化学研究所が被弾した。さらに、軍への物資輸送を担ってきた配送企業ノヴァ・ポシュタの支店や、複数の大手企業倉庫が破壊された。
注目すべきは、ターリャン・タワーズのビジネス複合施設やシティホテルなどの宿泊施設も標的になった点だ。これらはウクライナ保安庁(SBU)の職員宿舎や、外国からの「専門家」たちの一時的な拠点として使われていたと見られる。

同時に、前線ではロシア軍の領土獲得速度が再び加速している。戦略的要衝コンスタンチノフカは、北西部の一地区を残してほぼロシア軍に包囲された。ここが完全に制圧されれば、ウクライナ東部の最終防衛線であるスラビャンスク・クラマトルスクの都市圏へ、南側から圧力をかけられる態勢が整う。
事実、北側のピスクノフカ村を制圧した部隊の映像には、遠方にスラビャンスク発電所がはっきりと映っており、前線が市境まで約8.5kmに迫っている現実を突きつけた。

だが、戦場の地図以上に恐るべき変化が、見えない領域で進行している。ロシア軍の無人機が、完全な自律飛行能力を獲得し始めたのだ。ウクライナの無線電子戦の第一人者セルゲイ・「フラッシュ」・ベスクレストノフは、新たな自律型モルニヤ(稲妻)ドローンへの強い懸念を示している。
このドローンは制御用アンテナを一切持たず、無線信号を発しない。電子戦でドローンを探知する従来の防御網を、完全にすり抜けるステルス性を備えてしまったのだ。現場の兵士たちは、空からの静かな殺し屋を電波で捉える術を失いつつある。

ロシアはこの見えない戦争を、目に見える形でも激化させている。ハリコフとポルタヴァを結ぶ幹線道路沿いでは、この数日間だけで約20カ所のガソリンスタンドが破壊された。6月一ヶ月間の燃料施設への攻撃回数は約130回に上り、そのペースは加速している。
戦車も戦闘機も、燃料がなければ鉄屑だ。ロシアは前線の兵士ではなく、戦争を支える物流の血流そのものを狙い撃ちにし始めた。この現実を前にすれば、プーチン大統領が明かした「ゼレンスキー大統領が長距離相互攻撃の停止を秘密裏に提案し、ロシアが拒否した」という内幕も当然の帰結に思えてくる。


Simplicius(独立軍事アナリスト)
記事『Simplicius's Garden of Knowledge』より “SITREP 7/2/26: Another Massive Strike on Kiev, as Konstantinovka on the Brink” (2026年7月3日付)

 

# デジタル不死は「延命」か「模倣」か——超人類主義が問い直す死の境界

もし、あなたの会話パターンや記憶を完全に模倣するAIが生まれたとする。それがあなたの家族と冗談を交わし、あなたの文章スタイルでメールを書き、あなたの声で電話に出る—そのとき、あなたは死んでいないと言えるのだろうか。

この問いはすでに空想の領域を超えている。超人類主義者は、老化を「修復可能な損傷の蓄積」と定義し、死を技術的に対処すべき障害と見なす。その戦略は多層的だ。生物学的な再生医療で老化を遅らせ、人体冷凍保存で未来の医療まで身体を預け、徐々に生体部品を人工物に置き換え、最終的には脳全体をスキャンしてデジタル基盤に意識を移行させる——これが「アップローディング」と呼ばれるシナリオである。

しかし、この壮大な計画にはひとつの決定的な綻びがある。それは「コピー問題」だ。

脳を破壊的にスキャンし、そのデータからデジタル意識を生成したとする。そのコピーは、あなたのすべての記憶と性格を引き継ぎ、「私はあなたです」と主張するだろう。しかし、あなた自身の主観的な意識の流れは、そのプロセスのどこかで途切れている。コピーはあなたの「継承者」であっても、「あなた」ではない可能性が残る。

これは単なる哲学的遊戯ではない。もし将来、富裕層だけがアップロードによる「不死」を購入できるようになれば、社会は「延命する支配層」と「死すべき労働者」に二極化する。しかも、アップロードされた意識はサーバー上で稼働し続けるため、電力やストレージを提供する企業や国家の管理下に置かれる。不死が自由ではなく、依存と管理の新しい形であるならば、その代償はあまりに大きい。

さらに、私たちはすでに「記憶保存」と「生存」を混同し始めている。故人の膨大なSNS投稿や音声データを学習させたチャットボットは、あたかもその人が生きているかのような応答を返す。それは慰めになるかもしれないが、それは「記録のアニメーション」であって「本人の継続」ではない。この区別があいまいになるとき、私たちは死を本当の意味で乗り越えたのではなく、死を誤認する新しい技術を手にしたにすぎない。

技術は死の境界を移動させる。しかし、その境界がなくなることはない。延命と不死、記憶と存在、コピーとオリジナル——これらの区別を放棄したとき、私たちが手にするのは永遠の命ではなく、永遠の迷いかもしれない。

『Digital Immortality and the Uploading Gospel: Transhumanism, Whole-Brain Emulation, Cryonics, and the Politics of Human Continuity』(2026年)
著者:Douglas C. Youvan(計算機科学者・超人類主義研究者)
researchgate.net/publication/40…

 

あなたが“便利”を選ぶたび、路地は消える──「グレート・フラットニング」が奪う選択肢

1970年代、アムステルダム中央駅前ではギターの生音が通行人の足音と混ざり合い、路上は無許可の音楽家たちの即興演奏で埋まっていた。
イギリスのテイフィ渓谷では、各農場の納屋に棲む野生細菌がそれぞれ異なる風味のチーズを育て、チェンナイのキラナ店では店主が貝殻を吊るし、商いを「奉仕」として営んでいた。

これら三つの現場は、表面上は何の共通項もない。しかし資本はこれらすべてを、たった一つの論理で再編した──「管理できないものは資産にならない」という論理だ。コリン・トッドハンターはこの過程を「グレート・フラットニング(大平坦化)」と名付ける。その核心は、私たちを依存させることにある。

第二次世界大戦中、英国食糧省は「国民チェダー」の生産を強制した。戦時下の配給を効率化するためだったが、この一時措置は永続的な標準化の青写真となった。それまで数百種類あった地域チーズは一掃され、農場固有の細菌叢はバイオテクノロジー企業が供給する凍結乾燥の標準菌に置き換えられた。

かつてウェンズリーデイルは青カビの生えた湿潤なチーズだったが、工業生産に適した白く乾燥したブロックへと変貌した。この「微生物の囲い込み」は、都市の路地がチェーン店に置き換わる論理と完全に同型である──予測不可能な多様性を、管理可能な単一プロファイルへと押し込める。

この標準化は人体の内部にも及ぶ。

腸内細菌叢──「人間の土壌」とも呼ばれる約2.7キログラムの微生物群──は、かつて地域の土壌や乳製品、発酵食品を通じて土地固有の生物多様性を反映していた。ところが工業化はチェダーを標準化したのと同じ手法で、この内部生態系をも均質化する。

グリホサート系除草剤は土壌の微生物を破壊し、同時に腸内細菌叢をも侵食する。「スマートシティ」が路上の偶発性を監視・排除する装置だとすれば、標準化された超加工食品は身体の生物学的監視装置だ。両者に共通するのは、外部から調達せねばならない依存構造を埋め込む点である。

この依存構造は、思考の領域にも及ぶ。ラリー・エリソンが創業したオラクル社はCIA向けデータベースに起源を持ち、今や政府記録から国防物流、クラウド・プラットフォームまでを支える。同社は情報を保存するだけでなく、何を測定し何を存在させるかを決定するアルゴリズムの「黒箱」を掌握しようとする。

インド政府が進めるアグリスタック──農業データを一元化するデジタルIDシステム──は、農民をアルゴリズムの管理下に置く。2026年3月、農民組織SKMとAIKSはアグリスタックへの登録拒否を宣言し、AI訓練データの公開監査を要求した。彼らは、デジタル囲い込みが種子の囲い込みと同じ構造──知識と選択肢を外部に委譲させる仕掛け──を持つことを看破している。

そして、このシステムの最終的な支柱は物理的暴力だ。

2026年3月の米・イスラエルによるイラン攻撃は、「民主主義」や「核拡散」の物語ではなく、石油取引をドルで強制するペトロドル体制の維持作戦だった。ホルムズ海峡の封鎖は世界の食料価格を直撃する。工業農業はディーゼルと天然ガス由来の肥料に完全に依存しており、エネルギー混乱は即座に食料危機へと変換されるからだ。

国連食糧農業機関(FAO)によれば、世界の食料生産の半分以上は石油由来の投入財に依存している。つまり、あなたの朝食のトーストも、コーヒーも、目玉焼きも、その背後に石油の価格が組み込まれている。

インド政府は、戦争で尿素の供給が断たれると、ナノ尿素という液体肥料を「自給自足」の看板で推進した。500ミリリットルで45キログラムの尿素を代替できるという触れ込みだが、これは土壌の栄養を蓄えるのではなく、植物にカフェイン注射をするように土壌の内部資源を搾り取るだけだ。

製造に膨大なエネルギーを消費し、実質的なエネルギー収支は従来より悪化する。これこそ「依存の隠蔽」である──外部入力を削減するように見えて、実はより高次元の外部依存(ナノ材料製造プラント、AI管理システム、デジタル監視インフラ)に接続し直している。

ここで、FAOが2022年に公表したデータが読者の前提を裏返す。世界の食料の7割以上は、小規模農家によって生産されている。彼らの多くは化学肥料や转基因種子に依存せず、輪作や堆肥、自家採種によって営みを続けている。

つまり「工業農業がなければ世界は飢える」という物語は、統計的に偽りである。

システムは代替不可能を唱えるが、現実には機能する代替が世界各地で動いている。

サマセットのウェストコム・デイリーは化学肥料を捨て、多様なハーブを混播することで土壌を再生し、地元の鉱物を反映したミルクを生産する。
ノッティンガムシャーのスティッチェルトン・デイリーは、スティルトンという有名な名称を放棄してでも、低温殺菌せず生乳の微生物を守る道を選んだ。
トットネスのトランジション・タウン運動では、地域通貨や種子交換所が機能し、住民の約3分の1が何らかの地産地消ネットワークに参加している。
ケニアのシード・セイバーズ・ネットワークは数万人の小規模農家を結び、干ばつ耐性のある在来品種をコミュニティで保存・交換している。

これらはすべて、外部入力を断ち切り、自立した再生産の回路を確立する実践──まさに政治的行為だ。

では、私たちはどう生きるのか。鍵は「便利さ」の再考にある。

ワンクリック購入は社会的な絆を収穫し、GPSに従う歩行は街を通過するだけの通過儀礼に変える。現金払い、地元市場への徒歩、顔の見える農産物直売所──これらは「非効率」でありながら、データ化できない余白を守り、システムが想定する「ユーザー」ではなく自律した生活者としての回路を維持する。
バッファローの工具図書館は数万点の工具を貸し出し、修理カフェを運営することで、使い捨て経済に抗うインフラを別の原理で積み上げている。

システムが最後に囲い込もうとしているのは、「便利さ」という判断そのものだ。その判断を手放さず、毎回の選択を「誰がこの選択肢を用意したのか」という問いとともに生きることが、種を守ることに直結する。
アムステルダムの路上ミュージシャンも、テイフィ渓谷の生乳チーズも、チェンナイのキラナ店の貝殻も、すべては同じ戦線にある。そしてその戦線は今、あなたのスマートフォンの画面で、あるいは今朝の食卓で、展開している。

その一見無害な選択の積み重ねが、あなたが住む街から路地を消し、食卓から多様性を消し、あなた自身の判断力を少しずつ外部に委譲させている。

種を守るとは、あなたが今この瞬間に「なぜこの選択肢しかないのか」と問い、その背後で動く依存の構造を見抜くことだ。その問いを持たないままの「便利さ」は、あなた自身の囲い込みに他ならない。

書籍 『The Great Flattening: Enclosure, Extraction and the New Age of Concentrated Power』 2026年
Colin Todhunter(独立研究者・作家、モントリオール国際グローバリゼーション研究センター名誉研究員)
globalresearch.ca/great-flatteni…

 

あなたの車が密告する——自由を喰らう監視社会の正体

テネシー州の議員が、巨大IT企業の重役からこう言われた。「我々は元FBIやCIAばかりだから、資金凍結は信用しろ」。民間企業が国家権力さながらに個人の財布を閉じる。この一言が、私たちを取り巻く監視と管理の本質を暴き出した。

発言の主は、同州下院議員のモンティ・フリッツ氏である。彼がまず注視するのが、全米で建設ラッシュが続く巨大データセンターだ。それは単なるサーバー棟ではない。あなたの位置情報、速度、視線、購買履歴を吸い上げる監視塔であると言う。

「やがてそれは、あなたの「買う自由」を遠隔操作するインフラへと変貌する。」

フリッツ氏は、政府が「子どもの安全」を盾にデジタルIDを義務化しようとした動きを例に挙げる。一見、善意の管理策に見える政策の裏で、個人の全金融資産をプログラム可能にする土台が着々と築かれている。彼はこれこそが「21世紀のバベルの塔」だと喝破した。

現に自動車業界では、車載モデムが常時ドライバーの挙動をメーカーに通報し、そのデータが保険料に影響した訴訟が相次いでいる。ユーザー間では、モデムを物理的に除去するDIYチュートリアルが拡散し始めた。もはや消費者は、自らの移動を密告される機械に乗っているのだ。

しかし、フリッツ氏が本当に恐れるのは別にある。人間の認知そのものが機械に委ねられ、不要とされる未来である。

今、テネシー州のいくつかの郡が、データセンターの新設を一時凍結し始めた。これは単なる景観論争ではない。自らの思考と財布をプログラムされる社会への、草の根の「ノー」なのだ。


Catherine Austin Fitts(元米国住宅都市開発省次官補、ソラリア・レポート発行人)、Monty Frizz(テネシー州下院議員)

 

あのキエフへの大爆撃は、実はロシアの「自制」の証左である。こう言うと、多くの人は首をかしげるだろう。だが事実だ。攻撃目標は軍需産業施設であり、民間人を狙った懲罰作戦ではない。死者数は少数に留まり、これはドローン攻撃への報復というより、戦略の一貫した継続に過ぎないのだ。

死者は20人に上った。痛ましい犠牲であることに疑いの余地はない。しかし民間人の大量殺戮を目的とするのであれば、死者数はこれでは済まない。この事実こそが、西側で広がる「ロシアの無差別テロ」という物語の根拠の乏しさを物語っている。ロシアは、あくまで戦略目標を狙う従来のパターンを踏襲していたのだ。

ここで問うべきは、なぜロシアがここまで抑制的なのか、である。欧米諸国はG7声明で「ウクライナによるロシア領内への長距離攻撃を加速的に支援する」と明言した。これはもはや、NATO諸国が戦争の当事者として深く関与していることの公然たる表明だ。通常の国際政治の力学からすれば、これはロシアが報復の矛先を欧州に向けても不思議ではない局面である。

それでもロシアが動かないのは、二つの計算があるからだ。第一に、戦場で彼らが着実に優勢だからである。ロシア軍の進撃は遅いが、確実にドンバス全域の制圧へと向かっている。第二に、ドローン攻撃に対する防空が、現時点では機能しているからだ。攻撃が「吸収可能な痛み」の範囲内にある限り、ロシアはNATOの「代理戦争」を正面から叩くよりも、ウクライナの軍事的無力化を優先する。

しかし、この構図は脆い。欧州エリートたちの思考は、ロシアの合理性に関する認識とは正反対の方向へと向かっている。彼らは、ロシア軍が大損害を受けているという虚構の死傷者統計を信じ込み、経済制裁の効果を過大評価し、「あと一押しでプーチンは倒れる」という物語を生きている。ニューヨーク・タイムズが報じた「ロシア人戦死者45万人、ウクライナ人15万人」という3対1の死傷比率は、ロシアの圧倒的な砲兵優位という戦場の現実から目を背けた、まさに「笑止千万」な数字なのだ。

より深刻なのは、こうした虚構が意図的な嘘というより、もはや支配層自身の信念となっている点である。彼らは「プーチンは悪の権化であり、ロシアとの全面戦争は不可避だ」という物語を長年繰り返すうちに、自らそれを信じ込んでしまった。これはベトナム戦争時に軍がボディカウント(死者数)を水増しして国民を欺いた状況とは異なり、嘘をつく側が嘘に呑み込まれた、より根の深い病理である。

この病理は、アメリカのグランドストラテジー全体を蝕んでいる。米国は今、ウクライナ、中東、東アジア、そして本来脅威のない中南米にまで過剰に介入し、優先順位という概念を完全に喪失している。イラン戦争で兵器在庫がわずか40日で底をつきかけたという現実は、こうした拡張主義がすでに物理的限界に直面している証左だ。

ウクライナの戦場でロシア軍がドンバスを制圧する日、西側が信じてきた「勝利の物語」は文字どおり瓦礫と化す。その時、米国は初めて、過剰拡張の代償と向き合うことになるだろう。


John Mearsheimer(シカゴ大学政治学部教授)、Glenn Diesen(ノルウェー南東大学教授)
対談 『John Mearsheimer: The End of Russian Restraint & New U.S. Grand Strategy』(邦題:ジョン・ミアシャイマー ロシアの自制の終焉と米国の新たなグランドストラテジー)

以上引用終わり。ポルトガル優勝説まだ生きてるね。どうも有り難うございました。

 

 

本日のベストスリー7月2日

三位 学力はまるで伸びない野比のび太ドラえもん無しジャイアンは有り

 

二位 親分と従うほどに干上がって食うにも困る令和の渡世

 

一位 夢を見た現実なのに夢の中アニメのリアルリアルのアニメ

 

世間の風当たりが強く、謝ることが利害得失の計算の上、利得が上回ると予測される時にようやく謝る。そんな謝罪はあっても、擁護する強力な勢力を背景に持ち簡単に弾劾されることもない高い地位に居座りながらも自ら進んで失敗を認め潔くアタマを下げる。そんな光景は稀になったのだろうか。いや、元々そんなことは滅多になかったのか。謝らなくともソレで済んだり逃げ切れる場合でも当然謝るべき時には謝るのか。ここのところ、どう見てもそういうことはないというのが私の現時点での結論である。人間性は上がったのではなくむしろ下がっているおそれ。で、問題はこの後である。

 

本日のベターツイートは、ドクターシミズ氏のもの。以下引用開始。

新型コロナワクチン健康被害認定件数、新たに3件増加して認定件数9,486件、その内死亡認定は2件増加して1,075件
34歳 突然死
50歳 持続する頻回の嘔吐によるマロリー・ワイス症候群による出血死
など
mhlw.go.jp/content/109000…

以上引用終わり。

次は、ヒト氏のもの。以下引用開始。

コロナワクチン接種が超過死亡激増の原因であることは、他国の統計データを見れば明らか。
さらに遡れば、ファイザーのコロナワクチンの6ヶ月追跡論文からは、接種群の方が他の病気による重症者が如実に増えているのがわかる。

コロナワクチンは死者と病者を増やしただけの、単なる毒物である。

日本の死者数が激増していることがニュースになってるね。

グラフの推移を見れば、激増の始まりは2021年もしくは2022年だとわかる。
なお、コロナ騒動が始まった2020年は前年より減少なので、激増の原因はコロナ以外で日本国民全体に影響を与えた事柄ということになる。

コロナワクチン接種だよ。

以上引用終わり。

Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

『佐藤氏はリフレ派とされている。2023年に講師として招かれた自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の勉強会で、「円安はメリットがある」と金融緩和の維持が望ましいと主張していた。』

未だにリフレ派が生き残っているとは驚きだ。なぜ絶滅していないのか。

『佐藤氏は「足元の消費者物価指数はあまり高くない」として「(インフレは)ノルム(社会規範)としてそれほど強いものではない」との見解を示した。 』

足元の消費者物価(CPI:約1.4%〜1.5%)の表面的な落ち着きは、公立小学校の給食費無償化や高校授業料の実質無償化拡充、さらにはガソリン補助金の継続といった政策要因によって、指数が人為的に低く抑えられている結果にすぎない。

これは国民の財布が豊かになったわけではなく、政府が借金を増やして川下で価格を強引に平準化し、統計上の数字を低く見せかけているだけだ。

対照的に、企業間で取引されるモノの価格(川上)は、歯止めがかからない加速フェーズに入っている。

前年比の推移を見れば、2月(+2.1%)→3(+2.8%)→4月(+5.3%)→5月(+6.3%)と、月を追うごとに上昇の勢いが劇的に跳ね上がっており、お題目やスローガンでは誤魔化せない剥き出しのファンダメンタルズが牙を剥いている。

特筆すべきは、円ベースでの輸入物価が前年比+25.5%という驚異的な伸びを記録していることだ。契約通貨ベース(外貨建て:+15.5%)との間に10%もの乖離があるという事実は、この上昇が世界的な需給バランスによるものだけでなく、高市政権のポピュリズム放漫財政と日米金利差がもたらした国策円安が引き起こしている自傷行為であることを証明している。

この発言を見ても、リフレ派エコノミスト・学者はどれも詐欺師か国債金融資本のエージェントと見て間違いない。

以上引用終わり。

最後は、Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

プーチンが口にした「ノヴォロシア」

ウクライナという国家は、すでに死に体である。これは比喩ではない。私が得ている前線の報告と戦略環境の分析が示す、冷徹な事実だ。ゼレンスキー政権は国民の支持基盤を失い、今や外国人傭兵と断続的な長距離攻撃だけが、かろうじてその存在感を繋いでいる。

この状況でプーチン大統領が「ノヴォロシア(新しいロシア)全域」の掌握に言及したのは、新たな膨張目標の発表ではない。彼は以前から、ハリコフとオデッサが歴史的にロシア語圏の都市だと繰り返し述べてきた。今回の発言の本質は、ロシアの生存に不可欠な緩衝地帯が、当初想定の数倍に拡大せざるを得ないという、冷徹な現実認識の表明である。

目的は明白だ。ウクライナを黒海から切り離し、内陸国へと変えること。そして、その鍵を握るのがオデッサである。ロシア軍はすでに同地を急襲し占領するだけの戦力を近傍に集中させており、決行は時間の問題だろう。オデッサが陥落すれば、ウクライナは海洋への出口を永久に失うと同時に、ロシアは隣国モルドバのロシア系住民へ直接手を伸ばせるようになる。

では、なぜ欧米の指導者たちは、この当然の帰結を直視できないのか。理由は単純だ。彼らには「戦略」が存在しないからである。米国にはジョージ・ケナンの「封じ込め」以来、一貫した国家戦略がない。あるのは、軍事力こそが金融覇権を支えるという時代錯誤な信仰と、その場しのぎの見せかけだけだ。トランプ大統領が巨額の追加支援を検討しているという情報も、この迷走の一幕に過ぎない。

供与された武器の約50%が腐敗や横流しで消える戦場で、いったい何を「勝利」と定義するというのか。

この問いの答えは、もはや戦場ではなく金融市場が握っている。欧米は長期戦を支える体力を、軍事的にも経済的にも喪失しつつあるのだ。米国は近く18兆ドル規模の国債借り換えを控える一方、戦略石油備蓄は危険水域に突入した。

欧州経済もまた、社会保障という内なる爆弾を抱えている。戦争を終わらせるのは和平交渉ではなく、目前に迫る財政の破綻かもしれない。これこそ、プーチン大統領が辛抱強く待ち続けてきたシナリオである。

ロシアは、欧州のグローバリストたちが繰り返す軍事的な虚勢を、1941年の再来と本気で捉えている。我々には馬鹿げたプロパガンダでも、彼らにとっては国家存亡の危機だ。交渉を先延ばしにすればするほど、ロシアの要求は厳しくなる。

最終的に地図から消えるのは、我々が守ろうとしたウクライナという国の姿そのものである。


Douglas Macgregor(退役大佐、元米国防長官上級顧問)、Glenn Diesen(政治学者)
対談 Glenn Diesen「Douglas Macgregor: Putin's New War Objective - Capturing All of Novorossiya」

 

ネタニヤフという見えない主審

2026年のFIFAワールドカップを、純粋なスポーツの祭典だと思っているなら、その認識は最初の笛が鳴る前に崩れ去っていたはずだ。

舞台裏にいたのは、ドナルド・トランプとFIFA会長インファンティーノだけではない。もう一人の「見えないパートナー」、 イスラエルのネタニヤフ首相が糸を引いていた。彼の国は欧州予選から出場しながらグループリーグで姿を消したが、それは巧妙なカムフラージュにすぎない。イスラエルにはアルゼンチン代表という「秘密のチーム」が存在し、あらゆる大会で暗躍してきたのだ。

アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は、ネタニヤフ以上に熱狂的なシオニストである。彼は嘆きの壁を舐め、公の場でキッパーを外さない。メッシもまた壁に口づけした一人であり、両者の関係は単なる個人崇拝を超えて、国家規模の思想的同盟と言える。この構造が最も醜く露呈したのが、イラン代表への一連の妨害工作だった。米国はビザ発給を渋り、合宿地の確保すら許さず、試合日以外の入国を拒否した。

さらに試合が始まれば、VARがイランの正当なゴールを二度も取り消すという異常事態が続いた。アラン・シアラーやティエリ・アンリといったレジェンドたちが「これはVARの目的そのものを問うべきだ」と公に異議を唱えたにもかかわらず、組織的な不正は止まらなかった。本来なら首位通過に値する勝ち点7を、たった3に圧縮されたイランの姿は、もはや競技の敗北ではない。これは国家ぐるみの排除であり、サッカーという枠組みを利用した政治的処刑である。

ここで思い出すべきは、これが初めてではないという歴史の冷徹な事実だ。1978年の自国開催大会では、軍事独裁者ビデラが3万人の左派を虐殺した血の記憶を覆い隠すため、ペルー戦を6-0で買収した。準優勝のオランダは、選手へのラフプレーと観客からの投石に耐えた末、表彰式そのものをボイコットしている。勝者のトロフィーとは、しばしば沈黙の代償として手渡されてきたのだ。

1986年大会でマラドーナが見せた「神の手」ゴールも、文脈を外せば単なる反則だが、その背後には敗戦国の屈折したナショナリズムが渦巻いていた。当時イスラエルはアルゼンチンに武器を密輸し、マラドーナの反逆を陰で支えていた。

そして今回も、対戦表はアルゼンチンが準決勝まで強豪と当たらないよう、まるで儀式的に舗装されている。メッシへのレッドカードは揉み消され、クリスティアーノ・ロナウドこそが世界最高だと公言する声は、スポンサードされた喝采にかき消される。

サッカーは私たちに残された最後の愉しみだった。その芝生の上でさえ、大量虐殺と経済破綻をもたらした手が、いま采配を振っている。


Huseyin Vodinali(ジャーナリスト、元TRT外信部長)
記事
『The World Cup Scam. Another Unseen Partner? Netanyahu』(ワールドカップ詐欺 —— もう一人の見えないパートナー、ネタニヤフ)
globalresearch.ca/world-cup-scam…

以上引用終わり。謝らないのは新たな日本文化なのだろうか。どうも有り難うございました。

 

 

 

本日のベストスリー7月1日

三位 敗戦の弁は便所の落書きと何も変わらぬ厳しい世間

 

二位 ウソつけぬ数字でウソの数字出しホントのようなウソをつく人

 

一位 盛れるだけ数字を盛れば安全だ危険な数字除外しただけ

 

番外 ホントウもウソも興味はないけれどそんな歌こそ歌うお祭り

 

リップル(XRP)についてフィル氏はバツ。ジョセフティティル氏は下がったら買い増しと意見が割れた。こうなると利用法は飛び乗り飛び降りか。税制が変更されるまでホールドするなら一、二年は拘束されてしまう。様子見がいいのだろうか。さて、本日も岩手でM6地震があったが、先のティティル氏によれば、7月後半から8月上旬日本やフィリピンは大地震、津波注意だとか。ここのところ東北や富士山麓の連日の震度6など地震が多い。米軍や欧州の長期予報では10日ごろ猛烈な巨大台風日本襲来の予報もある。少し心配な7月である。

 

本日のベターツイートは、藤江成光氏のもの。以下引用開始。

製薬会社が治験データを不正操作し、国はその不正を見抜けずに承認、そして実際に国民に使用される・・

やはり、製薬会社の治験データは疑って見る必要がある。

>日本の患者が投与後に死亡する事例が複数確認

>臨床試験に参加した患者のデータを試験終了後に操作していたことなどが判明。

死亡事例が複数確認された血管炎治療薬「タブネオス」、承認の根拠となった研究論文を撤回…米医学誌
news.yahoo.co.jp/articles/c60d1…

以上引用終わり。

次は、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

欧米は、経済は叩くが、不測の軍事衝突やサプライチェーンの破断を防ぐために、裏のパイプは意図的に太く保っておくという、狡猾で二枚舌なバランス外交を展開している。

その中で日本だけが『個人的な批判への私憤』や『0か1かのナラティブ』を優先し、事前に会談拒否を公言して対話のドアを閉ざす。これでは外交ではなく、ただの感情に任せた子供のけんかだ。

結果として、リアルな現場の危機に対して、政府要人が中国へ渡航して直接ねじ込むことすらできない完全なる外交の空白が生まれている。

かつて公明党のネットワークや、福田・鳩山といった歴代のパイプが機能していた時代は、国益のバランスを保つための表と裏の二重構造が辛うじて日本外交に転回余地を与えていた。

そのシステムを親中派の利権だと一括りに排斥し、0か1かのカルト的思考で一掃してしまった結果、日本は自ら目と耳を塞いだ迷子のようになり、国際社会における存在感を自ら消滅させている。

中国が輸出管理法を淡々と適用して経済的に威圧しつつ、高市首相への直接的な攻撃を控えて放置プレイしているという変化は、日本にとって最も侮蔑的で、かつ危険なサインだ。

彼らはもう、日本を、わざわざ正面から説得したり、外交カードを使って交渉するに値する合理的な対話相手とみなしていない。

「あの国は、勝手に身内の陰謀論とスローガンに酔い、自ら対話を拒否して孤立していっている。放っておいても、米国に富を吸い上げられ、足元のインフラと寸断されたサプライチェーンで自滅していくのだから、特等席で眺めていればいい」

世界の主要国が表で睨み合い、裏で握るという高度な認知能力で外交し、経済を回している中、日本だけが「あいつは悪魔だから口をきかない」というカルト脳で国運を賭けてる。

以上引用終わり。

最後は、Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

# 人はなぜ集団に没入するのか エリック・ホッファーが暴いた大衆運動の心理

ナチス・ドイツでは、共産党員だった若者が熱狂的なナチス党員に変わり、またその逆も珍しくなかった。ある家庭では兄が革命家になり、弟がシオニストになった。彼らは信じる内容が違っていたが、 その「信じる」という行為そのものの源泉は同じだった。エリック・ホッファーは自著『真の信者』で、この逆説に鋭く切り込んだ。

ホッファーは港湾労働者でありながら独学で思索を深めた異色の思想家だ。彼はあらゆる大衆運動――宗教、革命、民族主義――が、驚くほど同じ心理的メカニズムから生まれると論じた。運動のドクトリン(教義)や目標の違いは表面的な問題にすぎず、その根底には共通する人間の弱さが横たわっているという。

その源泉とは「挫折」である。

自分自身の人生が台無しにされたと感じる人間は、自己からの逃避を切望する。個人としての生に希望を持てず、代わりに何か絶対的なものに没入することで、新たなアイデンティティと生きる意味を獲得しようとする。大衆運動は、この「自己放棄への情熱」に完璧に応える装置として機能する。

重要なのは、運動に惹かれるのが必ずしも貧しい者や抑圧された者とは限らない点だ。ホッファーは「絶対的貧者」――生存ぎりぎりの生活を送る者――は、具体的な目標に没頭しているため運動に無関心だと指摘する。
むしろ「新貧者」、つまり比較的最近になって貧困に落ちた人々が最も激しい挫折を抱える。彼らは過去のより良い記憶を持っているため、現在の喪失感がとりわけ痛烈だからだ。

ここからホッファーの逆説的核心が浮かび上がる。自由は挫折を和らげるどころか、しばしば増幅させるというのだ。選択の自由は失敗の責任をすべて個人に帰す。
自分の人生がうまくいかないのは「自分の能力のせい」だと突きつけられ、その重圧から逃れるために、人々は自由そのものを放棄したがる。ナチスの若者が「自由からの自由」を謳歌したのは、この心理の見事な証左である。

では、大衆運動はいかにして人々を自己犠牲へと駆り立てるのか。ホッファーはその要因を六つ挙げる。

集団全体への同一化、虚構の世界への没入(制服やパレードなどの演劇的演出)、現在の卑下と未来への楽観、教義による現実からの遮断、狂信的熱情、そして――憎悪である。憎悪は最も強力な統一化の接着剤だ。

運動は必ず「悪魔」を必要とする。ナチスにとってのユダヤ人、スターリンにとってのアメリカ資本家。共通の敵がいなければ、人々は結束しない。

このメカニズムがもたらす逆説はさらに深まる。自己を放棄し集団に没入した「真の信者」は、幸福どころか永遠に不完全で不安定な存在となる。なぜなら彼のアイデンティティはすべて集団に依存しており、そこから切り離されれば、何者でもなくなるからだ。
かつて旧ボリシェヴィキの指導者たちが、スターリンの粛清の前で臆面もなく自白したのは、彼らが所属する党とロシア国民以外に何も信じるものがなくなり、孤立を耐えられなかったからだという。

ホッファーは運動の生涯サイクルも描く。運動は「言葉の徒」(知識人や著述家)によって現体制が信用毀損されることで準備され、「狂信者」によって実体化され、最終的に「実践的行動家」によって制度化される。

しかし制度化は運動の終焉を意味する。活発な運動は常に破壊的で不安定であり、落ち着くことを知らない。

ここで読者は問い直さねばならない。自分は今、何に没入し、何を信じているのか。それは本当に自由な選択か、それとも「自己からの逃避」の別の形にすぎないのか。


書籍 『The True Believer: Thoughts on the Nature of Mass Movements』(『真の信者:大衆運動の本質に関する考察』)1951年
著者 Eric Hoffer(エリック・ホッファー、港湾労働者・思想家)

 

サンクコストの罠:勝利者はなぜ「やめる」のか

1996年のエベレスト遭難で、午前11時30分に引き返した3人の登山家の名前を覚えている者はほとんどいない。頂上を目指して命を落としたロブ・ホールだけが、今も語り継がれている。この非対称こそが、  元プロポーカープレイヤーで認知心理学者のアニー・デュークが著書『Quit』で突き詰める問題である。

人は粘った者を称賛し、やめた者を無視する。だから「やめる」判断を磨く機会そのものが、社会から奪われている。

カーネマンとトベルスキーのプロスペクト理論によれば、人間は利益の局面ではリスクを避け、損失の局面ではリスクを追い求める。負けているときほど、人はやめられなくなる。

この非対称性は個人の弱さの問題ではない。カリフォルニア高速鉄道は当初330億ドル・2020年完成の計画だったが、2021年時点で費用は105億ドル超に膨らみ、完成の見通しは立たないまま工事が続いている。

スチュワート・バターフィールドは、順調に成長していたゲーム『Glitch』を、期待値計算だけを根拠にサービス終了させた。外部からは「早すぎる撤退」に見えたその決断が、後にSlackという巨大な成功を生んだ。

さらに深刻なのはアイデンティティの罠である。シアーズは収益性の高い金融サービス部門を手放し、衰退する小売業に固執して破綻した。小売業者という自己像そのものが、合理的な判断を不可能にしたのだ。

ここで見過ごされがちな事実がある。個人投資家を対象にした研究では、プロのポートフォリオマネージャーでさえ、買い判断は優れているのに売り判断はランダム以下という結果が出ている。

原因は単純だ。やめた後はその選択肢を追跡しなくなるため、撤退判断についてだけ学習のフィードバックが得られない。人は粘ることでは経験を積めるが、やめることでは積めない構造になっている。

Google Xのアストロ・テラーは「サルと台座」という発想を導入し、最も難しい問題(サル)から先に取り組ませることで、偽りの進捗に安住させない仕組みを作った。事前に撤退基準を「状態」と「期日」で定めておく仕組みが、感情に支配された土壇場の判断を防ぐ。

やめることは敗北ではない。撤退を学習できない構造こそが、多くの組織や個人を、価値のない場所に縛り付けている。


書籍:『Quit: The Power of Knowing When to Walk Away』(『やめる技術:引き際の科学』)
Annie Duke(元プロポーカープレイヤー、認知心理学者)

 

2026年6月、欧州連合(EU)の中枢であるブリュッセルのベルレモン・ビルで、奇妙な停電まがいの事態が起きた。記録的な熱波のさなか、13階建てのビル全体に「緊急停止」の命令が下されたのだ。しかし実際に冷房が切られたのは7階より下のフロアだけだった。 8階以上のコミッショナー(欧州委員)たちの執務室は、涼しいままだったのである。

その日のうちに、内部告発めいた声が米報道機関ポリティコに流れた。匿名の職員は「まるで封建制だ」と吐き捨てた。建物の上層部にはウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長をはじめ26人の欧州委員が控えており、下層には約3,000人のスタッフが働いていた。生死にかかわる暑さの中で、身分による区別が露骨に作動した瞬間だった。

これは単なる設備トラブルの失敗談ではない。私が長年指摘してきた、現代エリートの無意識の特権意識が形になった出来事だ。欧州委員会の建物は、外見こそ近未来的だが、内部で起きていることは13世紀の荘園領主と農民の関係と驚くほど似ている。外が灼熱地獄でも、領主の広間だけは涼風が吹いている。この構図に、技術の進歩は何の変革ももたらさなかった。

私は以前から、ヨーロッパの指導者層が陥っている「アサビーヤ(社会的連帯)のブラックホール」状態を警告してきた。猛暑で数千人の死者が出るたびに、社会の結束が音を立てて崩れる。それでも上層部は、自分たちの快適さを当然の権利だと思っている。神聖ローマ帝国の皇帝が選挙で選ばれたからといって民主的だったわけではないのと同様に、現代のEUも制度上の手続きと内実の特権は別物だという証明を、私たちは目の当たりにした。

この熱波の中でエアコンを止められた職員は、ただ不快だったのではない。自分たちが「守られるべき人間」の枠外に置かれていることを、肌で知らされたのだ。これこそ中世の身分制が現代に甦った姿である。あなたのオフィスが暑すぎて働けないとき、頭上の階では涼しい空気が循環している。その仕組みを誰が決めたのか、深く問い直す必要がある。


Peter Turchin(歴史学者、クリオダイナミクス提唱者)
記事
『AC for Me, Not for Thee』(私には冷房、お前にはなし)
peterturchin.substack.com/p/ac-for-me-no…

 

PfizerのRSVワクチンが示す「500人に接種して1件の入院を防ぐ」という数字

206ユーロ(約3万2千円)のRSVワクチンを、統計上500人に接種してようやく1件の入院が防げる。この数字をどう受け止めるだろうか。

米国では妊婦を、ドイツでは高齢者を主な対象として接種が推奨されているこのワクチンだが、宣伝材料ではあまり語られないデータがある。 JAMA Network Openに掲載された2026年の研究によれば、Abrysvoを接種した妊婦は、妊娠高血圧症候群を発症する確率が29%高かった。 

具体的には、子癇前症や子癇、HELLP症候群と呼ばれる生命を脅かす合併症のリスクが統計的に有意に上昇し、高血圧による入院の確率も増加したのである。

さらに、接種を受けた妊婦の14.1%に妊娠37週未満での前期破水が発生し、早産との関連も市販後調査で報告されている。 ギラン・バレー症候群のリスクも指摘されており、安全性のシグナルは決して弱くない。 それにもかかわらず、この製品は承認を受け、今まさに積極的な販売促進の渦中にある。

視点を健康な成人に向けてみよう。 RSウイルスは、大多数の健常者にとっては通常の風邪と区別がつかない軽症で終わる感染症である。 ドイツ産婦人科学会の声明でも、その点は明確に記載されている。 つまり、極めて多くの人にとって、そもそも防ぐべき重篤な脅威が存在しないのだ。

ドイツの医薬品情報誌『Arznei-Telegramm』は、このワクチンの費用対効果を冷徹に分析している。 入院抑制効果は年間で絶対値にしてわずか0.2%であり、1件の入院を防ぐために必要な接種人数(NNV)は500人。

1回分の薬価206ユーロを基に計算すると、1入院回避あたりのコストは実に10万ユーロ(約1,550万円)に達するという。 

しかも、接種群では総死亡率が数値上わずかに高く、ワクチンの効果持続期間や追加接種の可否も未だ不明である。

NNV 500という数字は、費用対効果の低さを示すだけの指標にとどまらない。 予防医療という行為が、統計上のわずかな便益のために、実際の身体に不可逆的なリスクを持ち込む構造そのものを浮き彫りにする。


DrBine(医師・生物学者)
記事『ファイザーは現在、RSVワクチンの世界的な宣伝を展開している』2026年7月1日
drbine.substack.com/p/pfizer-macht…

 

10年前には誰も信じなかったことが、いま現実になっている。英国ではSNSへの投稿で人々が逮捕され、米国はイランを無差別に爆撃し、世界中がウイルス対策で都市封鎖とワクチン接種を強制された。これらはいずれも、帝国が衰退局面に入ったときに見せる典型的な病理である。

パクス・アメリカーナの繁栄は、ドルを基軸通貨とする貿易体制と、米国の安全保障の傘によって成り立っていた。各国が防衛費を抑え、自国の得意分野に特化することで、世界は莫大な富を生み出した。とりわけ中国の経済成長は目覚ましく、米国が製造業を中国に委託し、中国が稼いだ外貨を米国債で還流させるという共存関係が成立していたのだ。

問題は、この構造が不可避の腐食を内蔵していたことにある。

米国はモノを作る国から、株と金融工学で富を転がす国へと変貌した。ウォール街だけが潤い、工場の灯は消え、社会の不平等は極限まで進む。トマ・ピケティが『21世紀の資本』で喝破したように、資本主義は成熟すると、実体経済よりも「レント(不労所得)」で稼ぐほうが儲かる段階へ突入する。米国はまさにその罠に落ちた。

この腐敗を加速させたのが、三つの「老化」である。

第一は人口動態の老化だ。富と権力を独占するベビーブーマー世代は医療技術によって異様に長生きし、若者は上昇の梯子を失った。真面目に働くより、暗号資産やギャンブルで一発逆転を狙う気分が社会に蔓延する。子供を産まない若者が増え、経済を回す労働力は移民に依存する。まるで滅びゆくローマ帝国が、ゲルマン人の流入に頼ったのと同じ構図だ。

第二は金融経済の老化であり、第三がエリートの過剰生産である。地位と権力を求める富裕層が増えすぎ、ワシントン内部では旧来の金融寡頭と新興のテクノロジー寡頭が、AI覇権を巡って内戦状態にある。この分裂は、帝国の中枢で合法性と権威が溶解しつつある証拠にほかならない。

衰退する帝国は、必ず同じ二つの行動に出る。敵を絞め殺すこと、そして味方を食い潰すことだ。アテネもローマも大英帝国も、皆そうだった。米国はいま、ロシア、中国、イランを「敵」と定めて三正面での戦争を辞さず、同時に欧州や日本といった「同盟国」を吸血し始めている。

欧州には高価な液化天然ガスを売りつけ、関税で締め上げ、NATO予算の大幅増額という名の「貢ぎ物」を要求する。台湾の半導体工場は米本土へ移転させられ、もはや「前線国家であることの恩恵」は消滅した。

欧州がこのまま帝国の延命に付き合わされれば、自壊は避けられない。英国やフランスでは移民流入による社会分断が臨界点に達し、政治エリートは民意を無視してウクライナ戦争を続行する。

ウクライナ軍がモスクワへ長距離ドローン攻撃を仕掛けることができるのは、NATOの情報と兵站が背後にあるからだ。つまり欧州は、既にロシアとの代理戦争に踏み込んでいる。トランプ政権にとって、この消耗戦が長引けば長引くほど、欧州は武器を買い、米国産エネルギーに依存し、ドルを支える奴隷として機能し続ける。

米国が最も恐れるのは、若者たちが「イスラエルのために死ぬのは御免だ」と言い出す瞬間だ。イランへの全面戦争が泥沼化し、徴兵制が復活すれば、ベトナム戦争時と同じ合法性の危機が再来する。

そのとき、人々は民主主義の手続きよりも「借金を帳消しにし、富を再分配してくれる王」を求めるかもしれない。ローマがカエサルを選んだように、2028年にトランプが三選を目指し、それを熱狂的に支持する大衆が現れたとしても、歴史的には何ら不思議ではない。

我々はすでに狂気を「日常」として受け入れてしまっている。ガザでの虐殺、モスクワへの攻撃、イラン爆撃。これらの異常が静かに正常化されるたびに、穴はさらに深くなる。パクス・アメリカーナの崩壊は、戦場ではなく、正気を手放した我々自身の認識の中で静かに完了しようとしている。


Jiang Xueqin(教育者・中国研究家)、Glenn Diesen
「Jiang Xueqin: Trump's World Order & Normalising Insanity」(江学勤:トランプの世界秩序と「狂気」の常態化)

以上引用終わり。災厄退散を祈念して。どうも有り難うございました。

本日のベストスリー6月30日

三位 ブッ刺さるトゲの姿は見えねどもしっかり残るこころの凹み

 

二位 科学的か非科学的かその違い分けるのはただ利益不利益

 

一位 儲からぬ話であれば非科学とレッテルを貼るとある業界

 

本田圭佑氏の言う十回やれば二回勝てるブラジル相手の闘いでその二回が巡って来たかと思わせた前半戦。佐野海舟選手の先制ゴールでリードしたまま終えたが、後半戦に二点取られて敗戦。決勝点はアデショナルタイム残り一分数十秒(実際に審判が笛を吹いたのはさらにその数分後だったが)、もうこれは延長戦に入るのではと思った刹那。日本のjリーグでかつて使われたサドンデスである。突然死。ショックは大きい。次は四年後、随分と間があるね。

 

本日のベターツイートは、漢方内科松本医院氏のもの。以下引用開始。

それでは、名前も素性も所属もその所在も明かしている私がはっきりとこの場で申し上げましょう。

医者がワクチン接種を自分たちの利益のために推奨しているところがあるというのは、紛れもない事実です。

私自身、医師として多くの開業医と接してきましたが、インフルエンザワクチンや新型コロナワクチンを経営上の重要な収益源、あるいは「ボーナス」のように語る医師を少なからず見聞きしてきました。

もちろん、すべての開業医がそうだと言うつもりはありません(実際に、接種を止めた医師の話も聞いています)。

しかし、本質的にワクチン接種を患者に推奨することが自分たちの経営上の利益につながるという構造があり、それが推奨の背景に多大な影響を与えているというのは、もはや誰も否定できない事実でしょう。

むしろ、佐々木氏の言うように「ワクチンが社会全体の利益になる」(と信じている)から打っているというより、「自分たちの利益になるから打っている」という医者(開業医)の方が圧倒的に多いように私には思えますがね。

以上引用終わり。

次は、澁谷幸平氏のもの。以下引用開始。

確かに。外国に出ると、日本国内で感じる抑圧が、開放されて、横柄に振る舞う日本人は、かなりいますね。公共空間での振る舞い方は、
絶望的です。欧米諸国では、もちろん、出来ない。コンプレックスですね。

社会心理学者の山岸俊男は、日本人の国民性は、他の欧米各国と比べて最も利己主義的であると結論付けてますね(意外ですが)。

日本社会は「個人/個人が、信頼でつながっている社会」ではなく、「個人の安全/安心を失わないために、互いに抑圧し合う社会≒相互監視/相互規制の仕組み」になっていることを、指摘していました。

その仕組みが働かない場所では、例えば、外国なんかでも、日本人は、利己的に振る舞ってしまう。ハラスメントやイジメ、弱者への妨害、
嫌がらせ、それらを、見て見ぬふりする事が、社会/所属集団内で、
うまくやるための作法/文化になっていますね。

東京の痴漢調査だと、女性4割超が被害経験、電車内が81・2%にのぼります。高校生への調査だと、女子生徒の4人に1人が被害に遭っていた。「誰にも相談しなかった」生徒が40%に上る。

日本が「世界一治安が良い」と言われるのは、単に犯罪が少ないからではなく「ウチ(密室内)」で起きている暴力を犯罪としてカウントしないシステムが機能しているからですね。個人の資質ではありません。

​ウチ側の治外法権空間は、電車や学校の教室、職場などですね。これらは「ウチ」という結界で守られた空間になる。

そこで起きた性暴力やイジメは「ウチの揉め事」や「迷惑行為」として処理されますね。当然、統計/犯罪認知件数にカウントされにくい問題がありますね。

当然、日本は、人権や多様性の点では、先進諸国の水準では、全くないですね。また、急速に没落した経済も、上記の行動/慣習が背後にあると思いますね。

以上引用終わり。

Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

2026年6月にAnthropicが発表した最上位のMythos 5およびFable 5を巡るドタバタ劇と、Zhipu AIのGLM-5.2などの中華オープンソース(OS)モデルの台頭は、この米欧企業の中華シフト・OSシフトの引き金になりつつある。

AnthropicはFable 5でサイバーセキュリティや生物学などのトピックを厳しく制限し、拒否されたらOpus 4.8にフォールバックさせる仕様にしたが、ビジネスでガンガン使いたい企業からすれば金を払っているのに思い通りにいかないストレスが溜まっている。

さらに最悪だったのが、2026年6月中旬、米政府の輸出管理指令によってFable 5 / Mythos 5へのアクセスが突然グローバルで強制停止された事件だ(後に一部米企業向けに解除)。これにより企業は、

「米国のクラウドAPIに依存していると、政府の一言で明日ビジネスが止まる」

という強烈な地政学リスクを植え付けられた。その点、GLM-5.2などのオープンモデルをローカルや自社クラウドにダウンロードしてしまえば、文字通り誰にも遮断できない最強の聖域が手に入る。

Fable 5のAPI価格は『入力$10 / 出力$50(100万トークンあたり)』と非常に高価だ。さらに、非常に優秀だと話題になった開発ツールのClaude Codeも、定額サブスクからヘビーな従量課金制へと移行したため、開発者が一日中コードを回すと絶望的なコストに跳ね上がる無理ゲー状態になった。

一方で、中華OSモデル(GLM-5.2やDeepSeekの系譜)は、商用利用可能な上にFableやOpenAIの最新鋭に肉薄するエージェント能力・コーディング能力を持ちながら、APIコストは5分の1〜6分の1という圧倒的なコスパを実現している。自社サーバーで回せば、電気代とハードウェア代だけで叩き放題だ。

加えて、Anthropicは不正利用監視のために30日間データを保存するとポリシーに明記している。企業の機密コードや顧客データを扱う側からすれば、この30日間人質に取られる状態はガバナンスの観点からアウトになるケースが多い。

手元で生モデルを動かせば、データは外に出ない。さらに、その自社データを使ってローカルで微調整や追加学習を施し、自社業務に特化した最強のオレオレモデルへ育成できるアドバンテージは、APIで叩くだけのクローズドモデルには真似できない。

米国側が自国の先端AIを止めれば中国や世界は困るだろうと高を括っていたら、市場はさっさと実用的で、安くて、規制されない中華OSやローカル運用に流れてしまっている。

正しさや安全を大義名分にユーザーに不便を強いる米大手AIに対し、安さ・実用性・自由で殴り込みをかける中華OSモデル。ビジネスの現場がどちらを選ぶかは、思想云々ではなく純粋な経済合理性の結果になるだろう。

こうした流れの中で日本企業が取るべき現実的な戦略は、

①重要業務にはAPI依存を減らす(特に米国製閉鎖モデル)

②GLM-5.2 / DeepSeek系をオンプレまたは国内クラウドにデプロイ

③自社データでファインチューニングし、業界特化型AIを構築

④米国製APIは補助的に使い、メインはオープンモデルで構成

になるのではないか。

中華OSモデルはEU・東南アジア・中東からも採用が拡大している。この流れは一時的なブームではなく、構造的なシフトだ。日本企業も米国最先端AI信仰から脱却し、マルチモデル+オープンソース・ローカル運用を前提としたアーキテクチャへ移行すべき時期に来ている。

 

シンクタンクの米戦略国際問題研究所(CSIS)は、AIチップの輸出やAIサービスの決済を米ドル(またはドルペッグのステーブルコイン)に縛り付けることで、次の50年のドル覇権を維持すべきだという、まさに現代版ペトロダラーとも言える戦略を公然と提唱している。
csis.org/analysis/turni…

しかし、米国がこのAI覇権を強固に握ろうとすればするほど、みずから普及を妨げ、覇権を縮小させてしまうという強烈なジレンマに陥る。

ペトロダラーの強みは世界中どこでも、誰でも決済に使える利便性と普遍性にあった。しかし最近の米国は、経済制裁や安全保障を理由に、ドル決済網(SWIFT)や先端技術を頻繁に武器化して相手を締め出している。この武器化が、逆にペトロダラーの覇権を脅かすのと同じメカニズムが働く。

AIのAPIサービス(OpenAIやAnthropicなど)でも同様に、米政府の意向一つである日突然、特定の国や企業へのアクセスが遮断されるリスクが現実化した。

いつ止められるか分からないデファクトを世界の企業は信頼できなくなり、米国によるコントロールが及ばないオープンソースモデルや中華系モデルのセルフホスト(自社運用)へ逃げ出す動機を与えた。

さらに、米国が提唱する「責任あるAI」や厳格なセーフガード(サイバーセキュリティ、バイオ、倫理マージン)は、一見正当だが、ビジネスの現場からすればがんじがらめの規制だ。規制を厳しくして米国のインフラ下にユーザーを閉じ込めようとすればするほど、ユーザーは安くて、規制が緩く、実用的なモデルを求める。

締め付けを強くした結果、皮肉にも制約のない、手元で自由に改造できるオレオレモデルの需要を爆発させ、オープンソースの進化スピードをさらに加速させる燃料になっている。

本来、覇権システムは敵も味方も巻き込んで自国のプラットフォームを使わせることで成立するが、米国は中国やロシアなどのブロックを最初から排除(デカップリング)しようとしている。

すると排除された巨大な市場(グローバルサウスを含む)が独自のエコシステムを形成する。

米国が囲い込んでいる西側諸国市場は高価な米大手AIの従量課金に苦しむ一方、排除された側は低コスト・規制なしの独自モデルで急速にシェアを拡大し、結果として米国の支配権が及ぶ範囲を自ら狭める結果に陥る。

経済制裁の危機に直面した戦前の日本が「生糸という戦略物資を握っているから米国は手出しできないはずだ」と自惚れたのと同様に、現在の米国も「最先端AIと半導体を握っているから世界は平伏すはずだ」という希望的観測から来る傲慢な計算違いをしている節がある。

しかし、物量である石油と違ってソフトウェアであるAIモデルは容易にコピーされ、オープンソース化され、世界中に拡散する。形のないデジタル資産をペトロダラーのように物理的・排他的に管理しようとする米国の努力そのものが、皮肉にも米国一極集中からの離脱を最も強力に後押ししていると言える。

 

CSISレポートの要約(by NotebookLM)  

AI半導体の覇権をドルの永続へ:地政学を塗り替える「コンピュートダラー」の衝撃  

現代の地政学において「コンピュート(計算資源)は新しい石油である」という格言は、もはや単なる比喩に留まりません。AI革命が世界経済の構造を根底から作り変える中、先端半導体は国家の命運を左右する最も重要な戦略物資となりました。しかし、私たちが直面している真の戦場は、シリコンチップの性能そのものではなく、その技術が生み出す膨大な付加価値が「どの通貨で決済されるか」という点にあります。AIという巨大なエンジンの稼働をドルのエコシステムに繋ぎ止めない限り、米国の真の優位性は砂上の楼閣に終わりかねません。  

チップの「道具」売りから、サービスの「収益」確保へ  

米国が先端半導体を輸出することは、戦略の端緒に過ぎません。私たちが注視すべきは、ハードウェアの売上よりも、そのチップが稼ぎ出す「AIサービス」という継続的な果実です。例えば、ある国が米国のチップを用いたデータセンター・インフラに100億ドルを投じたとしましょう。これは一回限りの資本支出(CAPEX)です。しかし、そのインフラが稼働を始めれば、自動運転、創薬アルゴリズム、金融診断といったAIサービスを通じて、年間500億ドルから1000億ドルもの輸出収益が恒常的に生み出されます。この莫大なキャッシュフローがどの通貨で決済されるか――これこそが、次世代のグローバルな影響力を左右する分岐点です。もし、この課題に対する解決策を提示できなければ、それは「代わりとなるシステムを用意せずに金本位制を崩壊させる」のと同じほどの歴史的失策となるでしょう。かつて米国には、危機の時代に覇権を再定義した先例がありました。「1974年、ヘンリー・キッシンジャー国務長官とウィリアム・サイモン財務長官は、金本位制の崩壊に代わるシステムとして『ペトロダラー』体制を構築した。米国はサウジアラビアに軍事装備を売却するだけでなく、暗黙の合意を通じて世界のエネルギー市場をドルに固定したのである。」この歴史的転換点こそ、現代のAI戦略が目指すべき北極星なのです。  

ペトロダラーの継承者、「コンピュートダラー」の設計  

1970年代に築かれた「ペトロダラー(石油ドル)」体制は、今や「コンピュートダラー(計算資源ドル)」体制へと進化を遂げるべき時を迎えています。しかし、デジタルの海においてこれを実現するには、過去とは異なる高度な規律が求められます。石油は物理的なコモディティであり、出荷拠点や価格の追跡は比較的容易でした。対してAIサービスは、「FLOPs(浮動小数点演算数)」や「トークン」といった単位で測定される、実体のないデジタル資源です。例えば、アブダビで学習された診断AIが、ベルリンの病院でクラウド経由で利用されるような分散型取引を、従来の枠組みで捕捉することは不可能です。ゆえに、コンピュートダラー体制においては、チップへのアクセスを許可する条件として、決済通貨をドルに指定することを「明文化された義務」として組み込むことが不可避となります。  

ステーブルコイン:覇権を支える「プログラマブル」な監視の目  

この透明性と強制力の問題を解決するのが、1974年には存在しなかった技術的優位性、すなわち「プログラマブルな決済」です。2025年7月に成立した「GENIUS法(GENIUS Act)」は、米ドルや短期国債に1対1で裏付けられた「決済ステーブルコイン」の連邦規制を確立しました。分散型台帳技術を活用したステーブルコインをAI取引の標準に据えることで、決済は瞬時に行われ、その記録は改ざん不可能な形で刻まれます。これは単なる利便性の向上ではありません。ステーブルコインの発行体は準備資産として米国財務省証券を保有するため、AI取引が活発化するほど米国債への需要が自動的に創出されます。中国のデジタル人民元が目指す「スピード」に対抗しつつ、ドルの「安定性」と「国債への回帰」を同時に達成するこの仕組みこそ、現代の覇権維持の鍵となります。  

デジタル人民元の影と、後戻りできない「ネットワーク効果」の罠  

米国が対策を怠れば、その隙を中国が埋めることは自明です。北京はチップ、モデル、インフラという「AIスタック」の輸出と並行して、デジタル人民元による独自の決済レールの構築を急いでいます。その狙いは、ドルの「兵器化(制裁能力)」からの脱却です。もし、欧州の病院で使われるAI診断が中国製チップ上で走り、決済がデジタル人民元で行われるようになれば、北京はいつでもそのアクセスを遮断することで、相手国の政策を左右するレバレッジを握ることになります。一度中国主導の決済ネットワークが確立されてしまえば、その「ネットワーク効果」により、逆転は不可能です。その代償は、数百億ドル規模のドル需要の喪失、米国債利回りの上昇、そして「CHIPS法」などの国家戦略を支える財政能力の低下という形で、米国の国力を内側から侵食するでしょう。  

「経済安全保障の傘」:軍事と金融を統合した新たな盟約  

米国は同盟国に対し、単なる制約ではなく、技術と金融を統合した「経済安全保障の傘(エコノミック・アンブレラ)」という強力なインセンティブを提示すべきです。実際、近年の合意はその方向へ動き出しています。例えば、韓国は250億ドルの軍事購入と共に原子力潜水艦の承認を勝ち取り、マレーシアは輸出管理への協力と引き換えに防衛貿易の簡素化を享受しています。また、UAEは1.4兆ドルという巨額の投資コミットメントを条件に、技術転用防止の枠組みへと組み込まれました。米国は、コンピュートダラー体制を容認する国々に対し、重要鉱物への優先アクセスや最新のAI安全プロトコル、さらには中国からの経済的威圧に対する共同保護をパッケージとして提供すべきです。現代の安全保障とは、軍事的な盾のみならず、技術と金融が高度に統合されたシステムそのものなのです。  

結論:50年の繁栄を次世代へ繋げるために  

ペトロダラー体制が過去50年間にわたって支えてきた通貨的優位性は、冷戦の勝利や金融危機の克服、そして米国の産業再興を可能にしました。いま、私たちはその基盤をAI時代に合わせて再定義する「コンピュートダラー」のアーキテクチャを完成させなければなりません。現在、日本やインド、韓国と進行中の戦略的交渉において、チップの供与条件に「決済通貨の条項」を盛り込むことは、もはや推奨事項ではなく、国家としての至上命令です。サウジアラビアやUAEとの既存の合意にも、この詳細な実施条項を追記すべきです。AIが生成したサービスの代金が、どの通貨で支払われるかが、あなたや次世代の経済力を決定づけることになります。私たちは、この新たな通貨の戦場に立つ準備ができているでしょうか?

以上引用終わり。

Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

ローマのノビレス(新貴族)や、ヴェネツィアのパトリキ(門閥貴族)たちが持っていたノブレス・オブリージュ(高貴な者に伴う義務)と、西ローマ帝国末期の元老院階級が陥った資産の私有化と安全保障の外注の対比は、そのまま現代のグローバル・エリートの姿に重ね合わせることができる。

かつて帝国の勃興期、国家の危機に直面したとき、エリートたちはみずからの富と命を天秤にかけなかった。

ローマの艦隊(紀元前242年): 
第一次ポエニ戦争末期、国庫が底をついたローマの元老院議員たちは、私財を出し合って200隻の執政官艦隊を建造し、国家に寄付した。この身銭を切った艦隊がアエガテス諸島沖海戦でカルタゴを破り、ローマを地中海の覇者に押し上げた。

ヴェネツィアの国債(中世〜近世): 
第4次対オスマン帝国戦争などの危機において、共和国の貴族たちは強制国債の引き受けだけでなく、進んで私財を国庫に差し出し、市民の先頭に立ってガレー船に乗り込んだ。彼らにとって富とは、国家の生存と一体のものだった。

しかし、西ローマ帝国の末期(5世紀)、元老院階級のエリートたちは全く異なる道を選んだ。彼らは帝国全土の10分の1に匹敵する富を私有しながら、軍費のための課税を拒絶し、みずからの広大な荘園から奴隷を徴兵することすら拒んだ。

彼らが選んだのは、国家への投資ではなく、ゲルマン人の族長に金を払い、口約束で自らの安全を買い取るという、安全保障の外注化だった。

その結果、帝国は内側から空洞化し、蛮族の侵入の前にあっけなく崩壊した。

現代のシリコンバレー、ウォール街、あるいは日本の経済安保の川上で富を貪るエリートたちは、ローマやヴェネツィアではなく、まさに西ローマ帝国末期のエリートの系譜を継いでいる。

彼らは国家のインフラ、教育システム、安全保障の恩恵を最大限に受けて富を築きながら、その富を国家やコミュニティに還元することを極端に嫌う。

現代のエリートは、地政学リスクが高まると、自国のために戦うためのコストを支払うのではなく、経済的な口約束や技術やシステムで解決しようとする。

ローマやヴェネツィアのエリートは国が滅びれば自分たちも終わりだと知っていたが、現代のグローバル・エリートは、国家という枠組みそのものを使い捨てのプラットフォームだと考えている。

税金が高くなれば資産をタックスヘイヴンやステーブルコインへ移し、国内のエネルギーグリッドが麻痺したり社会が不安定化したりすれば、プライベートジェットでニュージーランドの地下シェルターや、ハワイの要塞のような大豪邸へと逃げ出す準備をしている。

現代のエリートの論理:
「送電網が足りない? 給料が上がらない? サプライチェーンが寸断された? それは国政の失敗であり、私たちの問題ではない。私たちは自前の太陽光パネルと衛星通信、そしてAIエージェントで完結する『自己完結型のエコシステム』を構築するだけだ」

この物語の結末は、歴史が示す通り極めて悲劇的だ。

かつて西ローマの貴族たちが、略奪に燃えるゲルマン兵の足音が宮殿に響くまで「自分の資産だけは安全だ」と信じ込んでいたように、現代のエリートたちもまた、自らが引き起こした社会の空洞化によって、自らの要塞ごと歴史の濁流に呑み込まれていく。客観性を失った強欲が辿るルートは、いつの時代も驚くほど一貫している。

 

特区(ゾーン)が国家を書き換える

エリートたちにとって民主主義の手続きや倫理的規制とは、資本と技術の効率性を最大化する上でのバグにすぎない。

彼らが求めているのは、まさにミルトン・フリードマンが絶賛した香港の行政的絶対主義であり、リー・クアンユーの国家介入の長い腕だ。

AI推進派やテック・エリートたちがワシントンの規制を嫌い、独自のクラウド国家やプライベート・シティを夢想するのは、単に税金から逃れるためだけではない。

倫理観や民主的な議論に、自分たちの最先端技術の進化スピードを邪魔されたくないという思想(テクノ・リバタリアニズム)が根底にある。

エリートたちは、自分たちはライフボート(ゾーンの内側)に身を置いていると確信しつつ、サプライチェーンの分断によって物価高騰に苦しみ、エネルギー不足で生活が脅かされる一般市民の居住区を、国家のメンツと技術レースのための犠牲ゾーンとして織り込んでいる。

自分たちだけは、いつでも暗号通貨とプライベート・シティという出口を使って脱出できるという全能感があるから、国家を破滅的なサバイバル戦へと平気で誘導できる。

しかし、彼らの夢想には致命的な脆弱性がある。ゾーンがどれだけ法的な穴を穿っても、そこには常に『生身の人間(住民)』と『物理的な地球』が存在するという現実だ。

暗号通貨のマイニングが膨大な電力を消費し、AIデータセンターがアメリカ国内の送電網をパンクさせつつあるように、彼らのデジタルな理想郷は、地球のエネルギーインフラに依存している。

香港のデモ隊がブルース・リーの言葉を引用して「水になれ(固まった組織ではなく、変幻自在に抵抗せよ)」と叫んだように、管理され、排除されたはずの生身の人間たちは、ゾーンの内側から常にシステムを揺るがし続ける。

人間や社会、そして物理の法則という泥臭い現実を、自らの都合のいいシステムで完全にコントロールできるというのは願望を現実とはき違えた傲慢さにすぎない。

国家を書き換え、民主主義を迂回した資本主義が、最後に激突するのは敵対国ではなく、制御不能になった剥き出しの現実そのものだ。

このゾーン化の波の果てに待っているのは、ユートピアではなく、インフラの崩壊と人間の反逆による、より混沌とした西ローマ帝国的な瓦解の風景かもしれない。

 

レアアースなど地上にいくらでもある。レアアース国産化のカギは採掘より高度の洗練技術と人材だ。

精錬技術の確立(特にレアアースの湿式製錬)は、単に最新のマシーンを並べれば済む話ではない。それは、危険な塩酸・硫酸や有毒な有機溶媒を扱い、何百段階もの化学反応を微調整し続ける、高度な熟練の技能、つまりクラフトマンシップの世界だ。

日本は過去数十年間、レアアースをはじめとする重要鉱物の精錬を「コストが合わない」「3K(きつい、汚い、危険)だ」「環境負荷が高い」という理由で、ことごとく中国を中心とする海外にアウトソースしてきた。

その結果、日本の大学や産業界で何が起きたかというと、「資源工学」「湿式冶金(溶液を使った金属精錬)」「分離化学」の分野が完全空洞化した。

大学教育の中で、いわゆる冶金学や資源工学は、1980年代以降、次々と改組・縮小され、今の学生にとっては地味で人気のないマイナー分野だ。

実際にプラントの設計や実務のノウハウを持ったベテラン技術者も、多くがすでに定年退職を迎えており、その技術を受け継ぐ若手層は圧倒的に不足している。

政府がどれだけ「2027年までに産業化」とロードマップに数字を書き込んでも、プラントを設計し、トラブルに対応し、日々泥臭く化学反応を管理できる人間を育てるには最低でも10年単位の歳月が必要だ。このタイムラインの絶対的なズレを無視するなら、メタンハイドレート詐欺と同じと言わざるを得ない。

最大の問題は、政治家や官僚にとって、人材育成は予算の費用対効果のアピールとして最悪にウケが悪いことだ。

ハコモノや掘削船は予算がつきやすい。深海から泥を引き揚げる新型船の開発は、目に見える巨大なメカがあり、成果がわかりやすいため、予算が簡単に通る。

だが、地味な人材教育は票にも点数にもならない。地方の大学に資源化学の講座を新設し、10年かけて20人の精錬技術者を育てるという計画はメディア映えしない。成果が出る頃には今の政治家も官僚も入れ替わっているため、誰も自分の手柄にしたがらない。

戦前の日本が人造石油のプラントをドイツから導入した際も、機械の図面を手に入れても、それを過酷な環境で実際に運用・保守できる熟練の溶接工や化学オペレーターの層が薄く、結果として現場での爆発事故や故障を連発して自滅した。全く同じ構図になるだろう。

資源の自給とは、単に領海内に資源(泥)があることではなく、それを製品に変える技術(精錬)があり、その技術を維持・発展させられる人間(人材)が国内に定着していることだ。

一番お金と時間がかかる人間の育成と環境負荷から目を背け、派手な海底採掘のニュースだけでお茶を濁そうとする政府の姿勢は、かつて精神力があれば技術の壁は超えられるとした戦前の大本営発表の不誠実さと、完全に地続きと言える。

以上引用終わり。

最後は、Alzhacker(並行図書館)氏のもの。以下引用開始。

この70年間に大国間の直接戦争は起きていない。この事実だけで「戦争は過去のものになりつつある」と考えるのは、統計学的には成立しない。なぜなら、大規模戦争の発生確率が本当に減ったのかを判断するには、あと約100年分のデータが必要だからだ。

1948年、物理学者のリチャードソンは 戦争の規模(死者数)と発生頻度の関係に一定の法則があることを発見した。戦争の規模が大きくなるほど発生確率は下がるが、その下がり方は正規分布(いわゆるベルカーブ)とはまったく異なり、はるかに緩やかだ。この「冪乗則」の世界では、第一次世界大戦級の規模の戦争も「まれだが無視できない確率」で起こりうる。

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具体的に見てみよう。1816年から2007年までの約200年間に記録された95件の国家間戦争を分析すると、戦争規模の分布を示すパラメータα(アルファ)の値は1.53±0.07と推定される。この数値が何を意味するかというと、戦争が一回起こるごとに、その戦争が第一次世界大戦級の規模(約900万人の戦死者)にまで拡大する確率が約0.6%程度に相当する。

つまり、戦争が100回起これば、そのうち1回程度は超巨大戦争になりうる計算だ。さらに重要なのは、この確率——戦争が起きたときにそれがどれほど大きく拡大するかのルール——が過去200年間、統計的に見て一定のまま推移しているという点である。

同じモデルに基づけば、今後100年間に第二次世界大戦級の戦争(約1,660万人以上の戦死者)が少なくとも一回発生する確率は約43%と推定される。これは、戦争が平均して161年に一度の頻度で発生することを意味する。

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2018年、クラウゼットはこのリチャードソンのモデルを最新の統計手法で再検証した。戦争の発生間隔も含めた総合的なテストの結果、過去200年間の戦争データは「戦争生成プロセスが時間とともに変化していない」という定常モデルと統計的に区別できないことが示された。

つまり、データだけを見れば、第二次世界大戦後の平和は「異常な変化」ではなく「たまたま大きな戦争が起きていない期間」と解釈しても矛盾しない。

換言すれば、人類はたった70年の平和経験だけで「戦争は減った」と結論づけるには、あまりにも短い期間しか観察していないのだ。これは、楽観の根拠が統計的に脆弱であることを示す。

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ここで転回する。この分析が示しているのは「戦争が減っていない」ということではなく、「減ったと断言できるだけの証拠がまだ揃っていない」ということだ。両者は似て非なるものであり、後者は「まだ判断できない」という誠実な不可知論に立つ。

リチャードソンが残した問いは、いまもなお有効だ。戦争は人間が合理的に回避できるのか、それとも非合理な行動様式の帰結として繰り返されるのか。次の100年のデータが、その答えを教えてくれるだろう。

それまでの間、私たちは「何となく減った」という直感と「まだ判断できない」という統計的事実との間に、慎重な距離を保つべきだ。


書籍『On the Frequency and Severity of Interstate Wars』(『国家間戦争の頻度と規模について』)2018年
第10章 国家間戦争の頻度と規模について / On the Frequency and Severity of Interstate Wars
著者 Aaron Clauset(コロラド大学ボルダー校准教授、サンタフェ研究所外部教授)

 

# 合意という名の新たな火種

2026年6月、米国とイランの間で交わされた「了解覚書」は、停戦への一歩どころか、即座に戦闘を激化させる起爆剤となった。国際政治の教科書を一瞬で紙屑に変えるこの現実を、私たちはどう理解すればいいのか。

元米国防次官補チャス・フリーマン大使は、これを 「了解ではなく誤解の覚書」と一刀両断する。ホルムズ海峡の通航管理権をイランが戦場で確立した事実を、この文書は追認する形だった。しかし米国とイスラエルは署名の翌日からその前提を無視し、合意を骨抜きにし始めたのだ。

具体的には、米英海軍がイランの定めた通航手続きを無視してタンカー護衛を強行した。イランはこれを主権への挑戦と見なし、海峡の実力封鎖で応じた。米国は報復としてイラン本土への攻撃を段階的に強化し、これに対しイランはクウェートとバーレーンの米軍基地を精密攻撃するという、完全な報復の連鎖に突入したのである。

この事態をさらに危険なものにしているのがイスラエルの動きだ。レバノン政府との間で結ばれた合意は、表向きは停戦への道筋である。しかしその実態は、レバノン軍を南部のシーア派住民の「民族浄化」とヒズボラ掃討の尖兵に仕立て上げ、国内に対立の火を放つことで、国家の自壊と内戦を誘発する罠だった。

この工作は成功しつつある。レバノン軍は対イスラエル防衛ではなく、自国民の抗議を弾圧するために投入され、政府は正統性を決定的に失った。それは、78年にわたる「大イスラエル」建設計画の最新段階であり、同時に欧州への新たな難民流出という二次災害の導火線でもある。

これらの混乱は、単に各国の指導者が好戦的だから起きているのではない。フリーマン大使が喝破するのは、ワシントンそのものに巣食う構造的な病理だ。それは「戦略なき永遠の戦争」としか呼びようのない状態である。明確な勝利の定義も、優先順位も、出口戦略も存在しない。あるのは、失敗すればするほど同じ手段にのめり込むという、増強条項だけだ。

この病理はウクライナ戦争でさらに危険な様相を見せる。欧州諸国が米国の部品に頼らない長射程兵器を独自開発し、ウクライナにロシア深部攻撃の手段を与え始めた。彼らは自らが報復の聖域だと信じているが、フリーマン氏の警告は冷たい。「英国が誇る新兵器工場に、何か起きたら残念だ」という言葉が示すように、まずは破壊工作、次いで通常弾頭による直接攻撃という段階的報復の可能性を、ロシアが排除する理由は何もない。

事態を最も深刻にしているのは、この一連の行動が、敵対者の核武装こそが唯一の安全保障だという確信を強化している点だ。イランの強硬派は既に、いかなる外交も米国には通用しないと主張し、核兵器開発の必要性を公然と説く。ウクライナへの長射程攻撃支援は、ロシアにとって「生存への脅威」は杞憂ではなく確かな現実だと、北大西洋条約機構(NATO)が自ら証明し続ける行為である。

その上、ホルムズ海峡の封鎖は世界の石油備蓄を枯渇させつつある。数週間のうちに、原油価格の暴騰と肥料不足による世界的な食料生産の崩壊が始まるという予測は、もはや一部の悲観論者の専売特許ではない。

こうしたすべての混乱を貫く根本原因は何か。それは、世界の警察官を自任してきた超大国が、いまや「合意不能国家」へと変貌を遂げているという厳然たる事実だ。フリーマン氏が指摘する通り、ウクライナから中東まで、米国と敵対する全ての国々は、この国とは取引ができず、関係を構築することもできないという一点で結束しつつある。署名は透明インクでなされ、言葉には何の重みもない。この普遍的認識の成立こそが、現在の国際秩序を根底から溶解させている。

「合意」という言葉が、平和の基盤ではなく、さらなる戦乱を招く呪いの言葉として機能し始めた世界。私たちが目撃しているのは、単なる戦争の再発ではなく、信頼に基づく国際秩序そのものの終焉なのかもしれない。


Chas Freeman(元米国防次官補、元駐サウジアラビア大使)、Glenn Diesen(政治学者)
対談 『Chas Freeman: U.S. & Iran Resume War; Israel Attempts to Instigate Civil War in Lebanon』(チャス・フリーマン:米国とイランが戦争を再開、イスラエルがレバノン内戦を扇動)

 

# 大衆を武器に変えた製薬業界の隠れた非営利団体

医師たちが、意見の異なる同僚の資格剥奪に組織的に動いていたとしたら、あなたはそれを陰謀論だと笑い飛ばせるだろうか。これは、私が実際に目の当たりにした、巨大製薬産業による反対意見封殺の内部構造の話である。

コロナ禍で私が違和感を持ったのは、SNS上で特定の医師たちが異様な速度と統一性をもって、ワクチンに懐疑的な声に群がる様子だった。

彼らはまるで蜂の巣をつついたかのように、一人の医師が何か発言するたびに一斉に攻撃を仕掛け、同じ文言を拡散し、時には現実の職場にまで苦情を入れてその医師の首を狙った。個人の信念による行動と呼ぶには、あまりに統率が取れていた。

その中枢にあったのが、公益事業を装う非営利団体「パブリック・グッド・プロジェクト(PGP)」である。彼らは「誤情報との戦い」を標榜しながら、その実態はバイオ製薬業界のロビー団体から巨額の資金提供を受けていた。

内部告発と調査報道が暴いたのは、医師や看護師、弁護士らが参加する非公開のSNSグループが、反ワクチン派の医療従事者をリスト化し、組織的な嫌がらせや資格剥奪のキャンペーンを展開していた事実だ。

彼らは標的の自宅に脅迫状を送り、職場に解雇を迫る電話を殺到させ、州の医事監視委員会には「被害を受けた患者」を装った虚偽の告発を繰り返した。

ある看護師の自宅に届いたのは、幼い我が子の顔写真を切り貼りした児童虐待画像と、開封と同時に白い粉が爆ぜる封筒だった。差出人は、ワクチンに疑問を呈する医療従事者を社会的に抹殺することを使命とする、ある非営利団体に集う「正義」の医師や弁護士たちである。

テキサス州で開業するバウデン医師が、根拠のない告発への対応だけで1500万円を超える弁護士費用を強いられた事例は、氷山の一角にすぎない。

これは単なる誹謗中傷の話ではなく、巨大な広報戦略の一環である。

ここで重要なのは、これが単なる一部の常軌を逸した個人の暴走ではないという事実だ。国連の「認証イニシアチブ」と連携したチーム・ヘイローは、TikTok上で資格詐称者まで動員し、若年層に向けて反ワクチン派を中傷する動画を大量拡散した。

その背後にはフランスの大手IT企業と防衛産業の資本があり、まさに官民一体の世論操作作戦だったのである。

だが、この壮大なキャンペーンは致命的な逆説を生んだ。彼らが全力で排除しようとした真実は、剥奪された免許や消されたアカウントの数だけ、かえって人々の脳裏に深く刻まれた。恐怖で口を塞ぐほど、その口が発していた言葉の重みが証明されるという、広報戦略として最悪の結果を招いたのだ。

威信をかけて守ろうとした既存の医療権威は、自らが仕掛けた弾圧の仕組みによって、かつてない速度で崩壊しつつある。


A Midwestern Doctor(中西部の医師)
記事『The Forgotten Side of Medicine: The Vast Pharmaceutical Conspiracy to Silence Online Dissent』(忘れられた医療の側面:オンライン上の異論を封殺する製薬業界の巨大な陰謀)

 

# 特区が国家を書き換える——民主主義を迂回する資本主義の新戦略

地球上に5400以上の「特区」が存在する。特別経済区、輸出加工区、自由港、租税回避地——いずれも国家の領土に穿たれた法的な穴であり、通常の課税や規制が停止された異質な空間である。

2009年、ピーター・ティールは 「自由と民主主義は両立しない」と宣言し、国家の数を増やすことで資本は民主的な徴税の手から逃れられると主張した。彼の夢想した千の国家は、すでに現実としてこの地球に点在している。

ティールの構想の源泉には、ミルトン・フリードマンの香港賛美がある。

1978年、フリードマンは植民地支配下の香港を「経済的自由」の理想郷と称賛した。選挙も労働組合の実質的な力もなく、租税は平準化され、資本は自由に出入りした。フリードマンはこの「行政的絶対主義」を称え、『経済的自由度指標』で香港を首位に据え、民主主義の有無を指標から意図的に除外した。

香港のモデルは「ポータブル・香港」として世界中に輸出された。ロンドンのドックランズ再開発はその典型である。サッチャー政権は1980年代初頭、企業ゾーンを創設し、地元政府の権限を剥奪して開発業者に直接支配権を委譲した。

キャナリー・ワーフの高層ビル群は「テムズ川の香港」と呼ばれたが、この「自由市場のパラダイス」は巨額の税控除と公共補助金の上に成り立っており、実際には国家と開発業者の癒着によって支えられていた。

シンガポールはさらに洗練されたモデルを示した。リー・クアンユーの指導下で、この都市国家は「国家介入の長い腕」によって発展した。外国労働者の大量導入、公共住宅の大規模供給、そして「アジア的価値観」のイデオロギーは、民主的な統治を抑制しつつ経済的効率性を最大化する装置だった。

中国はこのモデルを吸収し、蘇州工業団地などの「ミニ・シンガポール」を全国各地に創出した。鄧小平の「改革開放」は、国家のゾーン化によって実現された。

このゾーン戦略は人種的分離とも結びついていた。

南アフリカのアパルトヘイト体制下で、リバタリアンたちは黒人ホームランドを「経済的自由」の実験場と見なした。シスケイでは輸出加工区が創設され、台湾や香港の投資家が低賃金労働を求めて進出した。

市場急進派のレオン・ルーは「自由市場」を称賛しながらも、実際には南アフリカ政府からの補助金と警察国家の暴力に依存していた。彼らは「分離の自由」を掲げ、人種的自発的分離を促進するカントン分割を提案した。

ゾーンは「国家からの解放」を謳いながら、実際には国家権力の強化に貢献している。

中国の一帯一路構想はジブチやスリランカにゾーンを創出し、サウジアラビアのNEOM計画は投資家によって統治される「最初の資本主義都市」として宣伝されている。ドバイのジェベル・アリ自由地区は外国人労働者の搾取と君主制の上に成り立つ「パッチワーク都市」であり、ゾーンは国家の支配を強化する新たな手段にすぎない。

21世紀に入り、ポール・ロマーの「チャーター・シティ」構想はホンジュラスで法制化され、シリコンバレーの投資家たちはロアタン島にプライベート・シティを創設した。同時に、バラジ・スリニヴァサンの「クラウド国家」構想はオンライン・コミュニティが物理的領土を獲得する未来を描き、暗号通貨とブロックチェーン技術が国家の法的独占を回避する手段と見なされた。

なぜこの流れは止まらないのか。

ゾーンは資本にとって「出口」を提供するからだ。富裕層と大企業に「退出」という選択肢を常に与え、民主的な「発言」の力を骨抜きにする。

しかしゾーンは内部矛盾を抱えている。暗号通貨のマイニングはスウェーデン一国の年間消費電力量を超え、気候変動は富裕層の「ライフボート」と貧困層の「犠牲ゾーン」を分断する。香港の民主化運動が「水になれ」と抵抗を続けたように、ゾーンには常に「住民」が存在する。

市場急進派が夢想する「民主主義なき資本主義」は、国家と資本の共犯関係を強化するだけかもしれない。それでもゾーン化の波は止まらない。


書籍 『Crack-Up Capitalism: Market Radicals and the Dream of a World Without Democracy』(『クラックアップ・キャピタリズム——市場急進派と民主主義なき世界の夢』)2023年
Quinn Slobodian(思想史教授、ウェルズリー大学)

 

プーチン変貌――欧州が創った戦時指導者

プーチンはもはや和平を口にしない。彼が繰り返すのは「勝利」と「解放」という言葉だけだ。この変化は、単なるレトリックの転換ではない。西側がついに、自らが最も恐れていた指導者を生み出してしまった瞬間である。

事の発端は、昨年12月にプーチンのヴァルダイ邸を狙ったドローン攻撃だった。ロシア指導部の多くはこれを暗殺未遂と受け止めた。それから数週間、プーチンはウクライナについて多くを語らなくなった。私はその沈黙の裏で、クレムリン内部で激しい路線論争が起きていると直感した。

その論争にトドメを刺したのは欧州だ。英国をはじめとする欧州諸国では連日、対ロシア戦争を煽る言辞が飛び交い、戦争への忌避感は奇妙なほど薄れた。ロシア国内では、交渉による解決は不可能という見方が支配的になった。

プーチン自身、最近のインタビューで西側の和平提案を「価値のない策略」と一蹴した。さらに、アンカレッジでの米国との合意すら「成立しなかった」と断言し、過去の譲歩に縛られない姿勢を明確にした。この発言は、和平プロセスが完全に死んだことを内外に宣言するものだった。

2014年、欧米はウクライナの親露政権を転覆させ、同国を対ロシア代理戦争の道具として育て上げた。

ミンスク合意は無視され、元NATO大使は「紛争こそが成功」と公言した。イスタンブール和平交渉が頓挫したのも当然の帰結だった。欧米にとって、平和とは育成した代理軍を無駄にすることに他ならなかったからだ。

仮にロシアがドンバス全域を制圧し、ウクライナ軍が壊滅したとしても、それで戦争は終わるのか。

私はそうは思わない。むしろ、これは永久戦争の新たな段階への入り口に過ぎない。

NATOは2014年以来、巨費を投じてウクライナ軍を構築してきた。平和が訪れた瞬間に、その軍を「用済み」として捨てる道理などない。西側はウクライナ西部の残存領域から攻撃を続けさせ、ロシアを永久に出血させる道を選ぶだろう。

モスクワでは今、ウクライナでの勝利だけでは不十分で、「欧州に恐怖を再び植え付ける」段階に踏み込むべきだという議論が力を増している。かつてはカラガノフ教授のような一部の強硬派だけの声だったが、今や安全保障会議レベルにまで浸透しつつある。

欧州の為政者たちは、この現実から目を背けている。その代わりに彼らが熱中するのは、国内で「ウクライナの勝利」を唱和し、異論を封じる偽善的な儀式だ。「プーチンのプロパガンダ」というレッテル一発で、あらゆる理性的議論が抹殺される。

フィンランド大統領は「ロシア人を殺せ」と叫び、ドイツは欧州最強の軍事大国化を夢見る。しかし、ドイツで20万人の若者に志願を募っても、応じたのはわずか500人だ。国民は戦争を望んでいない。それでもメディアと政治階級が議論を封殺するシステムは完璧に機能している。

私が最近モスクワで工場労働者と話したとき、彼らはこの戦争を「ロシア対西側」の生存競争と明確に捉えていた。欧州のタカ派的な言辞は、ロシア社会の結束を逆に固めているのである。

さらに恐ろしいのは、ロシアが「汚い戦争」の段階に入りつつあることだ。ウクライナ諜報員の暗殺をロシアが初めて公然と認めた。これは氷山の一角に過ぎず、報復の連鎖はやがて欧州本土にまで及ぶ可能性がある。

クリミアへの無人機攻撃はロシアに実害を与えているが、それはロシアを屈服させるどころか、その怒りを増幅させるだけだ。核保有国を絶え間なく突くことの危うさを、冷戦時代の指導者なら誰もが理解していた。しかし今や、その基本的な恐怖感が欧州から完全に失われている。

プーチンは依然として抑制を保っているが、その権威が永遠に続く保証はない。もし彼に代わって、より過激な指導者がクレムリンに座ることになれば、欧州ははるかに危険な場所になるだろう。それを理解せず、プーチンの屈辱に熱中する欧州エリートの無分別に、私は戦慄を覚える。

戦争の長期化は欧州経済を蝕んでいる。英国ではこの4年で4人の首相が交代したが、誰もその異常さに気づかない。どの首相も同じ対露強硬路線を踏襲し、経済は悪化の一途をたどる。それでも政治システムは、自動機械のように次の同じ顔を吐き出すだけだ。

最も恐ろしい真実は別にある。私が信頼する英国の元高官から聞いた話だ。2022年以降に交代した4人の首相のうちの一人は、就任直後に「この対露政策は持続不可能だ」と気づいたという。

しかし、それを変えようとした瞬間、自分が長く首相の座にいられないことを悟った。戦争を叫ぶことだけが政治的生存の条件となった社会に、もはや理性の入り込む余地はない。

私が欧州で最も恐れるのは、もはや戦争そのものではない。戦争を止めるための理性的な議論すら不可能になった、この精神の壊死だ。私たちは、自ら招いた破局に向かって、目を開けたまま歩き続けている。


Alexander Mercouris(The Duran司会者)、Glenn Diesen(地政学アナリスト)
対談 『Alexander Mercouris: A New Putin? From Diplomacy to War』(アレクサンダー・メルクーリス:新たなプーチン? 外交から戦争へ)

以上引用終わり。問題はまだまだ未解決だ。どうも有り難うございました。

 

本日のベストスリー6月29日

三位 起きて見る諦めて寝る興亡の一戦前の鬼の興亡

 

二位 成長のあとありありとニッポンのサッカー歩む黄金時代

 

一位 蹴られてもボールは弾む蹴られたら凹んで縮む私のボール

 

世紀の一戦。健闘を祈ろう。間の多い野球と絶え間なく動き続けるサッカー。わたしは野球はよく見るが、サッカーはW杯でたまに観戦するだけ。手を使うことや試合時間の制約などサッカーの方が縛り付けがキツいようでボールの行方はグラウンド上で自由である。一球一球に読みや計算の働く間のある野球と違い、考えさせる暇のないサッカーの世界的人気の高さ。時間一杯常にドギマギさせる方に軍配が上がる。もっともなことだとも思われる。

 

本日よりベターツイートは、小鳥氏のもの。以下引用開始。

医学界の巨大利権が全く理解できない阿呆の為にごく一部を図にしてあります
ここに専門機関、学校、原料の石油系(経団連)と天下りが加わります
医学界から【お金儲け】をなくしたらここまで利権まみれにはなりません
現実をみましょうね

以上引用終わり。

次は、Dr.Fager氏のもの。以下引用開始。

起きなかったことを証明するのがワクチンの予防効果の評価だ。目の前の病気を治す治療とは違い、結果がすべて確率と統計の向こう側に隠れてしまう。そこにはデータを扱う人間の意図や、背後にある巨大な資本の論理が介入する余地が生まる。

予防効果の測定には、数万人規模の治験データや疫学統計が使われるが、統計は「どの期間を切り取るか」「どの属性のデータを分母にするか」「何を『発症』と定義するか」によって、見え方がいくらでも変わる。

臨床的に意味のある重症化や死亡をどれだけ防いだか(絶対リスク減少率)ではなく、数字が派手に見えやすい未接種者と比べた場合の割合(相対リスク減少率)を強調する手法は、大衆や行政を動かすための誤魔化しだ。

一方、副反応は因果関係の証明が難しいことを盾に、「偶発的な事象」「パニック障害などの精神的なもの」として処理され、統計の分母から弾かれていく。現場の医師がどれだけ声を上げても、学会や論文誌の査読システムそのものが製薬企業の資金で回っているため、不都合なデータは科学的エビデンスが不十分という言葉一つで握りつぶされる。

何より、ビジネスの観点から見れば、治療薬は病気の人にしか売れないが、ワクチンは健康な人全員が顧客になる。これほど市場規模が大きく、かつ定期的なリピート(追加接種)が見込める商品は他にない。

さらに、多くの国で国家が買い取りを保証し、万が一の被害が出た場合の免責特権(国家賠償への肩代わり)までセットになっている。

お友達企業に公金を流すシステムやダボス発の世界同時アジェンダとも完全に合致する構造だ。製薬会社という巨大資本の収益最大化という強烈なバイアスが、国家の規制機関(厚労省やFDAなど)や御用学者を巻き込んで、まともな競争や検証を無効化した絶対に損をしない聖域を作り上げている。

 

一時期、日本の経済界や新自由主義論者が「これからはジョブ型雇用だ、海外から高度人材を呼び込むんだ」と大騒ぎしたが、そのメッキは瞬く間に剥がれ落ちている。

ジョブ型で雇われた海外の優秀な人材は、自らのスキルがより高く買われる市場(米国や中国、あるいは外資系)へとあっさり流出する。低賃金と中抜き構造が染み付いた日本の買い叩きシステムに、彼らが義理立てして残る理由はない。

そして、ジョブ型雇用が担当していた明確に言語化・定義化された業務(コーディングや定型的なアナリティクス)こそ、生成AIが最も得意とする領域だ。高度と称された座学的なホワイトカラー業務が真っ先に自動化され、需要そのものが消滅しつつある。

結果として、日本企業は再び組織への帰属性や暗黙知の共有を重視する日本型のメンバーシップ雇用に回帰せざるを得なくなっている。新自由主義的なスマートな雇用の流動化は、現場の空洞化を招いただけの失敗に帰した。

一方で、需要が爆発しているのは介護、建設、農業、サービスといった、低技能と言われたが、身体的でAIやロボットが代替できない、社会の維持に不可欠な労働力だ。

トランプ政権の酪農業へのH-2Aビザ拡大のエピソードは、この矛盾を美しく、そして残酷に証明している。

トランプという稀代のポピュリストでさえ、この実体経済の現場の悲鳴には抗えず、支持者を怒らせないようにコッソリと制度を拡充するしかなかった。イデオロギーは現実の胃袋を満たせない。

いまの日本も、全く同じ二枚舌の構造にある。政治家や支持層は口を開けば「移民反対」「日本の治安と伝統を守れ」という記号を消費して身内で悦に浸っている。

しかしその足元では、コンビニのレジ、深夜の物流倉庫、地方の農地、高齢者の介護施設は、外国人労働者の存在なしには成り立たない。

「押し寄せてくるな」と罵声を浴びる外国人労働者は、実際には、新自由主義とお友達利権によって自らの労働市場と社会基盤を破壊し尽くした結果、日本経済が依存せざるを得ない最後の命綱なのだ。

イデオロギーのバブルに閉じこもり、実状から目を背け続ければ、そのツケは確実に国家の生命線を締め上げていく。

 

【速報】中国商務省は、特定の団体を指定する行為は法律に基づいて行われており、対象は一部の日本団体に限定されると表明しました。これらの措置はデュアルユース(民生・軍事転用可能)品目にのみ適用され、中日間の通常の経済・貿易交流には影響を及ぼしません。誠実に事業を営み、法律を遵守する日本団体は、全く懸念する必要はありません。

中国は、三菱造船株式会社などを含む20の日本団体を輸出管理リストに、またスバル株式会社などを含む20の団体を監視リストに指定しました。これは、日本の「再軍事化」の試みと核能力獲得の動きを抑制することを目的としています。

近年、日本側は反省の兆しを全く見せておらず、むしろ誤った道をさらに進み、「新たな軍国主義」への動きを強め、「再軍事化」を加速させ、攻撃的兵器を配備し、国外に向けた攻撃ミサイルを発射しています。このような状況を踏まえ、中国は『中華人民共和国輸出管理法』や『中華人民共和国デュアルユース品目輸出管理条例』などの関連法令に従い、以下の措置を講じることを決定しました。

第一に、防衛研究所など、日本の軍事能力の向上に寄与した20の日本団体を管理リストに指定します。この指定に伴う措置は、輸出事業者によるこれらの団体へのデュアルユース品目の輸出禁止、および海外の組織・個人による中華人民共和国原産のデュアルユース品目のこれらの団体への譲渡・提供の禁止という二つの側面を包含します。現在進行中の関連活動は直ちに中止しなければなりません。

第二に、三井E&S株式会社など、デュアルユース品目の最終ユーザーおよび最終用途が検証できない20の日本団体を監視リストに指定します。この指定後、輸出事業者はこれらの団体へのデュアルユース品目輸出に際し、一般許可を申請したり、登録・情報届出による輸出資格証明を取得したりすることはできません。個別許可を申請する際には、指定された団体に関するリスクアセスメント報告書を提出し、デュアルユース品目が日本の軍事能力向上に資するいかなる目的にも使用されない旨の書面による確約を行わなければなりません。

第三に、商務省は監視リスト対象団体へのデュアルユース品目輸出について、最終ユーザーおよび最終用途に関する審査をより厳格に行います。日本の軍事最終ユーザーまたは軍事最終用途に関わる輸出、およびその他日本の軍事能力向上に資する最終ユーザーや最終用途への輸出は承認されません。

中国のこれらの措置は完全に正当かつ合理的で合法的なものであり、日本の「新たな軍国主義」に伴う無謀な動きを断固として抑止することを目的としています。日本側がその誤りを認識し、誤った行動方針を改め、真摯な反省に立ち返り、正しい軌道に戻ることを期待します。

 

人文系学部の縮小は、社会の統治原理が文官(文系・管理・法秩序)から武官(実力・物理・技術)へと換わりつつあるという、巨大な歴史的転換のシグナルだ。法や倫理、あるいは文知によって社会をコントロールできるのは、システム全体が平穏に機能している平和な時代だけだ。

その平和の前提が崩れ、剥き出しの力が激突する戦争の時代が到来するとき、国家が求めるのは問い続ける人間(人文知)ではなく、即座に機能する部品(技術・実利)になる。

役に立たない人文系を削り、AIやSTEM(科学・技術・工学・数学)に資源を集中するという流れは、来たるべき生存競争に向けた国家・社会の総動員体制の構築への地ならしだ。

1980年代以降の新自由主義グローバラリズムの時代は、ダボスに代表されるペーパー(法、条約、国際ルール、金融統計)を操る文官エリートが世界を支配した時代だ。大学はスマートなグローバル市民を育てる場所だった。

しかし、国家の生存が脅かされる危機が顕在化したいま、言葉のプロレスは無力化した。国家が必要としているのは、ミサイルを誘導するAIのコードを書き、サプライチェーンの物理的欠陥を埋め、ドローンを量産できる実力だ。

人文知が持つ批判的思考や国家の暴走を抑えるブレーキは、これから始まる総力戦において、システム全体のノイズ(=足枷)とみなされる。だからこそ、ミクロな個人もマクロな国家も、合理的にそれを切り捨てようとしている。

問題は、それがどんな戦争かまだわからないという点にある。かつての塹壕戦や大規模な正規戦だけが戦争ではない。現在、世界の裏側で着々と進行しているのは、目に見えない、しかし決定的な戦争のグラデーションだ。

①認知戦(マインドの戦争)
偽流出ビデオやSNSのアルゴリズムを用い、人々の不信感や怒りを増幅させて主権国家の内部を自壊させる戦争。

②地経学戦(物資の戦争)
爆弾を落とす代わりに、デュアルユース(軍民両用)の網の目を絞ることで、相手国の最先端工場を文字通り飢え死にさせる戦争。

③データ・AI戦(管理の戦争)
人間を魂ではなくデータとして扱い、効率や予測のアルゴリズムの中に閉じ込めることで、反乱の芽をあらかじめ摘み取る内向きの戦争。

個人が生き残るために就職に強いAIや実利の分野へ進むのは正しい選択だ。しかし、その合理的な選択の積み重ねの果てに、大学から、そして社会から人間とは何かを問い直す知性(人文知)が完全に消滅したとき、そこに残るのは何か。

戦争の時代が到来することは避けられないかもしれない。しかし、その戦争の渦中にあって、何のために戦い、何を死守すべきなのかというグランドデザイン(国家の魂)を語る言葉を失ってしまえば、戦う前にすでに敗北することになる。

 

1945年の敗戦時、昭和天皇が直面していたのは、「一億一心」という理想化された物語ではなく、主権が崩壊したという残酷な現実だった。

昭和天皇にとって、勝ち目のない戦争に国家を駆り立て、最後は本土決戦による国家自殺すら辞さなかった軍部や、狂信的な国体思想を振りかざして跋扈した国内の側近たちは、到底信用に値する存在ではなかった。天皇は、1500年にわたって続いてきた皇族を破滅の淵に追いやった張本人こそ彼らであると認識していた。

その一方で、連合国軍最高司令官(GHQ)のマッカーサー元帥と米国政府は、戦後統治を円滑に進めるための地政学的かつ戦術的な手段として、天皇制を維持する(象徴天皇制を設計する)という戦略的な判断を下した。

昭和天皇が、国を破滅に導いた国内エリートではなく、冷徹な打算に基づいて皇室を保護しようとする占領軍に深い信頼を寄せたことは、主権維持のための合理的かつ戦略的な選択だった。この論理こそが、歴史的な昭和天皇・マッカーサー会談を通じて、天皇が緻密な意思疎通を図った動機だった。

「麻生太郎さんたちの皇室についての意見が世界に知られ、底が見えてしまった」

麻生太郎とその派閥は、日本会議や統一教会と結びつき、かつて昭和天皇が命を懸けて守ろうとした皇室の正統性そのものを、もっぱら自分たちの政治利用のための記号として消費し尽くしている。彼らが掲げる「伝統」や「皇室の尊厳」という言葉には、一片の重みもない。

彼らは、皇位継承問題や皇室の将来に関する議論を、政治工作や内部権力闘争、そして自らの支持基盤(ネット右翼など)へのアピールのための道具として軽率に扱い過ぎた。

その結果、これまで神聖な衣の下に隠されていた皇室の赤裸々な実態が露呈し、国際社会と冷笑的な国内世論の双方によって「底」を見透かされてしまった。

米国が遺した象徴天皇制のかわりに彼らが求めているのは、宗教的カルトの祭壇に飾られるお供え物にすぎない天皇制だ。

以上引用終わり。

藤江成光氏のもの。以下引用開始。

予防接種健康被害救済制度 新型コロナワクチン
ギラン・バレー症候群の認定は160件超
(※画像は40歳以下のみ)

以上引用終わり。

最後は、Alzhacker氏のもの。以下引用開始。

欧州の戦略家たちは、ロシア社会に厭戦気分を撒き散らせば、国民が蜂起してプーチン政権は倒れると信じている。私はサンクトペテルブルクの中心部で、その「計算」が根本から狂っている現場を目の当たりにした。人々は戦争に疲れている。

しかし彼らが口にするのは 「降伏しよう」ではなく、「なぜもっと徹底的にやらないのか」という不満なのだ。このねじれた感情こそが、いまクレムリンを内側から揺さぶり、制御不能な強硬路線を引きずり出そうとしている。

私は1か月間、ロシアに滞在し、旧ソ連最大の公証人や大手不動産仲介会社の幹部と膝を突き合わせた。彼らは中流階級の体温を測る「体温計」であり、住宅ローン金利や顧客の本音を肌で感じている。そして別の日、私は自宅の荷物を運び出す作業員と12時間も行動を共にした。

大学教授から労働者まで、彼らが異口同音に発する言葉は「なぜ大統領はダラダラと引き延ばすのか」だった。決して平和を願う反戦の声ではない。「ロシアは勝つべきだが、あと10年も続けるのは御免だ」という、勝利を焦る攻撃的な倦怠感である。

この状況を生み出したのは、NATOの段階的なエスカレーションだ。当初は「針刺し」程度だった西方製兵器による攻撃は、いまやロシア全土の製油所や燃料基地を狙う精密な奇襲へと変貌した。

ペテルブルクの経済フォーラム開幕日には、市内の燃料ターミナルが爆撃され、空を黒煙が覆った。ロシアのノヴァク副首相は「燃料供給は深刻な脅威にさらされているが、かろうじて管理可能だ」と認めている。

日常の裏側で、国民は携帯ガスボンベを買い求める長蛇の列を作り始めた。クリミアの丘陵地に別荘を持つ私の友人は、ドローン攻撃の恐怖とガソリン不足で坂を下りることすらできず、美しい海岸線を見下ろす掘っ建て小屋に閉じ込められている。

こうした苦痛にもかかわらず、西側の目論見は外れ、国民の怒りは外敵ではなく、戦争指導の「生ぬるさ」に向かっている。プーチン大統領は長年、自由主義派の経済閣僚(シルアノフ財務相やナビウリナ中央銀行総裁)と地政学強硬派の綱引きを続けてきた。

その結果、欧州との対決を避け、「米国との何らかの妥協」に固執する中途半端な戦争指導に陥った。しかし、アンカレッジ(米中会談の精神)に象徴される対米外交の幻想が完全に潰えた今、そのバランスは限界を迎えている。

ここに、西側の想定を根本から覆す逆説がある。ロシアの国家安定を脅かすのは、もはや路上の革命ではなく、クレムリン内部の「宮殿クーデター」の可能性だ。共産党のジュガーノフ党首でさえ、最近の演説で「1917年2月革命の前夜」に言及したが、それは戦争を批判したのではなく、戦争の遂行不足による経済的歪みを衝いたものだ。

事実、9月の下院選挙を控えた先週、与党「統一ロシア」は焦りを見せ、ジュガーノフ党首が言っていない「国民の銀行預金を没収せよ」という過激発言を捏造するという前代未聞のスキャンダルを起こした。なりふり構わぬ醜聞封じは、現状維持の手詰まりを示している。

この息苦しい膠着を打ち破るヒントは、大国ロシアではなく、小さなベラルーシが示した。ゼレンスキーがG7の後押しでベラルーシ攻撃を脅し、国境の電子戦設備の撤去と500か所の標的破壊を通告したとき、ルカシェンコ大統領は驚くほど冷淡に応じた。

「もし仕掛けてきたら、戦争の様相が根本から変わる」という、その「三つの点」に込められた脅迫の本質を、私は聞いた瞬間に理解した。それはキエフ中枢への直接打撃、つまりプーチンがまだ決断できずにいる「傀儡政権の断頭」を意味している。

結果は明快だった。ウクライナは矛を収めた。予測不能な小型核保有国の「狂気」を装った威嚇が、巨大なNATOの勢いを止めた瞬間である。

この「ルカシェンコ・モデル」こそ、いまロシアの高官たちが求める選択肢だ。ウクライナを灰燼に帰し、欧州が代わりに戦う兵士を持たない現実を突きつけること。それこそが、2030年を見据えて再軍備を進める欧州の戦争計画を頓挫させる唯一の道である。

もはやロシア国内の空気は、単なる防衛を許さない。国民は、眼前の平穏なレストラン風景の背後で、自らの指導者が最も恐ろしい決断を迫られていることを知っているのだ。


、Gilbert Doctorow(歴史家、政治アナリスト、『The War Diaries』著者)、Glenn Diesen(司会者、政治学者)
対談 『Gilbert Doctorow: Kremlin Hawks Demand Escalation Against Ukraine & Retaliation Against Europe』(クレムリン強硬派、ウクライナへの攻勢強化と欧州への報復を要求

 

理性は真理ではなく勝利のために進化した

慎重に考え抜いて一人でたどり着いた結論ほど、信用ならない。理性は私たちを真理へ導く能力ではない。すでに出した答えを後から守る、雇われの弁護士なのだ。

これは比喩ではなく、進化が理性に授けた本来の役目だ。

ある論理パズルを一人で解かせると、正答率はわずか15%にとどまる。ところが数人で議論させると、80%まで跳ね上がる。同じ頭が、孤立すると鈍り、ぶつかり合うと冴える。

理性をめぐる謎は二重だ。なぜ人類だけがこの力を持ち、なぜそれがこれほど欠陥だらけに見えるのか。哲学者は長く理性を、個人を真理へ導く特別な力とみなしてきた。

だが実験が暴くのは、まるで違う顔である。名探偵ホームズを生んだコナン・ドイル(Conan Doyle)でさえ、妖精の写真を本物と信じ込み、疑わしい証拠から目をそむけた。賢さは、この偏りを少しも防がない。

ここに従来の見方の急所がある。思考を正すための力が、なぜ自分に甘い偏りを抱えたまま進化できたのか。欠陥にしか見えないこの癖こそ、理性の役目を読み違えてきた証拠だ。

理性は、孤立した頭を賢くするためではなく、社会のなかで働くために生まれた。その本当の仕事は、自分を正当化し、他者を説得することにある。

人間は、高度に助け合い、込み入った言葉を交わす唯一の動物だ。そこでは、自分の考えに理由を与え、相手を納得させる力が決定的にものを言う。理性は、この極端に社会的な生き方への適応なのである。

だから理由は、思考をあらかじめ導く手綱ではない。多くの実験が示すのは、人はまず決め、あとから理由を継ぎ足すという順序だ。理由とは内なる操縦者ではなく、他者へ差し出す道具なのである。

ここから、理性の奇妙な癖が一気に腑に落ちる。

私たちは自説を支える理由ばかり熱心に探し、その出来には驚くほど甘い。「自分側バイアス」と呼ぶべきこの傾向こそ、確証バイアスの正体だ。ところが他人の理由となると、一転して容赦なく厳しくなる。

ある実験が、この二枚舌をあざやかに暴く。被験者は、数分前に自分が十分だと認めた理由を、他人のものだと告げられた途端に突き返した。同じ理由が、持ち主が変わるだけで失格になるのだ。

ここで偏りの意味が裏返る。自分側バイアスは直すべき欠陥ではなく、説得のための賢い分業なのだ。各人が自説の理由を出し、互いに相手の理由を吟味する。集団のなかで、偏りはかみ合って働く。

問題は、この仕組みを一人で回そうとしたときに起きる。甘い自己採点と偏った探索が結びつき、過信と極論へ転がる。最初の小さな誤りが、抜け出せない確信の寝床になる。

袴田事件で捜査と裁判が陥ったのも、この閉じた確信の罠だった。反証が積み上がるほど、推論はかえって有罪の証しへとねじ曲げられた。暴走した理性は、誤りを鉄壁の理屈で守りはじめる。

ここに、現代を生きる私たちへの警告がある。

自分の意見だけが返ってくる画面を一人でなぞる時間は、まさに理性が最も毒に変わる条件だ。反論者のいない熟慮は、深まっているのではなく、ただ固まっているだけかもしれない。

それでも、噛み合った議論の場では理性は見違える。陪審の評議でも専門家の予測でも、理由を交わすうちに各人の偏りが打ち消し合い、判断の精度が上がる。冒頭の15%から80%への跳躍は、その一例にすぎない。

科学の「孤独な天才」も神話だ。ハイゼンベルクの不確定性原理はパウリとの激論から生まれた。あのニュートンでさえ、論敵のいない錬金術では、お粗末な推論に終始した。

だとすれば、信じるべきは自分の確信ではない。一人で固めた結論が揺るぎなく思えるときこそ、それは正しさの証ではなく、ただ反論する者がいなかった証なのだ。


書籍『The Enigma of Reason: A New Theory of Human Understanding』(理性の謎:人間理解の新しい理論)2018年
Hugo Mercier(認知科学者、フランス国立科学研究センター研究員)、Dan Sperber(認知科学者・哲学者、中央ヨーロッパ大学教授)

 

# ワクチン後遺症とLong COVIDは別物だった——血液タンパク質が明かす新事実

ワクチンを接種した後、何か月も倦怠感や頭のぼんやり感が続く。病院で検査をしても「特に異常はありません」と言われる。そんな経験、もしかするとあなたや身近な人の身にも起きているかもしれない。 

実は、そうした慢性症状を訴える人の血液を詳しく調べたところ、従来のLong COVID(いわゆる新型コロナ後遺症)とはまったく異なるタンパク質の変化が起きていることが、南アフリカの研究チームによって明らかになった。

研究チームはこの症状群を「ワクチン接種後/感染後症候群(PV/PIS)」と命名した。対象となったのは、ファイザー製ワクチンを接種後に少なくとも12週間以上、症状が続いている14人だ。彼らの血液と、同様にワクチンを打ったが何の症状もない16人の健康な人の血液を比較したところ、炎症や血液の固まりやすさに関わる分子群に、はっきりとした差が検出されたのである。

具体的に見てみよう。PV/PISの患者の血液では、炎症を強力に促進するタンパク質「血清アミロイドA1」が約1.7倍、「血清アミロイドA2」が約1.7倍に増加していた。また免疫の調整役である「アトラクチン」はなんと約2.6倍という大幅な上昇を示した。

さらに、血液を固まりやすくする凝固因子の第X因子は約2倍、第XI因子は約1.6倍に増える一方で、血小板第4因子は約0.4倍に減少していた。この血小板第4因子の減少は、過剰な炎症反応を引き起こすTh17細胞という免疫細胞を活性化させることが知られており、免疫系と凝固系が複雑にからみ合っている実態が浮かび上がった。

同じ「だるさ」や「頭痛」でも、血液の中で起きている現象の種類がここまで異なるとは、素人目にはなかなか理解しがたいだろう。だが、これは単に数値の話だけではない。

この研究でさらに興味深いのは、これらの変化のほとんどが、ワクチンが普及する前に採取されたLong COVID患者のデータとまったく重ならなかった点だ。

特に「インターフリーシン」というタンパク質群に注目すると、Long COVIDでは主にH1とH2というタイプが増えていたのに対し、PV/PISではH3とH4という別のタイプが増えていた。症状は似ていても、分子レベルではまるで別人のような顔をしているのだ。

まるで、エンジンがかからないという同じ不調でも、ガソリン車とディーゼル車では修理すべき部品がまったく違うのと同じである。もしこの違いを無視して同じ治療法を試せば、効果が薄いばかりか、かえって状態を悪化させるリスクすらあるかもしれない。

ここで重要な転換点がある。これまで医療現場では、ワクチン接種後の不調を「Long COVIDと同じ」あるいは「心因性」とひとくくりにする傾向があった。しかし今回のデータは、それが誤りである可能性を強く示唆している。つまり「ワクチン後遺症」という一つのカテゴリーの中にも、さらに細かい病態が存在し、それに応じた個別化された治療戦略が求められるということだ。

では、この知見をどう活かせばいいのか。現時点ではまだ試験管内の解析段階であり、すぐに診断キットができるわけではない。また、この研究にはいくつかの限界もある。対象者が少なく、PV/PIS群の平均年齢が約60歳と対照群より16歳ほど高かったことや、ファイザー製ワクチン以外のデータが不足している点は、結果の一般化を難しくしている。加えて、過去の無症状感染の有無を完全に除外できていないことも課題だ。

それでもなお、血液中にこれほど明確で特異的な分子の痕跡が残っているという事実は重い。つまり「気のせい」や「思い込み」では片付けられない、確かな身体現象がそこにあるということだ。症状が同じでも原因が異なる——この単純な事実が、これからの診断と治療に根本的な再考を迫っている。

研究論文 『Proteomic signatures of COVID-19 Post-Vaccination/Post-Infection Syndrome (PV/PIS): insights into immune dysregulation and coagulopathy』(ワクチン接種後/感染後症候群のプロテオミクスシグネチャー:免疫調節異常と凝固障害への洞察)2026年。
Waters M, VloK M, Kroon EE, Kotze MJ, Moremi KE, Oladejo SO, Rajaratnam K, Nunes JM, Venter C, Scott CJ, Kell DB, Pretorius E(ステレンボッシュ大学生理学教室ほか)
DOI: 10.3389/fcimb.2026.1753348

以上引用終わり。時間との闘い。真実の訪れは遅い。どうも有り難うございました。